エルサレム・・・トランプ大統領、神の御心に従う

  • 2017.12.10 Sunday
  • 15:59


トランプ大統領が米国の元首としてエルサレムをイスラエルの首都として認めると表明した。そして米国大使館をテルアビブからエルサレムに移すことを明言した。これは歴史的に重要な出来事である。

これまでの歴代の大統領が避けてきた一歩をトランプ大統領は勇気をもって踏み出した。トランプ大統領は哲学的な人物ではなく、思想的背景を持つ保守主義者でもない。政策にはブレもあるが、これは絶賛に値する偉大な決断である。




エルサレムは有志以来ユダヤ人の国、イスラエルの首都である。その地を首都として存在した国家は古代イスラエルと現代のイスラエルだけである。パレスチナという国は存在すらしたことがない。

パレスチナとは現在イスラエルが存在する地域の名称である。イスラエル建国前のパレスチナ人とはユダヤ人のことであった。現在のいわゆるパレスチナ人は大半がヨルダン人である。

イスラエル建国に反応してアラブ諸国がユダヤ人と共存していたアラブ人をイスラエルから「退避」させると同時にイスラエル攻め入った。アラブ諸国はイスラエルに敗北した。退避したアラブ人は退避先で市民権を与えられずに難民化した。そして彼らはパレスチナ人となった。言い換えればアラブ諸国がこれら難民を市民として受け入れればパレスチナ問題など1日で解決するのである。

今回の決断の背景には米国における最大のイスラエル支持層であるキリスト教徒の強力な後押しがあった。




一方、トランプ大統領の決断に対する左翼の取り乱しようが滑稽である。特にバーニー・サンダースのような左翼のユダヤ人の偽善ぶりは見ものである。彼らは今回の決断を「タイミングが悪い。一方的で良くない」などと批判している。彼らにとっては左翼思想が第一であってユダヤであることは二の次三の次である。

トランプ大統領のスピーチは概ね良いものであるが、一つの懸念は「二国間での平和解決」への方針を維持していることである。二国間とはイスラエルとパレスチナのことであるが、歴史的事実としてパレスチナ側が平和を希求したことは一度もない。かの地に平和が訪れるとしたら、それはイスラエルによる支配によってのみ可能である。

トランプ大統領の演説はその真実を知った上での政治的発言か、それともまだその域に達していないのかは不明であるが、大使館移設を始めとする今後の具体的な動きに注目したい。

安倍「性同一性障害」政権

  • 2017.12.03 Sunday
  • 21:31
 

性同一性障害者の「適合手術」、保険対象に 来年度から
11/29(水) 17:33配信 朝日新聞デジタル 厚生労働省は、体と心の性が一致しない性同一性障害の人が体を心の性に合わせる「性別適合手術」を、来年度から公的医療保険の対象に含める方針を固めた。29日に開かれた中央社会保険医療協議会(厚労相の諮問機関)に提案し、大筋で了承された。


安倍自民党政権のもとで社会実験がとどまるところを知らない。急進的な安倍政権に他の左翼政党は追いつかない、といったところである。

政府が管理する国民皆保険制度が財政破綻している現在、その対象を未知・未踏の領域に広げていこうという狂気の沙汰である。

LGBTは病気である、というと「LGBTは病気ではない。これは持って生まれたアイデンティティーだ!これは人間としての自然なあり方なのだ!」という反論が来る。

国民皆保険の対象は病気である。政府が病気ではないと判断すれば、また対象とすべき治療ではないと判断すれば皆保険の対象から外されるのである。美容整形しかり、歯列矯正しかり、先端医療しかり。

LGBTは病気なのか。心の性と体の性が一致しない所謂「性同一性障害」は病気なのか。

カネが絡むとアイデンティティーは都合よく病気となる。

「いや、違う!我々の性同一性(性自認)には障害は無いし病気でもない!これは持って生まれたユニークな性同一性なのだ!ただ、このユニークな性同一性があるがゆえに社会生活を送る上で『支障』がある!その社会との接点の部分が『障害』なだけであって性同一性が障害(病気)を持っているわけではないのだが、『障害』を克服するためには手術が必要で、それが大変負担なわけだ。そのコストは公平性の観点から社会全体で負担するべきなのだ!わかるか?」

全く理解不能な詭弁である。

性転換手術を受けた人々は非常に高い確率で手術を後悔し、鬱に襲われ、精神障害を負い、健康障害を負い、自殺を試みる(記事)。

このような手術が我々と我々の子供や孫の世代の未来を奪いつつある破綻した国民皆保険制度の対象になる。このような手術の費用を我々が全員で負担することを強制される。

まさに悪魔的所業としか言いようがない。

アベノミクス、階級闘争レジームへ突入

  • 2017.11.26 Sunday
  • 14:37
 

<基礎控除>高所得者減額検討 2500万円超はゼロ
11/23(木) 7:40配信  毎日新聞 2018年度税制改正で焦点となっている所得税の控除の見直しを巡り、政府・与党は高所得者の基礎控除(一律38万円)の控除額を減額し、年収2500万〜3000万円より高収入の人はゼロとする方向で検討に入った。所得格差を縮める狙い。基礎控除は最低限の生活保障を目的に1947年に創設され、一貫して引き上げられてきたが、実現すれば初の減額。与党の税制調査会で議論する。


安倍政権を支持する日本の自称保守は痴呆症患者のようである。

「本来は左翼の政策を安倍総理が次々に推進し、民主党や共産党は手も足も出ない。素晴らしい!」などと開き直ってべた褒めする輩も見られる。

呆れたものである。

1980年代、サッチャー時代のイギリスにおいて左翼の野党が与党の保守党に対して「貧困層と富裕層の格差が開いている。どうするのだ!」と詰め寄る場面があった。

保守主義者のサッチャーは答えた。

「我々が政権について以来あらゆる層の人々が豊かになった。一方貴方がた左翼は富裕層の所得を下げると同時に貧困層を更に貧困に突き落とそうとする!そのようなやり方では決して富や機会を増大させることはできない!」




我々の思考はあの時代から何も進歩していないどころか、むしろ後退している。

保守政党と自称する自民党が共産党顔負けの再分配政策を推進する。アベノミクスは戦後レジームを脱却し、共産主義階級闘争レジームへと突入した。

「医師不足の把握」という政府が演じる漫才

  • 2017.11.26 Sunday
  • 13:58
 

<厚労省>医師不足把握に新指標 地域偏在是正に活用へ
11/19(日) 7:15配信 毎日新聞 厚生労働省は医師の地域偏在を是正するため、地域ごとに医師がどの程度足りないかを示す新たな指標を導入する方針を固めた。そのデータを基に、医師派遣に関する都道府県の権限を強めるなどして平準化を図る。有識者検討会で年内に対策を取りまとめ、来年の通常国会に医療法の改正案を提出する方針だ。


世の中には無駄な仕事というものがある。このような報道で我々が毎日目にする政府の活動がその代表である。

世の中の「不足」は全てが政府政策を原因とする。

「不足」は「存在しないこと」と同義ではない。30年前、人々は携帯電話を使っていなかった。携帯電話が存在していなかったのであって携帯電話が不足していたわけではない。その後徐々に携帯電話が普及していき、現在はほとんどの人々が持つに至った。人々が徐々に携帯電話を使うようになったのであって、別に不足が解消された、という意味ではない。

「不足」とは需要があるのに供給が間に合っていない状態である。

医師不足はなぜ生じたのか。それは政府政策が原因である。政府政策とは国民皆保険制度であり薬価制度であり医師免許制度であり教育機関に対する許認可制度である。

医師の偏在はなぜ生じたのか。これも政府政策が原因である。政府が中央集権を強化してきたために人口が都市部に流入し、その結果地方が過疎化して医師業が成り立たなくなったためである。

政府政策によって顕在化したこれらの問題を政府は政府政策によって「是正」しようとしている。これは程度の低い漫才である。「地域ごとに医師がどの程度足りないかを示す新たな指標を導入する」などと、本来は真顔で言えることではない。

あらゆる商品やサービス同様、医療においても市場経済の機能が働けば政府が不足状況を調べる必要はないのである。需要に対して供給な過剰な地域では価格競争で治療代が下がる。需要に対して供給が少ない地域では治療代が上がる。治療代が上がるということは儲ける機会を意味する。体力的にきつくても固定客を確保して儲けたい若い医師にとってはチャンスを意味する。同じような考えの医師が治療代の高い地域を目指せば医師不足などいとも簡単に消滅する。

これは理論ではなく我々が日常生活で体験している現実である。

それをさせないでチマチマと小手先の愚策を弄しているのが政府であり、医療においては厚労省である。

政府がすべきなのは医師不足の把握ではなく、自らのバカさ加減の把握である。

医療に関する問題を軽減しようとするならば、第一にするべきは厚労省と厚労省がからむ規制の廃止である。厚労省が廃止されれば高給取りの官僚も有識者も不要となる。検討会も不要になるし国会での審議も不要となる。そこで浮いた金は減税で国民に返せばよいのである。

医療費削減と配給制度

  • 2017.11.19 Sunday
  • 22:43

 

薬価改定対象を拡大 政府抜本改革案 医療費、最大2900億円削減
11/19(日) 7:55配信 政府が年末に取りまとめる薬価制度の抜本改革案が18日、判明した。平成33年度から導入する薬価の毎年改定(現行は2年に1度)の対象薬を、大幅に拡大する。医療費を押し上げている薬価を値下げすることで財源を捻出すると同時に、医療費全体の抑制が見込める。約5割の薬を対象とすると、最大2900億円の医療費削減効果があると試算している。


政府が商品やサービスの価格を恣意的に上げたり下げたりするとはどこのファシスト国家の話であろうか。

そもそも医療費をなぜ削減しなければならないのか。

医療とは人々が病や怪我を治療することであり、医療費とはそのための費用である。

医療費がかかること自体、悪いことではない。それは医療が存在することの証拠である。医療がなければ医療費も発生しないのである。医療がなければ人々の治癒も延命も無いのである。人が生きるか死ぬかというときに多額の金を費やして対処しようとするのは当然である。

医療が存在するというのはありがたいことである。喜ぶべきことである。

先端の医療技術が高額なのは当然である。そのために長年の研究開発と多額の投資が行われているのである。現在の一般医療は過去の高額な先端医療である。現在の先端医療なくして将来の一般医療は存在しないのである。

ある商品やサービスの価格を恣意的に低く設定するということは、その商品やサービスの供給を制限するということに他ならない。1個売って100円の儲けが出ていた商品を値下げさせられて80円しか儲けが出なくなれば供給を止める会社が出てくる。すると品薄になる。供給制限の影響を受けるのは政府ではなく我々国民である。

問題は医療費の高騰ではなく、医療を制度化する政府そのものである。

時代の先端を行く高価格な商品やサービスをもたらし、そのコストを徐々に下げさせて低価格化するのが市場である。この市場の役割を封じ込めているのが他ならぬ政府の制度である。その政府が自身の失敗の重みに耐えられなくなっている。政府はそのツケを国民に無慈悲な「医療配給」という形で負担させようとしている。

医薬の世界でいえば、国民は先端の医薬品を使用することもできず、かといえ確かな信頼の医薬品を使うこともできず、時代遅れで効果効能も怪しげなジェネリックしか選択肢を与えられないということを意味する。

高騰する医療費を削減する、とあたかも政府が財政的に責任感があるかのような書き方をしている。事実は失敗の上に失敗を重ねて時間を稼いでいるだけである。そしてこのような記事を無批判に読む国民は大方騙されているのである。

政府が削減すべきは医療費ではない。政府が削減すべきなのは問題を起こした張本人である政府自身である。

"Hero: Being the Strong Father Your Children Need " 読了

  • 2017.11.12 Sunday
  • 16:54



「母親は父親の代わりができるが、父親は母親の代わりはできない」などという嘘が自称専門家によってまことしやかに語られる今日。父親がドラマや映画やアニメにおいて優柔不断で偽善で意地悪で無責任で愚かな存在として描かれる今日。政府から学界からメディアまでが父親を不要な存在とすべしとする今日。父親という存在は危機に直面している。

本書はこのような今日を生きる世の父親を励まし、鼓舞し、勇気づけるために書かれた。

著者は父親の存在の重要性を説明する。子供が育つ上で、感情、心理、身体、知性、あらゆる面において父親の果たす役割は大きい。父親不在の子供の心には父親の形をした穴がぽっかりと開いたままである。

父親が自分自身をどうとらえようが、子供が見る父親の姿はヒーローである。

著者は世の父親に対し、ヒーローとしてあるべき姿に立ち返るよう呼びかける。それは社会的地位や収入とは関係がない。それは大人の男性としてのあるべき姿を示すこと。家庭における道徳的指導者となること。良いことと悪いことを知ることを、生き方によって示すこと。規律と基準を明確にし、それを実行すること。人間としての良き見本を示すこと。

良きこと、それは例えば他者への尊敬、勤勉、親切さ、優しさ、家庭第一、正直、誠実、自己制御、信心深さ。

悪しきこと、それは例えば他者への非礼、他者への攻撃、利己主義、思いやりの無さ、汚い言葉遣い、怠惰、不正直、不誠実、偏見。

著者はこれらの基準を自分自身に対してだけでなく子供に対しても明確にし、基準を高く設定して子供を導くことを勧める。

感情を高ぶらせて騒ぐ子供を汚い言葉で怒鳴り返すのではなく、静かな落ち着いた態度で自制心を示す。社会の風潮に惑わされずに必要な時には「否」と言う。テレビゲームを唯々諾々と買い与える親が主流だが青少年の問題を引き起こしている主因は”スクリーン”である。幼少から父親と良好な意思疎通をもった子供は青年期に問題を起こす確率は低い。

世の父親達は自信喪失している。著者は完璧な父親である必要はないという。良き父親になろうとするならば、とにかく子供のために沢山の時間を使うことだという。何もしゃべらなくてもよい。一緒に釣りをしたりして遊ぶだけでよい。父親が発する心無い言葉は子供の心に突き刺さる。父親が発する暖かい言葉は子供を勇気づけ、鼓舞する。

著者はキリスト教徒として祈りの重要性に触れる。小さな子供は人が考える以上に精神的であり、神や天使といった存在に敏感である。父親が家族の祈りを主導することによって家族の親密さと結束は強くなる。

子供は成長するに従い扱いにくくなる。触れ合うのを拒否したり親への嫌悪を口にしたり引きこもったりすることもある。

だが著者は繰り返し言う。絶対にそういった態度を自分(親)に向けられたものとして受け取ってはならないと。ましてや、それがために「もう子供は自分を必要としないのだ」などと思ってはならない。子供は湧き上がる感情をうまく整理し制御することができないだけである。それは成長の過程である。決して子供を見捨ててはならない。父親はいつでも子供にとってのヒーローだからである。


それでも地球は・・・冷えている

  • 2017.11.12 Sunday
  • 14:08


信仰心は時として冷静な判断を阻害する。カルト宗教の信者は特に科学的な事実すらも事実と認めることができない。疑いを持つ人間は宗教裁判にかけられる。

地球温暖化教徒は何十年も前から「あと数十年で地球温度が上昇し、海面が上昇し、地球は人が住めなくなる」と言ってきた。

だが何十年たっても地球が住めなくなる気配がない。ここに至って、このカルト宗教は「今世紀末には〜」と言い出している。誠に都合の良い宗教である。

2016年から17年にかけてエルニーニョ現象によって地球の温度が上昇した。だがそれは一時的な現象であった(Watssupwithat 記事)。

このカルト教団は言う。地球は温暖化していると。

それでも、地球は冷えている。それでも、地球は回っている。


揺らぐ日本品質・・・揺すっているのは政府

  • 2017.11.12 Sunday
  • 13:24
 

製造業、相次ぐルール軽視=揺らぐ「日本品質」
日産自動車に続き、SUBARU(スバル)でも資格のない従業員が完成検査を行っていたことが発覚した。データ改ざん問題が収まらない神戸製鋼所を含め、消費者の安全に直結する品質管理でルールを軽視する事例が製造業で相次いだ。日本が世界に誇ってきた品質への信頼は大きく揺らぎ始めている。10/27(金) 21:00配信 時事



製品やサービスに対して品質を求めるのは誰か。それは顧客と、その製品やサービスに存在意義をかける企業である。

製品やサービスに対してあるべき品質を決定するべきなのは誰か。それは顧客と、供給者である企業である。

この製品の品質はこの程度でいいか、という企業と、その程度では満足できない、という顧客がいれば、その意識のギャップを埋めるのは高品質な製品を供給する新規参入企業である。

この製品の品質はこのくらいなければならない、という企業と、そこまでは必要ない、という顧客がいれば、その意識のギャップを埋めるのは品質を落としてでも低価格で製品を供給する新規参入企業である。

品質というものは、このように供給者と顧客によって決められるものである。品質とコストは相関関係にある。品質が上がればコストが上がり、価格が上がる。

自動車の最終検査を行う検査員に関して資格制度を決めているのは供給者でも顧客でもなく、政府である。

現代ビジネスの記事によれば、最終工程の検査は政府が決めた資格を持った人間が検査してもそうでない人間が検査しても実質的に同じであるという。

考えれば当たり前のことだが、百円均一で売られている製品ならいざ知らず、自動車という高単価製品が最終工程で不具合が発見されたら大事件である。例えば、コンベアで流れてきた完成品の車に検査員がドアの付け忘れを発見するなどがあれば、そのような工場はもはや存続することはできまい。一方、もし製品に不具合があるとしたら、それはもはや最終工程で外観的に発見できるものではない。

不具合が発生しないように部材受入から始まっていくつもの工程において管理項目を設定し、監視と検査を組み込んでいき、不具合の無いものだけが最終工程へと流れる仕組みを構築しているはずである。作業にしても検査にしても、ヒューマンエラーを最小化するために徹底してコンピューター制御で自動化し、「誰がいても間違えない」ようになっているはずである。 そのような仕組みこそが企業の生命線である。

「きちんとした資格を持った人間がきちんと検査すること」などという原始時代的な政府よりも企業は先にいっているのである。そうでなければ企業は生き残っていけないからである。

「日本品質」が揺らいでいる。

いや、日本品質が揺らいでいるのではなく、日本品質は揺すられているのである。

揺すっているのは政府である。

「他人を尊重できないなら出ていけ!」 の顛末

  • 2017.11.12 Sunday
  • 11:03


「他人を尊重できないなら出ていけ」 米空軍士官学校の校長 


 

米コロラド州にある空軍士官学校予備校の学生寮で、黒人学生を侮蔑する人種差別的な罵倒が、学生の部屋のドアについた伝言板に書かれた問題を受け、士官学校校長のジェイ・シルベリア中将は9月28日、士官学校の全校生徒と教職員を集めて、このような振る舞いはまったく受け入れられないと強い調子で話した。「他人を尊重して敬意をもって接することができないなら、出ていけ」と、厳しい口調で繰り返すシルベリア中将の訓話は、インターネットでも大きな話題となった。


この映像は日本でも広く取り上げられて話題になった。

偏見と差別と戦う正義、真のリーダーシップの姿、多様性を称揚する開明性、と大変な持ち上げられようであった。

だが、この事件は実は黒人学生のやらせであることが発覚した(記事)。この学生はもう退学したのだという。

士官学校校長は居並ぶ面々に対してこう言った。

「人種や性別、考え方や生い立ちの多様性を尊重できない人間は出ていけ!」

多様性というのは楽しいものである。今日は和食、明日はイタリアン、明後日は中華。多様性は人生を豊かにする。

一方、組織にとって多様性はハンディキャップである。特に軍隊のような組織は、様々な多様性を克服して敵から国を守るという目的で一致団結しなければ力を発揮することはできない。この目的こそが重要であり、多様性をネタに組織を分断させようとする者は攪乱分子である。

この黒人学生はまさに人種をネタに組織を分断させようとした。そして校長はそれにひっかかって「この組織は分断している!」と断罪した。

校長は事実が判明するのを見届けるべきであった。だが性急な判断をし、性急に行動した。

この校長は謝罪をしていない。謝罪を求める声もない。

我々の意識は益々真実から離れ、プロパガンダへと接近している。

"Darwin on Trial" 読了・・・進化論という宗教

  • 2017.11.05 Sunday
  • 17:37

「アメリカ南部の保守的な地域の学校ではいまだに進化論が教えられていない。なんと後進的なのか!」という類の意見を目にすることがある。日本では進化論が輸入され、無批判に科学として受け入れられ、学校で教えられ、人々は疑いの念を持たない。



本書はダーウィニズム(進化論)が実のところ科学の衣をまとった宗教に過ぎないことを明らかにする。

科学は宗教ではない。宗教というものは、神による地球、生物、人類の創造やキリストの蘇りといった通常我々の知識常識では考えられないことをも信じることである。科学というものは、仮説を立て、それを証明する証拠を集め、その証拠を批判的に検証して正しいことを実証することである。

ダーウィニズム(進化論)によると、まず地球上に無機物の浮遊する海があり、それが何らかの力によって有機物となり、それが何らかの力によってバクテリア(生物)となり、それが何らかの力によって徐々に進化して獣弓類(哺乳類型爬虫類)や始祖鳥となり、獣弓類から哺乳類となり、その中からサルへ、サルの一部が人間となった、というものである。

ダーウィニズムが科学であるためにはこれらの流れを証拠によって裏付け、更にその証拠が妥当であるか否かを批判に晒さねばならない。

進化論の最大の敵は考古学である。なぜならば、ダーウィンの時代から今まで次々と発掘される化石はダーウィンの理論を証明するどころか、逆にダーウィンの理論の誤謬を示すもの以外の何ものでもないからである。

40億年前から存在し始めたバクテリアや藻類、6億年前のカンブリア大爆発によって突如として大量出現した様々な生物、数百年前から今まで何の進化も遂げずに存在し続けるオウム貝のような「化石生物」の存在・・・ これらが証明するのはダーウィンが唱えた進化ではなかった。

化石が示す事実は、生物はある時点で前触れもなく突如として出現し、その後何百年もの間変化もせずに存在し、そしてある時に突如として滅亡し、その後別の生物がやはり突如現れては変化せずに絶滅するまで生きるという繰り返しである。

ダーウィンの進化論は生物は徐々に進化を遂げたというものであるが、人間を含む生物の進化途中の状態を示す化石等の証拠は皆無である。例えば、無機物から有機物(アミノ酸)が生成され、そこから生物が誕生、というくだりを証明するために様々な科学実験が行われてきたが失敗に終わっている。生物のDNAは奇跡的ともいえるほど複雑である。「何らかの力で生物が誕生」という進化論の考え方を、本書では「まるで都市を襲った竜巻によって巻き上げられた様々なモノが偶然ボーイング747号機に組み立てられた」ようなものだと形容されている。

進化論は適者生存の理論であり、生存に適した特性を持つ生物が生き残り、それによって生物は徐々に進化していくという考え方であるが、ここでも矛盾を抱えている。本書では孔雀の例が挙げられている。孔雀のオスは目立つ派手な色彩の大きな羽を持つ。それはメスを引き寄せるためのものである。しかしその羽は飛行には全く適さず、逆に天敵をおびき寄せてしまう。このように「生存に適さない」羽を持つオスを求めるようなメスが「適者生存」によって生き残ってきたのは何故なのか、ということである。

また、例えば陸上生物が「長い期間を経て徐々に」鳥になったとすれば、かなりの期間、その生物は「手でもなく羽でもない」中途半端な突起物を持った状態で過ごすことになる。これはモノを掴むこともできず、さりとて飛ぶこともできない、という生存上非常に不利な状態を意味する。適者生存の考え方とは真っ向から矛盾するものである。

そして、そのような中間状態の化石証拠は皆無である。

証拠の欠如に対する進化論者の説明は「まだ見つかっていないだけだ」といった言い逃れに類するものばかりである。

更には「徐々に進化」が証明しえないがために「ある時点で大きく飛躍して進化した」という説を唱える亜流がダーウィンの後で出てきている。これはいわば「変身」であり、「神が人を作られた」という宗教と非科学という点では同じである。

著者は進化論者の持つ非科学性と宗教性について説明する。進化論者にとって、その説に疑問を呈する者は許されざる者である。信じぬものは呪われる。信じぬものは異端。それはマルクス主義やフロイトの心理学といったイデオロギーに通じるものである。主張が先にあり、それを裏付ける「証拠」が選定される。それを否定する証拠は「存在しない」あるいは「意味をなさない」。

本書を著した人物は宗教的な人物でもなく科学者でもない、中立な立場で論理によって説の確かさを検証しようとする法律家である。本書の目的は「神が人間を作った」という創造論を支持するためではない。

本書の目的は生物はどうやって生まれたのか、そして人間はどこからやってきたのか、それはまだ解き明かされていない謎なのだ、ということを証明し、科学を進化論という宗教から解放することである。

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