厚労省の「費用対効果」

  • 2017.06.25 Sunday
  • 11:42
 

薬価に「費用対効果」導入へ調査実施 厚労省 6月21日 5時19分 NHK
■厚生労働省は、医療費の伸びの一因になっている薬の価格を決定する際に「費用対効果」も考慮する仕組みの来年度からの本格的な導入に向けて、個別の薬の効果に対し公的保険で賄う費用はどの程度が適切かを尋ねる意識調査を実施する方針です。■意識調査は面接方式で行われ、個別の薬や医療機器について、「今後、1年間の延命が可能になるならばいくらまで公的保険から支払うべきと考えるか」を質問します。そして、価格が高いものの、支払う意識が低いという結果が出た薬については「費用対効果が悪い」と判断し、価格の引き下げを検討します。


薬価を決めるのは政府である。価格の主たる存在目的は調整機能であるが、その価格に調整させず、政府が勝手に「価格はこれこれとする」と値段をつけたのが薬価というものである。費用対効果などあるわけもないのである。そして今、その愚行の主である政府が薬価の費用対効果を測定し、是正するというのである。

例えば、ある店で店員が来店者を引き止め、このように言ったら来店者はどのように感じるであろうか。

「すみませんが、ちょっと意識調査に御協力いただけますか。消費者の皆様がウチの商品に対してどのくらいのカネなら出してもよいかを調査しております。ウチは沢山の商品を扱っていますので全部みていただきたいです。その意識調査の結果を集計して価格の引き上げや引き下げを検討します。なぜこのようなことをするかというと、費用対効果を正確に把握して価格を適正なものにし、より多くのお客様により満足してお買い物をしていただくためです。これは社会全体で無駄な経費を削減するための有意義な活動ですのでぜひ協力ください」

来店者は「いやぁ、せっかくですが、今時間ないんで・・・」と言いつつ、この気の狂った店に二度と来るまいと心に誓うはずである。そしてそのようなことをする店は早晩潰れるはずである。

だがこのような狂ったことを国民の税金を使って真顔で行い、その狂った行為の報いを受けることがないのが政府の政府たる所以である。

公的保険というのは雨や雪のように天から降ってくるものではない。それは我々国見から徴収するものである。

「公的保険からどのくらい支払うべきか」というのは「自分が払った保険料からどのくらいを出し、自分のポケットからどのくらいを出すべきか」を問うものであり、国民全体としては実質的に全てを負担しているわけである。

市場経済において、商品やサービスの価格が適正であるか否かを判断するに意識調査は不要である。何千、何万、何百万という人々が自分の頭で考えて個々の商品やサービスが対価を支払うに値するか否かを判断する。その結果として人々に支持される商品・サービスは生き残り、支持されない商品・サービスは消える。

人は十人十色であり、全ての人に支持される商品・サービスは存在しない。広くなんとなく愛好される商品・サービスもあれば非常に狭い顧客層に熱烈に求められる商品・サービスもある。人々の判断の結果が商品・サービスの存続を決定し、その価格を決定する。

少数の人々だけに需要のある商品・サービスは消えるというものではない。市場経済の存在しない旧東ドイツの車はトラバントのみであったが市場経済のある我々の社会では世界各国の有名メーカーの車から見たこともないようなカスタムメイドの車まで様々な車が道を走るのである。

政府が人件費の高い高学歴で融通の利かない厚労省の高級官僚を動かし、税金を投じていちいち費用対効果の意識調査をするまでもなくである。

厚労省をはじめとする官僚機構は富を生み出さない。彼らは富を吸収しながら増殖し、その過程で富を生み出す市場経済を蝕んでいく。

ここまで考えれば一つの事実が浮かび上がってくる。

それはこの世で最も費用対効果の欠如した存在は厚労省だということである。

厚労省は解体・廃止しなければならない。

薬価 - 費用対効果を反映しない「価格」

  • 2017.02.11 Saturday
  • 22:09
 

薬の効果、価格に反映へ 厚労省、18年度から導入方針 朝日新聞デジタル 
厚生労働省は8日、薬の公定価格である薬価に費用対効果を反映させる仕組みを2018年度に本格導入する方針を明らかにした。効果が価格に見合わない薬は値下げして薬剤費の伸びを抑える。新型のがん治療薬「オプジーボ」など高額薬が増え、医療保険財政が厳しくなっているためだ。 2/8(水) 12:11配信 


我が国にはブラックジョークが溢れている。だが、それらブラックジョークがあまりにも日常的に存在しているものだからブラックジョークであると認識されることはない。

この世のあらゆるモノには価格がある。それは人々がモノの費用対効果を判断した結果である。

あるモノが費用(価格)に対して効果(価値)が少なければ人は不満を感じる。結果として買わないという行動につながる。売り手は売れないと困る。だから値段を下げる。だから安物は安いのである。

あるモノが費用(価格)に対して効果(価値)が高ければ人は満足を感じる。結果として買うという行動につながる。売り手はもっと売りたいので増産する。そして更に売って儲ける。それを見た他の人々が「俺も」と参入する。いつの間にか売り手市場から買い手市場になり、価格は下がる。

価格は単なる値札ではない。それは情報である。それは何千・何万・何百万という人々の駆け引きの結果が集積された情報である。それはこれらの人々による「費用対効果」計測の集大成である。数十円のエンピツから数千万円のフェラーリまで、あらゆる商品の価格について言えることである。

だが日本では薬価というものがある。これは読んで字のごとく薬の価格である。この「価格」は何千・何万・何百万という人々が費用対効果を感じながら購買決定をする、という過程を経ずに決められる。決めるのは政府、厚労省の「有識者」である。

実際に販売と購買の決定を下し金のやり取りをする製薬会社や病院や保険会社や消費者と離れたところで役人が恣意的に価格を決めるのであるから、費用対効果を反映していない価格などという奇妙なものが出てくるのである。

その奇妙なものを作りだした政府が「薬の価格には費用対効果が反映されていない」と真顔で言うのであるからブラック・ジョークでなくて何なのか。

そしてその思考は「だから費用対効果が反映されるように医薬業界への政府介入を減らして市場経済原理を導入しよう」につながるのではなく、「政府が効果が低いと判断する薬は値下げしよう」となるのであるからもはや倒錯の世界である。

医療は社会主義がいとも簡単に入り込む分野である。なぜならば人々は「医療と他の商品は違う」「医療は人々の生死に関わるから政府が管理しなければならない」という戯言に簡単に騙されてしまうからである。

\府が問題を発生させ、∪府が問題を指摘し、政府が問題の解決策を提示し、だ府が対応策を実施する。政府の対応策は最初に戻って更に大きな問題を起こし、同じサイクルを繰り返す。

倒錯の世界に生きる我々にはこの異常性が分からない。我々は冒頭の記事を眺めてぼやく。「薬の価格は費用対効果が反映していないのか。それはまずいな。政府がなんとかしないとな」と。

医学部の定員削減、政府検討(右往左往)

  • 2015.09.14 Monday
  • 23:54
 
医学部の定員削減、政府検討 医療費膨張防ぐ  
政府は2020年度から医学部の定員を減らす検討に入った。将来の医師数が都市部などで過剰になると見込み、03年度以来17年ぶりに医学部生の削減にかじを切る。全体の定員は減らす一方で、地方の医療機関に就職する学生の枠を広げて医師不足に対応する。人口減少と病院ベッド数の削減を見据えて医師の数も抑える。医療費の膨張を防ぐ狙いだ。2015/9/13 2:00日本経済新聞 電子版


政府というものは、計画が失敗すればするほどに計画するものである。そしてある時点で何のために何を計画しているのかすら見失う。

政府はついこの間まで「医師不足を解消するため」と称して医学部の定員を増やそうとしていた。それが今度は「定員削減」である。理由は「医療費抑制」であると。

では医師不足はどうなったか。医師不足は依然として何ら解消のめども立たずにいる。だが厚労省による定員削減の根拠は「将来的ない医師数の過剰」である。現在の問題すら手に余っているにも関わらず将来の心配までするとは大それたものである。

 
  • 高齢化が進み、医療サービスの需要は増える一方である。
  • 一方で少子化に歯止めがかからず、世代を追うごとに人口は減少している。
  • 医療技術は日進月歩、新薬も投入されて医療は益々高額化。
  • 一方で医療費は財政赤字を膨大な額に押し上げている。

こういう状況の中で、政策立案者の頭は錯乱状態に陥っているのであろう。冒頭の記事では「政府が検討」などとしているが、政府が行っているのは検討ではなく右往左往である。

確かに日本の社会主義的医療制度においては「医療の値段」は政府によって決められているので医者の数を増やせば医療費は増え、医者を減らせば医療費も減るしくみになっている。

そもそも「医療制度」なる言葉が違和感なく出てくる時点で終わりである。飲料市場の代わりに飲料制度、玩具市場の代わりに玩具制度、自動車市場の代わりに自動車制度、不動産市場の代わりに不動産制度、住宅市場の代わりに住宅制度があるようなものである。いかに医療が教育とならんで制度化(政府の管理下に置かれること = 経済の原理から乖離していること)されているかの証左である。

なぜ医師不足が生じているのか。

なぜ医療費が国家の財政に影響を与えているのか。

それらを理解するには一枚の図があれば十分である。




そして今、政府は医師の数を減らそうとしている。



この図を見て「将来僕はお医者さんになりたい」と夢をいだく少年がいるであろうか。「俺は正しい道を選択した」と自信を新たにする若き医学の徒がいるであろうか。

だが割を食うのは最終的に患者である。

患者は列を作って並びなさいと。待っている途中で死んだらご愁傷さまですと。嫌なら自費で海外でも行きなさいと。ところで効き目が抜群の最新医薬を使おうなどという独りよがりで不届きな考えを捨てよと。特許切れの10〜20年前の薬をありがたく使いなさいと。効かないわけではないのだからと。

社会主義化された医療「制度」の国々では毎度のことである。

ではどうしたらよいのだ。

解決方法はある(リンク)。
 
医療制度は我々の社会において「神」となった。我々は我々自身が祭り上げた「神」を引きずり下ろすことができるであろうか。自ら「信仰」を捨てることができるであろうか。それが最大の問題である。

安楽死… ベルギーを「死神」が行進する

  • 2014.02.15 Saturday
  • 19:29
 

ベルギー、「子供の安楽死」も認める 世界初の年齢制限撤廃 2014.2.14 09:42

【ベルリン=宮下日出男】ベルギー下院は13日、本会議を開き、医師による安楽死を18歳以上の成人に限り認めるとした法定年齢制限を撤廃し、子供にも認める改正法案を可決した。子供の安楽死はオランダが12歳以上を対象に認めているが、年齢制限の全廃は世界で初めてとなる。 本会議での採決は、賛成86に対し、反対44、棄権12だった。改正法案は上院を通過しており、近く国王の署名を経て施行される見通し。ベルギーでは、2002年に成人の安楽死が合法化されていた。    産経ニュースより


 

The New Americanより写真を掲載

 

これは因果応報ということなのか。 大虐殺といえばナチスのホロコースト、スターリンの粛清、ポルポトのカンボジアなどが思い浮かぶが、その前章のようなものがあった。 ベルギーのレオポルド二世(在位1865年-1909年)はアフリカのコンゴを植民地化し、それを自らの直轄支配下におき、天然ゴムをはじめとする資源を強制労働によって搾取しまくった。 結果8百万ものコンゴ人が犠牲となった。 ホロコーストが6百万であるから、これは立派な大量殺戮である。 その後ベルギーは、ヨーロッパの小さな一つの国、チョコレートで有名な国、くらいなイメージに隠れて謝罪の一言も発したことが無い。

 

今日そのベルギーにおいて、「死の文化」が大手を振るっている。 先日、ベルギー・ブリュッセルの議会にて、それまで18歳以上とされてきた安楽死の年齢制限を撤廃するという法案が可決した。 しかも賛成多数である。 ベルギー国民も7割以上が賛意を表しているという。 まさに「民主主義の勝利」というべきか。 多数意見によって、「子供殺し」「子供の殺処分」が合法となったのである。 カトリック教会など反対者の声は「民主主義的意思決定」の前に完全にかき消されてしまった。

 

保険所で野良犬が殺処分されるのは可哀想であるとか、捨てる飼い主は無責任だ、というような話があるが、社会の弱者である子供、声なき存在である子供、保護すべき存在である子供、育てはぐくむべき存在である子供、彼ら子供が、簡単に言えば、野良犬と似た扱いを受けるというこに他ならない。 

 

「何があっても挫けずに、強く、逞しく、しなやかに、そして優しさを持って、生きていってほしい」 それが子供に授けるべき期待である。

 

しかし、生まれてこない方が幸せだった、これ以上生きても望みが無い、死なせたほうが本人にとっても自分らにとっても楽だ、と判断された子供はどのような期待を受けるのか。

 

「XXちゃん、もうダメだよね。 辛いよね。 終わりにしたいよね。 大丈夫、先生にお薬出してもらうからね。 そのお薬飲むとね、ふわーっと眠くなって、XXちゃんそのままお休み―って、らくーになっちゃうんだよ。 すごいでしょ。 じゃあ、先生が質問するから、ぜーんぶ”はい”って答えるんだよ。 分かった?」

 

子供が期待されるのは、国家が決めた殺処分規定に合致するよう、医師の質問に間違えずに答えることである。

 

こうして妊娠中絶でも殺せなかった子供が、いとも簡単に、殺せる世の中が実現するのである。 かつては荒唐無稽だと思われた、そんな社会が飛行機で12時間あればいけるベルギーという国で実現したのである。

 

いや、安楽死はその条件が厳格に規定されているから、むやみに殺すなどあり得ない...

 

そうではない。 いったん安楽死(消極的、積極的を問わず)を認めた社会において、規定された条件など、守られていないのが現実なのである。 今回の法案通過は必要に迫られての改定ではなく、法律が現実に「ついていった」だけである。 現実は坂を転げるかの如くに死への道を突き進み続けているのである。

 

人間にはだれしも欠陥がある。 欠陥の大小は人それぞれである。 欠陥には多かれ少なかれ、苦しみがつきものである。

 

苦しみを無くしてあげたい命を救いたい憎き病気をやっつけたい... そんな動機が医療の発展を支えてきたのである。

 

チェイニー元副大統領。 氏は37歳の若さで心臓発作に見舞われ、急死に一生を得た。 その後も幾度も発作に見舞われた。 しかしそのたびに氏は先端の医療技術で救われた。 氏はアメリカ史上最も偉大な副大統領の一人である。 

 

「苦しみを軽減して命を救う」から「命を奪って楽にする」になるのであれば、医療を発展させてきた動機が根底から否定されることになろう。

 

ベルギー議会前に立つ一人の反対者は言う。 「今我々の国で起きていることは、他の国々は警鐘と受け取るべきだ我々は、もう誰も閉めることの出来ないドアを開けてしまったのだ」

 

 

追記:

国民皆保険制度を採っている国においては、安楽死を促進することによって医療費を削減しようとする動きは否応なく進むはずである。 国家が医療の財布の握る、というのはこういうことである。 国が医療費の面倒を見てくれるから「安心 (^ o ^)」などと考えようものなら、それはとんでもない考え違いである。 国民皆保険制度は世にも恐ろしい非人間的なシステムなのである。

日本医師会 奴隷制度を提唱する政治団体

  • 2013.11.10 Sunday
  • 17:06


は生きる権利幸福を追求する権利がある。 一方、には他人を隷属させる権利は無い。 しかし世の中には人権という響きの良さを利用して隷属を広めんとする団体があるものである。


 

「すべての人は、差別なしに適切な医療を受ける権利を有する」 


 

これは日本医師会が掲げるリスボン宣言なるものの一節である。 人はいつなんどき、病気や怪我をするかもわからないが、いかなる時でも人は良質な医療を受けることが出来るというわけである。 いわば、ユートピアの世界である。 それが実現すればどれだけ素晴らしいか、と思わずにはいられない、そんな世界である。


 

だが、ちょっと立ち止まって考えてみるとこれは恐ろしい世界である。


 

医療は権利上の一説をひっくり返すとこうなる


 

「人は医師や看護婦を奴隷にする権利がある」


 

すべての人を差別なしにということは、千差万別の人々を一緒くたにして扱えということである。


 

世の中、ダイエットや運動に励んで健康管理に余念のない人間もいるかと思えばメタボ腹に毎晩ビールや焼酎を流し込んで週末はゴロ寝&また晩酌という人間もいる。 栄養バランスを入念に考慮する人間もいれば油ものだろうがジャンクだろうが食えるものならなんでもがっつく人間もいる。 節制を追求する人間もいれば酒とタバコの無い人生など無意味だと言い切る人間もいる。 多様な趣味を持つ人間もいれば趣味はテレビ&飲み食いだという人間もいる。 長生きこそ人生の目的だという人間もいれば男たるもの短く強烈に生きるべしという強者もいる。 安全第一の人間もいれば冒険無き人生などあり得ないという人間もいる。


 

常に穏やかな態度をとる人間もいれば自分が強い立場だと思えば急に高圧的になる人間もいえる。 常に自省を心掛ける人間もいれば自分の不遇は自分ではなくて他人や社会のせいだと考える人間もいる。 常に財布の収支に注意する人間もいれば「カネは天下の回りもの」と豪語する人間もいる。 財布が寂しくなれば節約する人間もいれば借金してでもゴージャスライフを満喫する人間もいる。 人のいうことをよく聞く人間もいれば「オレのことはオレが一番分かる」と聞く耳持たずの人間もいる。 収入の少ない人もいれば高収入の人もいる。 知識の少ない人もいれば博学な人もいる。


 

このような雑多な人間達が怪我をし、あるいは病気になる。 生活スタイル、性格、資質、境遇、様々な要因が絡む。 ある人はよく怪我をし、ある人はよく病気になる。 ある人は軽い怪我をし、ある人は重い病気になる。 これらは人間の多様性の結果である。 それを前提に考えたうえで、「すべての人を差別なしに扱え」とはどういうことか。 「適切な治療を受けることは人としての権利である」とはどういうことか。 それは医療サービスの提供者(医師、病院、看護婦)は「治療を求めてくる人達を拒んではならない」ということである。


 

人は朝起きて顔を洗い、髭を剃って、あるいは化粧をし、仕事に行き、仕事が終われば街で買い物をして、あるいは寄り道をして家に帰り、家族とひと時を過ごし、風呂に入り、歯を磨いて布団に入る。 それら一つ一つが「権利」なのか。 人は顔を洗う権利がある? そうではない。 人はただ、顔を洗うのである。 それは義務だからでもないし、権利だからでもない。 顔を洗うのに最低でも水が要るし、洗顔フォームを使う人も多かろう。 水も洗顔フォームも権利ではない。 金を出して買うものである。


 

医療は権利でも義務でもない。 医療は商品であり、サービスである。 商品・サービスとは対価と引き換えに得るものである。 医療を構成するあらゆるもの - 医師、看護婦、医薬、医療器具、病院、エネルギー(電力や水)、様々な器具や設備、そしてそれらを運搬するもの - これらは全て医療に関わる何千何万何百万もの人々の労働の成果である。 医療を何か高次元で異次元なものと捉えることは勝手であるが、この事実はビクともしないのである。


 

医療が権利であるならば、医者はどのような患者であろうとも拒んではならないのである。 その患者がカネを払う気などサラサラなかろうが、真面目に生活習慣を改める気などサラサラなかろうが、根気強く治療に取り組む気などサラサラなかろうが、傍若無人に振る舞おうが、暴力的であろうが、理不尽であろうが、犯罪者であろうが、である。 だが、その隷属思想を公に掲げているのが医師を代表する存在である日本医師会なのである。


 

益々深刻化する医師不足とその背景にある過酷な勤務。 複雑な要因が絡んでおり解決は容易ではない(説明できないということではない。 むしろ説明は簡単である)。 医療に関わる多くの問題は「政府の介入」によって発生している。 そしてその「介入」には多くの既得権が絡んでいる。 日本医師会という学術団体の名を借りた政治団体が医療への政府の介入政策を組み立ててきたことは想像に難くない。医療に関わる多くの医師や看護婦達が隷属状態に苦しむ。 そしてその影響を最も受けるのは「弱き人々」であることは言うまでもない。


 

追記:

日本医師会のウェブサイトには様々な医療政策が掲げられている。 例えば、「医療を営利産業化させていいのか」「小さすぎる政府の社会保障と政府の利用価値」「市場主義経済学がもたらした日本の経済政策失敗について」といったタイトルで偉い先生方の政策提言が並ぶ。 日本の医療を社会主義化させてきた人間達の集合である。


 

1961 ロナルド・レーガンは医療の社会主義化を警告していた


 

2010 アメリカ レーガンの警告はオバマケアという形で現実となった。

Obamacare is 1) Unaffordable 2) Unworkable 3) Unfair 4) Unpopular by Michele Bachmann


 

医療崩壊への道・回避への道・発展への道

  • 2013.07.22 Monday
  • 18:07
 

 

8割が当直明けも通常勤務=医師、半数が健康不安―労組調査

時事通信 7月20日(土)5時10分配信

勤務医の8割が、当直明けの翌日も1日通常勤務をこなしていることが20日までに、労働組合「全国医師ユニオン」などの調査で分かった。半数が健康に不安を抱え、担当者は「医師不足による過重な負担が続いている」としている。 調査は昨年6〜9月、日本医療労働組合連合会や関係学会を通じて勤務医にアンケートを呼び掛け、2108人から回答を得た。 それによると、当直を行う勤務医の79.4%は、当直明けの翌日も1日勤務し、32時間以上連続で働いていた。全体の46.6%が健康状態に何らかの不安を感じると回答。最近辞めたいと思ったことがある人は61.7%に上った。

 

 

「調査により実態が分かった」というが、それにしても、同じような調査を何度繰り返したら気が済むのか。 医師や看護師は緊張した状態の中で病人や怪我人と相対しているのであって、入れ替わり立ち代わり調査に訪れる人間や「調査のためこの用紙に記入してください」などという依頼を何度も受ける時間があるくらいならば「せめて休ませてくれ」と言いたくなるのではないか。

 

  • 医師が過労死の危機に直面している
  • 医師不足が危機的だ
  • 医師の大半が疲労を訴えている
  • 医師の多くが辞めたいと考えている
  • 医師だけでなく、看護師も

 

そんな話は何年も前から出ている。 今更調査もへったくれもない。 益々酷くなる現状を確認するだけのことである。 それで、何をするでもなく、何をしたいでもなく、何が出来るでもなく、「国は事態を重く見て対処しなければならない」くらいのコメントを発するくらいが関の山である。

 

世の中には教育、医療、芸術といった分野に関わる労働、あるいは労働そのものを、「商品ではない」と言いたがる人間がいる。 言いたければ好きなことを言えばよいわけだが、問題は誰が何といおうが、それらを取り巻く現実は微動だにしないということである。 その現実とは、対価を求めるあらゆる活動は、その価値は市場原理によって決定されるということである。 たとえ政府の政策やメディアの報道や社会一般の通念がその現実を「見えにくいもの」としていても、「イラッシャイ・ラッシャイ・ラッシャイぃぃぃ きょうは大根安いよぅ」と威勢よく声を張り上げる八百屋さんで「安いな」と思えば買うし、「高いな」と思えば買わない、それと全く同じ現象が結局は起こるのである。

 

国民皆保険制度によって医師の診療報酬は低く一定に抑えられている。 医師会のウェブサイトがその事実を挙げ、「いかに国民皆保険制度が素晴らしいか」の理由としている。 だが「報酬が低く一定に抑えられている」という事は「運営コストが低く一定に抑えられている」事を意味しない。 逆に言えるのは、「報酬が低く一定に抑えられている」ことによって「運営コストが低く一定に抑えられている」という勘違いを世間一般に広めているのである。 世間一般の人々はその「勘違い」に基づいて行動する。 「安いな」と。 その「安いな」とは「高いな」が自然と誘発するブレーキ作用が外れた状態である。 その状態が誘発する行動パターンは様々であるが、一概に言えるのは、人々はより頻繁に病院を訪れるようになるということ、すなわち、病院が混む状況を作り出す、ということである。

 

一方、医師にとって「報酬が低く一定に抑えられている」という事は「勘違い」でも「幻」でもない。 現実である。 「もっと医師や看護師を増やしたいのですが、今の報酬では人材をこれ以上増やすのが難しい状況です」とは病院からよく聞かれる説明である。 すなわち、一般的には高収入と思われている医師や看護師という職業も、その業務の負担を考えれば魅力的ではないという事である。 特に救急医や産婦人科は訴訟のリスクが高くなり手が少ない。 大学・大学院・医師免許・臨床研修医...と多額の先行投資と長い努力の道のりを経て獲得した医師の地位を危険に晒すのを避けようとするのは当然であろう。

 

国民皆保険制度によって医師の診療報酬は低く一定に抑えられている。 それによって二つの事象が同時に進行している。

 

  1. 医師・看護師のなり手が減少する
  1. 患者数が増える

 

その結果...


 

医療"制度"崩壊ではない。 「制度」など崩壊してもよい。 崩壊して困るのは「医療」である。

 

崩壊を回避し、状況の改善へと向かう道はどこにあるのか。 それは「崩壊への道」を眺めれば自ずから導き出されるのである。 「崩壊への道」をそれ以上進まず、立ち止まり、踵を返し、逆に向かい、歩み始めればよいのである。

 

いうなれば、皆保険"制度"をはじめとする医療に巣食う各種の「制度」を崩壊させることである。 くどくど言うよりも図を眺めれば分かりやすい。 何度も同じような調査を繰り返すのではなく、実のある議論をすべしである。

 




1) greenwich ‏@bobbygetshomeさんからのアドバイスにより追記




追記:

国際労働機関 ILO労働は商品ではない!

林野庁 木材利用ポイント ここでも医療に似た、官の介在が問題を悪化させる負のスパイラルがある

 

麻生太郎「さっさと死ねるように」発言の真実

  • 2013.02.03 Sunday
  • 14:03
 

"It is amazing that people who think we cannot afford to pay for doctors, hospitals, and medication somehow think that we can afford to pay for doctors, hospitals, medication and a government bureaucracy to administer it." - Thomas Sowell

 

『医者と病院の費用、そして薬の価格は高すぎて人々が負担するのは不可能だ、と考える一方で、医者、病院、薬、そしてそれらを管理監督する省庁のコストは負担できる、と考える人があまりに多いのには驚かされる』 トマス・ソーウェル

 

 

麻生太郎・副総理兼財務大臣が「失言した」ということで物議をかもした。 医療費についてこう語ったのが失言・暴言だったというわけである。

 

「いいかげん死にてえなと思ってもとにかく生きられますから」

「しかもその金は政府のお金でやってもらっているなんて思うと」

「ますます寝覚めが悪い」

「さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」




麻生氏は見識はさておき、それほど腹黒い人間には見えない。 たぶんビールでも飲んだらもっと口が軽くなって面白いことを言うのではないか。 

 

麻生氏が熟慮を重ねた末に上の発言をした、とは思えない。 発言の軽さは昔からである。 その軽さ故に図らずとも真実が口をついて出たに過ぎない。 滑稽なのはこの発言をつかまえて、やれ失言だ、やれ暴言だ、と騒ぎ立てる左翼メディアである。 この発言は「失言」でも「暴言」でもなく、本人は全く意図していないと思うが、まさしく社会主義化した医療がもたらす恐ろしい結果を言い表したに過ぎないのである。

 

医療社会主義化、すなわち、国民皆保険制度・医療行為への規制・医薬品開発への規制は否応なく医療という一連の経済活動を阻害する。 既に国民皆保険が空気のような存在である日本では国民皆保険に疑問を呈するのは「空気の存在に疑問を呈する」のと同じくらい異様なこととして受け止められる。 だがその道を進みつつあるアメリカを見れば、市場経済から計画経済へと移行する過程において何が起こるかが見えてくる。

 

アメリカでいわゆるオバマ・ケアと呼ばれる「医療保険制度改革法案20103月に当時両議会多数派であったアメリカ民主党によって強行採決され、オバマ大統領によって法制化された。 ナンシー・ペロシ下院議長が採択前に言った「どのような内容なのか皆が知れるようにこの法案を採択しましょう」という言葉が有名になったように、国民に内容を説明して是非を問うこともされず「皆さんはこれから全員保険でカバーされるようになります。 これでようやくまともな文明国になります」というような美辞麗句だけが先行した。

 

2014年からオバマ・ケアが効力を発揮し、すべての国民が医療保険を購入することが義務づけられ、違反すれば罰金が科されるようになる(個人所得の2.5%と見積もられている)。 それに向けて企業も病院も医師も製薬会社も個人も準備を進めている。 2013年に入った現在、既に多くの影響が出ている中で人々は徐々に気づき始めている。 それは「保険適用される」ことと、「医療行為が受けられる」ことは全くの別物である、という事実である。

 

オバマ・ケアは人々に保険購入を強制する一方で、保険会社には例えば妊娠中絶やバイアグラ(性犯罪者も含め)といった従来個人で負担すべきものとされてきた費用をもカバーするよう義務づけている。 それがどういう結果になるか。 Newsmax.comが伝えるDoctor Patient Medical Associationアンケート調査によると、実に83%もの医師達が、オバマ・ケアが発効した際には医師を辞めることを考えている。 なぜか。

 

人は保険を持てばそれを使おうとする。 些末な風邪や怪我でも医者に行くようになる。 医師は増える患者をさばいていかねばならない。 保険関連の煩雑な書類仕事は激増する。 単純化して言えば、医師達は今後、減少する収入の中、より多くの患者を診ていかなければならなくなる。 しかも治療方法に関しても国家が介在してくるので自身の裁量による医療行為がますますやりにくくなる。 医療訴訟のリスクも益々高くなる。 辞めたくなって当然であろう。

 

そしてそこから容易に推測されるのは、若い学生達が医師という職業に対する希望を失い別の道を歩むであろうということである。 日本でも原発叩きが始まってから既に原子力工学に進む学生が減少している。

 

辞める、といっても状況は人それぞれである。 定年間近であれば引き際を早めるだけである。 だがキャリアの階段を上り始めた人や既に活躍の最中にいる医師達にとっては大変なことである。 医師というのは高校を出てから大学・薬科大学院・インターンシップ・レジデンシー・フェローシップ等等と優秀な学生が10数年かけてやっとたどり着く職業である。 嫌気がさしたから不動産にでも転職するか、という話ではない。 日本で既に起きているように、徐々に同僚が減りるなか、多くの医師達が悪化する労働条件の中を過労寸前でもがくように頑張らざるを得ないはずである。

 

国家政府による医療という市場に対する介入は市場にもともと存在する調整機能を阻害する。 すなち、市場(患者)の商品購買力(医師・医療サービス・医薬品)を人為的にあげつつ価格を統制することにより、それらサービスの供給を減少させ(医師不足)、結果的に人々が医療を受ける機会を少なくする。 日本では名目上誰もが平等に医療が受けられることになっているが、そのようなおとぎ話を信じる者はいない。 高名な医師にかかるには紹介状と高額な謝礼が必要となるのは常識である。 一種のブラックマーケットの形成である。

 

そこで改めて麻生発言を眺める。 法制化ということは、誰もがそこから逃れることが出来ないということである。 強いて言えば、金持ちは金でなんとかできる術があるが、低所得者は完全にお手上げである。 政府の慈悲にすがるしかない、という状況になる。 しかし所得に関係なく、日本人は元来道徳心の強い国民である。 麻生の言った「政府のカネで高額医療をやってもらてると思うと寝覚めが悪い」はまともな感覚を持つ人間なら誰もが持つ思いである だから麻生が言うように「皆のために早く死のう」となる。 名だたるメディアが一切伝えないのは、問題はそれを「言った」ことにあるのではなくて、人々の思考を死へと向けてしまう国民皆保険という牢獄制度の存在にある、という事実である。

 

 

このグラフを見れば分かるように、人類の歴史とは、いわば長寿化の歴史である。 平均寿命が16歳くらいだった縄文時代から平安、戦国、江戸、明治、大正、昭和、そして平成の今7080歳となった。 その今、なぜ「もっともっと生きよう」ではなく、国に迷惑をかけないように「早く死なねば」という発想なのか。 それは社会主義の必然である歴史の後退に他ならない。

 

 

追記1

麻生発言で問題なのは、「政府のカネで高額医療をやってもらてると思うと寝覚めが悪い」の「政府のカネ」の部分である。 誠に政治家というものは、「政府のカネ」を「国民のカネ」ではなくて「政府のカネ」だと思っている。 そこが、問題である。

 

追記2

医療財源不足によって産婦人科不足が生じている。 これは国民に「生まれてくるな」ということにつながる。 終末医療削減の「老人は早く死んでくれ」という発想と相まって国家滅亡へとつながる。

 

 

 

 

 

 

医療の危機

  • 2011.08.01 Monday
  • 00:17
 

「市場原理による効率追求のため、医師は激務を強いられ、それが医師不足へつながり、病院の閉鎖や診療科の廃止が相次いでいる、出産難民が急増している」

 

これは左翼の作り話である。 これらの状況があるのは本当だが理由が違うし責める対象が全然違う。 これは左翼が一番得意とする論法である。 自らが作り出した問題を、他者の責任に転嫁する。 そしてもともとこのような問題を作り出した政策を政府の権力で更に推し進めようとする。

 

「誰でも医療を受ける権利がある」というもっともらしい言葉がある。 人間にはそのような「権利」はない。 人間には金で商品を買う権利がある。 医療は商品である。 治療行為は医師の労働によるサービス。 医薬は製薬会社の労働による商品である。 サービスや商品を受けとるには対価が必要である。 対価を払わずにただでサービスや商品を受けるのを窃盗という。 そんなことをする権利は誰にもない。 「人の労働の成果を平等に分配できる」などというのはマルクス・レーニン主義の思想である。 左翼思想は全ての良きものを悪しきものに変える。 医療も同様である。

 

国民皆保険制度というのは左翼思想を起源とする。 自分が払うのは一部だけで後は医療を受けていない他人が負担するのである。 医療を提供する方も受ける方もコスト感覚がなくなるから風邪程度で大げさに病院に行くのもいるし、必要も無いのに社交感覚で病院通いするのもいる。 収支が合わなくなるのは当然である。 

 

医者というのは医療と言うサービスの提供者である。 自身の職能でサービスを提供するという点で、大工やバイオリン奏者やセールスマンと同じである。 要するに患者を治せばそれでよい。 手に技術があればそれでよい。 それがおかしなことに国家の免許制なのである。 高い大学の医学部に行き、大学院に行き、それからどうするのか知らないが、とにかく医者になるのは大変である。 それが割に合っているうちは良かった。 しかし今行政の支出削減で人が足りず激務にさらされる現状では割に合わない。 なり手が足りなくなって当然である。

 

医療を「権利」と思い、国家の免許によって安全が「保障」されていると勘違いした人間達は治療がうまくいかないと医療ミスだと騒いで医者や病院を訴える。 一生懸命やってうまくいかず、それで患者やその家族に訴えられたのではたまったものではない。 なり手が足りなくなって当然である。

 

解決方法は簡単である。 国民が保守化し、賢くなれば良い。 実現が簡単とは言わないが説明は簡単である。 国家・政府の役割は医療ではない。 医療は医者や病院や製薬会社の仕事である。 国家・政府の仕事は国防、治安維持、インフラ整備である。 医療と言うサービス、医薬という商品のやり取りに国家が介在してよい理由は何もない。 

 

具体的に言えば、医師を免許制でなく、自由開業性にすれば良い。 何の免許も必要なし。 なりたい者が何とか医院とかいって看板を出せばよい。 医薬も厚生省を廃止して各社が自由に出したいときに出せばよい。 国民皆保険制度を廃止して、個人が必要に応じて民間の保険に入ればよい。

 

医療の安全はどう保障するのか、と言う人間がいるだろう。 事故は必ず起こるものだ。 人間死ぬときは死ぬのである。 そんなときは諦めるしかない。 

 

そうはいっても死にたくないのは人情である。 医療の安全というのは医師の腕によるものである。 国の認定によるものではない。 大昔にとった免許が何の保証になるか。 免許は安全の保障ではない。 免許があってもヤブやへたくそはいくらでもいるではないか。 安全の根拠は実績である。 

 

実績の積み上げこそ保障である。 名のある医師に患者が集まり弟子が集まる。 未経験者は下積みからたたき上げて医師となる。 一つ一つ実績を積み上げていくから間違いがない。 技術が伝承される。 モラルも伝承される。

 

今は情報などいくらでも発信出来、手に入る時代である。 何とか派の先生だから安心だとか。 逆にどこの骨とも知れない医者は信用できないとか。 口コミで情報が広がる。 知っている人が治療を受け、良いサービスを受けられた、というのが一番の安心材料である。 それに医師や病院も自分で情報発信すればよい。 国の免許など無くても名のある大学や病院で研鑽を積んだことが分かればそれも安心材料であり売り文句である。

 

健康管理は個人の責任である。 病気になってそのままほったらかすのも治すのも個人の責任だし個人の自由である。 医師も病院も薬も、選ぶのは個人の責任であって国・政府の責任範囲ではない。 国・政府の責任は、例えば患者と病院の間の契約の遵守を強制することと、違反者を罰することである。 変な権利意識で個人の責任感が欠如すると 医師や病院に責任転嫁する。 何かあるとすぐに訴える。  訴訟の危険性を避けるために費用がかさむ。 訴えられれば医療どころではない。 ストレスがかかる。 医師が不足する。 少ない人員でこなすので負担がかかる。 医療ミスを起こす。  更なる訴訟。 更なる医師不足。 悪循環である。

 

医師になる門戸を開き、多数が競争し、情報を発信する。 優れた医師は治療費が高いが、新米は安い。 自身の病気と経済状態に応じて選べばよい。 個人が個人の責任で選ぶ。 患者が医師を信用し、医師は患者を信用する。 うまく治ればよい。 うまくいかなければ、次の手を考えればよい。 最悪の事態になれば、その時は諦める。 そのくらいの割り切りが出来るレベルに国民がなれば、現在よりもずっと良い医療が実現するはずである。

 

完全自由経済化、これがあらゆる問題を解決する秘訣である。

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>

time

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM