クーリッジ大統領に学ぶ

  • 2013.04.17 Wednesday
  • 20:41

 

アメリカの1920年台は狂瀾の20年代、狂騒の20年代、黄金の20年代などと形容される。 空前絶後の殺戮と破壊をもたらした第一次世界大戦が終わり、アメリカでは平和と経済発展と技術革新の時代が幕を開けた。 その立役者は共和党・ハーディング大統領の副大統領としてホワイトハウス入りし、ハーディングの急死後昇格して大統領になったカルビン・クーリッジ大統領であった。

 

「クーリッジ大統領」で検索してみれば分かるとおり、氏にまつわる情報といえば大したものがない。 「寡黙だった、悪戯好きだった」といった表面的で愚にもつかない内容がほとんどで、世界史の教科書でも触れられることはない。 アメリカでも近年まではほとんど忘れられた存在であった。

 

Charles Johnson著『Why Coolidge Matters(何故、今クーリッジなのか)』は読みごたえのある一冊である。

 

 

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本書を読めば、クーリッジ大統領が寡黙でも愚鈍でもないどころではなく、まさにリンカーン以後、レーガン以前のアメリカ大統領府における巨人であったことが分かる。 同時に、ウッドロー・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、ジョン・ケネディ、リンドン・ジョンソンといった面々を上位にランクインさせる歴史家・大学教授・大メディアといった左翼による評価において、なぜ、クーリッジがレーガンと並んで最下位に近い評価をされるのかが分かるのである。

 

1970年代の未曾有の不況から経済を立て直して繁栄の80年代を築き(その繁栄はその後20数年間続いた)、自由世界を脅かしていたソ連を崩壊させたレーガン大統領が尊敬し、手本としていたのがクーリッジ大統領であった。 チャールズ・ジョンソンは、フランクリン・ルーズベルト以来、左翼の歴史家・著述家によって意図的に抹消されてきたクーリッジ大統領の実績、人物像、そしてその哲学を現代の我々の前に蘇らせた。

 

ウィルソンの時代にアメリカはファシズム独裁、ヨーロッパでの不毛な戦い、巨額の財政赤字、不況、そしてうなぎ登りの失業率を経験した。 その後共和党・ハーディングが政権をとり、減税を行って経済の立て直しはこれからと思いきや汚職等で足を取られ、僅か2年ほどでハーディングが急死し、副大統領だったクーリッジが大統領へ就任。 クーリッジ大統領はハーディングの経済政策を継承しつつ自身の哲学による強い政治を推し進めた。

 

クーリッジ大統領の業績は歴史的である。 クーリッジは在任中4回もの大減税を行い、財政赤字を削減させ(2322.3億ドルから29年の16.9億ドルへ=20世紀最大の削減率)、財政を均衡させ、アメリカ史上空前絶後の好景気をもたらした。 クーリッジの在任中、アメリカ人は平和を謳歌し、生活水準は飛躍的に向上し、失業率は最低となり、自動車やラジオなどの工業製品は次々と出荷され、エジソン、フォード、ファイアーストン、ディズニーといった実業家たちは空前の富を手にし、そして同時に一般人も次々と貧困を脱して生活の便利さを享受した(クーリッジ在任中一人当たりの所得は522ドルから716ドルへと上昇)。 

 

繁栄は人心の安定と偏見の減少をもたらす。 クーリッジ在任前に最大に達したクー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーは任期終了時には最低水準へと減退した。 同時に、人種差別主義者・ウィルソンの時代には最高潮に達していた黒人への暴力も、クーリッジ在任の最後の年にはほぼ消滅するに至った。

 

20世紀初頭は”革新主義”の時代であった。 革新=プログレッシブとは「政府が社会のあらゆることに対して責任を持ち、関与し、管理していくことが求められている」という考え方である。 「現代は合衆国憲法が制定された頃の単純な時代ではない。 政府は積極的に不平等・不公正の是正を行っていかなければならないのだ」と。 本書はクーリッジを(ハーディングの)前任者のウィルソンと対比させているが、それが非常に興味深い。 なぜならば、左翼から理想主義者として讃えられているウィルソンとクーリッジはあらゆる面で相反するからである。

 

ウィルソンが合衆国憲法と独立宣言を過去の遺物として唾棄したのに対し、クーリッジはこれらを政権運営の根幹に据えた。

 

ウィルソンが傲岸不遜にも自身を「選ばれし大人物・開明的な指導者」と見做していたのに対し、クーリッジは自身を「偉大なアメリカ国民と神から政権運営を託された幸運なる人間」として考え、自分個人への賞賛や礼賛を固辞した。

 

ウィルソンが自身の政権に人種差別主義者やKKK支持者を囲い人種隔離政策を推進したのに対し、クーリッジは人種主義を排除して能力第一主義を貫いた(クーリッジにとって人間は全て神の子であった)。

 

ウィルソンがロシア共産革命とボルシェビズムに対して曖昧な好感をいだいていたのに対し、クーリッジは明確な敵意を示し、在任中一度もソ連政府を正当に認めることはしなかった。

 

ウィルソンが「自分は世界に平和をもたらす力がある」と信じていながら招かれもせずに戦争に突入したのに対し、クーリッジは同盟国との良好で安定した外交関係を追求し、自由な交易による多国間の繁栄をもたらした。 ※ウィルソンが徹底した反日であったのに対し、関東大震災に見舞われた日本に対し、アメリカ国民に呼びかけて千2百万ドルもの寄付を送ったクーリッジは徹頭徹尾親日であった(活動主義に傾いていた議会による移民法案の反日条項を排除すべく動いたにも関わらず出来なかったのは不幸であった)。

 

クーリッジの政治の根幹には明快な思想があった。 それは「政府の任務は立法(法の制定)・司法(法の適用)・行政(法の執行)にあり」、行政の長たる大統領の任務は「法の執行」に他ならない、というものであった。 法の制定者である議会は次から次へと法案を持ってくる。 クーリッジは「良い法律を作るよりも悪い法律を潰すほうが重要」という名言を吐き、拒否権のペンを振るって余計な法律を葬り去った。

 

クーリッジの思想の根底にあったのはキリスト教であった。 アメリカ建国の父達同様、クーリッジは自己を統治する(独り立ちして生きる=それは個人であれ家族であれ地域であれ)ためには宗教と教育は不可欠であると信じた。 そして宗教なき教育は教育ではないとまで言い切った。 「宗教こそがアメリカを専制の魔の手から遠ざけるのだ」と。 「我々の国家は道徳無しに生きることはできず、そして道徳は宗教なしに生きることはできないのだ」と。 「我々から宗教が無くなれば、社会は粉々になり、人は政府に頼らざるを得なくなるのだ」と。

 

クーリッジはこのような言葉を残した。 「私が倹約政策に傾倒するのはカネを節約したいからではなく、人々を救いたいからだ」「この国の政府の支出を支えるのは働く人々である」「我々(政府)が一ドル無駄に使えば、それはその分彼らの生活がひもじくなることを意味する」「我々が一ドルを慎重に倹約すれば、それは彼らの生活がその分豊かになることを意味する」「倹約とは、最も実用的な形式での理想主義である」

 

クーリッジ大統領は、人間の経験に基づいた「当たり前の哲学」を簡単な言葉で表現した。 世の中はあまりにも「当たり前」なことが疎んじられ、軽んじられ、退けられている。 それはクーリッジが政権にあった当時も、レーガンが政権を取った1980年代も、そして我々が生きる現代においても、何も変わっていないのである。

 

「冷戦時代は”大きな政府 VS 小さな政府”などという議論があったが、今はもう時代が違うあんな単純な時代ではない今は社会がもっともっと複雑になってきている規制をどんどん外せばよいというものではない

 

そんな議論を振りかざす人間が堂々と「保守」を名乗る日本。 こんな日本にこそ、クーリッジの再来が求められているのではないか。

 

 

参考:

 

マーレイ教授&ブレッシング教授による歴代大統領の格付け

↑クリントンがレーガンよりも上!という偉い大学教授先生らによる格付け。 クーリッジも下の方。

 

 

 

 

宰相の条件

  • 2011.08.30 Tuesday
  • 21:39
 

次の首相が信じがたい軽さで決まった今、改めて宰相とはどうあるべきか考える。 宰相論とか言うと、家康、信長、秀吉といった歴史上の人物を上げてみたり、まとめる力、調整する力、ひっぱっていく力といった性格的なことを述べてみたりする本が多い。 しかしそれは根源的な要素ではない。 ヒトラー、スターリン、毛沢東、フランクリン・ルーズベルト、金日成、金正日、皆強力なリーダーシップとビジョンを持っていることには変わりはない。 しかしどれもひどい人物である。 国民の安全、治安、経済を外敵から守ること。 それが首相の仕事である。 そのためにはどうあるべきかを述べる。

 

保守主義を信念として持っていること。 保守とは古き良き伝統を保ち守ることである。 古き良きものを足掛かりにするから前進できるのである。 足掛かりが無ければ後退するのみである。 だから絶対に保守でなければならない。

 

小さな政府の信奉者であること。 政府のやるべきことは少ない。 少ないとは簡単であるという意味ではない。 限られているということである。 国防、治安維持、インフラ整備。 それ以外は余計なお世話である。 社会福祉は余計なお世話である。 余計な世話焼きというものは余計なことばかりするだけあって肝心なことがおろそかになるのは洋の東西と時代を問わない。 必要に応じて政府は小さくも大きくもなるべき、などという人間は政治の本質を理解しないマガイモノである。

 

強い国防の信奉者であること。 これぞ政府の仕事である。 政府でなければ誰がするか。 国民はこのために税金を払うのである。 国防が弱い政府は税金泥棒と反逆罪で緊急逮捕されなければならない。 国境・領海がしっかり守られて初めて国の文化と経済が安泰となる。

 

資本主義の信奉者であること。 資本主義に一輪の疑いを持つ人間はニセモノである。 資本主義とは永遠に使える超高性能浄水器のような存在である。 資本主義は人間と社会を浄化する。 向上させる。 明るくさせる。

 

経済自由化の信奉者であること。 資本主義経済は契約があって初めて機能する。 契約とは売り手と買い手の約束である。 政府はその約束に対して拘束力を行使するだけでよい。 約束破りを罰する。 厳しく罰する。 それだけでよい。 あとは自然に任せる。 規制はかけない。 そうすると経済は活性化して資本主義の自浄作用であらゆる問題が全部綺麗に解決する。 それをどれだけ固く信仰するか。 それが大事である。

 

日本の歴史を尊重していること。 日本の歴史を恥じるもの。 特に近代史を恥じるものに国政に関わる資格はない。 815日に靖国神社参拝しない人間に国政に関わる資格なし。 言い訳する人間に国政に関わる資格なし。 歴史博士でなくても良い。 日本の独立を守った英霊に感謝すること。 それは最低限である。 神話が現代につながる国は世界に類がない。 皇室は世界に類を見ない日本という国の象徴である。 歴史に連続性があるというのは民度の高さと穏やかな民族性の証しである。 殺戮と断絶の連続である中国と比べれば明らかである。 その日本の歴史を尊重しない人間は国政に関わる資格なし。

 

他国におもねらない人物であること。 政府の仕事は国民を守ること。 そのために国民は政府を雇うのである。 政府が責任を持つのは国民であって外国ではない。 他国の顔色伺いをする人間は自国民をないがしろにする。 そのような傾向がある人間は国政に関わる資格なし。

 

以上の条件をそろえた人間が多ければ多いほど良い。 なぜならばその中から選りすぐりの人物が指導者として選ばれるからである。 競争の中で人格、能力、強さが試される。 人を説得する能力のある人間が選ばれ、そこから保守の精神が広がるのである。 今の日本において、限りなく空想に近い。 しかし、これが本来の姿である。

首相交代・回転ドア・日本国民の象徴 2

  • 2011.08.29 Monday
  • 00:00
それにしても、首相の選挙が告示してから3日とは。 この安易さ、この不毛さは何なのか。 なるのが簡単ならば辞めるのも簡単なわけだ。 それと比べてアメリカの大統領選挙は1年半の長丁場を戦う。 その間それまでの経歴と実績を徹底的に洗い出され、公開討論で政策を徹底的に争い、人間としての強さを徹底的に試される。 どれだけオバマの支持率が低かろうが、まがりなりにもこの選挙戦を戦い抜いたわけである。 それでも国と国の関係では同等の関係となるが、気持ちとしては馬鹿馬鹿しくて日本の首相の相手をするな気にもなれないというのが正直なところだろう。 同盟国が相手するのも馬鹿らしいような首相を頂く国、それが日本である。 それを危機的と感じなければ、それは脳髄が腐ってしまったと自覚するべきである。 とにかく制度を変える。 革命を起こすわけではない。 議会制のままで結構。 もう少しましなイギリスを手本にすればよい。 小党乱立をもっと防ぐためにドイツの5%条項を取り入れても良い。 10%でもよい。 他国で有効なことが実証された方法を取り入れて制度を変えればましになるのである。 とにかくましな国にならなければ日本はまずい。

首相交代・回転ドア・日本国民の象徴

  • 2011.08.28 Sunday
  • 13:02

かつて日本は、政治は三流だが経済は一流、などと自賛した。 政治とは何か、経済とは何か、何も分かっていなかったということである。 政治とは経済活動のためのインフラである。 経済とは国民の生活である。 故に政治が三流ならば経済は三流以下である。 今の日本経済を見ればこの不見識のつけが回ってきたことは明らかである。

 

回転ドアのように交代する首相。 これは日本国民の象徴である。 これこそが日本国民の姿である。 軸が無くふらふらと右往左往、芯が無く、信念が無く、誇りもなく。 ぐずぐずと今日はこっちの服にしようかあっちにしようかいつまでも迷っている子供のように。 とりあえず一つ選んで、うまくいかないと、今度はこっちにしようかと。 責任無し。 他人に転嫁。 その日その日をシニカルに生きる。

 

それはそうとして、首相が回転ドアのように交代するこの状態は問題である。 これでは国家の体をなしていない。 頭が無いのと同じなのだから、これでは敵性国家のやりたい放題である。 日本と日本人が蔑視されて当然である。 日本の領域が侵され、日本人の安全が脅かされて当然である、ロシアに、中国に、韓国に。 だからこれは変えなければだめである。

 

どう変えればよいか。 簡単である。 他の国の経験をよく見て、国の特徴を考えて取捨選択し、良いとこ取りをすればよい。 そもそも、皆がお互いに良いとこ取りをしあい、トライアル&エラーでやっていけばどんどん良くなるのである。 この問題は政治家の資質の問題ではなく、仕組みの問題なのだから、仕組みを変えればよいことである。

 

イギリス。 立憲君主制。 王(女王)が象徴として存在し、首相がいる。 島国。 日本とよく似ているではないか。 イギリスは小選挙区制である。小選挙区制は小党乱立を防いで国民の支持を二大政党に収束させる性質があるそうである。 それは良い。 なぜならば小党は存在価値が無いだけでなく、害だからである。 「税金の党、サラリーマンの党、女性の党、緑の党、タバコの党、パチンコの党、甘党、辛党、ビール党、水割り党」なんでもかんでも党になる。 政党というのは政権を取ることを目標とし、政策を練るから価値があるのである。 政権とは国家の機能である「国防、治安維持、インフラ整備」全てを滞りなく機能させるためにあるのであり、「いや我が党は女性の地位向上のことだけを考える」「我が党は喫煙者の喫煙場所確保のことだけを考える」などと言われても困るのである。

 

ある党が他党と連立を組むという事は、自分たちが打ち出しているのと違う理念と主義主張を受け入れるということを意味する。 それは彼らに投票した有権者への裏切り行為に他ならない。 不公正であり、不道徳である。 小党が増えれば増えるほど、連立という手段で政権を維持せざるを得なくなる。 だから小党は悪である。 小党を乱立させる比例代表制度は悪である。 完全比例代表制のイスラエルの例を見ればその混乱状態が明らかである。

 

さて、Wikipediaで見るとイギリスでは下院選挙での第一党となった党の党首が国王から首相として任命される。日本にあるような首班指名選挙は無い。 下院は首相及び内閣に対して不信任決議権を持つ。 首相を含む下院議員の任期は5年間。 首相はいつでもこれを解散できる。 上院は存在が形骸化していて選挙もないが権限もない。

 

これでよいではないか。 すっきりとしているではないか。 このようにすれば派閥の間で密室会議が行われて首相の席がたらいまわしになるなどということは無くなるではないか。 日本のように3年ではなく5年間、じっくり政策に取り組める反面、5年分の成果が評価されるわけである。 参議院は形骸化させるくらいならば無くしてしまえばよい。

 

イギリスの政治に問題があるとか無いとかではない。 問題はどこでもあるのである。 しかし日本と比べれば遥かにましである。80年代からの日本の首相…..中曽根、竹下、宇野、海部、小泉、鳩山、そして菅….たしか間にもっと沢山いたはずだが忘れた。 ネットで検索する気も起きない。 イギリスは..サッチャー、メジャー、ブレア、ブラウン、そしてキャメロン。 ネットで検索せずとも少ないから順番まで覚えている。 顔も覚えている。 功績はさておき安定している。 それだけで彼らから学ぶ理由としては十分である。

総理の資質

  • 2010.12.09 Thursday
  • 23:50
 

石破茂氏は国防に関して高い見識を持つ政治家である。 国会答弁や街頭演説から一貫して国家・国民のための政治に取り組む姿がうかがえる。 今の日本には稀有な優れた政治家である。 総理待望論も聞かれる。 

 

しかし、氏は日本国総理大臣の器ではない。 国防大臣としては適任であろうが、総理としては不十分である。 それは氏の能力や知識が問題なのではない。 歴史認識が問題なのだ。 

 

氏は自身のブログで述べている。 日本は侵略国であり、靖国神社にA級戦犯が合祀されている限りは参拝するつもりはない、田母神氏が論文発表によって解雇されるのは当然である、と。

 

氏の頭の中の論理では日本が侵略国であったと信じることと、現在の日本を守るために強い国防力を保持することの間には矛盾は無いのだろう。 象牙の塔の世界はそれでもよいだろう。 しかし今の日本を、アメリカに守ってもらいながら恩義も自立への焦りも恥も感じず、世界に類を見ない愚かな平和憲法を信仰しながら隣国の領域侵犯に手も足も出ない情けない国にしてしまったのは何かと言えば、まさしくこの歴史認識である。

 

このような人物が総理になっては困る。 国のリーダーとして必要なのは9.11後にテロとの戦いでブッシュ大統領が示したような道徳的明確さである。 石破氏は能力的には優れた人物なのであろうが、残念である。

国会議員・石破茂へのメール

  • 2010.10.21 Thursday
  • 17:05

上海に駐在員として滞在する者より。

尖閣の問題の根源は日本にある。 問題は日本の弱腰外交である。 弱腰外交は他国が日本の弱みに付け込むすきを与え、日本の国益を侵食するのを許す。 しかし、その弱腰外交は政治家個人の性格といった矮小な問題ではなく、戦後、日本社会が一貫して育んできた自虐的歴史観の必然的な結果である。

尖閣の問題はここ1〜2年の民主党政権で突然発生した問題ではなく、1970年代、自民党時代から延々と続いている問題である。 民主党の問題ではなく、日本全体の問題である。

●自分達はアジア諸国に対して歴史的な負い目がある 
●日本は国家として人道に反する罪を犯した 
●日本の戦前戦中の行いは、ユダヤ人という一個の民族の絶滅を緻密に計画し、実行したナチス・ドイツと同列である
●日本は有罪の判決を言い渡され、永遠に罪を贖わなければならない

という認識が外交の出発点であれば、当然、自国の国益追及は道徳的な悪である、ということになる。 であるから、国益は追及してはならない、ということになる。 日本は道徳的に他国よりも負い目があるわけだから、堂々と領土主権を主張するのは厚顔無恥な行為である、ということになる。 たとえ日本の滅亡につながるとしても、憲法9条を死守するのが日本の使命である、ということになる。

まともな善良な人間に自虐史観をインプットすれば、このような思考がアウトプットされるのは当然である。 その意味では今回の決定を下した政治家の対応は理解不能な行為ではない。 ある意味、まともな人間による、まともな行動である。 極悪国家・日本の罪深き代表としては、今回の尖閣の事件は、日本の戦後の贖罪行為の至らなさの結果として真摯に受け止めるべきことである。

しかし、我々自虐史観を否定する者にとっては、彼らの行動は、日本という我々の祖先先輩たちが営々と築き上げてきた世界にも類を見ない優れた伝統に泥を塗る行為である。 問題は彼らの人格やIQではない。 歴史観が自虐であろうがなんであろうが、大概の人々は善良で勤勉な日本人である。 問題は彼ら自虐史観派と我々は二つの異なる惑星に住んでいるということである。

ただし異なる惑星に住んではいても、変異が生じることがある。 歴史観は自虐であっても国防・軍事に関するしっかりとした意識と見識を持った政治家もいることは確かである。 問題は、そのような政治家が発信する微妙なニュアンスは我々には理解できないことである。

靖国神社を参拝しない政治家がよく言うのはA級戦犯が合祀されており、参拝すれば、先の大戦を肯定することになるから、という理由だ。 その理由の是非はさておき、国の歴史を否定しながら強い国防を目指そうというのは無理である。 それは自己矛盾である。 テクニカルな法律的な議論は学者が象牙の塔に籠ってやればよいのであって、我々一般人にとってはどうでもよい。 単純に考えれば両者は相反する考え方である。 強い国防を目指すのであれば、国の歴史は肯定しなければならない。 そうでなければ我々国民は明確な方向性を見出すことは出来ない。

例を挙げれば、故レーガン大統領はベトナム戦争を正しい戦争だったと明言し、ソ連を悪の帝国と名指しして国防・経済共に強いアメリカを再生させた。 実際ベトナム戦争は不名誉な負け戦だった。 全力で戦えばアメリカが負けるわけはない戦いだったが勝利に向けての方向性を失ったためにベトナム全土が共産勢力に乗っ取られる結果となった。 しかし何と言われても戦いの動機は共産勢力の拡大防止だったわけだから正しかった、と言って国民の誇りを取り戻し、明確にソ連打倒と自由主義経済復活への方向性を示したのだ。  今やレーガンはアメリカ建国の父・ワシントンに次ぐ大統領として尊敬されている(左翼リベラルからは軽蔑・嫌悪されている)。 

保守派はこの例に習うべきでる。 日本は、過去の戦争をすべて正しい戦争だったと明言し、自虐史観を脱却しなければならない。 学校で「日本にとっての」正しい歴史を教えなければならない。 弥生時代から始まって第二次大戦のあたりまでみっちりやって、あとは流す、ではなく、近代史において日本がいかに立派であったかをみっちり教育しなければならない。 左翼の言うとおり、それこそ「歴史の書き換え」が必要である。 それが出来るまでは、尖閣は繰り返される。 そして日本の国益は侵食され続けるだろう。

国会議員・石破茂へのメール

  • 2010.10.18 Monday
  • 15:01
 

石破様

駐在員として中国・上海に滞在する者です。 

答弁の最後に、二酸化炭素排出量を2020年までに1990年比で25%削減などというアンチ・ビジネス的な政策を取り下げるようにと呼びかけておられました。 それはれれで正しいのですが、そもそも、石破様として、党として、温暖化問題を根本的にどう捉えているのかが気になります。 

人間の経済活動による二酸化炭素排出により地球が温暖化し、人類の生存を脅かしつつある、というのがアル・ゴアを中心とする環境主義者の意見です。 しかし、Climate Gate事件により環境主義者を後押しする自称研究者たちが地球は大して温暖化などしていない事実を覆い隠していた事実がばれるなど、「温暖化」という議論自体の信憑性が疑われ始めている、というか嘘がばれ始めています。 同時に以下の事実が認識されつつあります。

 二酸化炭素は環境にとって有益かつ必要不可欠なものである。 二酸化炭素は植物にとっての栄養である。 多ければ多いほど、地球は緑化する。
 地球の温度は常に温暖化と寒冷化を行き来しており、大きな流れで見れば現在は氷河期である。 地球の歴史の中で動物が絶滅したのは寒冷化した時である。
 大きな流れの中にも小幅な上下はあり、過去30年の温暖化現象は事実であるが、小幅な上下変動に当たる。 その温暖化の動きは二酸化炭素の空中濃度と連動していない。
 現在のスピードで人類が二酸化炭素を排出しつづけても地球の温度は変わらない。 人間には地球の温度を変える力は無い。
 石油、石炭、天然ガスを掘りまくり、燃やしまくって経済を活性化させ、豊かになるのが一番環境にも経済にも良く、ひいては世界平和につながる(サウジやイランから買わなくてもアメリカやカナダの地下に沢山ある)。

以前の私を含め、世界中が環境主義という一種の新興宗教にはまってしまったわけですが、徐々にそこから抜け出る人が増えてくるのを期待しています。 

アメリカの現政権、左翼・民主党はCash For ClunkersやCap & Tradeのような二酸化炭素削減のための政策を推し進めており、その結果あらゆるビジネスのコストを押し上げ、消費を低迷させ、経済を更に悪化させています。 それに対し、共和党保守派の有志はそれら政策の破棄を目指しています。 今度の中間選挙以降、その流れが見えてくるでしょう。

問題は、日本では温暖化問題に対する是非の議論が見られないことです。 右も左も、朝日新聞も日経もいかに二酸化炭素を削減するか、という議論をしています。 根っこが同じ環境主義に洗脳された頭であれば、結局枝葉末節なテクニカルな議論に終始します。 日本では武田邦彦さんが良識ある見解を述べられていますが、非常に少数派という印象です。

正しい認識をもち、それを子供でも分かるように説明し、国民を導くのも政治家の役割です。 先日の答弁の言葉の裏づけがどのような認識であるか、ぜひ知りたいところです。

国会議員・石破茂へのメール

  • 2010.10.09 Saturday
  • 01:56
 

国会議員・石破茂へのメール

 

石破様

 

駐在員として中国・上海に滞在する者です。 中国では尖閣の問題は既に沈静化し、何事もないかのような日常が過ぎております。 しかしこのことを思い出すにつけ、怒りとともに日本の将来への不安が募ります。 怒りを感じるといっても、それは不思議と中国に対してではなく、日本政府と民主党に投票した人々に対してです。 おそらく、日本の多くの人々が同じ感情を共有しているはずです。 自民党は、今のこの日本人の国民感情をうまくつかんで日本社会を保守へと旋回させるべきです。

 

アメリカはオバマの左翼政権が崩れ始めています。 ロシア、中国、イラン、ベネズエラ、北朝鮮といった国々の独裁政権からは笑いものにされながら無視され、国内では連発する社会主義的政策により不況をさらに泥沼化しており、国民の支持を失いつつあります。 同時に共和党が本来の保守政治の根幹である‐さな政府 ⊆由な経済活動 6い国防を掲げて全国的な運動(Tea Party Movement)を繰り広げています。 共和党は先ずは議会を、次に政権を制するはずです。

 

ヨーロッパでも先のスウェーデンやオランダの選挙では左翼政党を抑えて保守政党が勢力を伸ばしております。 

 

各国国民が左翼政治の危険性をそれぞれに感じ取っているということではないでしょうか。 自民党が保守政党として復帰すれば、アメリカ、日本、ヨーロッパの保守が手を組んで経済を立て直し、イスラムテロや中国・ロシアの台頭に立ち向かっていけるでしょう。

 

今、追い風が吹く保守政治のすべきことは、保守とは何かを明確に示すことです。 今、日本人が中国や民主党に憤っているとはいえ、保守とは何か、明確な概念を持っている人は少数だと思います。 保守=右派=右翼=戦前の日本=特高警察=軍国主義=ファシズム・ナチズム=一億火の玉=玉砕。。。という連想が払拭されていません。 日本でも、アメリカでも同じで、誤った、というか、上下逆さまになったような捉え方がいまだにあります。

 

保守とは、歴史から謙虚に学ぶことであり、過去の成功と失敗を土台に改善することです。 歴史から学べば、中国の領海侵犯を容認すれば更に強気で付け込まれることは明らかです。 逆に民主党の、こちら側が両手を上げれば相手も心を開くはず、という考え方は非常に革新的です(中国が態度を軟化させるどころか謝罪を要求したので彼らはショックを受けた)。 革新的な考え方というのは、人間が営々と築いてきた歴史とその中でのトライアル&エラーの結果を無視して初めて出てくるものです。 革新=前例にとらわれない=自由=進歩的。。。というイメージとは裏腹に非常に危険な思考法です。

 

保守政治家の課題は保守の考え方と保守の政策が歴史的に正しかったことを人々に説き、理解してもらうことではないでしょうか。 

 

P.S.
ところで、自民党は消費税を上げようとしていますが、私は全く納得できません。 政府は景気を回復させることは出来ません。 出来るのは経済が活発になる環境を整えることだけです。 政府の支出を減らすことにより税金を下げることで経済活動が活発化します。 アメリカのレーガン共和党政権とクリントン政権・共和党議会(民主党議会ではない)、G.W.ブッシュ一期目(共和党議会)の時代がそれを証明しています。 同時に税金を上げるというのは安易かつ破壊的な政策であることも、それ以外の時代で証明されています。 税金とは、いわば合法的な搾取です。 必要最低限でなければなりません。 自民党として税金をどう考えるか、明確な説明が必要です。

国会議員・石破茂へのメール

  • 2010.09.26 Sunday
  • 19:48
 

国会議員・石破茂へのメール

 

石破様

 

私は現在企業の駐在員として上海に住んでおりますが、今回の尖閣諸島への中国の海域侵犯から問題の船長の釈放、そしてその後の日中政府のお互いに対する反応を見るにつけ、ひたすら日本人であることを恥ずかしく感じます。 ついに日本はこれほどまでに自尊心の無い弱い国になってしまったかと思うと情けない。 

 

たとえ我々のような立場の人間が多少居づらい雰囲気になったとしても、日本国としての誇りを見せてもらいたかった。 いや、かえって毅然とした態度を貫いたほうが、尊敬されるのです。 我々も嫌味を言われても、「それがどうした」と言えるわけです。 今回の対応は日本が悪かったです、と言っているに等しく、我々も頭を垂れるしかありません。

 

国(政府)の仕事とは、突き詰めれば一つだと思います。 それは国民の安全と生活を守ること。 防衛も、司法も、経済も、最終目的はそこだと思います。

 

今の日本の政府も、アメリカのオバマ政権も、そこを最もおろそかにしています。 そのかわり、国家の敵を国に対する脅威と捉えることもできず、事業仕分けや金のばらまき政策など日本の科学技術を後退させたり国民を福祉漬けにするようなことをやっている。 日本とアメリカの現政府はよく似ています。 ともに左翼であり、非愛国者であり、自虐的敗退主義者です。 そして次の選挙では共に国民から退けられるはずです。 そうでなければなりません。

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