「日本・破綻寸前」自分のお金はこうして守れ! 読了

  • 2020.03.22 Sunday
  • 21:42



本書の著者、藤巻健史氏は残念ながら先の参議員選で落選したが、市場経済の重要性を主張する数少ない政治家であった。そして日銀・財政ファイナンスによる時間稼ぎと紙幣を刷り続けることによる財源充当の結果として引き起こされるハイパーインフレを警告してきた。本書はいよいよ破綻を目前にした我々に対する最後の念押しである。

氏はこれまでの日本経済を振り返る。

1997年に533.4兆円であったGDPは2019年に547.4兆円と、この間ほとんど成長がない一方で政府の借金総額は3倍に膨れ上がった。そして税収(GDPとほぼ連動)が増えないのに歳出は爆増している。

対GDP比で政府債務が大きければ大きいほど財政状態は悪いが、米国の106.7%、ドイツの62%に比べ日本は237%と遥かに悪く、ギリシャの184%、イタリアの132%をも凌駕している。日本の数字は太平洋戦争終戦直後と同じである。

2013年4月に「異次元の量的緩和」が始まって以来、2017年度には国債141.3兆円のうち96.2兆円(約70%)を日銀が購入することで実質的にお金を刷って市場に送り込む政策が行われている。この政策(財政ファイナンス)はハイパーインフレを起こすがゆえに財政法で禁止されているが、政府はこれが財政ファイナンスであるとは認めていない。

財政赤字が膨らんでも日銀が異次元緩和で長期国債を爆買いし、長期金利を低く抑えているから国民は痛みを感じない。ギリシャ危機のときは利害が及ぶ欧州の周辺諸国は騒いだが、日本国債を保有しているのがほとんどが日本人だから騒ぐ外国人はいない。

2019年12月末時点で国の借金は1111兆円に達した。10兆円ずつ返しても111年かかる。2020年の法人税、所得税、相続税収はそれぞれ12兆、19.5兆、2.3兆であるが、それぞれを倍にしても2020年政府予算案の赤字32兆円と111年もの間、毎年返すべき10兆円の財源に足りない。もはや普通の方法では財政再建は不可能である。

氏はインフレは債権者から債務者への富の移行であると説明する。

1923年のドイツでは1個250マルクのパンが3990憶マルクになった。ということは、タクシー初乗り1兆円も起こり得ないことではない。1兆円という巨額の借金の価値はタクシー初乗り程度の価値に減じられるということである。これはまさに債権者から債務者への富の移行である。日本一の債務者は政府であり、債権者は国民。国民から国への富の実質移行であり、これは税金と同じである。そしてインフレ税の取り立てで国民は資産を一気に失うことになる。ドイツ政府は新しい通貨を発行することでハイパーインフレを鎮静化したが、旧通貨は紙切れになってしまった。

政府にとってハイパーインフレは究極の財政再建策である。政府は破綻せず、財産を奪われた国民は地獄を見ることになる。給料や年金は毎月上昇するが、食品の価格は毎時間上昇し、給料は2〜3日の食糧確保で終わってしまう。国民は餓死する危険すらある。

ではハイパーインフレの始まりは何がきっかけとなるのか。Xデーはいつくるのか。

氏はいくつものシナリオを描くが、そのうちの一つは日米の景気の差である。社会主義的計画経済で結果平等主義、大きな政府、規制過多の日本はこのまま景気が低迷する。一方でトランプ大統領の経済政策が功を奏する米国では景気は活況を呈する。低い利回りの日本国債から利回りの高い米国債へ投資が向かう。円を売ってドルを買う動きが加速する。円安が進行し、消費者物価指数が2%に到達。日銀は出口にぶつかり、Xデーが到来、円暴落が始まる。

また、各国の中央銀行は国民の信用を保持しなければならないがために値動きの激しい株、不動産、長期国債に手を出さないが、日銀は違う。2020年末の時点で日銀は日本最大の株主となった。日経平均株価が1万8000円を切ると評価損が発生すると日銀は認めているが、2020年3月19日現在、コロナウイルスの影響もあって1万6552円まで下がっている。氏は、官製の株式相場が崩れたときに日本売り(債券、株、円の暴落)が発生する可能性があるとしている。市場の調整を経ていない分、激震が走るであろう、と。

世界的に著名な投資家のウォーレン・バフェットやジム・ロジャーズは円の暴落を予想した動きを既に始め、円資産をドル資産へと切り替えている。また、日本政府自身が2024年に新札の導入をすべく動いている。これは来るべき時への準備なのか。

氏はこの状況を「薪が積み上げられてガソリンがしみ込んでおり、着火されれば途端に燃え上がる状態だ」と形容する。

氏は、ガソリン価格高騰で高速道路から車が消え、会社倒産が続出し、失業者が町にあふれた1997年の韓国の通貨危機と比較し、今回来るであろうハイパーインフレはもっと深刻になろうと予測する。韓国は2年で脱出したが、今回は4年くらいはかかるのではないか、と。

ハイパーインフレになると円の価値が暴落する。政府は国民の純資産を巻き上げて政府の借金を返す。国は破綻せずであるから国全体としては問題なしである。だが年金が消失し、円預金が消滅し、日本株が暴落する中、国民は餓死の危険と直面する。

しかし、ドルを持っていれば生き延びることができる、と藤巻氏は言う。

そういう藤巻氏は、自身の対策として金融資産はほぼ全てドルを中心とする外貨資産に替えることでハイパーインフレに備えているという。氏は、経済、政治、軍事で世界最強国家であるアメリカの通貨であり、世界の基軸通貨であるドル資産を持つことを薦める(ドルMMF等)。また、氏は仮想通貨をどう考えるかはさておき、とりあえず口座の取得を薦める。海外送金禁止令が発令された際に唯一海外に資金を逃がす手法だからである。

数年間のうちに、円だけで資産を持っていた人が無一文になり、準備をした貧者が下克上を成し遂げる状況が展開されるであろうと、氏は予測する。

この予測は願わくば外れてもらいたい。だが考えれば考えるほどに、予測が現実となりつつあることを否定することが、もはやできない段階にきている。破綻を秒読み段階に控えた我々に対する最期の警告として受け止めたい。

「メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本」読了

  • 2020.02.09 Sunday
  • 16:20



本書は、従来の民主党一辺倒を排し、米国保守派・共和党の立場も取り入れた米国の政治情勢の解説である。米国関連といえば民主党政治家を称賛しつつ共和党政治家をバカ扱いした本ばかりが出版されてきた中において非常に新鮮である。日本の出版界は全部潰れてもよいと思えるほど愛想を尽かしていたが、ようやくこのような本が出てきたことに喜びを感じている。

本書では章の間に米国保守のメディア(ワシントン・タイムズやThe Daily Signal)を紹介する。また、全ての増税に反対する運動を展開し、共和党内で隠然たる力を持つ全米税制改革協議会議長のグローバー・ノーキスト氏とのインタビューを掲載し、「税金を下げる」運動が保守政治と密接な関係にあることを示す。この関係が全く見えない日本の政治と、その政治のプリズムからしか米国政治を解説しない日本の言論に慣れ切った人々に驚きを与えるであろう。

私はブッシュ(息子)の時代から米国政治を保守の側から眺めてきた。大統領選挙も注視してきた。オバマ再選には落胆し、先の大統領選では保守本流のテッド・クルーズを支持し、トランプ大統領誕生は不本意であったものの、その後のトランプ大統領の動きには嬉しい驚きを感じている。そのため、保守に軸を置く本書の内容には頷くところが随所にある。

 
  • 日本におけるトランプ政権に対する報道は捻じ曲がっており、米国の左翼メディア丸写しであること。
  • トランプ政権の経済政策の要は大減税と規制撤廃であること。これによる経済効果が大きく、米国の景気回復の原動力となっていること。
  • 保守派が求める政策である減税や規制撤廃が進められる一方、後回しになっているのはインフラ投資や薬価引き下げといった、民主党的な介入政策であること。
  • トランプ大統領は予測不能な行動に出ているのではなく、選挙公約を実行しているだけであること。
  • 民主党が大統領府・上院・下院を制覇するトリプルブルーが実現した暁には米国の衰退と景気後退が起こるという現実的なリスクがあること。
  • 日本の政治家の米国共和党、保守派、リバタリアンとの人脈が非常に貧弱(皆無)であること。

ガラパゴス化した日本の政界の住民にはぜひ本書を読んでもらいたい。景気対策のために政府が財政出動を、地方再生のために中央政府が対策を、というボケ老人的な妄言を吐いている政治家は、本書を読んでも考えが変わらないならば退場すべきである。

一方、ここにぜひ着目してもらいたかったと思わされる部分もあった。

それは、保守派がトランプを支持し、大統領に押し上げ、弾劾裁判等の逆風下でトランプを擁護し続けるのはなぜかということである。本書では「民主党・共和党主流派という敵の敵であるトランプを利用する政治的な賭けに出た」としている。それもあるが、重要な部分は以下であろうと考えている。

保守派は長らく「いざという場面で挫ける政治家」に愛想を尽かしてきた。共和党政治家は、その政策がいかにリベラルであろうとも、とにかく左翼メディアからは悪の権家かゴキブリか痴呆症患者のように扱われ、叩きまくられる。ブッシュしかり、マケインしかり、ロムニーしかり、政界に長くいた政治家は、その立場に置かれると挫け、言い訳をし、左翼にすり寄る発言をして保守派をゲンナリさせた。だがトランプは違った。面の皮が厚いトランプは左翼メディアに対して中指を突き立てた。

その象徴的な言葉が「フェイクニュース」である。CNNのジム・アコスタに対し、「お前はフェイク・ニュースだ」と言い放つ。今までの政治家の、政治家然とした、政治家的な受け答えを完全に超えた姿勢である。これに左翼メディアは発狂し、同時に保守派は熱狂する。これがトランプのトランプたる所以であり、これが無かったらトランプはただの政治家である。



共和党内での高いトランプ支持率の理由はこれである。

もう一つは、米国の政治を動かす一つの大きな要因として、保守ラジオホストの存在である。この業界の先鞭をつけたのはラッシュ・リンボー氏であり、その後で多くのフォロワーが続いた。その一人が全米をカバーするマーク・レヴィン氏である。レヴィン氏はトランプ大統領支持者であるが、トランプ信者ではない。トランプの敵に対しては熾烈な反撃を展開するが、トランプが公約を反故するような動きを見せると怒号を浴びせる。だからトランプは氏のようなトークショーホストを無視することができない。



本書の著者、渡瀬裕哉氏は日本における保守政治立上げのために行動する若き志士である。氏は米国の保守運動大会であるCPACに参加して人脈作りに励む一方、日本では年に一度Japan-US Innovation Summitを開催し、内外の言論人を呼び、減税と保守政治の考え方を普及させる運動を展開している。現在の世界で保守哲学が政治に生きている国は唯一、米国のみである。その米国の保守派とのパイプラインは非常に貴重である。今後の氏の活動に期待したい。

「十戒 - 日々の生活における神の法の重要性」 読了

  • 2020.02.09 Sunday
  • 10:59



本書の著者ローラ・シュレッシンガー(通称ドクター・ローラ)は1970年代から全米のラジオ局で活躍する著述家である。番組の内容は主に人生相談であり、夫婦、親子、親戚、知人、友人、職場における人間関係から日常生活における悩みなど、多岐にわたる人々の相談を直接電話で受け付け、その場で答える。アメリカからだけでなく、カナダやオーストラリアといった他の英語圏諸国のリスナーからも電話がかかってくる。辛辣、鋭利で容赦なく本質にズバリと切り込む明快な語り口が人気である。

世俗的な家庭に生まれ育ったドクター・ローラは自身のルーツであるユダヤ教に目覚める過程において神が人類の代表としてモーゼとユダヤの民に託した十戒の重要性を知るに至った。

ドクター・ローラはユダヤ教徒しての見地から旧約聖書のモーセ五書を中心に、ときにはキリスト教徒の読者を念頭に新約聖書にまで範囲を広げて十戒の意義を語る。


1. わたしはあなたの主なる神である。
神を信じることは、人間は単に偶然そこにいるのではなく、ある高次なるものによって目的を授けられた存在であり、我々人間はその目的を達成するために存在していると信じることであるとドクター・ローラは言う。神無きところには人生の意味はなく、善悪も無く、全ては相対的である。

2. わたしのほかに神があってはならない。
神の言葉は昔話でもなければ最近流行りの主観的な「自己肯定感」ではない。神は絶対的な善とは何かを示し、そこに向かって進むことを我々人間に対して命じる。神が示す善悪の基準は絶対的なものであり、人間の主観的な判断で変更できるものではない。神はひとつ、という意味は、善と悪の基準は絶対的で永遠なるものであり、時々の状況で都合よく選り好みすることは許されない、ということである。

神は自然界の上に立つものとして人間を創造した。自然界の状態は弱肉強食である。生命は神聖なるものであり、弱きは助け、生命を守り育むべし。これは神が人間だけに与えた価値観である。他人を自分自身と同じように尊重せよ。これは神が人間に与えた命令である。祈りや儀式というものは、忘れやすい人間が神の存在を想起するための習慣であり、逆境においても善を行うための規律である。

神は、人間が架空の神(偶像)を創造し、崇拝することを禁じる。身の周りにある自然に神々が宿るとするならば、人間は時々の行動を正当化すべく、あの神、この神、その神を都合よくデッチ上げるようになる。人間によって創造された神は人間そのものであり、人間の不完全さをそのまま体現したものである。そこから得られるものは真理ではなく絶え間ない暴力と殺戮である。迷信、自己崇拝、犠牲者意識・・・これらは偶像崇拝の一種である。

3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
人間には、神の名を唱えることで自分の欲求に都合よく神を使おうとする性質がある。この戒律はそれを諫めるものである。神の名を唱えるのは祝福のためでなければならない。殺戮、暴力、破壊、収奪に神の名を冠してはならない。それは神への冒涜である。

神が創造した生きものの中で、言葉を与えられたのは人間だけである。汚い言葉を発するのは神への冒涜である。人間は畏れと注意をもって言葉を扱わなければならない。

神は人間に自由意志を与えた。人間は自分の手で未来を切り開き、自らの手で運命を形成することができるのである。故に人間は自身の行動に責任を持たなければならない。我々人間が引き起こした問題を神のせいにするのは「主の名をみだりに唱える」行為であり、冒涜である。

「おねだり」の祈りは冒涜である。神はおねだりに応えてくれる優しいお爺さんではない。祈りは神との対話であり、神の祝福であり、神の意図する水準まで自らを引き上げんとする願いである。

食べ物は神の恵みである。食事の前に祈りを捧げることで、我々は神によって生かされていることを思い出す。日々何気なく過ぎ去っていく日常の一瞬一瞬が聖なるものへと昇華される。

4. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
イスラエルの民は長い年月エジプト人によって奴隷労働を強いられてきたが、神はイスラエルの民をエジプトから救い出し、イスラエルの民は自由を得た。一週間の七日目(サバス)はイスラエル人の解放を記念する日であり、隷属からの自由を賛美し、神聖なる人間存在を創造した神に想いを馳せるための日である。

この日はまた、「生産的であること」だけが人間としての価値ではないことを思い出すための日である。古代ローマ時代の識者はサバスを「ユダヤの怠惰性」としてバカにした。かつて人間は道具として扱われた。道具とならない人間は価値無しされた。聖書はそのような考え方に否を突きつけ、人間の生命そのものに神聖な価値があるという革命的な宣言をした。

サバスの日には仕事の話をしたり仕事のネットワークづくりをするのは避けるべきである。サバスはその瞬間の意味を見出すための時間である。

サバスは家族と親密に過ごすための時間とすべきである。人はしばしば「量よりも質」という言い訳をする。平日は朝から晩まで仕事で忙しく、週末も様々な活動で忙しい ・・・ 短くても濃い時間を過ごせればそれでよいではないか、という考え方である。だが、記憶に残る瞬間というものは、事前に計画された時間においてではなく、長く一緒に過ごす時間において予想もせずに起こる一瞬であることが多い。スープを美味しくするのが長時間の煮込みであるように、質の時間を得るためには量の時間が必要である。

5. あなたの父母を敬え。
神と人間の関係は、人間に例えれば親と子の関係である。子にとっては親が決める決まり事は恣意的で拘束的で嫌なもの。子供の「どうして●●しなきゃいけないの?」に対する最終的な答えは以下の簡潔かつ断固たるものでなければならない。

「私はあなたの親である。あなたをこの世にもたらしたのは私である。神が私とあなたを召すまでは、私はあなたの主である」

聖書には躾の重要性がちりばめられている。教え、導き、罰すること。子を愛するが故の親としての義務である。

箴言13.24
鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える。

親も子も、系譜を辿っていけば神に行きつくことを認識しなければならない。神はこの宇宙の創造主であり、この宇宙を支える原動力である。

神を畏怖しない無神論者は子から尊敬を受けなくて当然である。なぜならば、神を畏怖する者は自分を神の子孫であると認識し、子は親を自分と神の間に位置する者として認識するのに対し、無神論者の子は親を自分とサルの間に位置するものとして認識するからである。

6. 殺人をしてはならない。
殺人は神への攻撃である。神は殺人を禁じ、そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と命じる。我々の身体と人生は神が与えたものである。よって他人の生命を奪うことは許されないし、自分の生命も断つ(自殺する)ことは許されない。

禁じられているのは殺人であり、死刑、戦争、自衛行為とは異なる。聖書では悪人を死刑にし、敵を殺し尽くし、侵略者と戦うべしとする神の命令が随所に見られる。

創世記9.6
人の血を流す者は
人によって自分の血を流される。
人は神にかたどって造られたからだ。

申命記17.12
あなたの神、主に仕えてそこに立つ祭司あるいは裁判人を無視して勝手にふるまう者があれば、その者を死刑に処し、イスラエルの中から悪を取り除かねばならない。

死刑と自衛と正義の戦いは神の意志である。

7. 姦淫してはならない。
結婚は単なる個人間の約束事ではなく、神と人間の関係のように神聖な契りである。

創世記4.1
さて、アダムは妻エバを知った。

性的関係は神聖なものであり、二人がお互いを真に理解することであると聖書は教える。

かつて結婚年齢が低く10代での結婚が当たり前だった時代、この関係の神聖性は説明するまでもなく明確であった。現代において、契りと貞操の定義がすっかり曖昧になり、性関係が持つ神聖性も意味も失われている。

創世記2.18、24
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」
こういうわけで、男は父母から離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

創世記1.28
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

これが神の意志であり、結婚はそのために神が人間に与えた。姦淫はその神聖な関係を汚すものである。

8. 盗んではならない。
神は私有財産の概念と所有権をここに打ち立て、それを侵害する行為に対する罰則を明確にした。

人間は盗みを正当化するために様々な言い訳を考えるクセがある。往々にして人は利益を得るための手段として他人を扱い、大抵の言い訳はそこから来る。

聖書はあらゆる言い訳を排し、神の命令であるが故に盗みは許されないと言明する。神が命じるように、我々は隣人を自分自身と同じように愛さなければならないからである。

人間を創造した神は盗みに対する罰則を具体的に示す。泥棒が捕まったら、泥棒は被害者に対して盗んだ額の倍額を返済しなければならない。20ドル盗んだら返済額は40ドル。泥棒は盗った額を返し、被害者が盗られた額を償うのである。それが罰というものである。

一方で神は罪の意識と反省に対する理解を持つ。もしも泥棒が盗んだ後ですぐに自首し謝罪するならば、泥棒は元の額及びその額の20%を支払うべしとしている。

出エジプト記21.37
人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛5頭、羊一頭の代償として羊4頭で償わねばならない。

神は犯罪の計画性も考慮に入れる。牛を盗む方が羊を盗むよりも難しく、より計画性と意思を要する。それだけ罪が重いということである。

レビ記19.15
あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。

神は富める者も貧しき者も、分け隔てなく正義を要求する。貧者としての立場を言い訳に利用して富者から盗むことは許されない。

「このくらい盗ったところで誰も気づかないし、いいだろう」という言い訳は神には通じない。神は全てを見ている。

9. 隣人に関して偽証してはならない。
司法制度は嘘偽りのない証言と立証によって支えられる。神は公正な裁判を行うための手引を示す。

申命記19.15
いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証言によって立証されることはない。二人ないしい三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない。

偽証の罪は重い。

申命記19.19
彼が同胞に対してたくらんだ事を彼自身に報い、あなたの中から悪を取り除かねばならない。

偽証が受け入れられることによって被疑者が受けたであろう境遇を、偽証者に受けさせなければならない、という意味である。

一方、神は杓子定規に「本当の事だけを言え」、「本当の事なら何でも言え」と命じているわけではない。

神は生命を守るための嘘と平安を保つためにつく嘘を良しとしている。エジプト王はヘブライ人(イスラエル人)の男児が生まれたら殺すように助産婦に命じたが、助産婦は神を畏れるあまり命に反した。エジプト王は怒り、助産婦を問いただす。「お前ら俺の命令が聞けんのか」。

出エジプト記1.19〜20
助産婦はファラオに応えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性と違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

出エジプト記1.20
神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。

人の心を傷つけないための善意の嘘はどうなのか?例えば親戚から子供へのプレゼントを受け取ったが、子供にとって全く気に入らないものだった場合どうするか。

ドクター・ローラは聖書の教えから答えを導く。「私の誕生日を覚えいてくれて本当にありがとう。親切で素晴らしい!叔母さんは最高です!」はどうであろうか。不必要に真実を曲げるのではなく、またはつっけんどんな態度で相手を不要に傷つけるのでもなく、素晴らしいところを祝福することであると。

10. 隣人の家、妻、財産を欲してはならない。
この戒律はそれまでの殺人、盗み、偽証といった人の行動に関する戒めとは性質を異にし、人の心、思い、欲求、感情に関するものである。

欲求というものは人間の性であるが、高次の価値によってそれが常に抑制され、満足することを知らねば世界に災厄をもたらす。

満足することは怠惰でも大志の欠如でもない。それは「無いもの」や「まだ得られていないもの」に集中して文句を言うのではなく、「あるもの」と「与えられたもの」を祝福する態度である。前者は不幸、不満、権利意識、焦燥感、怒り、攻撃性をもたらし、後者は幸福感と満足感をもたらす。

悪しき欲求は他人からの収奪に向かう一方、良き欲求は精神の高揚、知恵の獲得、知識の集積へと向かい、それらは他人からの収奪ではなく人々の間に利益をもたらす。

受け取る喜びを与える喜びでバランスをとることが重要である。ドクター・ローラは親は無私と供与の喜びを学ぶ機会を幼少時より子に与えることを推奨する。

ネガティブで醜悪な感情から我々を解き放つのは祈りである。聖書を読み、罪を贖い、祈りを捧げることで我々は神とつながることができる。その瞬間に我々の心と精神は浄化されるのである。

道徳というものの定義が曖昧模糊としたものとなって久しい。単なる処世術や、その時々のうまい身のこなしに過ぎないようなものを道徳であるとする風潮が強まっている。

道徳の原点であり原典である十戒の重要性を認識させてくれた一冊である。


Dr. Laura, no Waylon Jennings on Late Late Show w/Tom Snyder, September 23, 1998



Dr. Laura Schlessinger on In Praise of Stay-at-Home Moms

「Exonerated(トランプ下ろし大作戦失敗)」読了

  • 2019.12.01 Sunday
  • 16:08

保守ポッドキャスターとして人気上昇中のダニエル・ボンジーノによる前作「Spygate」に続く本書「Exonerated(潔白の証明)」はトランプ・ロシア疑惑の完結編である。



675日に及び、3千5百万ドルが費やされたトランプ・ロシア疑惑は幕を閉じた。結果として、本書の題名の通りトランプ大統領は無実であることが証明された。2016年の大統領選挙においてトランプ選挙陣営がヒラリー・クリントン候補を破る際にロシアと共謀したとされる疑惑、そしてトランプ氏が大統領になってから、その事実を隠蔽して捜査を妨害したとされる疑惑、これらに疑惑に対し、ロバート・モラー特別検察官による448ページに及ぶ最終報告は証拠無しと結論付けるに至った。

本書は単にトランプ大統領の潔白を主張するだけではなく、反トランプ派や左翼メディアがトランプ憎しで燃える渦中において、巨大な政府権力が動員され、法の手続き、推定無罪の原則、そしてトランプ氏本人とトランプ氏を支えてきた人々の人権を脅かした米国史上前代未聞の事件を描くものである。

2016年、ビジネス界の大物であるトランプ氏の共和党候補としての躍進は政界に衝撃を与えた。オバマ政権と民主党、官僚機構、ワシントンDC政界の住民達、主流左派メディア、そして共和党の反トランプ派がそれぞれの利害と思惑をもってカオスの中で動き始める。

そのカオスに外部要因が加わる。米国の政治に分断と争いを植え込んで攪乱させるのを目論むプーチンのロシア。抗争と汚職にまみれる中、米国からの利益を誘導しようと画策するウクライナ各党派。歴史的に米国と協力関係にあり、かつトランプという異質な指導者の誕生を畏怖する英国とオーストラリア政府。これらが彼らなりの利害と思惑で絡んでくる。

ヒラリー・クリントンから資金を得た調査会社(フュージョンGPS社)がロシア諜報部から怪情報を得、その情報を元英国諜報部員のクリストファー・スティールに怪文書としてまとめさせる。怪文書にはトランプと支持者に関する事実無根のスキャンダルがつづられている。フュージョンGPSの司令塔グレン・シンプソンは裏のコネで怪情報を司法省に伝える。

一方、英国情報部の元局長リチャード・ディアラブは同情報を米国CIA長官のジョン・ブレナンに伝える。ジョン・ブレナンは民主党議会を牛耳るハリー・リード上院議員に伝える。リード上院議員はFBIのコーミー長官に伝える。

さらに一方で、元英国諜報部員スティールは怪情報をFBIに伝える。FBI長官コーミーは、信頼できるソースである英国諜報部のお墨付きを得、しかもCIA経由の別ソースによっても裏付けられたとして怪情報を司法省に持ち込み、それに基づいてトランプ陣営を盗聴する許可を申請する。

上部組織が動き、下部組織も動く。

トランプ陣営の外交アドバイザーとして起用されたばかりのジョージ・パパダポラス氏に謎の大学教授、ジョセフ・ミフスッドなる人物(恐らくCIA要員か協力者)が近づき、「ヒラリーのヤバい流出メール情報をロシアが握っているが、興味あるだろ?」と囁く。数日後にオーストラリア外交官のアレグザンダー・ダウナーがパパダポラスを呑みに誘う。ダウナーは呑みながらパパダポラスにロシアとクリントンの話を振る。不審を感じたパパダポラスは誘いに乗らず、適当に聞き流す。その後ダウナーは「パパダポラスというトランプ陣営運動家がロシアと共謀してヒラリーを脅迫しようとしている」という虚偽情報をオバマ政権に伝える。※ダウナーは後にこの経緯を否定する。

トランプ陣営がロシアと内通してヒラリー・クリントンを貶めようとしているというネタを得たFBIは、噂の域を出ないにも関わらず司法省に掛け合い、トランプ陣営盗聴許可(FISA Approval)を得る。

それ以外にも様々な政府関係者がトランプ陣営に近づき、「ヒラリーに不利な情報、ロシアから仕入れたけど興味あるだろ?要るだろ?欲しいだろ?」という攻勢をかける。攻勢をかけてはそれをメディアにリークし、メディアはそれを事実であるかの如く報道する。

2016年11月にトランプが勝利し、次期大統領として確定する。混沌から始まった反トランプの試みは潰えたかに見えた。

しかし、ここからはトランプ政権に対する執拗な妨害作戦へと変容していく。

2017年1月に怪文書情報はトランプを忌み嫌うジョン・マケイン共和党上院議員に伝えられ、ジョン・マケインの側近がその情報をバスフィードという左派メディアに伝える。バズフィードは怪文書をオンラインに掲載する。政権移行期間にオバマ政権はFISAで得た情報をメディアにリークする。メディアはトランプのロシア疑惑を騒ぎ立てる。

盗聴と捜査によってあらかじめ詳細を知るFBIはトランプ陣営及び政権に関わる人々を尋問し、「何年何月、どこで、誰と会い、何を話したか?」という質問を投げ、答えの中にわずかな食い違いを見つけては「FBIに虚偽の供述をした」という罪を着せるという戦法が展開される。

トランプ大統領はジェームズ・コーミーFBI長官に対し、「万が一我々の中にロシアと通じる者がいるなら問題だ。捜査をしっかり行い、早期に白黒つけろ」とまっとうな指示を伝える。陰で暗躍してきたコーミー長官はノラリクラリとした態度をとり続ける。その態度に怒り心頭、堪忍袋の緒を切らしてトランプ大統領はコーミーをクビにする。副長官にしてこれまた反トランプのロッド・ローゼンスティーンは旧知の元FBI長官ロバート・モラーを迎えて特別検察官に据える。守旧派の共和党員でトランプ大統領を嫌悪するモラーは復讐の執念を燃やす一方、自身が長年長官として身を置いてきたFBIの悪行を隠蔽しようと画策する。

ポール・マナフォート(選挙部長)、ロジャー・ストーン(友人)、パパダポラス(外交アドバイザー)、マイケル・フリン(新政権の国防アドバイザー候補)、ジェフ・セッションズ(新政権の司法長官)といったトランプを支持した面々がターゲットとされ、名誉を汚され、公衆に晒され、何らかの形で排除され、あるいは不当な捜査、拘束を受けた。

ヨーロッパに滞在し、数日後に米国に帰国する予定のパパダポラスにある謎のビジネスマンが近づき、「商売を頼みたいから」と1万ドルをポンと渡す。不審を感じたパパダポラスはその金を米国に持ち帰らず、帰国途中でアテネで保管する。パパダポラスがダレス国際空港に到着すると「たまたま」そこにいたFBIの捜査官が「偶然」にパパダポラスを見つけて職務質問する。パパダポラスがブツ(1万ドル・・・海外からの持ち込みは申告が必要)を持っていないのを見た捜査官は当てが外れてパニックを起こす。モラー検察官から指示を受けたFBI捜査官はパパダポラスに大学教授ミフスッドといつ、どこで会ったのかをその場で答えるよう要求し、時系列を微妙に間違えたパパダポラスは「FBIに対して虚偽の供述をした」とされ捕らえられ、拘束される。

このような、なりふり構わぬ常軌を逸した捜査がトランプ陣営に関係した人々に対して展開される。

2019年3月、モラー特別検察官は新たに就任したウィリアム・バー司法長官に最終報告書を提出する。

2016年の選挙において、ロシアは確かに介入と攪乱を試みた。だがトランプ陣営がロシアと共謀した証拠は得られなかった。そしてその後トランプ政権が捜査を妨害した証拠も得られなかった。これが報告書の結論であった。

この結論をもって「ロシア疑惑」は終結したが、往生際の悪いモラー検察官は報告書にあえて火種を残した。

「我々は伝統的な検察上の判定を下すことは意図しておらず、よってここに大統領の行為に関しての最終的な判断を記するものではない。我々が大統領の行為と意図に関して得た証拠は、伝統的な検察上の判定を下そうとする際に困難をもたらす。一方で、大統領が司法妨害を行わなかったことが明白であるという確証を、慎重な事実の調査を経て我々が持ったならば、そのように記述したはずである。事実と法的基準の適用に基づき、我々はそのような判断を下すことはできなかった。よって、この報告は大統領が犯罪を犯したことを証拠づけるものではなく、かつ、大統領の潔白を証明するものでもない」

簡単に言えば、「トランプを追い詰めて破滅させてやろうと思った。しかし悔しいができなかった。本当に悔しい。トランプよ。これで済んだと思うなよ・・・」ということである。

事実、メディアはこの最後の言葉に飛びつき、そこをヘッドラインにした。

「モラー特別検察官、トランプを無罪にせず!」

政府機関がメディアや外国機関と結託し、人々によって正当に選ばれたトランプという人物とこの人物を支えた数々の人々の人生と家族を破滅させんとした大事件であった。本書によってその事実が歴史に刻まれたのである。主流メディアではそのような伝えられ方はしていないし、今後もすることはないであろう。


【参考】

Rep. Jim Jordan’s full questioning of Robert Mueller | Mueller testimony
FBいに虚偽の証言をした大学教授、ジョセフ・ミフスッドをなぜ追求しなかったのか?



Rep. Devin Nunes’ full questioning of Robert Mueller | Mueller testimony
コーミー長官は大学教授、ジョセフ・ミフスッドはロシアのスパイだと言ったが貴殿の報告ではそう書かれていない。なぜか?



Rep. Matt Gaetz’s full questioning of Robert Mueller | Mueller testimony
怪文書の情報はロシアからもたらされたのか、それともスティールが創作したものか?



Rep. Gohmert grills Mueller: Did you know Strzok hated Trump?
貴殿が捜査チームを反トランプ派で構成したのはなぜなのか?



WATCH: Rep. Michael Turner’s full questioning of Robert Mueller | Mueller testimony
貴殿には「無罪を証明する」権限はもともと無いにも関わらず、あえて「無罪は証明しない」と書いたのはなぜなのか?



WATCH: Ratcliffe tells Robert Mueller he didn’t follow the special counsel rules
トランプ大統領は法の上にはない。そして法の下にもいない。貴殿の報告は司法省の原則に反している。



Dan Bongino Palm Beach Kennel Club 01-14-2019


VP JOE BIDEN ON CFR QUID PRO QUO
妨害作戦は事実無根の「ロシア疑惑」から「ウクライナ疑惑」へと移行し、現在進行中である。バイデンの息子、ハンター・バイデンが取締役として関わる企業、ブリスマ・ホールディングスがウクライナの検事総長から汚職の疑惑で追及を受けた。バイデンは米国からウクライナへの10億ドルの借款を差し止めるとの脅しをかけ、ウクライナ政府に検事総長の首を切るよう圧力をかけた。そのくだりの場面を自慢しながら語る当時のバイデン副大統領。政治的立場を利用して個人的利益誘導しているのはトランプ大統領ではなく民主党政治家であることが分かる。





 

"Unfreedom of the Press" 読了

  • 2019.06.23 Sunday
  • 23:25



本書は米国保守派言論人マーク・レヴィンの新著である。レヴィン氏は本書において今日いわゆる主流メディアと呼ばれる大手新聞社やテレビニュース会社の偽善性を暴く。そして今日、「報道の自由」を盾に大統領とその家族に対する前例のない攻撃を日々展開するメディアこそがまさに報道の自由を脅かす存在であると断罪する。

氏はメディアの米国における歴史を振り返る。英雄的で愛国的なメディアが英国の圧力に屈することなくパンフレットの出版を通じて自由と独立を鼓舞した建国時代にまで遡り、その後、様々な党の宣伝機関となった期間を経て近代に入り、公平で客観的なジャーナリズムの体裁を整える一方でヨーロッパから流入した革新主義の影響を受けて完全に民主党のプロパガンダ部門になり下がるに至った経緯を辿る。

かつては事実を客観的証拠に基づいて伝えたメディアがその後、左翼イデオロギーに基づいて事実を捏造するプロパガンダ集団になっていった歴史的背景について、レヴィン氏はウッドロー・ウィルソン大統領やフランクリン・ルーズベルト大統領による強権的なメディアへの介入の数々を引き合いに出して説明する。

レヴィン氏はまた、主流メディアが過去において驚くべき隠蔽工作に加担していたことを示す事実を暴く。嘘と失敗とスキャンダルにまみれた民主党の歴代大統領を称揚する一方で共和党の歴代大統領を貶めることに余念がなく、近年では最も透明で開放的な政権を運営するトランプ大統領を「言論の自由の敵」と呼ばわる主流メディアがひた隠しにする極めて不都合な事実である。

1930年代のソビエト連邦におけるスターリンによる圧制とその結果として発生したウクライナの大飢饉とナチス・ドイツによるホロコースト ・・・ このふたつの出来事が発生している間、ニュースメディアを牛耳っていたニューヨーク・タイムズ紙とワシントン・ポスト紙は事実を掴んでいたにも関わらず、当時の反ユダヤ主義的なルーズベルト政権の意向を受けて沈黙を貫いた。結果としてこれらの何百万もの犠牲者を見殺しにしたのであった(この反ユダヤ主義は現在の反イスラエル報道に受け継がれている)。

またメディアはその後も民主党の暗黒の側面を隠蔽し続けた。ケネディ政権〜ジョンソン政権における東ドイツスパイとの情事スキャンダル、不当な国内スパイ活動、政府機関の政治的利用、レーガン政権時代にソ連と共謀して政権転覆を目論んだエドワード・ケネディ上院議員、大統領戦において中国共産党から資金援助を受けたビル・クリントン大統領、シリアに圧力をかけるジョージ・ブッシュ大統領の裏でアサド大統領と会談して国の正式な外交政策を妨害する挙に出たナンシー・ペロシ議員、そして国民を欺いてオバマケア法案を導入し、税務署を使って国内の反対派に対する嫌がらせを実行したオバマ大統領・・・。こういった民主党政治家の面々の国家反逆的な行動を隠し続けたのである。

そしてメディアは遂に「トランプ氏がロシアと共謀した疑惑」という旧オバマ政権と民主党による陰謀の片棒を担ぐことになる。結果的に根も葉もない濡れぎぬであることが2年間もの捜査で明白となったのであるが、これは現職の大統領に対する転覆工作であり、史上最大のスキャンダルに発展してもおかしくはない爆弾級の犯罪である。だが事実の報道という使命を忘れ、フェイクニュースの発信者となって久しいメディアは往生際悪く「トランプ・ロシア疑惑」に固執し続けている。

主流メディアは今後、ジャーナリズムの基本に立ち返ることができるのか。レヴィン氏は「その可能性は極めて低い」と断じる。そして氏は、主流メディアはプロパガンダ機関として報道の自由を更に危機に陥れることになろうとの予想のもと、自由と市民社会と共和主義を維持していくために、市民として何ができるのかを考え始めようではないか、と呼びかける。

本書によって多くの人々が主流メディアの真の姿を知り、目を覚ますことであろう。主流メディアからの呪縛から脱すれば、混沌とする情報の渦の中で事実を探し当てることができるようになるはずである。

主流メディアはトランプ大統領という特異なファイターに直面している。トランプ大統領は政治家然とした「正しさ」を身に着けていない。メディアをすっ飛ばしてツイッターで直接国民に語りかけ、CNNのジム・アコスタのような、自身をドラマの主人公と勘違いした人間を晒しものにして辱める。今まで主流メディアの不当な攻撃を唯々諾々と受けてきた共和党政治家にうんざりした保守派はトランプ大統領の「反撃する姿勢」に奮い立っている。

主流メディアがこのまま没落するとは思えない。彼らの悪あがきは今後激化するはずである。保守派とトランプ支持者に対し、なりふり構わぬ情報戦を仕掛けてくるはずである。そのような戦いの最中において本書を得た米国は幸運である。






「神の存在を証明する5つの論考」読了

  • 2019.05.12 Sunday
  • 15:53




本書は、歴史に残る哲学者達の論考に光をあて、論理によって神の存在を立証せんとするものである。

著者、エドワード・フェーザー氏はアリストテレス、プラトンの後輩達、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、ライプニッツ、その他の哲学者達と彼らの展開する理論に基づき、宗教的な信仰に依拠せずに神とは何か、そしてなぜ神は存在するのかを説明する。

フェーザー氏は5つの論考を展開し、神の存在を証明する。

第一に、変化とは潜在性の具現化である。潜在性を有するものが具現化力を有するものによって具現化されるときに変化が起こる。全ての変化(change)の背景には変化者(changer)がいる。あらゆる変化は、すでに具現化された何かによってもたらされる。

ヤカンに水を入れて火にかけると沸騰する。これは火という「既に熱が具現化されたもの」によって水の温度が上昇する(潜在性が具現化する)ことによって実現する現象である。

このような変化の原因は永遠に過去に向かって遡っていくことができる。だが過去、現在、未来において変化が存在すること自体の原因は永遠に遡ることができない。どこかに起点がなければならない。

潜在性を有するものが、既に具現化された何ものかによって具現化され、それが更に他の潜在性を有するものを具現化していく。

潜在性と具現化の混合体であるあらゆるものは、他の潜在性と具現化の混合体であるなにものかによって変化させられる。

ということは、これらの「変化」を支えている何ものかがなければならない。自らは変化せずに他を変化させる何ものかが。

自らは変化しない、ということは潜在性を持たないということであり、潜在性を持たない、ということは変化する余地を持たないということである。変化する余地がないとは、それが物質的ではなく、時間の外に存在するものであり、永遠なものであり、完全なるものであり、全知なものであり、至高の善であることを意味する。フェーザー氏は「完全に具現化した具現者」あるいは「不動の動者」呼ぶ。

物質は生成と劣化を繰り返す。変化するものは全て物質的なものである。逆に、変化しないということは物質的なものではなく、精神であり、知性であり、抽象的なものであることを意味する。

物質の生成と劣化は時間の経過によって発生する。よってあらゆる物質的なものは時間の中に存在する。生成と劣化が無いということは時間の外に存在するということに他ならない。時間の外に存在するということは始まりも終わりもない。すなわち永遠である。

潜在性を完全に具現化した存在とは何一つ欠けたところのないもの、すなわち完全なるものである。これは他の全ての潜在性を具現化する主体、すなわち全知全能であり、至高の善である。

完全なるものは二つとして存在しない。複数あるものの間には必ず違いがある。違いとは潜在性の具現化における差異に他ならない。完全なるものは潜在性を完全に具現化したものである。よって完全であるものは唯一の存在である。

フェーザー氏は更に第二〜第五の論拠へと進める。

第二に、我々の周りに存在するものは全て部品や部分を持ち、何かしらの「組み合わせ」によって形成される。人や動物の体、机やいす、木々、山、岩石、その他様々なものに言えることである。これらすべてには起源がある。その起源は完全に単純にして部分による「組み合わせ」を形成しないものである。完全に単純であるということは単一であるということであり、変化しないことを意味する。変化しないということは時間の外にあるということである。「組み合わせ」によってこの世のものを構成する起源になっているということは意思を持つということであり、それは精神として存在するものであることを意味する。

第三に、赤、青、黄色のような色識別、人間、動物、植物のような分類、〇△□といった図形、数や数式、「雪は白い」というような命題、その他様々な一般概念や抽象概念。これら概念は時空を超えて存在する。これらは単なる人間の想像ではなく現実であると同時に人間の頭脳に依存するものでもなく、その限界に制限されるものでもない。一方これらは物質ではなく時間の経過で劣化するものでもない。始まりがあり、終わりがあるわけでもない(数字は永遠に数えることができ、1+1=2は時間の経過で劣化することもなければ変化することもない)。これらが依拠するのは全知全能の知性、至高の知性である。

第四に、我々が遭遇するあらゆる物事には本質と存在があり、本質と存在は別個である。石は石としての本質を持ち、石として存在する。人は人としての本質を持ち、人として存在する。木も、犬も、想像上の竜も同様である。いわば本質とは潜在性であり、存在とは具現化である。石は石としての潜在性が具現化されるから石として存在し、竜は竜としての潜在性が具現化されるから実在する代わりに人間の想像の中で竜として存在する。このような物事が存在するためには必ず本質と存在が一致した存在(潜在性が完全に具現化したもの)によって存在が原因づけられている必要がある。

第五に、科学(物理、化学、数学、生物学等)が示すとおりこの世界は規則だっている。論理的に、あらゆる物事について、それが存在する理由と性質を認識することが可能、あるいは説明することが可能である(実際にどの程度まで究明できるかは別問題)。現時点で存在するあらゆるものはその存在を他のものに依拠している。例えばある人が存在するためにはその親がいて、その親が存在するためには更にその親がいて、という具合にこの連鎖は永遠に過去にさかのぼることが可能である。だがこの連鎖の存在自体、何ものかに依拠している。なにものにも依拠せず、必然的に存在するものによって。

単純で、変化せず、物質的ではなく、無形で、永遠で、必然的に存在、全能、全知、完全なる善、意思があり、愛があり、そして我々の想像を絶する不可解な存在 ・・・ この存在を、古くより人々は様々な宗教を通じて神、あるいは天、あるいは創造主としてとらえてきた。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教において神は一つであるとしてきた。

宗教的な信仰の論理的根拠が哲学的思索によって与えられたのである。

フェーザー氏は各論考において、無神論者の反論を挙げ、それに対する反駁を展開している。

科学を盾に神の概念を「非科学的なもの」として退ける無神論者に対してフェーザー氏はこのように切り返す。

科学とは、この世界の様々な現象から規則性を数学的に抽出し、そこで得られた知識を適用することである。数理的に説明できない事象をバッサリ切り捨てるからこそ明晰な分析ができ、高度な技術に発展させることが可能。化学は原子がどうやって分子になり、分子がどのようにモノになるかを説明するが、そもそも原子がどこからやってきたのかを説明することはできない。それが科学の限界である。科学こそ全て、という人を筆者は闇夜のランプの下で探しものをする酔っ払い(なくしたものがランプに照らされたところ以外にあるはずがないと信じる人)に例える。

また、「至高の善であり、全知全能であり、全ての潜在性を具現化するはずの神が、なぜこの世を不完全な状態にしておくのか。なぜ地球は天変地異や災害に襲われるのか。なぜ人間はこれほどに欺瞞と残酷さと愚かさにまみれているのか。それは神が全能でも善でもない証拠ではないか」という反論にフェーザー氏は答える。

勇気は人間存在の本質のひとつであり、具現化されるべき潜在性である。もしも地球環境も人間界も完全なる平安であったならば、人間は勇気という特性を育むことができるであろうか。

赦しも同様に人間存在の本質のひとつであり、具現化されるべき潜在性である。もしも人間界が完全なる善人だけであり、悪行が存在しないならば、人間は赦しという特性を育むことができるであろうか。

自由意志も同様に人間存在の本質のひとつであり、具現化されるべき潜在性である。もしも人間が良い行いだけをするようプログラムされた機械であったならば、自由意志を育むことができるであろうか。

神の存在は論理的思考を突き詰めれば否定することができない。本書は圧倒的な根拠をもってこの事実を突きつける。

本書は哲学の素養の無い読者にも理解できるよう、身近な物事を随所に例示しながら論を展開する。私にとってはそれでもかなり手ごわいものであったが、神というものについて考えることが多い昨今、重要な示唆を与える一冊であった。

【参考】
Edward Feser | The Ben Shapiro Show Sunday Special Ep. 17


Can You Prove God Exists? —Dr. Edward Feser


Proof of God's Existence—Part II

「日銀破綻」読了

  • 2019.01.13 Sunday
  • 16:22



辣腕金融トレーダーとしての経歴を持つ維新の会議員・藤巻健史氏は日銀の破綻とそれに伴うハイパーインフレの現実化が近いと警告する。

政府は足りない資金を日銀に新しい紙幣を刷らせて賄ってきた。その結果、日銀は経済規模に対して大量にお金をばら撒くに至った(対GDP比で世界最大規模)。

藤巻氏はこの行為を過去のハイパーインフレの経験から各国で禁じられている財政ファイナンスであり、飛ばし行為(危機を先延ばしする)であると断じ、以下のような経緯をたどるであろうと予測する。

 

日銀の財務諸表は極めて脆弱であり、インフレ加速に対して引き締めを行えば、金利が上昇して債務超過に陥り、信頼の失墜、円の暴落を経てハイパーインフレに突入する。

日銀が大量に保有する国債の利回りは僅か0.279%で経常収支(大部分が保有債券からの利子収入)は1兆3000億円。日銀当座預金残高384兆円。1%金利を上げたようとする場合、民間銀行に3.8兆円の金利支払いが必要となり、収入が1.3兆円の現在、2.5兆円の損失となる。CPI(消費者物価指数)が2%になれば、金利を2%以上に上げなければインフレが加速してしまう。384兆円の2%で7.6兆円。6.3兆円の損失となる。

日銀の準備金は僅か8.2兆円。金利が2%になれば1年ほどでこの準備金を使い果たし、債務超過になってしまう。債務超過になることが明らかになった時点で円売りが始まり円の価値は暴落する。

2%でインフレが止まる保証はない。更に上振れする可能性が高い。異次元緩和を止めれば政府が資金繰り倒産。金融引き締めを行えば日銀の倒産。インフレが進む中、異次元緩和を継続するしかない。インフレが10%、20%と上がる中で異次元緩和は継続される。ハイパーインフレへまっしぐら。

国が資本投下して支えればよいという声があるが、赤字財政で資金捻出する術がない。

毎年、新たな国債が30兆円以上発行される。現在は日銀が(紙幣を刷って)これを買い支えている。日銀が買うのを止めたとたん長期金利が跳ね上がる。国債価格が下がり、投げ売りが始まる。

一方、赤字予算の政府は金利が上昇すれば支払い金利が急増して大赤字になる。日銀による国債爆買いに支えられてき政府の資金繰りはたちまち行き詰る。政府が資金繰り倒産の危機に直面する。

ハイパーインフレはある日突然やってくる。20%〜30%程度は1980年の米国の例でも十分にあり得る。

日銀倒産、新中央銀行設立。政府は財政破綻を免れる。1088兆円の巨額債務もタクシー初乗りが1億円〜1兆円なら実質ないも同然。1億円の財産があっても吹き飛んでしまう。実質的な借金棒引き。払うのはハイパーインフレで地獄を見ることによって国民が払う。


極めて暗い将来であるが、氏はそれに対する防衛策を示す。

氏が提唱する防衛手段とはドル資産と仮想通貨の購入である。様々な通貨があるが、やはり避難通貨は米ドルであるという。また預金封鎖の際にはスマートフォンひとつで口座開設も送金もできる仮想通貨が避難通貨になるという。従来通りの円貨の銀行定期預金が最もリスクに晒されることは間違いない。時代は変化し続けている。お金も変化し続けている。我々は適応しなければならない。さもなければ財産を失うリスクを受け入れるのみである。

さて、重要な示唆を与えてくれる本書であるが、意見を異にする部分もある。

氏は、「デフレ脱却するには異次元緩和する必要はなく、円安とマイナス金利を導入すればよかった。円安もマイナス金利も伝統的金融政策によって実現可能。円安になれば日本の競争力が高まり、マイナス金利によって投資と消費が盛んになり景気が回復する」と説く。

氏は常々日本の問題は大きな政府による社会主義的、計画主義的政策が原因であると説いている。疑問に思った私は氏に疑問をぶつけてみた。



氏は通貨価値の上げ下げや金利の上げ下げは資本主義に反せず、別に計画経済ではないと思っているようである。

古くは産業革命時代の英国、自動車革命時代の米国から現代のスイスまで、経済発展しているのは通貨価値を下げた国ではなく通貨価値を安定化させた国である。通貨安が発展につながるならば、通貨価値が暴落したジンバブエは今頃先進国である。

また、政府が景気を良くしようと金利を下げると、本来なら事業者が二の足を踏むような不確かな投資に対する抑制が効かなくなり、結果として浪費の増加と貯蓄(投資資金)の減少をもたらす。まさに計画主義の弊害である。

計画主義者にとって金利を上げ下げする力以上に計画主義を実行する手段として強力なものは無いのである。

これらの部分は意見を異にするが、現在の日本が置かれた状況に対して真摯に向き合っている人物が、少なくとも政界には氏以外には見当たらないのである。

"Spygate" 読了

  • 2018.10.28 Sunday
  • 19:43

「トランプ・ロシアゲート疑惑」の何たるかを追い続けてきた保守ポッドキャスターのダン・ボンジーノが集大成を出版した。

「スパイゲート・・・ドナルド・J・トランプ追い落とし作戦」



メディアが世間に流布するいわゆる「疑惑」の内容はこうである。

『トランプはビジネスマン時代からロシアとロシアとつながりがあり、プーチン大統領を尊敬していた。2013年にロシアを訪問した際、ホテルで売春婦と乱交し、それをクレムリンに握られていた。トランプは2016年の大統領選においてクリントンと対峙することになった。トランプはロシアのコネを使い、ロシアに民主党本部をハッキングさせると同時にクリントンに不利な情報をロシア情報機関から仕入れた。ポール・マナフォート、マイケル・フリン、カーター・ペイジ、ジョージ・パパダポラスといった親露的でロシアと繋がりの深い人物を起用し、ロシアから仕入れた情報を有利に使ってトランプは大統領選挙に勝利した。だがトランプのロシアとの共謀が徐々に露呈し、トランプ本人と選挙戦を支えた側近達の国家反逆的な違法行為が次々と白日の下に晒されることになった』

それに対し、本書はロシアゲート疑惑の本質をこのように説明する。

オバマ大統領やクリントン候補、民主党はトランプは共和党内での選挙戦で消えていくものと考えた。だが意外なことに生き残っただけでなく、ヒラリー・クリントンを脅かす存在となった。トランプを阻止しなければならない。それが至上課題となった。

トランプが公言する政策はそれまでの民主党政権においてオバマ大統領とクリントンが行ってきた政策をひっくり返すものであった。そしてトランプが政権につくということは、オバマ大統領とクリントン国務長官(当時)のイラン核開発容認、ロシアのイラン核開発支援の容認、ロシアのウラン確保容認、クリントンの個人メールサーバー使用とオバマの関与、こういった問題行為の数々が裁かれるということを意味した。彼らにとってトランプは危険人物であった。

ヒラリー・クリントンは法律事務所を隠れ蓑にし、ロシアに情報網を持つイギリスのスパイに「ロシア疑惑文書」を作成させる。ジョン・ブレナンCIA長官はそれにお墨付きを与え、ジェームズ・コーミーFBI長官はそれに基づいてトランプ陣営を盗聴する許可を裁判所に申請する。トランプ陣営を罠にはめる作戦が始動する。トランプ阻止の目的を共有する様々な人物がトランプ陣営に入れ代わり立ち代わり近づき、「ロシアが握るクリントンに不利な情報」をチラつかせては「情報に食いついた」証拠をデッチあげ、その報告をFBIに上げる。FBIはそれをもって「トランプ陣営はロシアと共謀している」と裁判所に訴え盗聴許可を得る。

FBIは犯罪行為を発見してその行為の主を捜査するのではなく、特定の人物をターゲットにして罪を探すという法治国家としてあるまじき捜査を繰り広げる。

しかし彼らの作戦は失敗し、トランプは大統領になってしまった。いよいよ憎しみに燃える彼らは「トランプ引き下ろし作戦」に移行する。

オバマ時代からFBI長官を務め、この疑惑の形成に重要な役割を果たしていたジェームズ・コーミーはトランプ大統領に解任される。メディアと民主党は「疑惑の捜査を妨害している!」とトランプ大統領を非難。オバマ時代の残党が牛耳る司法省はロバート・ムラー特別捜査官を任命し、トランプ大統領追い落とし作戦が始まる。ロバート・ムラーはトランプ選挙陣営とトランプ政権に関わる人物を片っ端から狙い撃ちにし、選挙に関係あるなしに関わらずあらゆる手を使ってトランプ大統領の政権運営を妨害しにかかる。

この「疑惑捜査」は大統領選の最中に始まり、トランプが大統領就任後1年が経過しようとしている。

しかし今にいたるまで「疑惑」を証明するものは、何一つ見つかっていない。トランプ大統領の支持率は益々上がる一方、この「疑惑」の本質が日を追うごとに明らかになる。それに関わる人物達の欺瞞と偽善と不道徳が暴かれつつある。彼らは窮地に追い込まれている。本書の出版がとどめを刺す。

本書ではこの疑惑に関わってきた人物を軸に、一連の詳細な流れを時系列でまとめている。

この「疑惑」には複数の国々にまたがる人々がそれぞれの思惑をもって関わっている。ウクライナはクリントンに肩入れした。イギリス情報部とオーストラリアの元外相は疑惑を形成する上で主要な役割を果たした。なぜ彼らが「トランプ阻止」に動いたのか、彼らの思惑とは何だったのか、なぜアメリカのCIAがイギリスの諜報機関に米国民をスパイさせたのか、疑惑の当人であるロシアがアメリカ大統領選をどのように見ていたのか。これらの疑問の答えは本書で明らかにされている。

現職の民主党政権が国家権力を動員するとともに外国の諜報機関をも使って対立政党の共和党の候補者を阻止する作戦を実行し、それが失敗した後にも政府機関とメディアを使って妨害を続ける、という前代未聞のスキャンダルとして、この「ロシアゲート疑惑」は後世に伝えられることになろう。

フォン・ミーゼス「Human Action」読了

  • 2018.09.13 Thursday
  • 12:28


今日の自由主義経済学の始祖的存在であるオーストリア経済学派のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの金字塔的大作、「ヒューマン・アクション」英語版を読了した。今年の2月頃から読みはじめたから半年以上を費やしたことになる。

ミーゼスは本書において経済というものが数学や物理学のような定数を対象とする学問ではなく、人間という強さと弱さ、感情と情熱、心と思考を持つ動的な存在を対象とする人間行動学であると位置づけて解説する。

前半はこの人間行動学とは何かを延々と述べているのだが、これがミーゼスの母国語であるドイツ語を直訳したような英語でサッパリ意味不明であった。そこで挫折し、1カ月くらい放置していたのだが、やはりこの大作を読まずして経済を知ったつもりになることを恥じて気を取り直して読み進めた次第である。

途中から次第にいわゆる「経済の話し」になっていくわけだが、相変わらずサクサク読める気軽な文体的ではないためある程度の読みにくさはあるものの、そこらへんから徐々に面白味が出てくる。

現時点の理解度でこの大作を簡潔に要約するのは不可能であるため、特筆すべき部分をコメントしながら抜き出していきたい。

【政府の役割について】

ミーゼスはロン・ポールをはじめとする米国リバタリアンの教祖的な存在である。そして日本ではなぜか無政府主義の始祖と誤解されることが多いようである。しかし本書を読めば分かることであるが、ミーゼスは政府の転覆を主張するものではない。むしろ逆で、ミーゼスは政府の役割を明確に認めていることが分かる。ロナルド・レーガン大統領はミーゼスの著書に親しんでいたという。本書から受けた印象としては、リバタリアンというよりもむしろ保守本流に近いのではないか、というものである。

 

The maintenance of a government apparatus of courts, police officers, prisons, and of armed forces requires considerable expenditure. To levy taxes for these purposes is fully compatible with the freedom the individual enjoys in a free market economy. 

Every step a government takes beyond the fulfillment of its essential functions of protecting the smooth operation of the market economy against aggression, whether on the part of domestic or foreign disturbers, is a step forward on a road that directly leads into the totalitarian system where there is no freedom at all. 


司法、警察、刑務所及び軍隊を維持するには相応の原資が必要である。このための課税は自由な経済における個人の自由となんら矛盾するものではない。ただし、政府として必要不可欠な活動である内外の敵からの防衛という一線を越えた活動は、自由が完全に欠如した専制的システムへと直接つながるものである。


そしてミーゼスは、次において防衛に関しては左翼と同じである世の泡沫リバタリアンと完全に袂を分かつ。
 

But as conditions are in our age, a free nation is continually threatened by the aggressive schemes of totalitarian autocracies. If it wants to preserve its freedom, it must be prepared to defend its independence. If the government of a free country forces every citizen to cooperate fully in its designs to repel the aggressors and every able-bodied man to join the armed forces, it does not impose upon the individual a duty that would step beyond the tasks the praxeological law dictates. 

In a world full of unswerving aggressors and enslavers, integral unconditional pacifism is tantamount to unconditional surrender to the most ruthless oppressors. He who wants to remain free, must fight unto death those who are intent upon depriving him of his freedom. 

As isolated attempts on the part of each individual to resist are doomed to failure, the only workable way is to organize resistance by the government. The essential task of government is defense of the social system not only against domestic gangsters but also against external foes. 

He who in our age opposes armaments and conscription is, perhaps unbeknown to himself, an abettor of those aiming at the enslavement of all. 


今日、我々自由国家は専制国家による侵略に脅かされている。我々が自由を維持しようとするならば、独立を防衛する備えをせねばならない。政府が全国民に対して防衛への協力を要請する場合、それは人間行動学の法則に反するものではない。侵略者が跳梁跋扈するこの世界において、平和主義は無条件降伏と同義である。自由であろうとする者は、これら侵略者と死をもってしてでも戦う決意を持たねばならない。侵略者に対する個人の抵抗は不毛であり、政府による集団的自衛のみが有効である。必要不可欠な政府の役割は国内外の敵対勢力からの防衛である。今日、軍備増強と徴兵に反対する者は、我々を隷属させんとする勢力に加担する者に他ならない。

 


【経済学について】

ミーゼスは経済学とは何か、市場とは何かを説く。

 

 

Economics is not, as ignorant positivists repeat again and again, backward because it is not “quantitative.” It is not quantitative and does not measure because there are no constants. 

経済学というものは定量的ではないから後進的だと言う無知の徒がいるが、経済学が定量的ではないのは定数が無いからに他ならない。

Economics is not intent upon pronouncing value judgments. It aims at a cognition of the consequences of certain modes of acting. 

経済学は価値観を表明するためのものではない。それは一定の行動がもたらす結末を認識するためのものである。

The market is not a place, a thing, or a collective entity. The market is a process, actuated by the interplay of the actions of the various individuals cooperating under the division of labor. 

市場とはある場所、あるモノ、ある物体・団体をさすものではない。それは分業において様々な個人が人々と協力しながら交わり合うことによって形成されるプロセスなのである。


ミーゼスは市場経済における分業の重要性を説く。
 

The division of labor splits the various processes of production into minute tasks, many of which can be performed by mechanical devices. It is this fact that made the use of machinery possible and brought about the amazing improvements in technical methods of production. Mechanization is the fruit of the division of labor, its most beneficial achievement, not its motive and fountain spring.

分業によって生産工程は機械でも可能な単純作業に細かく分割される。これによって機械化が進むと同時に生産手段の驚くべき技術的発展をもたらした。機械化は分業の成果であって動機ではない。


社会主義者は市場経済はしばしば「弱肉強食の世界」と揶揄し、多くの人々がその俗説に囚われている。ミーゼスはその俗説をひっくり返す。
 

The regular scheme of arguing is this: A man arbitrarily calls anything he dislikes “capitalistic,” and then deduces from this appellation that the thing is bad. 

とにかくこの世で嫌なものを片っ端から全て集めてはそれを「資本主義のせいだッ」と言うのが定番である。

This faulty nomenclature becomes understandable only if we realize that the pseudo-economists and the politicians who apply it want to prevent people from knowing what the market economy really is. They want to make people believe that all the repulsive manifestations of restrictive government policies are produced by “capitalism.” 

彼ら(似非経済学者)が望むのは、政府政策による規制が生む全ての悪しき結果を人々が資本主義のせいであると信じ込むことである。

In the pitiless biological competition the stronger was always right, and the weaker was left no choice except unconditional surrender. Primitive man was certainly not born free. Only within the frame of a social system can a meaning be attached to the term freedom. 

非情な物理的な競争化において、物理的に強い者が常に正しく、物理的に弱い者が与えられた選択肢は無条件降伏のみである。原始人は決して自由ではなかった。社会の枠組みにおいてのみ、自由という概念が存在しうるのである。

One of the privileges which society affords to the individual is the privilege of living in spite of sickness or physical disability. Sick animals are doomed. Their weakness handicaps them in their attempts to find food and to repel aggression on the part of other animals. Deaf, nearsighted, or crippled savages must perish. But such defects do not deprive a man of the opportunity to adjust himself to life in society. 

動物の世界と違い、人間社会においては病気や物理的欠陥にも関わらず生きる権利を有することである。動物は病気になったら終わりである。病気になれば食糧を得たり他の動物からの攻撃に対抗するにあたりハンディを負う。目や耳や手足が不自由な野獣は死ぬしかない。しかし人間社会において、そのような欠陥を持つ人間は適応すればすむのである。

There is no kind of freedom and liberty other than the kind which the market economy brings about. In a totalitarian hegemonic society the only freedom that is left to the individual, because it cannot be denied to him, is the freedom to commit suicide.

市場経済が与える自由こそが唯一の自由である。専制的な階級社会において個人に残された唯一の自由は、自殺する自由だけである。

 


【利益について】

利益というものを白眼視するのは古今東西を問わず人類の病気である。ミーゼスはその病気に対しても直言する。

 

Profit and loss are the devices by means of which the consumers exercise their supremacy on the market. 

利益と損失は消費者が市場において最高位に君臨するための手段である。

The driving force of the market process is provided neither by the consumers nor by the owners of the means of production—land, capital goods, and labor—but by the promoting and speculating entrepreneurs. These are people intent upon profiting by taking advantage of differences in prices. Quicker of apprehension and farther-sighted than other men, they look around for sources of profit. They buy where and when they deem prices too low, and they sell where and when they deem prices too high. They approach the owners of the factors of production, and their competition sends the prices of these factors up to the limit corresponding to their anticipation of the future prices of the products. They approach the consumers, and their competition forces prices of consumers’ goods down to the point at which the whole supply can be sold. Profit-seeking speculation is the driving force of the market as it is the driving force of production. 

市場プロセスの推進者は消費者でもなければ生産手段の保有者でもなく、気概と山っ気のある起業家である。彼らは価格の違いを利用して利益を得んとする人々である。周囲の人間よりも機を見るに敏で先見の明がある彼らは利益の源泉を探し回る。彼らは価格が過度に安い時と場面で買い、過度に高い時と場面で売る。彼らは生産手段の保有者に競ってアプローチし、その競争によって生産手段の価格は最終製品の予想される将来の価格に従ってギリギリまで引き上げられる。一方彼らは消費者に競ってアプローチし、その競争によって商品がきれいに売りさばけるくらいまでに引き下げられる。利益を求める行為こそが生産を促すものであり、市場の原動力なのである。

The entrepreneur is the agency that prevents the persistence of a state of production unsuitable to fill the most urgent wants of the consumers in the cheapest way. 

起業家というのは、消費者の抱える最も火急な必要性を最も安く解決することが妨げられるような状況が長引くのを防止する者達である。※簡単に言い直すと、人々が一番困っていることを一番お安く解決するのが起業家だ、ということである。

The mentality of the promoters, speculators, and entrepreneurs is not different from that of their fellow men. They are merely superior to the masses in mental power and energy. They are the leaders on the way toward material progress. They are the first to understand that there is a discrepancy between what is done and what could be done. 

商売人、山師、起業家と呼ばれる人々は精神性が一般人と違うわけではない。彼らは一般大衆よりも精神力と活力に優れているだけである。彼らは物質的発展におけるリーダーである。成された事と成しうる事との間にある乖離を最初に見出すのが彼らなのである。

The competition among the entrepreneurs is ultimately a competition among the various possibilities open to men to remove their uneasiness as far as possible by the acquisition of consumers’ goods.

起業家同士の競争とは、つまるところ、消費財が不便さを除去することが可能な複数の選択肢同士の競争である。

 


【労働について】

マルクスは社会を労働者階級と資本家階級とに分断して描いた。それは事実と反する。だからプロパガンダなのであり、そのプロパガンダを体現したソビエト連邦帝国は崩壊したのである。だがその基本思想は結局のところ人類の持病であり、姿を変えて人々の心に巣食っている。ミーゼスは労働を特別視する人々の誤解を直撃する。手を動かして働く人間だけが富を創出するのではないのだ、と。

 

Yet bare labor produces very little if not aided by the employment of the outcome of previous saving and accumulation of capital. The products are the outgrowth of a cooperation of labor with tools and other capital goods directed by provident entrepreneurial design. The savers, whose saving accumulated and maintains the capital, and the entrepreneurs, who channel the capital into those employments in which it best serves the consumers, are no less indispensable for the process of production than the toilers. It is nonsensical to impute the whole product to the purveyors of labor and to pass over in silence the contribution of the purveyors of capital and of entrepreneurial ideas. 

実際のところ、貯蓄と財の蓄積の結果を活用することによる恩恵無しに肉体労働が生産できるものはほとんど無い。製品というものは、先見の明に裏打ちされた起業家の計画によって手配される道具や財が人々の労働と協働することによって実現化される。財を蓄積し維持する貯蓄者、そしてその財を消費者へ最大のサービスを提供するために活用する起業家の、生産活動における不可欠性は、いわゆる労働者と比べていささかも劣るものではない。いわゆる労働者だけが製品を製造するものであるとし、財や事業構想による貢献を無視するのは無意味である。

The selective function of the market works also with regard to labor. The worker is attracted by that kind of work in which he can expect to earn most. As is the case with material factors of production, the factor labor too is allocated to those employments in which it best serves the consumers. There prevails the tendency not to waste any quantity of labor for the satisfaction of less urgent demand if more urgent demand is still unsatisfied. 

市場の選定機能は労働に関してもその役割を果たす。労働者個人は、最も稼げそうな仕事に惹かれる。労働という要素も、生産の物的要素がそうであるのと同様に消費者へ最大のサービスを提供するという目的に沿って分配される。この機能によって、消費者が抱える最大の問題を優先的に対処されることに労働(という有限の資源)が使われ、些細な問題に浪費されないよう促されるのである。
 


【価格について】
価格を理解するものは経済を理解する。

 

The ultimate source of the determination of prices is the value judgments of the consumers. Prices are the outcome of the valuation preferring a to b.

価格の最終決定要因は消費者の価値判断である。価格はAかBのどちらが望ましいかの判断の結果である。

Each individual, in buying or not buying and in selling or not selling, contributes his share to the formation of the market prices. But the larger the market is, the smaller is the weight of each individual’s contribution. Thus the structure of market prices appears to the individual as a datum to which he must adjust his own conduct. 

買うか買わないかによって、また売るか売らないかによって、個人は市場価格の決定に個人としての貢献をする。しかし市場が大きければ大きいほど、個人の持つウェイトは小さくなる。よって市場価格の構造は個人にとっては自身の行動を調整しなければならない基準のように見えるのである。

A government can no more determine prices than a goose can lay hen’s eggs. 

ガチョウが鶏の卵を産むことができないように政府は価格を決定することができない。

However, precisely because we want to examine these problems it is necessary clearly to distinguish between prices and government decrees. Prices are by definition determined by peoples’ buying and selling or abstention from buying and selling. They must not be confused with fiats issued by governments or other agencies enforcing their orders by an apparatus of coercion and compulsion.[ 191] 

しかし、我々はこの問題を正確に検証したいと望むがゆえに、価格と政府の法令との違いを明確に区分する必要がある。価格とは、人々の売買、あるいは売買の欠如によって決定されるものと定義される。政府や他の集団が人々に強制、強要するために公布する命令と混同されてはならない。

 


【教育について】
教育というサービスを特別視するがために、その役割が政府に飲み込まれて制度化され、我々はその制度の囚人と化している。今日の高等教育無償化の議論などまさにこれである。

 

It is often asserted that the poor man’s failure in the competition of the market is caused by his lack of education. Equality of opportunity, it is said, could be provided only by making education at every level accessible to all. There prevails today the tendency to reduce all differences among various peoples to their education and to deny the existence of inborn inequalities in intellect, will power, and character. It is not generally realized that education can never be more than indoctrination with theories and ideas already developed. Education, whatever benefits it may confer, is transmission of traditional doctrines and valuations; it is by necessity conservative. It produces imitation and routine, not improvement and progress. Innovators and creative geniuses cannot be reared in schools. They are precisely the men who defy what the school has taught them. 

しばしば、貧しき者が競争で負けるのは教育が足りないからであると主張する者がいる。あらゆる階層の教育を万人に提供することによって機会の平等が実現する、と彼らは言う。今日、人々の間の教育に関する違いを減らし、生まれながらの知力、気力、性格の違いといったものを否定しようとする傾向が優勢である。教育は、すでに確立された思想や想念による洗脳になりうる、ということは一般的に認識されていない。教育というものは、それがどのような利益があるにせよ、伝統的な思想と価値観を伝えるものであり、それは必然的に保守的なものである。それは改善と発展ではなく模倣と繰り返しを生産する。革新する者や創造的な天才を学校で育てることはできない。彼らはまさに学校で教わったことに逆らう者達である。
 


【政府が支出することについて】

日本では、人々がお金を使えるように再分配しましょうという考えがほぼ全ての政治的議論の前提となっている。誰が、誰に、どうやって、どのくらい分配するか、の議論が延々と続いている。それがいかにバカげたことか、この例をもって木っ端みじんである。

 

This paralogism can easily be exploded by referring to the well-known anecdote of the man who asks an innkeeper for a gift of ten dollars; it will not cost him anything because the beggar promises to spend the whole amount in his inn. 

ある男が旅館の主に対してこう言ったらどうであろうか。「私に10ドル下さい。貴方は何も失うものはありません。私は貴方の旅館でこの10ドルを全部使うと約束しますから」
 


【インフレ政策について】
歴史のある政府の経済政策の代表がインフレ政策である。歴史上、各国でそれが行われ、人々は様々な辛酸をなめ、時が経ち、忘れ、また繰り返す。今日の日本でもそれが現在進行中である。人はそれをアベノミクスと呼ぶ。インフレ政策は安倍さんの発明品ではないのだが、人はそう呼ぶ。歴史を忘れた証拠である。

 

Yet, men are not infallible. A certain amount of malinvestment is unavoidable. What has to be done is to shun policies that like credit expansion artificially foster malinvestment. 

人というものは完全無欠ではない。一定の誤投資は不可避である。避けねばならないのは、量的緩和のような誤投資を人為的に促進する政策である。

It was not realized that changes in the quantity of money can never affect the prices of all goods and services at the same time and to the same extent. 

貨幣量の変化は全ての商品、サービスの価格に同時に同じ程度影響を与えるわけではない、ということは一般的に理解されていない。

In the course of a monetary expansion (inflation) the first reaction is not only that the prices of some of them rise more quickly and more steeply than others. It may also occur that some fall at first as they are for the most part demanded by those groups whose interests are hurt. 

金融拡大(インフレ)の進行において、あるものが他のものよりも急激に、そして大幅に値上がりするだけでなく、値上がりがある集団の利益を失するような場合、その集団に需要のあるものがまずは値下がりする場合もある。

If an inflationary movement and a deflationary one occur at the same time or if an inflation is temporally followed by a deflation in such a way that prices finally are not very much changed, the social consequences of each of the two movements do not cancel each other. To the social consequences of an inflation those of a deflation are added. There is no reason to assume that all or even most of those favored by one movement will be hurt by the second one, or vice versa.

インフレとデフレが同時に起きた場合、あるいはインフレに続いてデフレが生じ、価格がそれほど変わらない場合、インフレとデフレのそれぞれによる社会的悪影響は相殺されるものではない。インフレによる悪影響にデフレの悪影響が加わるのである。一方によって得をする人々が他方によって損をするとは限らないのである。

Money is an element of change not because it “circulates,” but because it is kept in cash holdings. Only because people expect changes about the kind and extent of which they have no certain knowledge whatsoever, do they keep money.

貨幣は変化の要素であるが、それは「世を回る」からではなく、ため込まれるからである。人々が将来の動向に対して見通しが立てられない時、不透明さの分だけ人々は金をため込む。

First: Inflationary or expansionist policy must result in overconsumption on the one hand and in malinvestment on the other. It thus squanders capital and impairs the future state of want-satisfaction.

Second: The inflationary process does not remove the necessity of adjusting production and reallocating resources. It merely postpones it and thereby makes it more troublesome. 

Third: Inflation cannot be employed as a permanent policy because it must, when continued, finally result in a breakdown of the monetary system. 


インフレの害悪:
第一:インフレもしくは金融緩和政策は過度な消費と誤投資につながる。それによって財が浪費され、将来の需要満足を阻害する。

第二:インフレの進行によって生産と資源配分の必要性が除去されるわけではない。その必要性はただ単に先送りされるだけであり、状況は悪化するのみである。

第三:インフレは持続可能な政策ではない。なぜならばいつかは金融システムの崩壊につながるからである。


A retailer or innkeeper can easily fall prey to the illusion that all that is needed to make him and his colleagues more prosperous is more spending on the part of the public. In his eyes the main thing is to impel people to spend more. But it is amazing that this belief could be presented to the world as a new social philosophy. Lord Keynes and his disciples make the lack of the propensity to consume responsible for what they deem unsatisfactory in economic conditions. What is needed, in their eyes, to make men more prosperous is not an increase in production, but an increase in spending. 

特に小売業者や旅行業者などは彼らが豊かになるには公的支出を増やせばよいという幻想に陥りやすい。彼らの目には、必要なのは人々がもっと金を使うことだ、と見える。しかしこの信仰が斬新な社会哲学として全世界に広められている事実は驚くべきことである。ケインズと信徒達は経済における悪しき状況の原因は人々の消費に対する積極性の欠如であるとする。人々を豊かにするために必要なのは生産を増やすことではなく、消費を増やすことだ、と彼らは言う。

But even at the time liberalism enjoyed its highest prestige and governments were more eager to preserve peace and well-being than to foment war, death, destruction, and misery, people were biased in dealing with the problems of banking. Outside of the Anglo-Saxon countries public opinion was convinced that it is one of the main tasks of good government to lower the rate of interest and that credit expansion is the appropriate means for the attainment of this end.

自由主義が絶好調で、各国政府が戦争と死と破壊と惨めさを推進するかわりに平和と幸福の維持に努めていたかつての時代にあっても、人々はやはり金融に対する偏見に囚われていた。アングロサクソン以外の国々にあっては、金利を下げることは政府の重要な役割であり、金融拡大はその目的を達成するための適切な手段である、と大多数の人々は信じていた。
 


【特許、著作権について】
一部のリバタリアンは特許や著作権など無くしてしまえ、というだが、ミーゼスは少なくとも本書においてそのようなことは述べていない。一方、人々は独占・寡占というものを「行き過ぎた資本主義の悪」と勘違いする傾向がある。ミーゼスはその誤謬を正す。

 

The publisher of a copyright book is a monopolist. But he may not be able to sell a single copy, no matter how low the price he asks. Not every price at which a monopolist sells a monopolized commodity is a monopoly price.

著作権を有する本の出版者は寡占者である。だが、その出版者はその本の価格をどれほど安くしても一冊も売れない可能性があるのである。寡占者が寡占商品を売る価格は必ずしも寡占価格ではないのである。

As a rule the state of affairs that makes the emergence of monopoly prices possible is brought about by government policies, e.g., customs barriers.

寡占価格が出現する原因は他でもなく輸入規制のような政府の政策によるものである。

The important place that cartels occupy in our time is an outcome of the interventionist policies adopted by the governments of all countries. The monopoly problem mankind has to face today is not an outgrowth of the operation of the market economy. It is a product of purposive action on the part of governments. It is not one of the evils inherent in capitalism as the demagogues trumpet. It is, on the contrary, the fruit of policies hostile to capitalism and intent upon sabotaging and destroying its operation. 

今日の我々の社会において生じる寡占は各国政府の介入政策によるものである。我々が直面する独占は市場経済の運営による結果ではない。それは政府による意図的な行動の結果である。デマゴーグが吹聴する「資本主義の悪」でも何でもない。事実は完全に逆であり、それは資本主義に対する敵対的な政策と、その運営を阻害し破壊せんとする意思による成果である。
 


【政府介入、規制について】

長いこと国会ですったもんだした森本問題や加計問題など、そもそも政府の介入がなければ存在しえない現象である。国会で騒ぐ政治家連中のなかでその問題の根本を指摘する者はいない。
 

In an unhampered market economy the capitalists and entrepreneurs cannot expect an advantage from bribing officeholders and politicians. On the other hand, the officeholders and politicians are not in a position to blackmail businessmen and to extort graft from them.

自由な経済において、資本家や起業家は官僚や政治家に賄賂を渡すことでの利益は期待できない。同時に官僚も政治家も、ビジネスマンを脅すことも彼らにたかることもできない。

In many countries interventionism has so undermined the supremacy of the market that it is more advantageous for a businessman to rely upon the aid of those in political office than upon the best satisfaction of the needs of the consumers. 

多くの国々において、介入主義があまりにも浸透して市場の地位を貶めているがために、ビジネスマンにとっては消費者を最大限満足させることよりも政府の庇護を得ることのほうが利益になるに至ったのである。

 

やっとのことで最終頁まで辿り着いた。この歴史に残る大作をまたいつか読み直したい。

 

我が国は1949年にミーゼスが本書において歴史上の例を挙げつつ避けるべきこととして警告したことを「忠実に」実行してきた。アベノミクスはそれを加速している。ハイパーインフレーションをはじめとする猛烈なしっぺ返しがくるのか。来ないだろう、と希望的観測を持つ理由を探すほうが難しい。その事を実感し、将来への不安を強めた数ヵ月であった。

 

"Hero: Being the Strong Father Your Children Need " 読了

  • 2017.11.12 Sunday
  • 16:54



「母親は父親の代わりができるが、父親は母親の代わりはできない」などという嘘が自称専門家によってまことしやかに語られる今日。父親がドラマや映画やアニメにおいて優柔不断で偽善で意地悪で無責任で愚かな存在として描かれる今日。政府から学界からメディアまでが父親を不要な存在とすべしとする今日。父親という存在は危機に直面している。

本書はこのような今日を生きる世の父親を励まし、鼓舞し、勇気づけるために書かれた。

著者は父親の存在の重要性を説明する。子供が育つ上で、感情、心理、身体、知性、あらゆる面において父親の果たす役割は大きい。父親不在の子供の心には父親の形をした穴がぽっかりと開いたままである。

父親が自分自身をどうとらえようが、子供が見る父親の姿はヒーローである。

著者は世の父親に対し、ヒーローとしてあるべき姿に立ち返るよう呼びかける。それは社会的地位や収入とは関係がない。それは大人の男性としてのあるべき姿を示すこと。家庭における道徳的指導者となること。良いことと悪いことを知ることを、生き方によって示すこと。規律と基準を明確にし、それを実行すること。人間としての良き見本を示すこと。

良きこと、それは例えば他者への尊敬、勤勉、親切さ、優しさ、家庭第一、正直、誠実、自己制御、信心深さ。

悪しきこと、それは例えば他者への非礼、他者への攻撃、利己主義、思いやりの無さ、汚い言葉遣い、怠惰、不正直、不誠実、偏見。

著者はこれらの基準を自分自身に対してだけでなく子供に対しても明確にし、基準を高く設定して子供を導くことを勧める。

感情を高ぶらせて騒ぐ子供を汚い言葉で怒鳴り返すのではなく、静かな落ち着いた態度で自制心を示す。社会の風潮に惑わされずに必要な時には「否」と言う。テレビゲームを唯々諾々と買い与える親が主流だが青少年の問題を引き起こしている主因は”スクリーン”である。幼少から父親と良好な意思疎通をもった子供は青年期に問題を起こす確率は低い。

世の父親達は自信喪失している。著者は完璧な父親である必要はないという。良き父親になろうとするならば、とにかく子供のために沢山の時間を使うことだという。何もしゃべらなくてもよい。一緒に釣りをしたりして遊ぶだけでよい。父親が発する心無い言葉は子供の心に突き刺さる。父親が発する暖かい言葉は子供を勇気づけ、鼓舞する。

著者はキリスト教徒として祈りの重要性に触れる。小さな子供は人が考える以上に精神的であり、神や天使といった存在に敏感である。父親が家族の祈りを主導することによって家族の親密さと結束は強くなる。

子供は成長するに従い扱いにくくなる。触れ合うのを拒否したり親への嫌悪を口にしたり引きこもったりすることもある。

だが著者は繰り返し言う。絶対にそういった態度を自分(親)に向けられたものとして受け取ってはならないと。ましてや、それがために「もう子供は自分を必要としないのだ」などと思ってはならない。子供は湧き上がる感情をうまく整理し制御することができないだけである。それは成長の過程である。決して子供を見捨ててはならない。父親はいつでも子供にとってのヒーローだからである。


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