"Hero: Being the Strong Father Your Children Need " 読了

  • 2017.11.12 Sunday
  • 16:54



「母親は父親の代わりができるが、父親は母親の代わりはできない」などという嘘が自称専門家によってまことしやかに語られる今日。父親がドラマや映画やアニメにおいて優柔不断で偽善で意地悪で無責任で愚かな存在として描かれる今日。政府から学界からメディアまでが父親を不要な存在とすべしとする今日。父親という存在は危機に直面している。

本書はこのような今日を生きる世の父親を励まし、鼓舞し、勇気づけるために書かれた。

著者は父親の存在の重要性を説明する。子供が育つ上で、感情、心理、身体、知性、あらゆる面において父親の果たす役割は大きい。父親不在の子供の心には父親の形をした穴がぽっかりと開いたままである。

父親が自分自身をどうとらえようが、子供が見る父親の姿はヒーローである。

著者は世の父親に対し、ヒーローとしてあるべき姿に立ち返るよう呼びかける。それは社会的地位や収入とは関係がない。それは大人の男性としてのあるべき姿を示すこと。家庭における道徳的指導者となること。良いことと悪いことを知ることを、生き方によって示すこと。規律と基準を明確にし、それを実行すること。人間としての良き見本を示すこと。

良きこと、それは例えば他者への尊敬、勤勉、親切さ、優しさ、家庭第一、正直、誠実、自己制御、信心深さ。

悪しきこと、それは例えば他者への非礼、他者への攻撃、利己主義、思いやりの無さ、汚い言葉遣い、怠惰、不正直、不誠実、偏見。

著者はこれらの基準を自分自身に対してだけでなく子供に対しても明確にし、基準を高く設定して子供を導くことを勧める。

感情を高ぶらせて騒ぐ子供を汚い言葉で怒鳴り返すのではなく、静かな落ち着いた態度で自制心を示す。社会の風潮に惑わされずに必要な時には「否」と言う。テレビゲームを唯々諾々と買い与える親が主流だが青少年の問題を引き起こしている主因は”スクリーン”である。幼少から父親と良好な意思疎通をもった子供は青年期に問題を起こす確率は低い。

世の父親達は自信喪失している。著者は完璧な父親である必要はないという。良き父親になろうとするならば、とにかく子供のために沢山の時間を使うことだという。何もしゃべらなくてもよい。一緒に釣りをしたりして遊ぶだけでよい。父親が発する心無い言葉は子供の心に突き刺さる。父親が発する暖かい言葉は子供を勇気づけ、鼓舞する。

著者はキリスト教徒として祈りの重要性に触れる。小さな子供は人が考える以上に精神的であり、神や天使といった存在に敏感である。父親が家族の祈りを主導することによって家族の親密さと結束は強くなる。

子供は成長するに従い扱いにくくなる。触れ合うのを拒否したり親への嫌悪を口にしたり引きこもったりすることもある。

だが著者は繰り返し言う。絶対にそういった態度を自分(親)に向けられたものとして受け取ってはならないと。ましてや、それがために「もう子供は自分を必要としないのだ」などと思ってはならない。子供は湧き上がる感情をうまく整理し制御することができないだけである。それは成長の過程である。決して子供を見捨ててはならない。父親はいつでも子供にとってのヒーローだからである。


"Darwin on Trial" 読了・・・進化論という宗教

  • 2017.11.05 Sunday
  • 17:37

「アメリカ南部の保守的な地域の学校ではいまだに進化論が教えられていない。なんと後進的なのか!」という類の意見を目にすることがある。日本では進化論が輸入され、無批判に科学として受け入れられ、学校で教えられ、人々は疑いの念を持たない。



本書はダーウィニズム(進化論)が実のところ科学の衣をまとった宗教に過ぎないことを明らかにする。

科学は宗教ではない。宗教というものは、神による地球、生物、人類の創造やキリストの蘇りといった通常我々の知識常識では考えられないことをも信じることである。科学というものは、仮説を立て、それを証明する証拠を集め、その証拠を批判的に検証して正しいことを実証することである。

ダーウィニズム(進化論)によると、まず地球上に無機物の浮遊する海があり、それが何らかの力によって有機物となり、それが何らかの力によってバクテリア(生物)となり、それが何らかの力によって徐々に進化して獣弓類(哺乳類型爬虫類)や始祖鳥となり、獣弓類から哺乳類となり、その中からサルへ、サルの一部が人間となった、というものである。

ダーウィニズムが科学であるためにはこれらの流れを証拠によって裏付け、更にその証拠が妥当であるか否かを批判に晒さねばならない。

進化論の最大の敵は考古学である。なぜならば、ダーウィンの時代から今まで次々と発掘される化石はダーウィンの理論を証明するどころか、逆にダーウィンの理論の誤謬を示すもの以外の何ものでもないからである。

40億年前から存在し始めたバクテリアや藻類、6億年前のカンブリア大爆発によって突如として大量出現した様々な生物、数百年前から今まで何の進化も遂げずに存在し続けるオウム貝のような「化石生物」の存在・・・ これらが証明するのはダーウィンが唱えた進化ではなかった。

化石が示す事実は、生物はある時点で前触れもなく突如として出現し、その後何百年もの間変化もせずに存在し、そしてある時に突如として滅亡し、その後別の生物がやはり突如現れては変化せずに絶滅するまで生きるという繰り返しである。

ダーウィンの進化論は生物は徐々に進化を遂げたというものであるが、人間を含む生物の進化途中の状態を示す化石等の証拠は皆無である。例えば、無機物から有機物(アミノ酸)が生成され、そこから生物が誕生、というくだりを証明するために様々な科学実験が行われてきたが失敗に終わっている。生物のDNAは奇跡的ともいえるほど複雑である。「何らかの力で生物が誕生」という進化論の考え方を、本書では「まるで都市を襲った竜巻によって巻き上げられた様々なモノが偶然ボーイング747号機に組み立てられた」ようなものだと形容されている。

進化論は適者生存の理論であり、生存に適した特性を持つ生物が生き残り、それによって生物は徐々に進化していくという考え方であるが、ここでも矛盾を抱えている。本書では孔雀の例が挙げられている。孔雀のオスは目立つ派手な色彩の大きな羽を持つ。それはメスを引き寄せるためのものである。しかしその羽は飛行には全く適さず、逆に天敵をおびき寄せてしまう。このように「生存に適さない」羽を持つオスを求めるようなメスが「適者生存」によって生き残ってきたのは何故なのか、ということである。

また、例えば陸上生物が「長い期間を経て徐々に」鳥になったとすれば、かなりの期間、その生物は「手でもなく羽でもない」中途半端な突起物を持った状態で過ごすことになる。これはモノを掴むこともできず、さりとて飛ぶこともできない、という生存上非常に不利な状態を意味する。適者生存の考え方とは真っ向から矛盾するものである。

そして、そのような中間状態の化石証拠は皆無である。

証拠の欠如に対する進化論者の説明は「まだ見つかっていないだけだ」といった言い逃れに類するものばかりである。

更には「徐々に進化」が証明しえないがために「ある時点で大きく飛躍して進化した」という説を唱える亜流がダーウィンの後で出てきている。これはいわば「変身」であり、「神が人を作られた」という宗教と非科学という点では同じである。

著者は進化論者の持つ非科学性と宗教性について説明する。進化論者にとって、その説に疑問を呈する者は許されざる者である。信じぬものは呪われる。信じぬものは異端。それはマルクス主義やフロイトの心理学といったイデオロギーに通じるものである。主張が先にあり、それを裏付ける「証拠」が選定される。それを否定する証拠は「存在しない」あるいは「意味をなさない」。

本書を著した人物は宗教的な人物でもなく科学者でもない、中立な立場で論理によって説の確かさを検証しようとする法律家である。本書の目的は「神が人間を作った」という創造論を支持するためではない。

本書の目的は生物はどうやって生まれたのか、そして人間はどこからやってきたのか、それはまだ解き明かされていない謎なのだ、ということを証明し、科学を進化論という宗教から解放することである。

"Rediscovering Americanism"読了

  • 2017.09.17 Sunday
  • 12:15


Rediscovering Americanism and the Tyranny of Progressivism

アメリカ主義と進歩主義による専制の再発見、と題される本書は、たゆまぬ信念で全米に保守主義を啓蒙する言論人、マーク・レビンの最新の著書である。

生命、自由、そして幸福の追求を人々の神から与えられた権利であるとし、その権利を守るために英国から独立して政府を樹立すると謳った独立宣言、そしてその政府を樹立するための法的枠組みを記した合衆国憲法、これらに凝縮された精神をレビン氏は「アメリカ主義」と呼んでいる。

アメリカ主義とは米国においては伝統的な保守主義のことである。しかしトランプ政権の誕生に代表される国家主義やポピュリズムといった「何か違うもの」によって人々は米国の保守主義とその本質を見失いかけている。それに警鐘を鳴らし、保守主義とは米国建国のルーツそのもの(アメリカ主義)なのだということを示し、一方で保守主義・アメリカ主義に対する多方面からの攻撃が歴史的にどこからやってきたのかを解き明かすのが本書の目的である。

著者のレビン氏はアメリカ主義の根本は西洋文明の起源に遡るとしている。アリストテレス、キケロ、ジョン・ロック、シドニー、エドマンド・バーク、モンテスキュー、アダム・スミスといった人々の語った言葉を引用し、個人の自由と道徳は神が人間に与えた至高のものであるとする自然法こそがアメリカ主義の理念の源流であるとしている。これらの人物はそれぞれ生きた時代も宗派も考え方も異なっていたが、共通しているのは神あるいは創造主という存在に対する畏敬の念である。

そのアメリカ主義と対立する進歩主義はヨーロッパで育まれた。ルソー、ヘーゲル、ロベスピエール、カール・マルクスといった人物が進歩主義の哲学的基盤を作った。そしてそれは19世紀にアメリカに輸入され、ハーバート・クローリー、セオドア・ルーズベルト、ジョン・デュウィー、ウッドロー・ウィルソンといった言論人、哲学者、政治家によって徐々にアメリカにも浸透していった。進歩主義が敵視したのはまさにアメリカ主義とその源流である自然法であった。

アメリカ主義が消極法(negative law)を重視する一方で進歩主義は積極法(positive law)を推進する。本書は積極と消極という言葉に惑わされて間違いやすいこれらの概念を説明する。消極法とは「政府はこれこれをしてはならない」と政府の領域を限定し、同時に個人の領域を守るものである。積極法は「政府はこれこれをするべきである」と政府の領域を限定せず拡大を促進し、ひいては政府・官僚機構の肥大化、自由喪失、専制へとつながるものである。

人間の自由と生命は神が与えたものであり、神聖にして侵害してはならないという概念を普遍的な真理であるとする自然法、そしてその自然法を国家として成就させたアメリカ主義。一方普遍的な真理の存在を否定し、集団主義と中央集権によって人間社会は常に上昇していき、最終的には平等な理想社会が実現するとする進歩主義。

19世紀から20世紀はアメリカ主義が開花した時代であった。人類の歴史上類の無い規模で富が創出され、技術の進歩により人々は貧困を克服し、寿命を延ばし、生活を豊かにした。富創出の原動力は個人の自由と財産の保護による産業の勃興であった。

一方の進歩主義は社会主義、ナチズム、ファシズム、共産主義へと発展し、未曽有の殺戮をもたらした。ソ連崩壊後もその哲学は官僚組織として米国社会に深く根を下ろして生き長らえることになった。そして今、米国社会の持続と繁栄をもたらしてきたアメリカ主義は進歩主義の攻勢によって危機に直面している。

本書はアメリカ主義と進歩主義を歴史的なルーツから掘り起こして明確に対比させ、極左の民主党と非保守のトランプが争いと迎合を繰り返し、それを左右両側がスポーツ対決の感覚で囃し立てるばかりの現在の米国社会に「真面目になれ!」の鉄槌を下す。そして低劣で皮相な泥仕合に没頭するのか、無関心に逃げるのか、建国の理念に立ち返るのかの決断を迫る。

著者は米国のために本書を著した。だが日本人が読んでも読みごたえのある一冊である。絶え間ない政府領域の増大も真理・哲学・価値観の喪失も自由と繁栄の喪失もまさにわが日本の問題でもある。このような著者が存在しない我が国は更に危機的であると言わざるを得ない。



参照:ジム・デミント元上院議員のマーク・レビンへのインタビュー

金本位制・・・富よ再び

  • 2017.06.18 Sunday
  • 15:01



もしも今日の1センチが明日は0.9センチになり、明後日には0.8センチになったら。 もしも今日の1分が明日は1分8秒になり、明後日には1分12秒になったら。もしも同じ重さのものが日々それぞれの地域で尺度が変わったら。日々時間の単位が変動したら。

この世は混乱の極みである。「ここは25センチにしてください」 「はい、それは本日午後のレート換算でいいですよね・・・東京レートでいいですか、名古屋ですか、大阪ですか・・・名目レートですか、それとも実質ですか・・・」

計量の尺度は不変でなければ意味がない。不変でなければ信頼がない。信頼がなければ疑心暗鬼が生じる。疑心暗鬼はコストである。そのコストは社会のあらゆる商品・サービスの価格を引き上げ、人々の生活を脅かす。

貨幣も全く同じである。

ニクソン大統領による金本位制廃止後、貨幣は拠り所となる不変の尺度を失い、信頼と価値を失った。その結果がバブルであり、バブル崩壊であり、景気低迷であり、際限なき政府のインフレ政策であり、高騰する様々な商品サービスの価格である。

本書”Money: How the Destruction of the Dollar Threatens the Global Economy - and What We Can Do About It”の著者、フォーブス誌で有名なスティーブ・フォーブスは21世紀にあるべき金本位制を提唱する。本書は以下のことを明らかにする。

 
  • 貨幣の価値の尺度は金でなければならず、他の何ものもとってかわることはできない。
  • 金によって貨幣が制御されていた時代こそが爆発的な富の増大をもたらした。
  • 金本位制こそが輪転機を回そうとする政府を抑止し、インフレを撲滅する唯一の仕組みである。当然インフレ政策のみならず、その元となる野放図な政府支出を抑制する。
  • 金本位制によって中央銀行の権限は大幅に縮小され、恣意的な金融政策は根絶される。※黒田バズーカ砲は没収・解体。
  • 貨幣が金に制御される世界において、通貨間の交換レートは安定し、ジョージ・ソロスに代表される破壊的な投機屋は出番を失う。
  • 貨幣が安定した価値を持つ世界において、貨幣は資源や農産物といったコモディティ関連への投機から離れ、生産、勤労、創意工夫、起業家精神に対する投資へと向かう。
  • 金本位制によって再び富の創造が始まる。

本書は金本位制に対してありがちな誤解や不理解に対する明確な答えを与える。通貨発行量が金の保有量に限定されるため経済が縮小しデフレに陥る、などはその典型である。

1センチを規定するのは国家規格である。+/ーの交差の厳密に規定される。その規格があるがゆえに定規の供給量が制限されて定規不足に陥るなどということは発生しない。金本位制と貨幣も同じ関係である。

本書は世界に与える影響の大きなアメリカ経済に対する憂慮の念から書かれた。しかし本書を本当に必要としているのは経済を知る人間が政界にも経済界にも一人も存在しない我が日本であろう。





Smart Money Smart Kids 読了

  • 2017.04.23 Sunday
  • 18:40

デイブ・ラムゼーは全米を舞台にして「お金」にまつわるラジオ相談番組を展開する人物。レイチェル・クルーズはデイブ・ラムゼーの娘であり、父同様にパーソナル・ファイナンスについての著述家として活躍する人物である。

かつて、借金は恥であった。借金があることは後ろめたいことであった。借金は克服すべきものであった。

だが現代は借金の時代である。借りてナンボ、借りられるのが甲斐性の世の中である。政治はもとよりメディアから教育界まであらゆる局面において借金は称揚される。

本書の著者二人はそのような現代に蔓延する社会風潮に対して真っ向から否をつきつけ、
健全なる次世代のために現在子育て中の親に向けて「外れ者の生き方」を指南する。

著者曰く:
教育ローンは借金である。貯めてから進学すべし!
車のローンは借金である。貯めてから買うべし!
家のローンは借金である。貯めてから買うべし!
クレジットカードは借金である。捨てるべし!
あらゆる支払い義務は借金である。欺瞞を捨てるべし!

著者は借金は悪であり、その足かせからいち早く抜け出すべしであると断じる。そして親自身が現金主義の価値観をまずは身に着け、それを子供へと伝えていくべきであるという。

本書は勤勉、勤労、節制、規律といった価値観をいかに親から子へと受け継ぐべきかを説明する。本書は繰り返し強調する。子供は親を見ていると。子供は言われることよりも見ることから学ぶと。だからまずは親自身がしっかりすることが何よりも重要であると。

親が子へ「むやみに無駄遣いするんじゃないよ」と説教しながら自らは現金支払いできない高額商品を借金で買うということをやるならば、子は間違った価値観を学ぶことになる。親が子へ「ちゃんとお金は考えて使うんだよ」と説教しながら自らはその場の気分で買い物をしているならば、子は正しいお金の使い方を学ぶことは出来ない。

著者はひたすらケチケチとカネを貯めるのが好きなカネの亡者ではない。著者は「三通の袋」を推奨する。まず第一は「貯める」でも「使う」でもない。何かというと「与える」である。その後で「貯める」と「使う」が続く。著者は熱心なキリスト教徒である。キリスト教では収入の10%を教会に寄付したり恵まれない人々へ与えることが求められている。

著者は言う。この世の全てのものは神の創造物であり、神の持ち物であると。我々はその神の所有物を管理することを委託されているだけであると。だからカネにしがみつくことなく与えることが出来るのだと。本書はこの「与える」に関してかなりの紙面を割いて説明している。これは特筆すべきことである。彼らは自信をもって断言する。彼らの成功はこの信仰に根差した価値観が与えたものであると。

著者は子供に家事をやらせて対価としてお金を払い、そのお金を「三通の封筒」で管理させることで小さいうちから「与える、貯める、使う」の中でお金に対するスキルを磨かせることを推奨する。本書には子供時代から青年時代にかけてバイトも含めて徐々に扱う金を増やしつつスキルを磨かせ、立派にやりくりができる人物に育てるための哲学や手法がちりばめられている。

子供には自分で貯めた金で欲しいものを買わせるべし!
親は子供の将来の学費よりも先に自分の老後の資金を貯めろ!
子は必要ならば大学の学費を自分で工面すべし!

世の「常識」に挑戦するかのような言葉に目からうろこが落ちる。お金にまつわる状況が益々難しくなるこの世において、貴重な示唆を与えてくれる一冊である。

Smart Money, Smart Kids by Dave Ramsey and Rachel Cruze at Gateway Church

「ケインズはどこで間違えたのか」読了

  • 2017.03.19 Sunday
  • 21:23



Where Keynes Went Wrong = ケインズはどこで間違えたのか

カネを貯めるな!
カネを使え!
そのために政府はカネを市場に注入して金利を下げてやる!
それでも使わないなら、なりふり構わず政府がカネをつかってやる!
デフレは悪であり、脱却しなければならない!
そのために政府がインフレに持っていく!

我々がいつも聞いているこれらのスローガンは、実はジョン・メイナード・ケインズが提唱したケインズ経済学の理論に他ならない。

本書は、政府による景気刺激策に代表される重商主義的な経済政策こそがバブルとバブル崩壊、そして停滞、恐慌という景気の波を歴史上何度も発生させた原因であると解き明かす(ケインズが提唱した理論はなんら目新しいものはなく、重商主義を経済学に祭り上げただけであった)。

ケインズは非常に難解な言葉と難解な数式で冒頭の数行のスローガンを経済学に仕立て上げた。ケインズは詭弁で人々をそそのかすペテン師であった。そのケインズの破綻した経済理論をいまだに宗教的に信仰しているのが日本政府である。

本書はケインズ経済学の何たるかを平易な言葉で明瞭に示す。そして完膚なきまでに破壊する。そして何が富の増大と経済の発展をもたらすかを説明する。

人々の貯蓄が生産へとつながり、生産は富の創出へとつながる。富の創出によってそこで初めて人々は消費ができる。

この流れは絶対に逆行することはできない。それは本書を読めば明確となる。

「人生100の質問に答える聖書」

  • 2015.12.31 Thursday
  • 15:08

"The Bible's Answers to 100 of Life's Biggest Questions"



先進諸国においてキリスト教離れが進んでいる。

キリスト教徒が無神論者や世俗主義者が呈する疑問に対して有効な反論ができない姿やキリスト教徒の言行不一致を見て若い人々が信仰を維持するのを馬鹿らしいと感じるためである。

本書はキリスト教にまつわるよく見る様々な疑問をQ&A形式で挙げ、回答を与える。

神は存在するのか?
奇跡は起こるのか?
全能の神があるならなぜこの世に悪があるのか?
世界はどうやって始まったのか?
科学と聖書は両立するのか?
聖書は本当なのか?
全能の神はなぜ人に苦しみを与えるのか?
善悪は誰がどうやって決めるのか?
「キリストが唯一の救いの道」とはあまりに非寛容ではないか?
天国・地獄とは何なのか?
プロテスタントとカトリックの共通点・違いは?
中絶は殺人か?
同性婚はなぜ悪なのか?
親切心からの嘘はダメなのか?
安楽死はどう考えればよいのか?
死刑は「殺人」ではないのか?
キリスト教以外の宗教もそれぞれが真実なのか?
エホバの証人とは何なのか?
なぜキリスト教徒の家庭においても離婚が起こるのか?
信者と非信者との男女交際はどう考えるべきか?
家庭での教えはどうすべきなのか?
その他いろいろ

非信者はキリスト教徒に対してこのような質問をして挑戦する。

だがこういった質問に対して一般の多くのキリスト教徒は口ごもるか、話を逸らすか、逆切れするか、紋切り型の答えに終始するかのいずれかである。

その姿を見て非信者は嘲り笑う。

「やっぱりキリスト教なんてマヤカシじゃないか」と。

その反応を目の当たりにしたキリスト教徒自身も自らの信仰に自信を失う。そしてその様子を見た子供は失望して信仰を捨てる。

キリスト教徒が信仰を継承していくためにはこれらの質問に対して自信と優しさを持って的確に論理的に答えられなければならない。

本書はキリスト教徒のために書かれたものである。だがキリスト教に興味を持つ非信者や、キリスト教を敵視する者にとっても興味深い一冊であろう。

「同性婚 - 神の意志は如何に」読了

  • 2015.12.12 Saturday
  • 23:58



"Same-Sex Marriage: A Thoughtful Approach to God's Design for Marriage" Sean McDowell & John Stonestreet

本書の目的は、同性婚が先進各国において支持を得つつある今、LGBT活動家の勢いに押されて意気消沈したキリスト教徒達を目覚めさせ、勇気づけ、行動へと駆り立てることである。

過去数十年の間、社会は大きく変わった。1996年には27%だった同性婚への支持は、現在53%へと増加。しかも18歳〜29歳の若者による支持率は73%にもなる。

すっかり「古臭い価値観に頑迷にしがみつく時代遅れの差別主義者」のレッテルを貼られたキリスト教徒は苦々しい思いで孤立主義や逃げに走り、あるいは「寛容の精神は神の意志だ」とうそぶき同性婚を受け入れる。

著者はいずれの方向性も間違いであると言う。

結婚は政治家や官僚が考案した制度ではなく、神が創造したものである。神はまず天地を創造し、それから自らの代理として男性をつくり、世界をあまねく支配せよと命じる。世界を支配するためには子孫をつくり、増やさねばならない。そこで神は女性をつくり、男性に与え、それを結婚とした。

夫と妻は単なる「気の合う二人」あるいは「愛し合う二人」ではない。子孫を増やして世界を支配せよとの神の意志を実現することを目的とした共同体である。「気が合うこと」は大事である。お互いに憎みあっていては子孫を増やすのは難しい。

「気が合う」や「お互いの愛情」は子孫を増やすための強い動機を与える。だがそれはあくまで動機であって目的ではない。目的は神の意志を実現することである。

性行為も神の意志であり、その目的は結婚した男女の間に子孫を増やすことである。不貞は、それが異性間においても同性間においても、同様に神の意志に反する行為であり、罪である。ゆえに異性間での罪にまみれた「健常者」が一方的に同性愛者を指さして彼らの罪を糾弾するとすれば、それは偽善に他ならない。

自ら「健常者」としての罪を認めつつも、キリスト教徒は真実を語らなければならない。聖書の教えから逸脱することなく、神の意志に忠実であり、神の創造物である全ての人々に対して愛を持って接しなければならない。

同性愛者を断罪するのではなく、愛を持って接しなければならない。彼らに愛して結婚の真の意味を語り、罪なる行為である同性愛から引き離し、神の意志に従った姿へと導いていかなければならない。

著者は同性婚がどのような経緯で今日の姿に至ったかを説明する。

かつて社会で「道化」扱いされたLGBTは長い年月をかけて現在の「地位」を獲得した。LGBT活動家の動きは戦略的であった。まず彼らはLGBTを何かにつけてドラマ、映画、音楽等々に登場させる。LGBTの存在が珍しくなくなると、今度は「LGBTに対する差別」を訴え、健常者を差別主義者として描く。優しく善良で聡明なLGBTと粗野で邪悪で愚鈍な健常者という対比を強調することで論理ではなく感情で訴える。これらメッセージに日々晒された人々はついにLGBT活動家の軍門に下り、LGBTの地位はゆるぎないものとなる。

キリスト教徒にも責任の一端がある。彼らはLGBT活動家が次々と攻勢をかける間に有効なカウンターを撃つことができず、なすがままであった。しかも異性間での性の乱れを許容し、放置し、あるいは自ら放蕩に耽った。古くはプレイボーイからはじまりポルノ、不倫、安易な離婚、結婚前の性行為、妊娠中絶 - これら神の意志に反する行いは他でもなく健常者によるものであった。

このような健常者の行為によって徐々に結婚は生殖(子孫を増やして世界を支配するという神の意志の実現)から切り離されていった。結果として結婚は単なる「同居」へと形骸化していった。結婚が同居となった今、それは一男一女のものから「誰にでもできるもの」となり、当然の帰結として同性婚が出現した。

健常者の神の反逆がLGBTへと道を開いたのであった。健常者の性の堕落がLGBTをもたらし、そして同婚へと繋がった。同性婚は社会の堕落をもたらす「原因」ではなく、社会の堕落がもたらした「結果」である。

もう結婚は終わったのか?社会はもうもとには戻らないのか?キリスト教徒は敗退したのか?

著者はキリスト教徒に対して絶望するなかれと説く。

キリスト教徒には神の意志への回帰を主導する義務がある。それは困難であるが不可能ではない。

歴史上においても性の乱れが極限に達し、「神の意志による結婚」が危機に瀕した時代は存在した。古代ギリシャ・ローマ時代はその一つであり、そこでは女性や子供は「慰みもの」として扱われた。性の神聖性と人間の尊厳を教えて彼らを救ったのがキリスト教であった。

なぜ結婚が必要なのか?本書は4つの目的を挙げる。

1. 性行為を制御するため。
2. 男性を制御する(粗暴性を緩和して生産的行動へ向ける)ため。
3. 女性を保護するため(結婚制度の最大の受益者は女性である)。
4. 子供が成育する環境を整えるため。

これら4つを全て行うことが出来るのは伝統的な男女間の結婚だけである。それ以外のいかなる関係もこれらを全て満足することは不可能である。結婚の定義を人為的に変えたとしてもその事実は不変である。

結婚は社会に安定をもたらし、結婚の失敗は社会に不安定をもたらす。強い結婚文化を持つ社会は安定・発展し、結婚文化が廃れた社会は不安定化し衰退する(文化的にも経済的にも)。

ゆえに、キリスト教徒は「同性婚」を語るのではなく、「結婚」を語らなければならないのである。

キリスト教徒が置かれた環境は敵対的である。彼らは日々様々な試練に晒されている。

「私たちが同性婚したってあなた達の異性婚には影響ないでしょ?何が悪いの?」と言われたら?

もしもゲイの親友から同性婚すると言われたらどう反応したら?

彼らから結婚式に参加してもらいたいと言われたら?

それが勤務先の関係だったら?

同性婚のためのサービスを提供するよう求められたら?

それを断ったがために訴えられたら?

もし同性愛者の友人や知人に同性愛や同性婚についてどう思うかを聞かれたら?

もし知人のキリスト教徒がLGBT許容発言をしたら?


本書はこういったキリスト教徒を取り巻く現実の課題に対して明確な示唆を与える。勇気をもって、機知をもって、そして英知をもって対応しなさいと。

本書はキリスト教徒ではない者が読んでも面白い一冊である。キリスト教の結婚観に非キリスト教徒が同意するか否かは別としてもである。

我々現代の日本人は結婚について曖昧模糊とした観念しか持ち合わせていない。結婚の堕落が社会の堕落をもたらす、とはまさに日本のことである。現在我々が直面する少子化は結婚の減少がもたらしたものである。これは「結婚はコスパが悪い?」といった議論が交わされるシラケた社会ならではの現象である。

そのシラケはどこから来たのか。それは別の探求が必要であるが、信仰心の薄さと関係するように思えてならない。結婚が「神の意志」なら信仰による再興も可能であろう。だが結婚が「コスパ」ならまず無理である。

「同性パートナーシップ」が地方自治体で徐々に導入されている日本において、既に「流れ」は同性婚である。同性婚の法制化は時間の問題であろう。

我々は唯々諾々とその「流れ」を許容するのか。それともいくばくかの抵抗を試みるのか。

そのようなことを考えるキリスト教徒ではない日本人にも強い示唆を与える一冊である。

"It IS about Islam"読了

  • 2015.10.26 Monday
  • 00:49



It IS about Islam: Exposing the Truth About ISIS, Al Qaeda, Iran, and the Caliphate

それはイスラム - イスラム国、アルカイダ、イランそしてイスラム帝国の真実

今、言論の自由が風前の灯である。

本書の著者、グレン・ベックには共著者がいる。だが共著者は名前を出すことを拒んだ。なぜか。身に危険が及ぶからである。グレン・ベックとその家族には脅迫状が送られており、常に警備が身辺の警護に当たっている。

本書は反イスラムのプロパガンダではない。本書は事実に基づいた警告である。事実を突き止めるために当たるべきは原典である。本書は原典であるコーランを徹底して分析する。故に「危険な書」なのである。

イスラムは平和の宗教・・・ 為政者やメディアはこの幻想を我々に植え付けてきた。その間に9.11で飛行機が突っ込み、ロンドンやマドリッドで爆破テロが起き、ムンバイで同時多発テロが起き、ボストンマラソンで爆破テロが起き、ISISが台頭して残虐の限りを尽くし、イランは核兵器開発に邁進している。

本書は、イスラムに対する我々の幻想を取り払い、今日の自由世界を脅かすイスラム原理主義という現実を直視することを助けるために書かれた。幸いにもイスラムの脅威にそれほど晒されずに来た日本であるが、レストランのメニュー変更や礼拝所設置等、我々の社会を「イスラム・フレンドリー」に変えようという無防備で無知で危険な風潮が見られる今日、日本人にとっても必読の書である。

人を抑えつけて頭をつかんでナイフで首を斬る。檻に人を入れて下からガソリンで火をつけて生きたまま焼き殺す。檻に人を入れて水に沈めて溺死させる。首に爆薬を入れた縄を巻き付けて爆発させて吹っ飛ばす。そしてそれらを高度なプロダクションのビデオに撮影して世界に流す。なぜISIS(イスラム国)はこれほどまでに残虐なのか。

本書はその残虐性の起源がコーランにあることを解明する。そして彼らの動機を説明する。

イスラム原理主義者は貧しいからテロを行うのではない。ウサマ・ビン・ラディンは大富豪の息子である。その他の9.11のテロリストも金持ちの子息である(だから米国に留学できる)。多くのイスラム・テロリストは上流社会の出身である。第三世界における上流というのは我々庶民から見たら王族並みである。

また、イスラム原理主義者は我々の存在や行いに対する”怒り”からテロを行うのではない。イスラムでは世俗的な感情である怒りを動機にしてジハード(聖戦)を戦うことを明確に禁じている。彼らがテロを行うのは他でもなく、アラーの名において人を殺すことを推奨し、それによって死後に天国で処女に迎えられることを教える思想に突き動かされているからである。故に彼らをなだめることはできない。彼らに金銭や仕事を与えて懐柔することもできない。出来るのは彼らテロリストを殲滅することだけである。

本書は「アルカイダの20年計画」を説明する。この計画はアルカイダの指導者、アル・ザカウィ(既に死亡)に近いとされるヨルダンのジャーナリストが著書に記したものである。その計画には7つの段階がある。

第1段階はイスラム世界の目覚め。大規模なテロによって世界を驚愕させ、大敵であるアメリカを戦争に引きずり込む。9.11、そしてその後のアフガニスタン・イラク戦争がこれに相当する。第2段階はその戦争を泥沼化させること。アメリカが撤退した後のイラクはもはや内戦状態である。アフガニスタンも危うい。第3段階はアラブ・イスラム世界における民衆蜂起。「アラブの春」がこれに当たる。第4段階はこれらアラブ世界における世俗的政府の崩壊。リビアのカダフィ、エジプトのムバラクといったそれまでイスラム原理主義を抑えてきた世俗派は引きずり降ろされ、その後イスラム原理主義者が権力を握った。第5段階はイスラム帝国の設立。まさにISIS(イスラム国)がこれに当たる。指導者のバグダディはカリフの地位に就いたばかりである。

そして第6段階は自由世界との全面対決であり、第7段階はイスラムの勝利である。2015年現在、計画は第5段階まで順調に進捗している。これはどこかの無名な人間が無名な本に書いた出鱈目ではない。我々が目にしている現実である。

ISIS(イスラム国)はイスラムではない。彼らテロリストはイスラム教徒ではない。これら野蛮人はイスラムとは何の関係も無い。彼らは勝手にイスラムを名乗っているだけである。このような残虐行為はイスラムでは禁じられている。彼らはイスラムの教義に反している。

そんな「お利口さん」なことをいう政治家やメディアは多い。ソーシャル・ネットワーク界にも多くみられる。

そういう彼らもコーランを引用する。

だがコーランには融和的なメッカ啓示(先に書かれた)と敵対的・攻撃的なメディナ啓示(後で書かれた)とがある。コーランには決まりがある。それは、先に書かれた内容と後に書かれた内容で矛盾がある場合は後に書かれた方が前に書いてあることに優先する、という決まりである。

例えば異教徒に対してはこんな記述がある。

日本ムスリム協会発行 「日亜対訳・注解 聖クルアーン(第6刷)」より

コーラン 2:256
『宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる』

素晴らしいではないか。信教は自由意志に任せられるべきであると。

だが、コーラン 3:85ではやや雰囲気が変わってくる。

『イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である』

「失敗者」と言っているだけではないか。大したことないではないか。まあ、確かに。

だが、次に来るコーラン5.33はまたやや雰囲気が異なる。

『アッラーとその使徒に対して戦い、または地上を攪乱して歩く者の応報は、殺されるか、または十字架につけられるか、あるいは手足を互い違いに切断されるか、または国土から追放される外はない。これらはかれらにとっては現世での屈辱であり、更に来世において厳しい懲罰がある』

だんだんと怖くなってきたぞ。

コーラン5.51及び5.60

『あなたがた信仰する者よ、ユダヤ人やキリスト教徒を、仲間としてはならない。かれらは互いに友である。あなたがたの中誰でも、かれらを仲間とする者は、かれらの同類である。アッラーは決して不義の民を御導きになられない』

『言ってやるがいい。「アッラーの御許の応報で、それよりも悪いものを、あなたがたに告げようか。それはアッラーが見放した者、御怒りを被むった者、サルまたはブタとされた者、そして邪神に仕える者、かれらは、最悪の境地におり、(正しい)道から遠く迷い去った者たちである」』

サルとブタ・・・ これはイランの最高指導者がイスラエル人を形容した表現である。

コーラン9.29

『アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え

これがイスラムの教えである。原典に当たることである。

イスラム教がユダヤ教ともキリスト教とも異なる大きな点は、ユダヤ・キリスト教が道徳規範の源泉であるのに対し、イスラム教は道徳規範にとどまらず、行政や人々の生活の細かな部分をも規定する法律でもあるということである。

例えば、コーランでは男女の関係を規定する。偉大な宗教であるイスラム教は男女平等を教える。

コーラン3.195
『主はかれら(の祈り)を聞き入れられ、(仰せられた)。「本当にわれは、あなたがたの誰の働いた働きもむだにしないであろう。男でも女でも、あなたがたは互いに同士である』

しかし・・・

コーラン4.3 一夫多妻について
『あなたがたがもし孤児に対し、公正にしてやれそうにもないならば、あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけ(娶るか)、またはあなたがたの右手が所有する者(奴隷の女)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である』

コーラン4.11 女性の相続について
『アッラーはあなたがたの子女に就いてこう命じられる。男児には、女児の2人分と同額。もし女児のみ2人以上のときは遺産の3分の2を受ける。もし女児一人の時は、2分の1を受ける。またその両親は、かれに遺児のある場合、それぞれ遺産の6分の1を受ける。もし遺児がなく、両親がその相続者である場合は、母親はその3分の1を受ける。またもしかれに兄弟がある場合は、母親は6分の1を受ける。(いずれの場合も)その遺言したものと、債務を清算した残り(の分配)である。あなたがたは自分の父母と自分の子女との、どちらがあなたがたにとって、より益があるかを知らない。(これは)アッラーの掟である。本当にアッラーは全知にして英明であられる』

コーラン2:282 女性の訴訟について
あなたがたの仲間から、2名の証人をたてなさい。2名の男がいない場合は、証人としてあなたがたが認めた、1名の男と2名の女をたてる。もし女の1人が間違っても、他の女がかの女を正すことが出来よう』

2.228  離婚と復縁について
『離婚された女は、独身のままで3度の月経を待たねばならない。またもしもかの女らが、アッラーと最後の日を信じるならば、アッラーが胎内に創られたものを、隠すのは合法ではない。(この場合)夫たちがもし和解を望み、その期間内にかの女らを復縁させるならば、より権利がある。女は、公平な状態の下に、かれらに対して対等の権利をもつ。だが男は、女よりも一段上位である。誠にアッラーは偉力ならびなく英明であられる』

夫は妻をいつでも離縁でき、夫が「やっぱり戻すか」と思えば妻は文句を言わずに応じなければならない。男は女より上である。アラーは偉大なり・・・

多くのイスラム教徒は善良である。多くのイスラム教徒は”テロ行為”とは無関係である。それは事実である。だが本書ではその事実には「別の側面」があることを説明する。

 
  • エジプト人の5分の1はアルカイダに共感を覚えることを表明。
  • 2億人以上もの人口を持つ世界最大の”穏健な”イスラム教国、インドネシアでは23%もの人々がアルカイダを指示。
  • ”開明的な”イスラム教国、トルコでは15%もの人々が自爆テロを肯定し、50%もの人々がイスラム原理主義は問題とは感じないと回答。

イスラム教徒=テロリストではない。だがテロリストはイスラムから出てくる。それはこのような背景があるからである。

我々が接するイスラム教徒は大変親切で善良な人々が多い。恐らく多くの人々が実際に親切で善良なのであろう。だが、そこにも「別の側面」がある。

コーラン3.28
『信者たちは、信者を差し置いて不信心な者を親密な友としてはならない。これをあえてする者は、アッラーから(の助け)は全くないであろう。だがかれらが(不信者)から(の危害を)恐れて、その身を守る場合は別である』

これは”タキヤ”と呼ばれる行いである。タキヤとは欺瞞の奨励である。

イスラム教徒は少数派である間は大人しい。だが一定の割合を占めるようになると段々声が大きくなる。そして多数派になると高圧的になる。タキヤは異教徒を騙してガードを下げさせるためにコーランが奨励する行為である。

我々がガードを下げている間にイスラム原理主義者はソフトな戦いとハードな戦いで我々の社会を変容させている。

フランスのシャルリー・ヘブド襲撃、デンマークのモハメッド風刺画の集会襲撃、テキサス州での風刺画展襲撃、こういった殺傷事件が立て続けに起きている。だが、我々はイスラムへの警戒心を強めているであろうか。

むしろ逆である。メディアは言論の自由を脅かすイスラム原理主義に対してではなく、言論の自由を行使した側を叩く。

米テキサス州の風刺画展事件 「表現の自由」で挑発 宗教批判のタブー破りに主催者への批判高まる ・・・ イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画展が開かれた米テキサス州の会場が襲撃された事件は米社会に衝撃を与えた。テロに絡みイスラム教への複雑な思いはあるが、宗教批判はタブーとされてきた。挑発した主催者への風当たりは強い。 2015年5月8日共同

そして我々は「イスラモフォビア」「ヘイトスピーチ」「差別」のレッテル貼りを恐れ、自主規制に向かう。

空港でのボディーチェックや液体類持ち込み規制はイスラム・テロである9.11がもたらしたものである。だが既に我々の生活の一部となっている。イスラムによって我々は不便を強いられているが、誰も異議を唱えようとはしない。

「空港のチェック?そんな小さなことはどうでもよいではないか」

それは既に感覚が麻痺した証拠である。

我々の国の法律がイスラムによって変革させられるとしたらどうであろうか。

我が日本も加盟する国連の、国連人権理事会決議16/18号は「寛容」を謳った決議である

この決議では、「各国への勧告」として以下が述べられている。
  • 各国は、諸個人と様々な共同体に対する、国籍、民族的背景、宗教や信念に基づく否定的ステレオタイプの押しつけや差別と闘うための広汎な努力への関与を強めるべきである。
  • 各国は、ジェンダーに関する他者理解を含む文化間理解を促進するべきである。この点で、すべての国家は、平和の文化を建設する責任と、憎悪煽動が処罰されない状態に終止符を打つ義務を有する。
  • 各国は、人権の価値と原理についての教員研修を促進し、かつ自ら提供し、全ての年齢の生徒の学校カリキュラムの一部として文化間理解を導入あるいは強化するべきである。
  • 各国は、治安部隊、警察官、司法に関わる人々を、憎悪煽動の禁止に関わる諸問題について訓練し、それに敏感に応じるようにさせるための機能を強化すべきである。
  • 各国は、平等のために働く諸機関を創設するか、社会的対話を促進するだけでなく憎悪煽動の諸事例について申立を受理することに関して管轄権を有する、(パリ原則に沿って設立された)国内人権機関の内部で、平等のための機能を強化するべきである。そのような機能を効率化するうえでは、新たに採用された指針、試験、良質の実務が、恣意的な実務を回避し、国際的な一貫性を向上させるために必要となる。
  • 各国は、憎悪煽動に関わる様々な違反に関するデータの体系的収集を保障するため、必要な諸制度と機関の存在を確保すべきである。
  • 各国は、新たなメディアを含むメディア全体の複数性と多様性を促進し、コミュニケーション諸手段のアクセスと実際の使用が普遍的かつ非差別的であるよう促進する公共政策および規制枠組みを保持すべきである。
  • 各国は、現行の国際人権諸機関を強化するべきである。これには特に、国際自由権委員会や人種差別撤廃委員会のような人権条約機関、各種任務の特別報告者が含まれる。これらの機関は、人権に関する法律を履行する国家としての政策に関して、各国に対して助言と支援を提供する。

この決議を通すために活躍したのがOIC(イスラム協力機構)という団体である。これは世界のイスラム教国57カ国が加盟する強力な団体である。我々が気がつかないうちに、我々の言論に関する法律までもがイスラムによって変容させられようとしているのである。

著者はイスラム原理主義と戦うためにすべきこととして、4つを挙げる。

    1. 敵を知れ
    2. 声を上げることを恐れるな
    3. 我々、そして我々の中にいる反逆者の存在を知れ
    4. 我々はイスラムを改革することはできないと知れ

真実を語る者は差別主義者のレッテルが待っている。だがそれを恐れて口をつぐんだら終わりである。アメリカでは1991年以来10万人のソマリア移民を受け入れてきた。結果としてミネアポリスの一部はイスラム原理主義の温床となった(下映像を参照)。そこから40名以上がイスラム国に参加している。イスラムと自由は共存不可能である。イスラムは改革が必要である。だがイスラムを改革できるのはイスラム教徒だけである(現状では悲観的にならざるを得ないが)。

本書は勇気をもって書かれた本である。これを読む読者にも勇気が求められている。我々は脅威と立ち向かうことができるのであろうか。その前に、脅威を認識できるのであろうか。後世は我々をどのように評価するであろうか。

追記:
America or Somalia - you might be surprised



「アメリカの法とシャリア法、どっちがいいですか?」
「そりゃ当然、シャリア法でしょ」
「モハメッドの漫画のことどう思いますか?」
「スゲえムカつく」
「法で禁じるべきですか?」
「そのほうがいいね」
「漫画家を襲った人々の気持ちが分かりますか」
「激分かる」
「殺されて当然だと思いますか?」
「あったりめえよ」
「アメリカとソマリア、どっちに住みたいですか?」
「ソマリアだね」(なら行けよ by ブログ主)

日本も移民・難民を受け入れるべしと主張する人々にぜひどうぞ。

「Going to Pot」読了 - 麻薬合法化との戦い

  • 2015.09.27 Sunday
  • 18:20



2016年のアメリカ大統領選挙に先駆け、既に共和党では選挙活動が始まっている。前回の二回目となる討論会では「大麻を合法化すべきか否か」が議論された。合法化に傾いているのはロン・ポールの息子、ランド・ポール。最近日本でも大麻を合法化すべきではないか、という議論が見られるようになった。

本書「Going to Pot」は、このような合法化・非犯罪化へ向かう世論への反撃である。

大麻合法化は右(主にリバタリアン)と左が意見の一致を見る例外的な問題である。両者ともに「選択の自由」を理由に挙げる。個人は自由であるべきだ。間違いを犯す自由や自分の体を害する自由をも認めるのが本当の自由である。またこれは(米国の場合)州の裁量に任されるべき問題である。彼らはそのように主張する。

人は自分の腕を自由に振り回す権利がある。だがその権利は拳が他人の鼻に当たらない限り(あるいは恐怖を与えない限り)においてである。

大麻合法化はその意味において自由の問題ではない。なぜならば、合法化によって関係のない他人が危険に晒され、社会全体の自由が減少するからである。

自由は文明を基盤とする。文明は文明的で道徳的で勤勉な市民の存在を基盤とする。そしてそれらは人々の健康な心と体に依拠する。麻薬はこれらすべてを破壊する。よって自由の敵である。

合法化論者は合法化・非犯罪化を実施した各国の「成功事例」を挙げる。ヨーロッパではオランダ、ポルトガル、アメリカではコロラド州、アラスカ州がある。だがこれらの国・地域は成功事例ではない。なぜならば、彼らは合法化・非犯罪化を悔いているからである。

麻薬合法化・非犯罪化は製品品質の向上、犯罪の減少、ブラックマーケットの減少、そして税収の増加を実現する。そのように合法化論者は主張してきた。だがこれらの国・地域では逆の現象が起きている。

これらの国・地域では公共の場所における酩酊・奇行、自動車の衝突事故、救急病棟での対応、依存症、爆発事故(麻薬精製に引火性物質を使うため)は増加の一途を辿っている。

一旦法的なタガが外れればどうなるか。麻薬を合法化するということは、麻薬がより簡単に手に入るようになるということを意味する。各国の事例から言えるのは、それが「医療目的」であろうが「嗜好目的」であろうが、結果に大差ないということである。

ある国や地域で合法化されれば、その周辺国(欧州のように往来が自由な場合は特に)や地域に影響する。人々は麻薬を吸いに州を越え、国を超えてやってくる。そしてラリッて帰る。麻薬は合法地域から非合法地域へ密輸され、非合法地域ではブラックマーケット化する。麻薬を非合法化しておきたい、と願う人々の鼻に、麻薬を合法化したい、と願う人々の拳が直撃しているわけである。

合法化論者の理論はプロパガンダに基づいている。その一つは、「麻薬戦争は失敗に終わった」である。「かつての禁酒法も失敗だったではないか」と。




麻薬に対して厳しい態度が維持されていたレーガン・ブッシュの時代は麻薬の使用が下降の一途を辿っている。だがヒッピー世代のクリントンが就任してからは御覧のとおり。

シンガポールは麻薬に厳しい国の一つである。麻薬所持はむち打ちか死刑である。結果としてシンガポールでは麻薬を吸う人間はほぼ存在しない。そこまでやるかどうかは別として、断固たる態度で臨めば麻薬使用は減るという証拠である。

「”麻薬所持だけ”で逮捕された”普通の”人々で刑務所がいっぱいだ。彼らのために税金が消え行く」という話もある。

だが実際には麻薬関連で服役している人間の99%は不法売人であるか、他の犯罪で逮捕された後で麻薬所持が見つかった人間である。麻薬合法化によって服役者の数が大幅に減ることはない。

禁酒法はどうか。

肝硬変による死者は1911年に10万人中29.5人だったのが1929年には10.7人へ減少。精神病棟での受入は1919年に10万人中10.1人だったのが1929年には4.7人へ減少。1916年から1922年にかけて飲酒による暴力行為での逮捕は50%減少。

禁酒法は、好むと好まざるとに関わらず、「アルコール摂取量」という一点に限れば間違いなく「効いた」のである。

もう一つのプロパガンダは、「大麻はタバコやアルコールよりも害が少ない」というものである。

麻薬と同じようにアルコールもタバコも習慣性がある。

しかし;

ちょっとビールやワインをひっかけて仕事に戻ることはできる。グラスを傾けながら延々と真面目な会話をすることも可能である。タバコをいくら吸っても肺はニコチンで黒くなり、息はタバコ臭くなるが頭がイカれることはない。

だが麻薬を吸えば「ハイ」になる。それが目的なのだから当然である。

タバコの害は大麻でも同じかそれ以上である。だが実際にはタバコによる害で病気になったり死んだりする人間がはるかに多い。それはなぜか?理由は簡単である。タバコは合法だからである。合法であること=供給量が多い=影響が大きい、ということである。

百歩譲って仮に大麻とタバコ、アルコールの害が同等だったとする。

「大麻を禁止するならタバコ、アルコールも禁止しなければ不公平だ」
「タバコ、アルコールを野放しにして大麻を禁じるのは偽善だ」

合法化論者はこのように挑む。だが簡単な話である。タバコも酒も一定の害がある。既にこれらは人々の生活に深く根を下ろしている。これらによる害はなるべく軽減すべきである。そこでなぜもう一つの大きな害をもたらす大麻というものを合法化する必要があるであろうか。なぜ更に状況を悪化させる必要があるであろうか。と、いうことである。

しかも大麻の「薬効成分」であるTHC (Tetrahydrocannabinol)の強さは60年〜80年代初頭と現在とでは比べ物にならない。60年代に「軽く吸ってリラックスする」程度ですんでいたものが、現在ではショック死をもたらすほどである。

大麻等の麻薬によって人々は何を得るのか?

精神病、肺がん、IQの低下(若年であれば取り戻しがきかない)、生産性の低下、目的意識(やる気)の低下、そして家族の不安と悲しみ。若者は将来を奪われ、家族は壊れ、結婚は壊れ、社会から自由が消える。

大麻合法化あるいは非犯罪化は敗北である。悪への敗北から善が生じることはない。ましてやそれによって自由が増大することなどあり得ない。

音楽、映画、ドラマからは我々の麻薬に対する警戒心を鈍化させるようなメッセージが垂れ流される。自由を愛し、次なる世代の未来を案じる我々はこの流れに断固抵抗しなければならない。そのための情報武装を助けてくれるのが本書である。

最後に;

"Would you rather get in an airplane where the pilot just smoked a cigarette or a joint?"  Dennis Prager

「パイロットがタバコを一服したばかりの飛行機と、パイロットが大麻を吸ったばかりの飛行機と、あなたならどちらに乗りたいですか?」 デニス・プレーガー



追記:

癌、エイズ、緑内障等、大麻の成分が一部の病気に対して薬効があるのは確かである。しかし答えは「大麻を吸う」ことではない。MarinolやSativexといった大麻の成分と同じ化学構造を持った薬が開発されている。当然のことであるが、「薬」というからには投薬がコントロールされなければならない。製薬会社は組織の存続をかけてリスクを取りつつ成長のために新薬を市場に投入する。答えは「薬」であって「ドラッグ」ではない。

Going to Pot: Why the Rush to Legalize Marijuana Is Harming America 


麻薬に対して厳罰で臨むシンガポールは世界でもトップクラスの自由な国であることを特筆しておきたい(ヘリテージ財団・自由の指標

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