なぜ低インフレなのか

  • 2018.04.15 Sunday
  • 20:57

「脱デフレ」を目指すアベノミクスのインフレ政策と日銀黒田の「バズーカ砲」にも関わらず、なぜ我々の経済は低インフレなのか。確かに食品のサイズがさりげなく小さくなる実質値上げはあるものの、明日どうなるやら分からないという戦々恐々たる状況ではない。

長期にわたるインフレ政策によって、本来ならばかつてのワイマール共和国やジンバブエ、現在のベネズエラのようなハイパーインフレが我々の生活を襲っていてもおかしくはない。

なぜそうなっていないのか。保守主義とリバタリアニズムを掲げる人気ポッドキャスター、ダン・ボンジーノ氏がその疑問に答えるような興味深い記事を紹介していた

この記事が理由として挙げているのは技術革新、シェアリング経済、人口動態の変化である。

技術革新によって、以前ならば買わなければならなかったものが買わなくてもよくなっている。典型的な例はスマートフォンである。Iphoneは電話ではない。電話機能は極一部である。例えば私にとってIphoneは手帳であり、道案内であり、図書館であり、テレビであり、ラジオであり、オーディオであり、カメラであり、新聞であり、家計簿であり、天気予報であり、辞典であり、メトロノームであり、ショッピングセンターであり、ファックス機であり、スキャナーであり、銀行であり、航空チケットの発券所であり、サイフであり、目覚まし時計であり、メモ帳である。Iphoneが一台あれば、それだけの多くのモノを買わなくてもよいということである。これはインフレを抑制する要因である。

もう一つは日本でも徐々に知られるようになった配車サービスのUBERや民泊サービスのAirbnbに代表されるシェアリング経済である。これは既に存在するがそれまで活用されていなかった資源を有効活用するというものである。車は人が運転していない間はただのハコである。住宅も人が住んでいなければただのハコである。彼らは既存のタクシーやホテル・旅館といった規制勢力に挑戦する。それらは低価格化をもたらし、消費はは恩恵を受ける。これもまたインフレ抑制要因である。

UBERもAirbnbも技術革新によって可能となったサービスである。技術革新をもたらしたのは市場経済である。アベノミクス、0金利政策、黒田バズーカ砲という破壊的要因にも関わらず、図らずとも我々の生活は市場経済によってハイパーインフレという奈落の底への転落から救われているのかもしれない。

ネタニヤフ首相がイスラエル経済を語る

  • 2018.03.17 Saturday
  • 16:40

イスラエルのネタニヤフ首相が語る。イスラエルから渡米した当初、英語が一言も話せなかった少年時代のこと。ドナルド・トランプとの友情。アメリカへの想い。自由と繁栄と平和への想い。米国でボストン・コンサルティング・グループ就職し、ミット・ロムニーと出会ったこと。そこで自由主義市場経済の重要性を知ったこと。そして、イランの脅威に立ち向かう決意。


LIFE, LIBERTY & LEVIN 03/11/2018 I Fox News

ネタニヤフ首相は完璧な人間ではないし、批判したこともある(トルコへの謝罪等)。だが不安定で知られるイスラエル政界においてこれだけの長期政権を維持する統治能力はさすがである。

ネタニヤフ首相は、軍隊での訓練経験をもとに経済改革を語る。

「私は財務大臣となったとき、いったいどうしたら人々を説得できるかを考えた。そこで軍隊での経験を話すことにした。

教官が訓練生達を前に『お前達、それぞれ自分の横の人間を担いで走れ』命じた。私は自分と同じくらいの人間を担ぎ、一歩を踏み出すことすら困難であった。隊で一番小柄なある者は一番大柄な者を担がなければならず、担いだ途端に潰れてしまった。ある大柄な者は小柄な人間を担ぐことになり、脱兎のごとく走り勝者となった。

大柄な公共部門に押し潰されている小柄な民間経済、それがまさに我々の経済なのだ。上にいる肥った公共部門をダイエットさせ(支出削減)、下にいる民間経済に酸素を送り(減税)、行く手を阻む柵(規制)をとっぱらってやなければならないのだ」

事実、ベングリオンやゴルダ・メイヤーをはじめとして、イスラエルを建国した当時の政治家は大方左の人々であった。80年代までのイスラエル経済は社会主義的であり停滞していた。イスラエルが経済大国として知られるようになったのは90年代からであった。

ネタニヤフ首相は、氏が政府の主要ポストに就いて以来経済改革を推し進め、民間経済の強化に取り組んできた経緯を語る。

言うまでもなく、周囲を敵で囲まれたイスラエルにとっての最重要事項は国防である。自由主義の立場から経済を語り、その国を繁栄に導くことのできる人間を首相として持つイスラエルは幸運である。そしてそのような政権を選んできたイスラエル国民にも敬意をいだくものである。

インタビューしているのは米国の保守派論者として知られるマーク・レビンである。レビン氏の主要舞台はずっとラジオであったが、このたびフォックスニュースに起用され、落ち着いた長い形式のインタビュー番組を始めるに至った。このインタビューもそうであるが、保守哲学と知識に裏打ちされた深みのある対話は稀である。番組の成功を祈りたい。

ビール価格規制

  • 2017.07.17 Monday
  • 07:05
 

夏本番間近もビールが売れない!大手メーカーの秘策とは
7/15(土) 15:09配信 日刊工業新聞
関東地方などは連日暑い日が続いているが、ビールの販売は不振だ。


この世には「余計な仕事」というものが多数ある。政府の政策に対応するための仕事がまさにそれである。

政府は町の小規模酒店を保護する、という名目でビールの安売り規制を導入した。

だが酒店を保護するどころかビール全体の売上が落ちている。今、まさに誰もが冷たいビールを飲みたい時期に、ビールが売れない。その理由は政府の「安売り規制」。

私自身も以前はビールが中心であったが規制開始後からビールを止めた。規制による価格上昇に反応したためではない。実際にいくら上がり、それがサイフにどの程度響くかは正直知らないが、とにかく規制によって価格が上昇することだけは知っている。故に規制代金など払う気がない自分としてはビールを買う気持ちが失せたといったところである。

政府が規制することによって本来ならば売れるはずの商品が売れない。それに対してビール各社はビールを売るためにあの手この手で対策を打っている。これらは本来やる必要のない仕事である。

モノは価格が高ければ売れない。モノが売れなければ富は創出されない。モノが高ければ富者はまあまあ何とかなるが貧者には堪える。

モノは価格が安ければ売れる。モノが売れれば富が創出される。モノが安ければ貧者も富者も助かる。

政府の政策によって売れるものが売れず、買いたいものが買えず、やらなくてもよい仕事をさせられる。

これは政府による富の収奪に他ならない。

「人手不足でも賃金停滞の謎」を解く

  • 2017.06.11 Sunday
  • 22:15

 

コラム:人手不足でも賃金停滞、日本最大の謎=河野龍太郎氏
河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長(記事


人手不足なのになぜ日本では賃金が上がらないのか・・・この謎を解き明かす、というコラムがあった。

筆者は様々な角度から長々と論じているのであるが、悪いが私はその本文は読んでいない。なぜならば読む気がしないからである。なぜならばこれは謎でも何でもなく、単純な需要供給曲線で説明できる話だからである。

/雄犲要が増えると
価格(給料)が上がるはず



人件費が上がり過ぎれば
需要そのものが減少し
い△訥度の上がり幅に落ち着く



これが本来あるべき姿である。

本来はこのような調整が自然と働くはずだが、現実はそうはならない。

なぜならば、一つには様々な雇用規制のため労働市場における価格が本来の調整機能を失っているためであり、一つにはそもそもの人材需要が2020年のオリンピック開催をはじめとする人為的・政治的に生み出されたものだからである。

人材需要が政府政策によるものであり、価格の調整機能も働かないから需要は減らない。

上がらない価格(賃金)と減らない需要。その間に生じるのが需要と供給のギャップである。

そのギャップこそが人材不足、負担増という現象であり、人手不足なのに賃金停滞、という現象である。



 

プレミアム級のバカ政策・プレミアム・フライデー

  • 2017.02.25 Saturday
  • 19:24
 

「プレ金」で午後から寄り道か? 「早帰り」取り組み確認できた企業は120社
産経新聞 2/24(金) 政府と経済界が考案し、月末の金曜日の仕事を早く切り上げることで消費を喚起しようとする「プレミアムフライデー(プレ金)」が24日からスタート。大和ハウス工業(大阪市)など導入企業では、従業員を早帰りさせるなどの取り組みがみられた。プレ金は2月から毎月末に実施。飲食店や百貨店などは仕事帰りの人を呼び込もうとする催しや、関連商品を販売する。経済産業省によると、23日時点で早帰りなどの取り組みが確認できた企業は120社程度という。


この世にはプレミアム級に恥ずかしい政策があるものだが、この「プレミアム・フライデー」なる政策はまさにそれである。

政府の恥ずかしい経済政策はすべて「消費が経済を牽引する」というカルト信仰から出てくる。誤った前提からは誤った思考しか出てこない。誤った思考からは誤った政策しか出てこない。プレミアム級の誤った前提からはプレミアム級の誤った政策が出てくる。

経済を牽引するのは消費ではなくて生産である。消費があるから生産があるのではない。生産があるから消費があるのである。アップル社がiPhoneを生産するから消費者はiPhoneを買えるのである。

アップル社に対して消費者が列をなして「こんな通信機器が欲しいから製造してもらえませんか」という陳情をし続けたからアップル社が「分かったよ、つくってやるから必ず買うんだぞ」と重い腰を上げたのではない。

アップル社が消費者から何を言われるまでもなく時代を先回りして何億ドルだか何十億ドルだか何百億ドルだかを投資して開発し、生産し、世に出したからこそ人々はiPhoneが買えるのである。

生産があるためには投資がなければならない。投資があるためには資金がなければならない。資金があるためには貯蓄がなければならない。

消費とは貯蓄の反対である。

政府が消費を喚起する。これは言い換えると政府は生産を阻害しているわけである。

政府はプレミアム・フライデーを経済の「起爆剤」にしようと狙っているそうである。経済を牽引する生産を阻害して起爆剤もへったくれもない。

この「プレミアム・フライデー」は経済産業省の特別チームと大手百貨店、飲食店が議論を重ねて立ち上げたのだという。国民の税金でメシを食う高給取の高級役人が国民の生活を破壊する政策をセッセとつくるのだから大したものである。

バカは死ななきゃ治らない。このようなバカ政策を葬るためには経済産業省を葬らなければならない。

賃貸住宅バブル・・・収奪が呼ぶ不毛な投資

  • 2017.02.09 Thursday
  • 19:19
 

「相続税の節税対策を背景にした賃貸住宅」
国内の賃貸住宅の新規着工戸数が急増し、世帯数の増減などを加味した潜在需要を2016年以降上回り、供給過剰となる可能性が高いことが、内閣府のリポートで分かった。利用者のニーズに合わない狭小住戸も多いと指摘しており、相続税の節税対策を背景にした賃貸住宅の「建設バブル」の発生に警鐘を鳴らしている。 毎日新聞2017年1月24日


問題の原因を作り出しておき、それを「リポート」し、「警鐘」を鳴らす。それでいて問題の根本原因が何か、その原因を除去する方法は何かに触れることはない。

この政府の自作自演ぶりほど滑稽なものはない。

この賃貸住宅の着工急増は不動産業界が将来の需要を見込んだ結果ではない。これはマイナス金利政策に後押しされた相続税の節税対策である。

マイナス金利は金の価格を人為的に下げる収奪行為である。相続税も人々が税金を払った後で残った収入をせっせと子や孫のために貯めた金をとろうとする収奪行為である。

このダブルの収奪行為に動かされた投資の結果として需要の見込みとは関係のないところで建設バブルが起こり、それはまた人手不足もひきおこす。

本来必要ではない投資が行われた結果として資金も資源も無駄になる。需要の無い賃貸住宅は何十年も残り、長期的な市場への影響をもたらす。

一方不要な投資の結果として、長期的な富の増加と雇用の創造をもたらしたであろう有用な投資のための資金は失われた。そしてこれからも失われ続ける。

人口が減少するなかで不要な賃貸住宅が累々と屍のように残る。これが収奪が収奪を呼んだ哀愁の結末である。

「同一労働・同一賃金」空想に基づく愚策

  • 2016.12.25 Sunday
  • 11:58
 

大半の企業、人件費の拡大懸念 同一労働同一賃金の導入に警戒感
政府は20日、非正規労働者の待遇を改善する「同一労働同一賃金」の実現に向け指針案を示して取り組みを強化する方針を表明したが、産業界では導入への警戒感を強めている。「制度が決まれば対応しなくてはならないが、コスト的には厳しい」(大手スーパー)と、人件費の拡大を懸念する声が圧倒的に多い状況だ。人手不足のなか人材流出の懸念もあり、産業界は対応に苦慮している。 SankeiBiz 12/21(水) 


「同一労働ならば同一の賃金を払うべし」という考え方は、この世に「同一労働」というものが存在する、という幻想に基づいている。

限りなく「同一」に近い、例えば工場の組み立てライン作業を考えてみる。部品Aと部品Bが流れてきて、作業員はAとBを組み合わせて部品Cにするプロセスである。そこでは作業員が指示に従って単純な作業さえすれば同じ仕上がりになるような仕組みになっている。ではここで働く10名の作業員は「同一労働」をしているのか、といえばそうではない。その工程の後では部品Cが仕様通りに組み立てられているかを機械で自動判定する検査工程がある。そこではズレや不完全な組立てが検知されて自動で良品と不良品に仕分けられ、同時に作業員毎の良品率が計測される。

この例において、一定時間内における10名の良品率が100%から60%にわたる場合、ある作業員は100%の仕事をし、ある作業員は80%の仕事をし、ある作業員は60%の仕事をしたことになる。もしもすべての作業員の良品率が100%であったとしても、それはたまたまその検査に違いを判定するだけの精度が無い、もしくはそこまでの精度が求められていないというだけのことで、「違いが存在しない」ということを意味するわけではない。

複数の人間による作業には必ず違いが存在する。違いが存在しないのは、同一規格でつくられた機械による作業だけである。人間は同一規格でつくられているわけではない。人間は性格も能力も指向も多様である。同じ人間でも気分の良い日もあれば悪い日もある。気力が充実していれば集中力が増す。気になることがあれば注意力は減じる。

単純労働ですら人により違いが生じ、同一人物であっても時と場合によって違いが生じる。何らからの付加価値を求められる仕事において、その差は指数関数的に増大する。

また同程度の仕事を同程度に仕上げる複数の人間に関しても、与えられた仕事に素直に取り組むか、早く仕上げるか、体裁よくきれいに仕上げるか、工夫して改善につなげるか、仕事内容の文字ヅラに表れない違いは山ほどある。また、長く仕事を続ける可能性が高いか、もしくは結婚や妊娠等で途中で仕事を辞める可能性が高いか、といった当人の資質以外の要素によっても雇用者にとっての被雇用者としての価値は違ったものとなる。

賃金というものは労働の価値に対する対価である。

これら多様な人間による労働において、「同一労働」と「同一賃金」を語るというのは完全なる空想の世界である。

空想にふけるのは時として楽しいものである。個人が空想にふけるのは自由である。だが政府が空想に基づく政策を施行するとき、結果は空想の範囲を超えて現実のものとなる。

「同一労働・同一賃金」を導入するとき、賃金をパフォーマンスの高い側に合わせてはパフォーマンスの低い人間の慢心を呼び、逆にパフォーマンスの低い側に合わせてはパフォーマンスの高い人間のモチベーションを下げる。妥協策として企業はパフォーマンスの平均値に賃金を合わせる。

結果として企業内にはある程度の慢心とある程度のモチベーション低下がもたらされる。パフォーマンスに基づいた最適賃金の設定は妨げられ、全体的にコスト高となる。高パフォーマンスの人材の不満と低パフォーマンスの人材の慢心が同時に発生するのであるから当然である。

それがために産業界では人件費の拡大が懸念されているわけである。

あらゆる企業が安心して金儲けに邁進することこそが景気回復への道である。そのための枠組みを整備するのが政府の役割である。その枠組み整備とは規制の排除に他ならない。道路の信号のように最低限全ての人が守らなければならない決まりに従う以外はいつ、誰が、どこへ、どのような道筋で行こうが自由である、というようにしなければならない。

政府がやっているのはその逆である。故に景気の悪化は必然である。

最低賃金、若者のハシゴを外す安倍左翼政権

  • 2016.09.17 Saturday
  • 17:54

<最低賃金>時給、初の800円台 16年度全国改定
全都道府県で今年度の最低賃金改定の答申が出そろい、厚生労働省が23日、公表した。改定額は全国平均で823円(時給)と初めて800円台となり、平均引き上げ額は前年度比7円増の25円。時給で表示するようになった2002年度以降最大の引き上げで、政府が掲げる3%引き上げに相当する数字になった。 毎日新聞 8月23日(火)20時9分配信


安倍政権の左翼経済政策である年3%の最低賃金引き上げ目標に沿って最低賃金が上がっている。

最低賃金なるものは従来より左翼の政策であった。だが保守不在の日本においては、いわゆる左派もいわゆる右派もそろってこの左翼政策を支持している。

労働は商品である。「労働は商品ではない」と百回叫んだところで労働が商品であるという客観的な事実は不変である。

青空を見て「空は赤い!」と百回叫んでも空が赤くならないのと同じである。

商品の価格は需要と供給のバランスによって決まる。これは「新自由主義思想」でも「リバタリアン思想」でも何でもなく、有史以来変わらぬ事実である。

ある高さにモノを持ち上げて手放せば地球の重力によって地面に向かって落下するのと同じである。

違いが生じるのは、需要と供給のバランスによって自然と収斂するはずの価格を人為的に操作するか、あるいはその価格決定プロセスを邪魔せずにありのままに受け入れるかといった、価格というものに対する考え方と対応である。

前者によって生じるのは過剰な需要や過剰な供給、そして高止まりした価格である。対して後者においては価格は需要者と供給者との間で交わされる双方向の信号として機能し、供給量、需要量、価格が自然と最適値に調整される。

最低賃金というのは雇用者と被雇用者との間で自然と収斂するはずの賃金という価格を人為的に操作するものに他ならない。政府は最低賃金という操作された価格を高いほうへ高いほうへと設定する。同じ商品の価格を上げれば需要は減る。当然ながら雇用の機会は減少する。特に減少するのは低付加価値な労働における雇用である。

例えばある雇用者が一時間800円の価値を生み出す仕事で労働者に時給700円を支払っていたが法定の時給が700円から800円に上がる。すると利益は無くなるからこの仕事そのものを廃業するか、もしくは労働者のうち生産性の低い者を解雇するか、もしくは労働者を全員解雇して機械に置き換えてしまうか、といった選択を迫られる。

アメリカではマクドナルドがレジの無人化とロボットによる自動受付を開始しているが、まさにファーストフード店は最低賃金が直撃する低付加価値労働の好例である。

世の中には「アタマの良い」人がいるものである。彼らは言う。

「最低賃金が上がったくらいで継続できなくなるような経営力の無い事業はそもそも淘汰されるべきなのでは」と。

この小アタマの良い言葉をもっと分かりやすい言葉に置き換えるとこうなる。

「最低賃金ほどの利益を生み出せない者達(低学歴者、低能力者、若年者、身障者等)はこの世から消えてしかるべきなのでは」

若くして経験のない者はいかにして仕事の第一歩を踏み出すか。多くの場合、企業の正社員としてではなく、「バイト」である。彼らはそこで仕事の大変さや責任感を徐々に学んでいく。そのような仕事で家族を養うことは出来ないし、その必要もない。なぜならば、これら低付加価値な仕事は「階段の第一歩」でしかないからである。

第一歩だが重要な第一歩である。第一歩がなければ階段を上がることは出来ないからである。

「一億総活躍社会」を掲げる安倍政権がこれから頑張る世代である若者達が登ろうとする階段を外し、それをアベノミクスと称する。

実に悲しく滑稽な姿である。

麻生発言 - 経済無知の総和

  • 2016.06.19 Sunday
  • 16:15

<麻生氏>いつまで生きるつもりだ…高齢者について講演会で
麻生太郎財務相(75)は17日、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べた。高齢者らの反発も予想される。麻生氏は講演で国内の消費拡大などが必要と指摘したうえで、「お金を何に使うかをぜひ考えてほしい。金は使わなきゃ何の意味もない。さらにためてどうするんです?」と述べた後に発言した。毎日新聞 6月17日(金)


国の財務の握る人間が経済に対する完全なる無知を得意げに露呈する様を見るのは痛々しいものである。

保守主義者としては麻生の高齢者に対するモノの言い方に対する怒りがある。しかしそれはさておき、この経済無知は危険である。

経済を知らない安倍政権支持者は麻生を擁護する。「麻生さんは社会の金回りを良くしたいと思って発言したのだ。金が循環しなければ経済は活性化しないではないか」と。

そのような人々は一般人が商店で買い物をしている姿だけが「金回り」だと勘違いしているのである。

商店での買い物も「金回り」なら、銀行預金もタンス貯金も「金回り」である。「金回り」には何通りもあるのである。

人が金を銀行に預ければ、銀行はその金を無料で保管するだけではない。銀行はその金を投資に回すのである。しかもただ「回す」のではなく、事業計画を精査して回収のめどを立てて貸し付けるわけである。その金で人々が雇用され、機械類や建設資材の仕入れが行われる。人が将来や老後のためにと預金した金は雇用創出へと向かう。

一方人がタンス貯金したらどうなるか。タンス貯金は投資に向かうことはない。だが人が100万円タンス貯金したら市場の通貨供給量は100万円分減少することを意味する。すると一定の量の商品・サービスをより少ない通貨が追いかけることになる。

仮に市場全体の通貨供給量を100円とし、市場には10個のパンしかないと仮定すれば:

100円 ・ 10個のパン → 1個のパンは10円

もしも市場全体の通貨供給量が80円に減少したら:

80円 ・ 10個のパン → 1個のパンは8円

以前は1個のパンを買うのに10円必要だったが、いまでは8円で同じパンが買えるようになる。そして余った2円でジャムが買えるようになる。

よって一般的には「死に金」とされるタンス貯金ですら実は貨幣価値の向上につながり、それは購買力向上へとつながる有意義な行為なわけである。

ところで政府が「金回りを良くしよう」と意図して導入したマイナス金利の影響で円高傾向である。マイナス金利は人々に「銀行に預けると損するぞ。金を預けないで消費しなさい」という政策である。ならば通貨供給量が増えて通貨価値が下がり、円安に振れそうだが逆の現象である。金利はマイナスになる一方で景気が良くならない中で人々がタンス貯金に走り、実際に金庫が売れているという。まさに市場の通貨供給量が減って通貨価値が上昇し、円高に振れるという皮肉な現象が起きているわけである。

国の財務を握る麻生にはこれらが全く理解できない。

人々が銀行に預けて銀行が更に貸し付けて世を回る金と、人々に金をばら撒いて好きなように使わせる金は同じ。これらは同じ経済効果をもたらす。これが麻生の世界である。

だが実際の世界は:

人々が金を銀行に預ける。銀行はその金の貸出先を探す。銀行が業績の良い会社に「借りてください」と頼む一方、金を借りたい人々は事業計画を練って銀行に貸し付けをするよう説得する。銀行が金を貸すのは預けた金が増えると見込まれた相手だけ。貸付相手が長期的に安定した事業を営み、利益を生み出すことを見極めるのが銀行の仕事であるから当然である。貸し付けを受けた会社はその金で人を雇い、事務所や工場をつくり、資材や機械や道具を購入する。そのようにして金は有意義に世に回る。

一方で政府が人々から金を集めてばら撒けばどうなるか。人々から金を集めれば集めるほど、当たり前だが人々の手元から金はなくなる。生活で精一杯で貯金の余裕はない。人が貯金しなくなれば銀行は貸し付けに慎重になる。一般の人々は政府からばら撒かれた金で事業を起こすことはない。ある人は生活必需品を買い、ある人は酒を飲み、ある人はパチンコに行き、ある人は旅行に行き、ある人は服を買い、とそれぞれ思い思いに金を使い、それでおしまいである。

政府が人々から金を集めるのではなく、輪転機を回して金を刷ったらどうなるか。上の「パンの例」と逆の現象である。貨幣価値が下がり、10円だったパンは15円となり、20円となり、30円となる。辛い思いをするのは麻生ではなく我々庶民である。

安倍は経済を知らない。そのような人間が国のリーダーであるのは不幸なことである。

麻生は経済を知らない。そのような人間が政府中枢にいるのは不幸なことである。

だが安倍や麻生は原因ではなく結果である。安倍と麻生はこの国の経済無知の総和である。

「消費が経済を牽引する」という一億総勘違い

  • 2016.06.05 Sunday
  • 16:24
 

増税延期でも消費拡大は疑問、将来不安増大 
ロイター 6月3日(金) 消費の落ち込みを防ぎ、デフレ脱却を確実にする狙いで、安倍晋三首相が「新しい判断」として決めた消費増税の延期について、国内消費の増加には小売業界からも疑問の声が上がっている。増税見送りでも、消費の弱さのベースとなっている課題は解決されないうえ、増税を見送れば、社会保障の負担拡大など消費者が抱える将来不安の解消も遠のき、購買意欲がさらに委縮する悪循環に陥る可能性すらある。


前提を間違えるとそこから派生する論考は全てが過ちとなる。

日本で議論されている全ての経済論は誤った前提に基づいている。それは「消費が景気をけん引する」という前提である。

前提がそれだから、「ならばどうやって消費を促すか」の方法論での議論となる。

増税推進派も増税慎重派も増税反対派も皆この路線で思考し、議論している。そしてその議論は不毛である。所詮はケインズ経済信奉者、社会主義者、計画主義者同士の議論でしかないからである。

皆利口であることを装って消費を喚起する方法論を論じているが、実際のところ一番手っ取り早いのは、集めた税金を一万円札紙幣でヘリコプターに積み込んで晴れた日に上空から散布することである。人々は空から降ってきた紙幣を我先にとかき集めてそのまま店や居酒屋やパチンコに直行である。消費は活況を呈するはずである。

だがそれで景気が復活することはない。なぜならば消費をするためにはその前に富がなければならず、消費とは富の減少に他ならないからである。

人は何らからの消費をしなければ生きていくことができない。だから消費自体は悪ではない。だが問題は思考の順序である。

先ず富の蓄積があり、蓄積された富の投資があり、投資を受けた事業の成功があり、その成功による更なる富の創造があり、増大した富の恩恵として消費がある。

人々が消費をすることが出来る、というのはその前提として事業の成功がなければならず、その前提として投資がなければならず、その前提として富の蓄積がなければならない。

人がパンを食う前にパンそのものがなければならない。パンがある前にパンの原料や製造設備がなければならない。パンの原料や製造設備の前にそれらの購入資金がなければならない。その前にパンの原料や製造設備に投資するという意思決定がなければならない。その意思決定の前に資金の蓄積がなければならない。

人がパンを食うから企業がパンを作るのではない。これを理解するにはちょっとした思考の訓練が必要である。政府高官も名だたる大企業の経営陣も一様にこの勘違いにとらわれている。

企業や起業家が人々の思考と志向と嗜好を先回りして考えに考え、失敗の危険があるにも関わらずに蓄積された富を投じて原料や設備に投資するからパンがあるのである。

パンの会社が町中で行きかう人々を引き止め、「弊社がこのようなパンを製造したら必ず買ってくれますか?」と約束を取り付けてから製造に取り掛かり、作ったものを同じ人々に対して「さあ作ったんで、約束通り買ってもらえますか」と売りつけるわけではない。

正確に人々の思考と志向と嗜好を捉え、あるいは人々の思考と志向と嗜好を新たに創造したものは成功する。それらを見誤ったものは失敗する。成功を重ねるものは成長し、失敗を重ねるものは淘汰される。それによってこの世の資源は効率的に分配され、活用される。

基本的に民間はこのルールで動いている。それが適用されないのが政府である。

政府が国民から集めた税金であるカネをばら撒く、という行為はまさに一番の前提である富の蓄積を妨げることに他ならない。国民からカネを集めれば集めるほど投資資金は減少し、資金が減少すれば長期的な投資は減少する(一方でにわか銭を求める思慮に欠けた投資は増え、当然ながら失敗が生じる)。

日本経済復活への道は増税をめぐる議論からは全く見えてこない。誰も正しい前提に立って本質的な議論をしていないからである。いわゆる右も、いわゆる左も、全員が間違った前提で議論している。

一億総活躍社会ならぬ一億総勘違い社会である。

我々は転落の道を歩み続ける。

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