ビール価格規制

  • 2017.07.17 Monday
  • 07:05
 

夏本番間近もビールが売れない!大手メーカーの秘策とは
7/15(土) 15:09配信 日刊工業新聞
関東地方などは連日暑い日が続いているが、ビールの販売は不振だ。


この世には「余計な仕事」というものが多数ある。政府の政策に対応するための仕事がまさにそれである。

政府は町の小規模酒店を保護する、という名目でビールの安売り規制を導入した。

だが酒店を保護するどころかビール全体の売上が落ちている。今、まさに誰もが冷たいビールを飲みたい時期に、ビールが売れない。その理由は政府の「安売り規制」。

私自身も以前はビールが中心であったが規制開始後からビールを止めた。規制による価格上昇に反応したためではない。実際にいくら上がり、それがサイフにどの程度響くかは正直知らないが、とにかく規制によって価格が上昇することだけは知っている。故に規制代金など払う気がない自分としてはビールを買う気持ちが失せたといったところである。

政府が規制することによって本来ならば売れるはずの商品が売れない。それに対してビール各社はビールを売るためにあの手この手で対策を打っている。これらは本来やる必要のない仕事である。

モノは価格が高ければ売れない。モノが売れなければ富は創出されない。モノが高ければ富者はまあまあ何とかなるが貧者には堪える。

モノは価格が安ければ売れる。モノが売れれば富が創出される。モノが安ければ貧者も富者も助かる。

政府の政策によって売れるものが売れず、買いたいものが買えず、やらなくてもよい仕事をさせられる。

これは政府による富の収奪に他ならない。

「人手不足でも賃金停滞の謎」を解く

  • 2017.06.11 Sunday
  • 22:15

 

コラム:人手不足でも賃金停滞、日本最大の謎=河野龍太郎氏
河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長(記事


人手不足なのになぜ日本では賃金が上がらないのか・・・この謎を解き明かす、というコラムがあった。

筆者は様々な角度から長々と論じているのであるが、悪いが私はその本文は読んでいない。なぜならば読む気がしないからである。なぜならばこれは謎でも何でもなく、単純な需要供給曲線で説明できる話だからである。

/雄犲要が増えると
価格(給料)が上がるはず



人件費が上がり過ぎれば
需要そのものが減少し
い△訥度の上がり幅に落ち着く



これが本来あるべき姿である。

本来はこのような調整が自然と働くはずだが、現実はそうはならない。

なぜならば、一つには様々な雇用規制のため労働市場における価格が本来の調整機能を失っているためであり、一つにはそもそもの人材需要が2020年のオリンピック開催をはじめとする人為的・政治的に生み出されたものだからである。

人材需要が政府政策によるものであり、価格の調整機能も働かないから需要は減らない。

上がらない価格(賃金)と減らない需要。その間に生じるのが需要と供給のギャップである。

そのギャップこそが人材不足、負担増という現象であり、人手不足なのに賃金停滞、という現象である。



 

プレミアム級のバカ政策・プレミアム・フライデー

  • 2017.02.25 Saturday
  • 19:24
 

「プレ金」で午後から寄り道か? 「早帰り」取り組み確認できた企業は120社
産経新聞 2/24(金) 政府と経済界が考案し、月末の金曜日の仕事を早く切り上げることで消費を喚起しようとする「プレミアムフライデー(プレ金)」が24日からスタート。大和ハウス工業(大阪市)など導入企業では、従業員を早帰りさせるなどの取り組みがみられた。プレ金は2月から毎月末に実施。飲食店や百貨店などは仕事帰りの人を呼び込もうとする催しや、関連商品を販売する。経済産業省によると、23日時点で早帰りなどの取り組みが確認できた企業は120社程度という。


この世にはプレミアム級に恥ずかしい政策があるものだが、この「プレミアム・フライデー」なる政策はまさにそれである。

政府の恥ずかしい経済政策はすべて「消費が経済を牽引する」というカルト信仰から出てくる。誤った前提からは誤った思考しか出てこない。誤った思考からは誤った政策しか出てこない。プレミアム級の誤った前提からはプレミアム級の誤った政策が出てくる。

経済を牽引するのは消費ではなくて生産である。消費があるから生産があるのではない。生産があるから消費があるのである。アップル社がiPhoneを生産するから消費者はiPhoneを買えるのである。

アップル社に対して消費者が列をなして「こんな通信機器が欲しいから製造してもらえませんか」という陳情をし続けたからアップル社が「分かったよ、つくってやるから必ず買うんだぞ」と重い腰を上げたのではない。

アップル社が消費者から何を言われるまでもなく時代を先回りして何億ドルだか何十億ドルだか何百億ドルだかを投資して開発し、生産し、世に出したからこそ人々はiPhoneが買えるのである。

生産があるためには投資がなければならない。投資があるためには資金がなければならない。資金があるためには貯蓄がなければならない。

消費とは貯蓄の反対である。

政府が消費を喚起する。これは言い換えると政府は生産を阻害しているわけである。

政府はプレミアム・フライデーを経済の「起爆剤」にしようと狙っているそうである。経済を牽引する生産を阻害して起爆剤もへったくれもない。

この「プレミアム・フライデー」は経済産業省の特別チームと大手百貨店、飲食店が議論を重ねて立ち上げたのだという。国民の税金でメシを食う高給取の高級役人が国民の生活を破壊する政策をセッセとつくるのだから大したものである。

バカは死ななきゃ治らない。このようなバカ政策を葬るためには経済産業省を葬らなければならない。

賃貸住宅バブル・・・収奪が呼ぶ不毛な投資

  • 2017.02.09 Thursday
  • 19:19
 

「相続税の節税対策を背景にした賃貸住宅」
国内の賃貸住宅の新規着工戸数が急増し、世帯数の増減などを加味した潜在需要を2016年以降上回り、供給過剰となる可能性が高いことが、内閣府のリポートで分かった。利用者のニーズに合わない狭小住戸も多いと指摘しており、相続税の節税対策を背景にした賃貸住宅の「建設バブル」の発生に警鐘を鳴らしている。 毎日新聞2017年1月24日


問題の原因を作り出しておき、それを「リポート」し、「警鐘」を鳴らす。それでいて問題の根本原因が何か、その原因を除去する方法は何かに触れることはない。

この政府の自作自演ぶりほど滑稽なものはない。

この賃貸住宅の着工急増は不動産業界が将来の需要を見込んだ結果ではない。これはマイナス金利政策に後押しされた相続税の節税対策である。

マイナス金利は金の価格を人為的に下げる収奪行為である。相続税も人々が税金を払った後で残った収入をせっせと子や孫のために貯めた金をとろうとする収奪行為である。

このダブルの収奪行為に動かされた投資の結果として需要の見込みとは関係のないところで建設バブルが起こり、それはまた人手不足もひきおこす。

本来必要ではない投資が行われた結果として資金も資源も無駄になる。需要の無い賃貸住宅は何十年も残り、長期的な市場への影響をもたらす。

一方不要な投資の結果として、長期的な富の増加と雇用の創造をもたらしたであろう有用な投資のための資金は失われた。そしてこれからも失われ続ける。

人口が減少するなかで不要な賃貸住宅が累々と屍のように残る。これが収奪が収奪を呼んだ哀愁の結末である。

「同一労働・同一賃金」空想に基づく愚策

  • 2016.12.25 Sunday
  • 11:58
 

大半の企業、人件費の拡大懸念 同一労働同一賃金の導入に警戒感
政府は20日、非正規労働者の待遇を改善する「同一労働同一賃金」の実現に向け指針案を示して取り組みを強化する方針を表明したが、産業界では導入への警戒感を強めている。「制度が決まれば対応しなくてはならないが、コスト的には厳しい」(大手スーパー)と、人件費の拡大を懸念する声が圧倒的に多い状況だ。人手不足のなか人材流出の懸念もあり、産業界は対応に苦慮している。 SankeiBiz 12/21(水) 


「同一労働ならば同一の賃金を払うべし」という考え方は、この世に「同一労働」というものが存在する、という幻想に基づいている。

限りなく「同一」に近い、例えば工場の組み立てライン作業を考えてみる。部品Aと部品Bが流れてきて、作業員はAとBを組み合わせて部品Cにするプロセスである。そこでは作業員が指示に従って単純な作業さえすれば同じ仕上がりになるような仕組みになっている。ではここで働く10名の作業員は「同一労働」をしているのか、といえばそうではない。その工程の後では部品Cが仕様通りに組み立てられているかを機械で自動判定する検査工程がある。そこではズレや不完全な組立てが検知されて自動で良品と不良品に仕分けられ、同時に作業員毎の良品率が計測される。

この例において、一定時間内における10名の良品率が100%から60%にわたる場合、ある作業員は100%の仕事をし、ある作業員は80%の仕事をし、ある作業員は60%の仕事をしたことになる。もしもすべての作業員の良品率が100%であったとしても、それはたまたまその検査に違いを判定するだけの精度が無い、もしくはそこまでの精度が求められていないというだけのことで、「違いが存在しない」ということを意味するわけではない。

複数の人間による作業には必ず違いが存在する。違いが存在しないのは、同一規格でつくられた機械による作業だけである。人間は同一規格でつくられているわけではない。人間は性格も能力も指向も多様である。同じ人間でも気分の良い日もあれば悪い日もある。気力が充実していれば集中力が増す。気になることがあれば注意力は減じる。

単純労働ですら人により違いが生じ、同一人物であっても時と場合によって違いが生じる。何らからの付加価値を求められる仕事において、その差は指数関数的に増大する。

また同程度の仕事を同程度に仕上げる複数の人間に関しても、与えられた仕事に素直に取り組むか、早く仕上げるか、体裁よくきれいに仕上げるか、工夫して改善につなげるか、仕事内容の文字ヅラに表れない違いは山ほどある。また、長く仕事を続ける可能性が高いか、もしくは結婚や妊娠等で途中で仕事を辞める可能性が高いか、といった当人の資質以外の要素によっても雇用者にとっての被雇用者としての価値は違ったものとなる。

賃金というものは労働の価値に対する対価である。

これら多様な人間による労働において、「同一労働」と「同一賃金」を語るというのは完全なる空想の世界である。

空想にふけるのは時として楽しいものである。個人が空想にふけるのは自由である。だが政府が空想に基づく政策を施行するとき、結果は空想の範囲を超えて現実のものとなる。

「同一労働・同一賃金」を導入するとき、賃金をパフォーマンスの高い側に合わせてはパフォーマンスの低い人間の慢心を呼び、逆にパフォーマンスの低い側に合わせてはパフォーマンスの高い人間のモチベーションを下げる。妥協策として企業はパフォーマンスの平均値に賃金を合わせる。

結果として企業内にはある程度の慢心とある程度のモチベーション低下がもたらされる。パフォーマンスに基づいた最適賃金の設定は妨げられ、全体的にコスト高となる。高パフォーマンスの人材の不満と低パフォーマンスの人材の慢心が同時に発生するのであるから当然である。

それがために産業界では人件費の拡大が懸念されているわけである。

あらゆる企業が安心して金儲けに邁進することこそが景気回復への道である。そのための枠組みを整備するのが政府の役割である。その枠組み整備とは規制の排除に他ならない。道路の信号のように最低限全ての人が守らなければならない決まりに従う以外はいつ、誰が、どこへ、どのような道筋で行こうが自由である、というようにしなければならない。

政府がやっているのはその逆である。故に景気の悪化は必然である。

最低賃金、若者のハシゴを外す安倍左翼政権

  • 2016.09.17 Saturday
  • 17:54

<最低賃金>時給、初の800円台 16年度全国改定
全都道府県で今年度の最低賃金改定の答申が出そろい、厚生労働省が23日、公表した。改定額は全国平均で823円(時給)と初めて800円台となり、平均引き上げ額は前年度比7円増の25円。時給で表示するようになった2002年度以降最大の引き上げで、政府が掲げる3%引き上げに相当する数字になった。 毎日新聞 8月23日(火)20時9分配信


安倍政権の左翼経済政策である年3%の最低賃金引き上げ目標に沿って最低賃金が上がっている。

最低賃金なるものは従来より左翼の政策であった。だが保守不在の日本においては、いわゆる左派もいわゆる右派もそろってこの左翼政策を支持している。

労働は商品である。「労働は商品ではない」と百回叫んだところで労働が商品であるという客観的な事実は不変である。

青空を見て「空は赤い!」と百回叫んでも空が赤くならないのと同じである。

商品の価格は需要と供給のバランスによって決まる。これは「新自由主義思想」でも「リバタリアン思想」でも何でもなく、有史以来変わらぬ事実である。

ある高さにモノを持ち上げて手放せば地球の重力によって地面に向かって落下するのと同じである。

違いが生じるのは、需要と供給のバランスによって自然と収斂するはずの価格を人為的に操作するか、あるいはその価格決定プロセスを邪魔せずにありのままに受け入れるかといった、価格というものに対する考え方と対応である。

前者によって生じるのは過剰な需要や過剰な供給、そして高止まりした価格である。対して後者においては価格は需要者と供給者との間で交わされる双方向の信号として機能し、供給量、需要量、価格が自然と最適値に調整される。

最低賃金というのは雇用者と被雇用者との間で自然と収斂するはずの賃金という価格を人為的に操作するものに他ならない。政府は最低賃金という操作された価格を高いほうへ高いほうへと設定する。同じ商品の価格を上げれば需要は減る。当然ながら雇用の機会は減少する。特に減少するのは低付加価値な労働における雇用である。

例えばある雇用者が一時間800円の価値を生み出す仕事で労働者に時給700円を支払っていたが法定の時給が700円から800円に上がる。すると利益は無くなるからこの仕事そのものを廃業するか、もしくは労働者のうち生産性の低い者を解雇するか、もしくは労働者を全員解雇して機械に置き換えてしまうか、といった選択を迫られる。

アメリカではマクドナルドがレジの無人化とロボットによる自動受付を開始しているが、まさにファーストフード店は最低賃金が直撃する低付加価値労働の好例である。

世の中には「アタマの良い」人がいるものである。彼らは言う。

「最低賃金が上がったくらいで継続できなくなるような経営力の無い事業はそもそも淘汰されるべきなのでは」と。

この小アタマの良い言葉をもっと分かりやすい言葉に置き換えるとこうなる。

「最低賃金ほどの利益を生み出せない者達(低学歴者、低能力者、若年者、身障者等)はこの世から消えてしかるべきなのでは」

若くして経験のない者はいかにして仕事の第一歩を踏み出すか。多くの場合、企業の正社員としてではなく、「バイト」である。彼らはそこで仕事の大変さや責任感を徐々に学んでいく。そのような仕事で家族を養うことは出来ないし、その必要もない。なぜならば、これら低付加価値な仕事は「階段の第一歩」でしかないからである。

第一歩だが重要な第一歩である。第一歩がなければ階段を上がることは出来ないからである。

「一億総活躍社会」を掲げる安倍政権がこれから頑張る世代である若者達が登ろうとする階段を外し、それをアベノミクスと称する。

実に悲しく滑稽な姿である。

麻生発言 - 経済無知の総和

  • 2016.06.19 Sunday
  • 16:15

<麻生氏>いつまで生きるつもりだ…高齢者について講演会で
麻生太郎財務相(75)は17日、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べた。高齢者らの反発も予想される。麻生氏は講演で国内の消費拡大などが必要と指摘したうえで、「お金を何に使うかをぜひ考えてほしい。金は使わなきゃ何の意味もない。さらにためてどうするんです?」と述べた後に発言した。毎日新聞 6月17日(金)


国の財務の握る人間が経済に対する完全なる無知を得意げに露呈する様を見るのは痛々しいものである。

保守主義者としては麻生の高齢者に対するモノの言い方に対する怒りがある。しかしそれはさておき、この経済無知は危険である。

経済を知らない安倍政権支持者は麻生を擁護する。「麻生さんは社会の金回りを良くしたいと思って発言したのだ。金が循環しなければ経済は活性化しないではないか」と。

そのような人々は一般人が商店で買い物をしている姿だけが「金回り」だと勘違いしているのである。

商店での買い物も「金回り」なら、銀行預金もタンス貯金も「金回り」である。「金回り」には何通りもあるのである。

人が金を銀行に預ければ、銀行はその金を無料で保管するだけではない。銀行はその金を投資に回すのである。しかもただ「回す」のではなく、事業計画を精査して回収のめどを立てて貸し付けるわけである。その金で人々が雇用され、機械類や建設資材の仕入れが行われる。人が将来や老後のためにと預金した金は雇用創出へと向かう。

一方人がタンス貯金したらどうなるか。タンス貯金は投資に向かうことはない。だが人が100万円タンス貯金したら市場の通貨供給量は100万円分減少することを意味する。すると一定の量の商品・サービスをより少ない通貨が追いかけることになる。

仮に市場全体の通貨供給量を100円とし、市場には10個のパンしかないと仮定すれば:

100円 ・ 10個のパン → 1個のパンは10円

もしも市場全体の通貨供給量が80円に減少したら:

80円 ・ 10個のパン → 1個のパンは8円

以前は1個のパンを買うのに10円必要だったが、いまでは8円で同じパンが買えるようになる。そして余った2円でジャムが買えるようになる。

よって一般的には「死に金」とされるタンス貯金ですら実は貨幣価値の向上につながり、それは購買力向上へとつながる有意義な行為なわけである。

ところで政府が「金回りを良くしよう」と意図して導入したマイナス金利の影響で円高傾向である。マイナス金利は人々に「銀行に預けると損するぞ。金を預けないで消費しなさい」という政策である。ならば通貨供給量が増えて通貨価値が下がり、円安に振れそうだが逆の現象である。金利はマイナスになる一方で景気が良くならない中で人々がタンス貯金に走り、実際に金庫が売れているという。まさに市場の通貨供給量が減って通貨価値が上昇し、円高に振れるという皮肉な現象が起きているわけである。

国の財務を握る麻生にはこれらが全く理解できない。

人々が銀行に預けて銀行が更に貸し付けて世を回る金と、人々に金をばら撒いて好きなように使わせる金は同じ。これらは同じ経済効果をもたらす。これが麻生の世界である。

だが実際の世界は:

人々が金を銀行に預ける。銀行はその金の貸出先を探す。銀行が業績の良い会社に「借りてください」と頼む一方、金を借りたい人々は事業計画を練って銀行に貸し付けをするよう説得する。銀行が金を貸すのは預けた金が増えると見込まれた相手だけ。貸付相手が長期的に安定した事業を営み、利益を生み出すことを見極めるのが銀行の仕事であるから当然である。貸し付けを受けた会社はその金で人を雇い、事務所や工場をつくり、資材や機械や道具を購入する。そのようにして金は有意義に世に回る。

一方で政府が人々から金を集めてばら撒けばどうなるか。人々から金を集めれば集めるほど、当たり前だが人々の手元から金はなくなる。生活で精一杯で貯金の余裕はない。人が貯金しなくなれば銀行は貸し付けに慎重になる。一般の人々は政府からばら撒かれた金で事業を起こすことはない。ある人は生活必需品を買い、ある人は酒を飲み、ある人はパチンコに行き、ある人は旅行に行き、ある人は服を買い、とそれぞれ思い思いに金を使い、それでおしまいである。

政府が人々から金を集めるのではなく、輪転機を回して金を刷ったらどうなるか。上の「パンの例」と逆の現象である。貨幣価値が下がり、10円だったパンは15円となり、20円となり、30円となる。辛い思いをするのは麻生ではなく我々庶民である。

安倍は経済を知らない。そのような人間が国のリーダーであるのは不幸なことである。

麻生は経済を知らない。そのような人間が政府中枢にいるのは不幸なことである。

だが安倍や麻生は原因ではなく結果である。安倍と麻生はこの国の経済無知の総和である。

「消費が経済を牽引する」という一億総勘違い

  • 2016.06.05 Sunday
  • 16:24
 

増税延期でも消費拡大は疑問、将来不安増大 
ロイター 6月3日(金) 消費の落ち込みを防ぎ、デフレ脱却を確実にする狙いで、安倍晋三首相が「新しい判断」として決めた消費増税の延期について、国内消費の増加には小売業界からも疑問の声が上がっている。増税見送りでも、消費の弱さのベースとなっている課題は解決されないうえ、増税を見送れば、社会保障の負担拡大など消費者が抱える将来不安の解消も遠のき、購買意欲がさらに委縮する悪循環に陥る可能性すらある。


前提を間違えるとそこから派生する論考は全てが過ちとなる。

日本で議論されている全ての経済論は誤った前提に基づいている。それは「消費が景気をけん引する」という前提である。

前提がそれだから、「ならばどうやって消費を促すか」の方法論での議論となる。

増税推進派も増税慎重派も増税反対派も皆この路線で思考し、議論している。そしてその議論は不毛である。所詮はケインズ経済信奉者、社会主義者、計画主義者同士の議論でしかないからである。

皆利口であることを装って消費を喚起する方法論を論じているが、実際のところ一番手っ取り早いのは、集めた税金を一万円札紙幣でヘリコプターに積み込んで晴れた日に上空から散布することである。人々は空から降ってきた紙幣を我先にとかき集めてそのまま店や居酒屋やパチンコに直行である。消費は活況を呈するはずである。

だがそれで景気が復活することはない。なぜならば消費をするためにはその前に富がなければならず、消費とは富の減少に他ならないからである。

人は何らからの消費をしなければ生きていくことができない。だから消費自体は悪ではない。だが問題は思考の順序である。

先ず富の蓄積があり、蓄積された富の投資があり、投資を受けた事業の成功があり、その成功による更なる富の創造があり、増大した富の恩恵として消費がある。

人々が消費をすることが出来る、というのはその前提として事業の成功がなければならず、その前提として投資がなければならず、その前提として富の蓄積がなければならない。

人がパンを食う前にパンそのものがなければならない。パンがある前にパンの原料や製造設備がなければならない。パンの原料や製造設備の前にそれらの購入資金がなければならない。その前にパンの原料や製造設備に投資するという意思決定がなければならない。その意思決定の前に資金の蓄積がなければならない。

人がパンを食うから企業がパンを作るのではない。これを理解するにはちょっとした思考の訓練が必要である。政府高官も名だたる大企業の経営陣も一様にこの勘違いにとらわれている。

企業や起業家が人々の思考と志向と嗜好を先回りして考えに考え、失敗の危険があるにも関わらずに蓄積された富を投じて原料や設備に投資するからパンがあるのである。

パンの会社が町中で行きかう人々を引き止め、「弊社がこのようなパンを製造したら必ず買ってくれますか?」と約束を取り付けてから製造に取り掛かり、作ったものを同じ人々に対して「さあ作ったんで、約束通り買ってもらえますか」と売りつけるわけではない。

正確に人々の思考と志向と嗜好を捉え、あるいは人々の思考と志向と嗜好を新たに創造したものは成功する。それらを見誤ったものは失敗する。成功を重ねるものは成長し、失敗を重ねるものは淘汰される。それによってこの世の資源は効率的に分配され、活用される。

基本的に民間はこのルールで動いている。それが適用されないのが政府である。

政府が国民から集めた税金であるカネをばら撒く、という行為はまさに一番の前提である富の蓄積を妨げることに他ならない。国民からカネを集めれば集めるほど投資資金は減少し、資金が減少すれば長期的な投資は減少する(一方でにわか銭を求める思慮に欠けた投資は増え、当然ながら失敗が生じる)。

日本経済復活への道は増税をめぐる議論からは全く見えてこない。誰も正しい前提に立って本質的な議論をしていないからである。いわゆる右も、いわゆる左も、全員が間違った前提で議論している。

一億総活躍社会ならぬ一億総勘違い社会である。

我々は転落の道を歩み続ける。

「同一労働同一賃金」 安倍政権の左傾化が止まらない

  • 2016.02.07 Sunday
  • 11:40
 

<衆院予算委>同一労働同一賃金…首相、働き方改革の柱に
安倍晋三首相は5日の衆院予算委員会で、安倍政権が掲げる「同一労働同一賃金」について「(正規と非正規の格差解消を目指す)均等待遇を含めて踏み込んで検討する」と述べ、実現に意欲を示した。首相は「今春取りまとめる『ニッポン1億総活躍プラン』で実現の方向性を示したい」とし、働き方改革の柱に位置付ける考えを強調。「必要であれば法律を作っていくことは当然だ」とも述べ、必要な法整備など実効性ある制度を目指すことを強調した。 毎日新聞 2月5日(金)


安倍政権の左傾化に歯止めがかからない。

ある程度の仕事をした経験のある人間ならば「同一労働」などというものがこの世に存在しないことは分かるはずである。

ある一つの業務においても、
  • ある人は大雑把だが期限よりだいぶ早く仕上げ、
  • ある人は精度はまあまあだが期限内に仕上げ、
  • ある人は精度は高いが期限を守らず、
  • ある人は精度も高く仕上げも早く、
  • ある人は精度も低いが期限も度外視、
と百人十色である。

一見単純な労働においても、
  • ある人は機転が利いて作業がテキパキと速く、
  • ある人は愚鈍で作業も遅く、
と様々である。

一見同じような仕事をしているように見えて、
  • ある人はいろいろと考えて改善方法を提案し、
  • ある人は何も考えずに指示に従うだけ、
  • ある人は挨拶が良く愛想も良く、
  • ある人は挨拶も無くムッツリと、
と性格も色々である。

その時点では同じ仕事をしていても、
  • ある人は長年根気よくそこで働き、
  • ある人は転職を繰り返してきて今そこにいる
と人生色々である。

仕事の精度が高く、作業が速く、気が利き、積極性があり、愛想が良く、根気強い人間と、

仕事の精度が低く、作業が遅く、気が利かず、消極的で、愛想が悪く、続かない人間と、

たとえ「同じ業務内容」であっても雇う側から見たときの価値は違うものである。

実際には人間というものはこれほど両極端ではなく、これらの要素が複雑に絡み合っているものである。人間の性格は複雑である。その時々の気分もあれば一緒に働く人間との相性もある。一人一人の人間を正当に評価できるのはその人間を間近に見ている者だけである。いや、間近の人間ですら必ずしも正当な評価ができるとは限らない。ましてや政府が評価できるはずがない。

一つの業務を5人の人間にインプットすれば5通りのアウトプットがあるのである。一つの業務について一つの業務指示を違う人間に与えれば、その人々の性格、思考方法、得意不得意、人生経験によって違う結果が出てくるのである。

仮に「同一業務」で賃金を一律化するならば、「人の個性」というものを完全に無視してロボットのように扱うことになる。相手がロボットや機械ならば「同一労働・同一賃金」は可能である。ロボットや機械の規格を統一し、動作や精度を制御して管理すればよいだけだからである。

だが人間の規格を統一することはできない。

もし「同一労働・同一賃金」が法制化されれば、「同一業務で働く人々が生み出す不同な価値に対して同一の賃金を払え」ということになる。

富士通、NEC、東芝、日立、IBM、DELL、レノボのパソコンを、大体形とサイズが同じならば同じ値段で売りなさい(買いなさい)、などと言えば「何をバカなことを」と思うであろうが、実質的に同じことである。政府がやろうとしているのは、そういうことである。

安倍政権は「正規と非正規の格差解消を目指す」などと言っているが、実際にこのような法律が施行されればどうなるか。今まで「非正規の業務だから」と派遣されてきた人を無条件に受け入れてきたのが、「非正規でも正社員と同一賃金を払わないといけないから」とより審査が厳しくなるわけである。

雇用側はいわゆる「同一賃金」に見合った結果の出る人かどうかを見極めるために今までよりもエネルギーを費やさなければならず、被雇用者は非正規であるにも関わらずより厳しく査定されることになる。

雇用側にとっては業務負担増加(コスト増加)であり、被雇用者にとっては労働の機会の減少である。

企業に負担を強いれば必ずツケは労働者に回ってくる。なぜならば、企業といものは結局は労働者の集団に他ならないからである。

労働者の雇用機会拡大を願うならば、企業への負担を軽減し労働市場を流動化・活性化させることである。労働市場を活性化させるためには労働規制を撤廃することである。

企業が雇いたい時に、雇いたい人を、雇いたい賃金で雇えるようにし、労働者が働きたい時に、働きたい会社で、働きたい賃金で働けるようにすることで賃金、労働時間、労働負荷等の勤務条件は労使双方の思惑によって決定されるようになる。

企業が解雇したい時に、解雇したい人を、解雇したい条件で解雇できるようにすれば、職場に「空き」が出やすくなる。そして人を雇用するリスクとコストが下がり、企業側として人を雇いやすくなる。

「空き」が増えて企業が人を雇いやすくなるならば、労働者としては仕事を得やすくなる。

合わない仕事、合わない上司、合わない同僚、合わない通勤形態に縛られながら心身を病みながら仕事を続けるのではなく、合う仕事、合う上司、合う同僚、合う通勤形態を求めて仕事を見つけていくことが可能となる。過労死するまで一つの会社にしがみつく必要はなくなる一方、ある程度の根気強さはそれ自体が付加価値となる。

安倍政権の「同一労働・同一賃金」はその逆である。安倍政権のやっていることは、結局は底辺の労働者に課せられるハードルを上げ、彼らの生活を苦しくするだけである。それを「一億総活躍」の旗印のもと推進しているのであるから呆れるばかりである。

なぜこのような愚かな政策が出てくるのかといえば、それは安倍政権には上から下まで経済を知る人間がいないからである(民主党や共産党は問題外である)。

あるいは上から下まで社会主義思想に毒されているからである。

誠に社会主義は不幸の哲学である。

ポイントカードとマイナンバーの一本化

  • 2016.01.17 Sunday
  • 18:02
 

日本テレビ系(NNN) 1月5日(火)19時5分配信
総務省は各種ポイントカードをマイナンバーカードに一本化できないか、検討を始めることにした。これは総務省の仕事始め式で高市総務相が指示したもの。カードを発行している企業や団体を結ぶシステムを立ち上げ、各種ポイントカードや銀行、図書館、商店街などのカードをマイナンバーカードに一本化しようというもので、来年春以降の実現を目指す。


社会主義・安倍政権による呆れた政策の連発が止まらない。

ポイントカードというものは商店や小売業者が固定のお客さんを確保して売上を確保するために発行するものである。客から見れば、ポイントをためて割引してもらうか景品をもらうか、何かしらの恩恵にあずかることが目的である。

この両者の意図が合致するからポイントカードというものが成立するのである。

よく店で買い物をするときに「ポイントカードおつくりしますか?」と聞かれるが、「ここでしょっちゅう買い物をするから作っておくか」と考えて作ってもらう場合もあれば「カードが増えて面倒なだけだ」と断る場合もある。その時々の微妙な判断がポイントカードを作ってもらうかどうかを左右する。

ポイントカードも純粋に商売である。財力の乏しい小規模店であれば、プラスチックのカードを作るコストを抑えようとクラシックな紙にハンコのスタイルとなろうし、財力のある大きな店であれば磁気カードを発行するかもしれないし、しないかもしれない。

あらゆる小売業者はそれぞれが置かれた状況に応じてコストと利益を勘案しつつ、ポイントカードを発行するか否か、どのようなポイントカードを発行するかを検討する。

磁気カードやICカードを発行するために投資をする財力があり、かつ投資をするメリットがあると判断するならば投資をすればよい。投資をする財力があるが投資をするに値しないと判断すれば投資を控えればよい。投資をする財力が無いならばやめておけばよい。

 

各企業はポイントカードのサービスで利用者の囲い込みを狙っているが、総務省幹部は「磁気カードからICチップ入りカードに移すための莫大(ばくだい)な投資を行わずに済む」と企業側にもメリットがあることを強調している。


こういうのを大きなお世話という。また、こういう戯言を得意げに語る人間は経済に関する理解が致命的に欠如している。

モノには製造ロットなるものがある。「とりあえず磁気カード20枚くらい作って様子見ようか」というのは通用しない。1万枚か10万枚か知らないが、結構な数量をまとめて発注しないと製造会社にとって経済性が無いので作ってくれないのである。

きちんとしたマーケティングをしてカードを発注したA店はうまく運用して投資した分を「固定客確保」という形で回収する。だが未熟なB店は作ったはよいものの客も少なく、客が来てもカードを欲しがらないものだから大量に余ってしまう。下手すればそのまま捨てるということになり、大方の投資は無駄となる。

結果としてカード製造会社にはB店からは一度だけの発注だがA店からの発注は毎月継続的に入る。A店が成功すればするほどにカードの数量のみならずグレードも上がる。カード会社のみならずイラストのデザイン会社も潤う。

このようにして有限な資源(人・モノ・カネ)は無駄が最小限に抑えられるとともに有効活用される。個別の企業が、個別に頭をひねり、個別の判断をし、個別の決定をし、個別の結果を得ることで全体最適が図られるわけである。

逆に、この政府の政策ではこういった個別の企業の検討や判断が一切必要なく、政府が一括で決めて実行するわけである。

ソビエト連邦で行われた計画経済そのものの思考である。

ソビエト連邦では中央政府が「今月はネジを100万個製造せよ」とか「今月はバケツを50万個製造せよ」などと工場に命令してモノを作った。人々の需要をデータに基づいて政府が推測してである。

結果として不要なモノが溢れる代わりに必要なモノは欠乏した。資源は大方無駄に消えた。

これが市場原理というものである。個人の判断が価格というシグナルを発することが許されれば必要なモノが必要な人に必要なだけ届けられる。シグナルが政府によってブロックされれば逆の結果になる。

市場原理は「好き嫌い」ではない。経済における事実である。目を逸らしても事実は変わらないのである。

政府は「企業は投資をしなくて済む」というが、誰かが投資をしなければならない。投資をするのは政府である。その金はどこから来るのか?我々が収めた税金であることは言うまでもない。

政府が国民に無断でこのような資源の無駄に余念が無いのであるから世の中にカネが回らないのも当然であろう。

だが問題は「資源の無駄」にとどまらない。

政府が行政サービスの効率化と称するマイナンバー制度は徴税の効率化である。目的は徴税である。いままで取れなかったところから取る。取りこぼし無く取る。

なぜ政府はポイントカードとマイナンバーカードを一本化したいのか?それは国民の消費活動を細かく把握して「取る戦略」を立てるためである。

マイナンバー制度を称揚している安倍信者を見かけるが、ファシズムはこうして浸透するのである。

「俺は隠すモンねぇから困らねぇぜ」などと嘯く者には自由を享受する資格は無い。

だがそのような声が多いのも事実である。

我が国に自由の空気が薄いのは決して気のせいではないのである。

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