アラバマ州中絶禁止法成立 生命の勝利
- 2019.05.18 Saturday
- 16:24
妊娠中絶禁止法、アラバマ州で成立 禁錮最大99年
米南部アラバマ州で15日、人工妊娠中絶を禁止する州法が成立した。性犯罪被害者の女性も対象で、合法的に中絶が可能なのは女性に生命の危険がある場合などに限られる。事実上、中絶を全面禁止する「全米で最も厳しい法律」(米紙ワシントン・ポスト)だ。中絶した女性は罪に問わないが、手術をした医師らに10年から最大で99年の禁錮刑を科す。 2019/5/16 日経
アメリカでも、日本でも、ヨーロッパでも、程度の差はあれ各国で中絶が行われ、それによって殺処分された胎児の数は歴史的な大量虐殺(ホロコースト、ウクライナ飢饉、文化大革命、ポルポトのカンボジア大虐殺)による犠牲者を遥かに凌駕する。
なぜこれほどの大量殺戮が何事もないかの如く静かに進行しているのか。
それは殺される側に声が無いからである。死人に口なし、と言うが、この場合は胎児に声無しである。
手も足も「人間そっくりな」胎児が殺処分されるのは「可哀想」、というような感情的、感傷的な議論ではない。
受胎の瞬間に一つの生命が誕生する。その生命は母体とつながり、母体無しには生きられないものの、母体の一部ではない。その根拠はDNAである。新たに誕生した生命は母親とも父親とも違うDNAを持つ。その生命が、母親の臓器の一つでもその一部でもない、唯一無二の人であることを意味する(参考)。
その人がどこに存在するか、どのように生きているか、どのくらいのサイズなのか、声が大きいのか小さいのか、声すら出ないのかに関わらず、その人は人なわけである。これは信仰ではなく、生物学的な事実である。
その科学的事実を認めるのか否か、という問題である。よく左翼は「科学」を好んで口にするが、科学というわりには科学を無視するのが左翼であることがよく分かるであろう。
「中絶は女性の権利だ」という論理性の欠如した感情的な言い逃れがまかり通っているが、これは「奴隷をどう扱おうが、生かそうが殺そうが俺の勝手だ。これは俺の所有物だ」という人間と何ら変わるところがない。一人の人間が人間として生きる権利を認めないということだからである。
アラバマで成立した法では性犯罪の結果誕生した生命も例外とされていない。これは当然のことである。犯罪で裁かれるべきなのは犯罪者であり、どのような経緯であろうが結果として誕生した子供ではない。一人の人間の生と死が感情で決定されてしまうことほど恐ろしいことはない(以前のブログ・参考)。
重要であればこそ木の葉のように揺れる感情ではなく、大理石のような論理で決定しなければならない。
アラバマで成立した「妊娠中絶禁止法」の正式名称は「Human Life Protection Act」である(参照)。読んで字のごとく、人間の命を守る法律である。法の目的はまさに「人間の命を守ること」である。
「21世紀にもなるのにこのような中世に戻るような法が制定されるとは・・・」という声が聞かれる。
それに対して答えたい。
「21世紀にもなるのにこのような非文明野蛮人のような大量殺戮が行われ、それを阻止すべく法を制定しなければならないとは・・・」と。
最も小さく、最も弱い一個の生命の生きる権利が認められない社会は真の文明社会ではない。人間が自己の都合で声なき人間の生命を断つことが容認される社会に真の自由は無い。生命という根源的な所有権を否定しつつ自由や権利を語る人間がいるならば、それは欺瞞以外の何ものでもない。
これは生命と正義と論理の勝利である。これは狂気から正気への一歩である。これを契機として悪名高きRoe v.Wade(中絶を合法化した最高裁判決)の撤廃へと全米が動くことを祈りたい。
【参考】
Tucker: Voters in Alabama decided for their state
#485 ALABAMA ABORTION LIES DEBUNKED! | Ben Shapiro Guests | Louder with Crowder