創造の資本主義・破壊の社会主義

  • 2012.04.28 Saturday
  • 12:54
 

人類は長い社会主義の苦しみの歴史の中で資本主義を見出し資本主義は繁栄と平和をもたらしてきた。 しかし資本主義はいまだに社会主義からの執拗な攻撃に晒されている。 資本主義は創造であ、社会主義は破壊である。 資本主義は知恵であ、社会主義は愚鈍である

 

今大統領選挙が行われているフランスは美味い料理、美しい風土、高い工業技術をもった国である。 しかし残念ながら日本と同様社会主義に毒されている。 政府は国民を、国民は政府を、企業は官僚を、官僚は企業を、同じ国民同士が互いに蔑み、なじり、誹謗し、中傷し合っている。 社会が引き裂かれている。

 

「政府は国民を怠けものだと言う! もっと働けという! 違う! 私たち何ヶ月も仕事を探している でも仕事が無さ過ぎる 政府はなんで国民の面倒を見ないのだ 収入は減るし、老後も心配だ 公務員の仕事をがんがん増やして雇用をつくれ!」「年寄りがいつまでも居座っている! だから俺ら若者の働く場所がないんだ!」「年寄りはいい年金もらって、俺ら若者は取り分が少ない! 不公平だ!」

 

社会主義は怠け者を利し、勤勉なる者を罰する。 社会主義は政府官僚と癒着する大企業を利し、創意工夫とバイタリティーで市場参入に挑戦する中小企業を罰する。 社会主義は国民に「保護」を与え、国民から自由を奪う。 社会主義は国民を「管理」し、国民に「管理費」を負担させる。 社会主義は国民を「持てる者」と「持たざる者」に二分し、反感と憎悪を植えつける。 社会主義は争い無きところに争いをもたらす。 争いは階級闘争、人種差別、民族差別といった形で現れ、社会を破壊する。 社会の破壊は貧困と悲哀をもたらす。 社会主義は国を没落させる。

 

資本主義は人々の向上心を鼓舞し、勤勉なる者に報いる。 資本主義は創意工夫とバイタリティーに報い、競争による活性化をもたらす。 資本主義は国民に自助独立の精神を植え付け、精神的・金銭的自由を与える。 資本主義は人々の自主性と責任感を鼓舞し、行動の自由を与える。 資本主義は社会に流動性をもたらし、社会階層の固定化を打ち砕く。 資本主義は商品とサービスがもたらす利益に人々の関心を向けさせ、それに従事する人々の個人的な生い立ち、育ち、家柄、年齢、性別、民族、人種、宗教、思想といった概念を無意味にする。 資本主義は人々を顧客満足への競争に駆り立て、その競争はより良くより安価な商品・サービスとなって社会を潤す。 資本主義は価値を創造し、経済を維持し、社会を発展させる。

 

社会主義は衰退・分裂・敵対・破壊の思想であり、資本主義は繁栄・統合・融和・創造の思想である。 資本主義の歴史はまだ短い。 資本主義の伝播はまだ限られている。 先進国では早くも資本主義が悪者扱いされ、アジア、アフリカ、南米などでは資本主義がまだ陽の目を見ていない国々が沢山ある。 資本主義の認知度はまだ低い。 資本主義はまだ未発達である。 例えて言えば、資本主義というのは将来性のある少年である。 しかしその周りには社会主義という悪い習慣をみにつけた大人が取り巻いている。 ふしだらな大人は年端もいかぬ真面目な少年に酒を飲ませて堕落させようとしている。 少年は少しずつ道を踏み外しつつある。 そういう感じである。

 

資本主義ままだまだ脆弱である。 資本主義の歩む道は険しい。

親米保守・反米保守

  • 2012.03.11 Sunday
  • 22:39
 

日本における保守言論界を見ていると不思議な言葉が飛び交っている。 それはこの人は親米保守だ、あの人は反米保守だ、というような言葉である。 簡単に言うと、幼稚である。 その言葉を発する人間の単細胞ぶりが見て取れる。 聞いていると悲しくなってくる。 馬鹿馬鹿しくなってくる。 情けなくなってくる。 そういう言葉である。

 

親米だの反米だのって、その米はどこの米だ? カリフォルニア米とフロリダ米は違うのである。 大東亜戦争で日本が戦ったのはどの米なのか。 日本が戦ったのは共産主義、そして共産主義のシンパであるフランクリン・ルーズベルトである。 ルーズベルトの前の共和党のフーバーは言ってみれば今のロムニーのようなものでビジネスマンであった。 民間でビジネス経験あり、ということで期待されて政権を取ったがいかんせん「穏健派」であったため不幸なホーリー・スムート法という保護貿易法の成立を許してしまった。 その法案によって世界はブロック経済化し、貿易が阻害され、世界的不況に陥った。 ルーズベルトはその間違いを正すどころか社会主義的な政策を連発して大不況を延々と長引かた。 その一方ヨーロッパでナチスを放置する傍らアジアで日本への嫌がらせをし、遂に日本が自衛の戦争をせざるを得ない状況へ事態をエスカレートさせた。 戦後も共和党は親日、民主党は親中反日という傾向があるが、歴史的な背景を見れば当然といえば当然である。

 

アメリカというのは複雑な国であり、多様性のある国である。 誰かの思想を表現するのに、他人の国を引き合いに出して単純化して反対か賛成かに分けてそれを基にするなど、あまりに単純な行為である。 ラーメンは日本の料理か、中国の料理か、に対する考えを思想信条の拠り所にするようなものである。 アメリカが奴隷制度を廃止したこと、国旗国歌を大切にする伝統を守っていること、宗教に寛容で信教の自由を守る事に熱心であること、に対しては大いに賛意を示すべきである。 同時に、孤立主義・保護貿易に走った過去、日本人排斥や日本サボタージュを行った事、広島・長崎大虐殺を行った事(日本の南京での行為が『大虐殺』であるならアメリカの行為はなんと表現したらよいのか想像すらつかない)、ベトナムやカンボジアの共産化を許した事には大いに非難するべきである。 それらに全部賛成あるいは反対などということはあり得ない。 故に、親米も反米も、言葉のフィクションに他ならない。 それどころか、反米保守という肩書を自認するようであれば、それはもはや保守ではない。 なぜならば、「偏見と無知」は「保守主義」とは相容れないからである。

 

アメリカには「レーガン保守」「ゴールドウォーター保守」「憲法保守」「自由市場保守」「ネオ保守」「社会保守」といった言葉は使われるが「親日保守」だの「新イスラエル保守」だの「反ロシア保守」だの「親中保守(キッシンジャー?)」などといった言葉は無い。 だから余計に日本における保守の表現に違和感を覚える。 保守というのは読んで字の如く、保ち守ることである。 何を保ち守るのかと言えば、それは国、民族の良き伝統であり、文化であり、習慣である。 それは別に他国のものは良きも悪しきも排除する、という意味ではない。 特に日本の良いところは他国の良い部分を巧みに取り入れることである。 それは特に伝統的に日本の強みである。 だから、それを含めて保ち守らねばならないのである。

 

他国の良いもの。 それはエドマンド・バークであったりオーストリア学派であったりハイエクであったりフリードマンであったりレーガンであったりするのだろうが、それらを取り入れるのは親米だからでも反米だからでもなく、ただ良きものを保ち守るための知恵を欲するからである。 知を求めるのは保守の性質である。 それは日本であろうがアメリカであろうが、どこであろうが同じである。 親米だ反米だなどと言っているうちは日本に成熟した保守の土壌が生まれるこをと期待することは出来ない。 これが日本の保守の限界であり、将来に向けての課題である。

「政教分離」は左翼思想

  • 2012.02.21 Tuesday
  • 01:23
 

全体主義的左翼思想の言葉がいつの間にか世間一般にいきわたり、政治思想に無関心な人々だけでなく、保守を自称する人物までがその言葉を振り回すようになる、という現象はよく見られることである。 「格差社会」「社会正義」「地球温暖化」「脱原発」等々。 しかし特に日本社会に根付いている悪しき言葉として「政教分離」を挙げなければならない。 首相の靖国参拝は政教分離に抵触するからダメである、と左翼が言う。 それに対して「いや、別に宗教活動をしているわけじゃない。 政教分離は侵していない」と保守が弁明する。 どちらも全然だめである。

 

左翼全体主義の特徴は、論理性が無くひたすら感情的なこと、良きものを破壊しようとすること、自身の問題を他に転嫁して貶めんとすること、である。 政教分離という考えにはこれら全てが見事に当てはまる。 政と教、すなわち政治と宗教というものを分離することは物理的に不可能である。 例えれば、人間の脳という「ハード」と思考や想念、感情という「ソフト」を分離せよというに等しい。 ある人が立候補し、当選し、政治家になった途端、「今日からあなたの頭からあなたに対して価値観を与えてきた教えを完全に排除してください」と言われるに等しい。

 

政治とは何か。 それは「政府の仕事である国防、治安維持、社会基盤整備を行うために、法の枠の中で、国民から託された権限を行使すること」に他ならない。 そしてこれらに携わるのが政治家であるが、彼らが独裁的な権力を行使することを防ぐために行政、立法、司法の三権分立があるのである。 しかし、これら政治に直接携わる人々、そして彼らを選ぶ責務を負った国民達の行動の原動力となるのは何か。 何が彼らを突き動かすのか。 国家、社会、家族、文化、といった祖先からの遺産を守り、発展させ、そして次世代へと引き継いでいこうとする意思に他ならない。 ではその意思はどこから来るのか、そして意思を決定するうえでの判断はどこから来るのか、そして判断をする上での価値観はどこから来るのか。 

 

窓を開ければ価値観が入ってくるのか、蛇口をひねれば価値観が出てくるのか、スイッチを押せば価値観が閃くのか。 胃が空っぽになれば腹がへるのは本能である。 誰に教えられる必要もなく、誰もが感じるのが本能である。 良き社会のためにあえて人を困難に立ち向かわせる衝動、それは正義感であり、義務感であり、怒りであり、憧れであり、愛である。 それらの感情や衝動に方向性と指標と論理性を与えるのが価値観である。 価値観とは、誰が発明したのか。 テレビ朝日でも日経でもないし、ニューヨークタイムズでもハーバード大学でも東大でもソニーでもない。 神、仏、あるいは創造主の名において語られ、数百年、数千年という歴史の中で人々に生きる道を示し、律し、力を与えてきた教え、すなわち、それは宗教である。 もしも人類に宗教が無かったならば、人間は我々が住むような市民社会を形成することはできなかったはずである。 なぜならば、市民社会が存在しうる根本は個人の尊重、祖先の尊重、そして命の尊重であり、創造主の絶対的な命令としてそれらを教えるのは宗教以外にないからである。

 

汝盗むべからず。 なぜか。 警察に捕まるから... そうではない。 違法だから... そうではない。 盗まれる人がかわいそうだから そうではない。 創造主の前に、全ての人は生まれながらにして平等である。 ある人が労働によって付加価値を生み出し、収入を得る。 その収入でモノを買う。 そのモノはその人の労働の対価であり、その人だけのものである。 それを取り上げ、他の誰かに勝手に分け与える権利は誰にもない。 より多く労働し価値を生み出した人間が、労働せず、価値を生み出さない人間から収奪されるのは悪である。 意識するしないに関わらず、ユダヤ教だのキリスト教だの仏教だのカトリックだのプロテスタントだのに関わらず、それらを教えてきたのは宗教なのである。

 

ロナルド・レーガンは20世紀最大の政治家である。 彼はソ連を悪の帝国と呼び、アメリカ経済の再生と軍事力による断固たる対ソ戦略によりソ連を崩壊させた。 その後アメリカは20年にわたって繁栄をつづけ、その繁栄は世界に恩恵をもたらした。 レーガンを突き動かしたのは個人の尊厳と自由を踏みにじるソ連そして共産主義に対する強烈な怒りであった。 そしてその怒りの源泉は神への信仰であった。 生命、自由、幸福の追求個人の権利は神が与えたものであり、何人をもそれを侵すことは許されない。 もしもレーガンから信仰を取り除いたならば、その後にいったい何が残るというのか。

 

政教を徹底的に分離しようとした試みは歴史を見れば枚挙にいとまがない。 フランス革命、ロシア革命、大躍進そこで何が起きたか。 大衆による暴力と社会の解体、そして独裁、個人崇拝である。 ジャコバン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、ポルポト、金王朝、カストロ、チェ・ゲバラ(バカがTシャツのデザインに使う人物)彼らは皆宗教を敵視し、あるいは利用した。 そして彼ら亡き後は党中央政府という官僚集団による管理社会が残る。 彼らの世界に言論の自由、信教の自由、行動の自由は無い。  すなわち、市民社会は無い。 ところで、現在のアラブ・イスラム圏は権力者が国民を支配するために宗教を徹底利用している例である。 イスラムはもはや宗教ではなく政治理論である。

 

「政教分離」、それは唯一無比な歴史と文化を持つ国である日本を瓦解せんとする共産主義運動が広める毒である。 いったん毒されると頭脳が麻痺し、思考が停止してしまう。 恐るべき毒である。

ミシェル・バックマン著作「Core of Conviction」

  • 2012.01.01 Sunday
  • 15:00

日本の未来は保守主義が復活するか否かにかかっている。 人生をどう生きるか、社会をどう考えるか、国家をどうとらえるか、過去から何を学ぶか保守主義とはそれらを包有し形成する哲学である。 保守主義の精神によって形成される国は強く、社会は健全である。

 

しかし悲しいことに、西ヨーロッパも同様であるが、保護主義や懐古趣味が保守主義と同義語としてまかり通る我が国では健全なる保守の精神は瀕死の危機にある。 もしくは既に死に絶えている。 従って志ある人間は個人で保守主義を育んでいかなければならない。 そのような個人がどれだけいるか。 日本の将来はそれにかかっているといっても過言ではない。

 

2012年のアメリカ大統領選は歴史的に重要なイベントである。 なぜならば、建国の理念に保守主義が根差し、現在に至るまでその精神が脈々と受け継がれている稀有な国がアメリカであり、そのアメリカにおける保守主義の成功あるいは失敗は世界に対する影響を与えずにはいないからである。 保守が勝利しなければ左翼オバマ政権によるアメリカの解体は更に進む。 アメリカの経済は更に悪化し、軍事力は低下し、国際的地位が低下する。 アメリカはより社会主義的になり、社会秩序は瓦解する。 アメリカ全国でいまだに繰り広げられている「占拠せよ」運動はその前触れである。

 

もしも保守が勝利すればアメリカは80年代のように再び本来の姿に立ち返るはずである。 しかしそれは共和党が本当の保守を担ぎ出せばの話である。 今後アメリカが上がるか下がるかの瀬戸際にある今、共和党が誰を大統領候補に指名するか、アメリカの運命はその決定にかかっていると言っても過言ではない。

 

現在共和党指名争いを争う候補者の一人、ミシェル・バックマンは名実共に保守である。 バックマンの最近の著書「Core of Conviction = 信念の核」は素晴らしい本である。 なぜならば保守の精神の何たるかがバックマン女史の生き方において語られているからである。 保守を名乗る者すべてに読まれる価値がある本である。 

 

知恵に溢れた文章の中から以下を抜粋する。

 

 

政府の支出と社会福祉について

 

The Democratic administration (Carter presidency) was running big deficits while telling the Federal Reserve to print money without value behind it to make up those deficits.  Do we see a recurring pattern here?  That is, too much government spending, so government pays for its binge by firing up the printing presses.  That means a reduction in the value and the soundness of the dollar; in other words, theft by government.

(バックマン女史が20代前半の頃)カーター民主党政権が巨額の負債を垂れ流す傍ら連邦準備銀行はその負債を埋め合わせるために後ろ盾無しのドル札を刷りつづけた。 現在の状況と同じである。 政府はカネを使いつづけ、そして必要なカネを刷りまくる。 その結果は? ドルの価値の下落、健全さの喪失 それは政府による窃盗である。

 

I would willingly save and invest that money by setting it aside.  Instead, I later found out, the government wasn't investing my retirement money for my best interest; it was taking my money and spending it on current recipients, providing no guarantee of return on investment.

私は(社会保障制度について)政府を信頼し、政府に進んで金を託した。 しかし後に知ったのは、政府は私の利益のために私が託した金を投資すらしていなかったそれどころか、それを現在の受給者のために使っていた私が託した金を私に返す当てなど無しに、である。

 

注)だから、政府による社会保障政策などというものは「政策」ではなく「詐欺」以外の何物でもないのである。 その国家的詐欺を温存し、その存続のために消費税増税や累進課税の強化を行おうとしている日本は発狂寸前である。 いや、すでに発狂を通り越してこん睡状態にある、とでもいうべきか。 

 

国防について

 

I want a small government and a big defense.

私は小さな政府と大きな国防を欲する。

 

"The first duty of the sovereign," Adam Smith wrote more than two centuries ago in The Wealth of Nations, is "protecting the society from the violence and invasion of other independent societies."  And the protection requires military force.

主権国家の第一の義務は何か - アダム・スミスは著書「国富論」にて述べた - 他の独立主権による暴力と侵略から社会を防衛することである、と。 そして、防衛とは武力を要するのである。

 

(About 1970's US policy) It was foolish to depend on the nuclear doctrine of mutual assured destruction (aptly called MAD).  Instead, we should figure out how to shoot down enemy missiles fired by the USSR or other potential enemies.  Such a defensive capacity could save not only many millions of American lives but also many millions of Russian lives.

70年代の宥和外交を批判し)「核兵器による勝者なき破壊」理論に頼る外交を展開する行為は愚かであった。 我々はむしろ、ソ連や他の敵対国家が発射するミサイルをいかに撃ち落とすかを考えるべきであった。 そのような防衛力は数百万のアメリカ国民、そしてまたロシア国民をも、危機から救ったはずである。

 

… Yet I knew that such deliberate fatalism about technological potential was ridiculous, because if antiaircraft weaponry could be made to work - as it had worked successfully as far back as the Second World War - so too could antimissile weaponry be made to work during the cold war.

しかし、我が国は長らくそのような技術を諦めるという愚挙を犯しつづけた。 私はそれを愚かであると確信していた。 なぜならば、第二次大戦の時点で地対空ミサイルは既に実用化されていたわけである。 ならば数十年が経過した冷戦時代にミサイルを撃ち落とすのが不可能であるなどと何故言えただろうか? 

 

注)日本はアダム・スミスの言うところの主権国家の第一の義務を放棄しているわけである。 その国家が環境対策だの少子化対策だの景気対策だのとのたまうのだから笑止千万である。

 

 

自由市場経済について

 

(About Stillwater's timber industry)This process might be called an example of the "spontaneous order" that the economist Friedrich Hayek was later to describe so ably.  That is, it's the process of thousands of people cooperating with one another for the benefit of all - and no bureaucrat in some faraway place could have made this system work so effectively. 

かつて材木産業が栄えたスティルウォーターは経済学者フリードリヒ・ハイエクがいみじくも「自発的秩序」と呼んだ原理を地で行くものであった。 数千もの人間が全員の利益のために協力する仕組み 遠く離れた政府・官僚機構がいかに知恵を絞ろうが、その仕組みを彼ら以上に効率的に運営することは出来るはずもなかった。

 

Transparency is vital in any government operation other than one involving national security, and Geithner and the Fed had been anything but transparent.

透明性こそ、国防以外の政府運営における要である。 ガイトナーと連邦準備銀行のやり方は正にこの透明性の欠如そのものであった。

 

The act of hiring is a matter of faith - faith in possibilities, faith in the future.

人を雇う行為とは信頼である。 それは可能性に対する信頼、そして将来に対する信頼である。

 

注)最近政府の方針で決まった「富裕層への課税強化」はまさしくここで言われている「将来への信頼」の反対である「将来への不安」をひたすら冗長し強調しているのである。 ビジネスチャンスを見極めて大胆な投資を行い人を雇用して成功を収めんとする立場の人たち、すなわち富裕層を、その気にさせるのではなく、逆に今ある財産をどう守るかに汲々とさせるのが増税である。 すなわち、愚かこの上ない、ということである。

 

 

医療について

 

(About Obamacare) That is, instead of ordering a la carte, you have to buy the prix fixe - as determined by the government.

(オバマケアを批判し)この法案は、患者が医療行為を自身の必要に応じて単品で注文するのではなく、政府・官僚機構が恣意的に選んだ医療プログラムを否応なく受け入れること、それを強要するものである。

 

Universal coverage, in other words, no matter how complete - no matter how many mandates are imposed - won't do what only medical science can do.

国民皆保険がいかに完璧にプログラムされ、いかに法的に強制力を持とうが、それが出来ることは医学が成し遂げたことに対して遠く及ぶものではない。

 

As always, the real driver of health costs is illness itself.  Illness is what costs money, and so the most effective way to reduce health costs is to make illness cheaper.  And illness can be made cheaper only by prevention and cure. 

常に医療コスト高騰の原因は病気そのものである。 病気があるから金がかかるのであり、医療コストを下げるに最も効果的なのは病気そのものを安くしてしまうことである。 そしてそれは予防と治療によってのみ可能となる。

 

Under bureaucratic control, the only way to lower costs is by rationing - that is, by imposing arbitrary limits on medical care.

政府・官僚機構の管理下における医療コスト抑制は医療サービスの恣意的な配給化によってのみ可能となる。

 

Indeed, it's heartless, but true: Rationing treatment and promoting suicide of the gravely ill - or the merely inconveniently ill - would lower government's cost at the expense, of course, of our lives and well-being.

これは実に非情な事実である。 医療行為を配給化し、重篤な患者に自殺行為を勧める。 それによって政府はコストを抑えるが、同時に、我々の命と健康を犠牲にすることは避けようがない。

 

How much are we spending today on his once - dreaded scourge of playgrounds and swimming pools?  Virtually nothing.  The scourge is gone, at least in the United States.  That's because the vaccine made the disease (Polio) disappear.

今、かつて遊び場やプールで簡単にかかってしまう病気として恐れられた小児麻痺に、我々は幾らの金を費やしているだろうか。 ゼロである。 少なくともアメリカにおいてこの病気は根絶させられている。 ワクチンによってこの病気が根絶やしになったのである。

 

If we could push back the onset of the disease (Alzheimer) by even a few years, we could dramatically reduce the costs of maintenance and care.  If we can be healthier, if we can work longer, and if we can retire later, the nation thereby saves vast sums of entitlement money.

もしもアルツハイマーの発症をあと数年遅らせることができたならば この病気に関わる医療コストを大幅に引き下げることが出来るはずである。 我々がより健康になり、より長い年数働き、より遅くリタイアすることで、福祉にかかる支出を大幅に下げることが出来るはずである。

 

注)国民皆保険、政府による医療への介在が当たり前となった日本においても、少しでも脳味噌が残っている人間にとって上の言葉はハンマーのように響くはずである。 年金同様、政府による医療保険も詐欺である。 しかも人の命にかかわる詐欺であり、国家的犯罪である。

 

 

共和党について

 

That's a lot of "against."  So what were we for? ….. We were for lower taxes.  We were for individuals making their own health-care decisions.  We were for the freedom to reduce unemployment by not taxing investment money away from job-creating businesspeople.  We were for a constitutional vision of personal liberty.  We were for a strong America, confident in its essential values.  We were for standing up for our treasured allies….

我々共和党員は「何でも反対」と言われる。 我々は何に「賛成なのか」。 我々は税金を下げること、各自が自身の医療に関する決定をすること、雇用創出者である企業家が行う投資に対する税金を無くして失業率を下げること、個人の自由に対する憲法の理念、自らの価値を信頼する強いアメリカ、大切な同盟国と共に立ち上がること これらに対して我々は賛成である。

 

注)日本のメディアやジャーナリズムはアメリカの左翼メディアを無批判に再生産することで偏向報道をし続ける。 共和党イコール保守ではない。 しかし共和党は多かれ少なかれ保守派の党でありつづけた。 保守派あっての共和党である。 逆ではない。 バックマンが主張しているのは共和党に力を与え続けてきた保守の精神である。

 

 

社会福祉や社会保障が政府の一番の仕事だと信じて疑わない人間が多い日本において、武器を放棄すれば平和が訪れると信じる人間が多い日本において、社会の問題が市場経済によってもたらされていると信じる人間が多い日本において、上記の言葉は実に新鮮な響きを持つ。 ゆえに貴重な書である。

 

 

参考

Core of Conviction: My Story

 

アメリカ大統領選に見る保守と中道

  • 2011.12.04 Sunday
  • 18:16
 

アメリカ大統領選の共和党候補者のディベートが面白くなってきている一つの理由は各候補の違いが際立ってきているからである。 保守と中道の差、問題への洞察力の差、言語能力の差。 これらの差がだんだんと見えてきている。 ロン・ポールとジョン・ハンツマン以外はどれも良い候補である。 バックマン、サントラム、ギングリッチ、ペリー、ロムニー、どの候補がオバマと相対しても勝利するであろう(ハーマン・ケインは選挙活動中止を宣言した。 残念なことである)。 しかし重要なのは勝った後である。

 

ジョージ・ブッシュは強固な信念をもった善良な人物であった。 9.11の衝撃を受けたアメリカを再生させ、アフガニスタンとイラクでの戦いに勝利をもたらし(民主党・左翼から多大なる邪魔をされ、いまやオバマによって反故にされつつある)、経済の繁栄をもたらした(民主党議会によって多大なる邪魔をされ、いまやオバマによって反故にされつつある)。 9.11後にアメリカだけでなく、アジアやヨーロッパの安全をもたらした人物として歴史上高く評価されるべき人物である。

 

しかし残念ながらブッシュは保守主義が芯まで叩き込まれた人物ではなかった。 政権後期には民主党に妥協してウォール街や自動車や保険会社の救済に巨費を投じ、資本主義の原理を捻じ曲げる決定をしたのはブッシュである。 「Compassionate Conservatism = 寛大な保守主義」なる亜流思想をもてあそび、No Child Left Behind Actのような中央集権的政策を教育に持ち込んだり、不法移民に媚びる政策をとり、結果財政支出を増やしたのもブッシュである。  ラムズフェルドが解任されるまではテロには断固とした姿勢をとりながら、その後北朝鮮をテロ支援国家から外し、核保有を許してしまったのもブッシュである。

 

保守側の政治家が左翼的政策をとれば、保守的な政策の効果は薄められる。 減税をするのは良いことであるが、同時に規制を増やしたり政府支出を増やしてしまっては意味が無い。 保守が中途半端に左な政策をもてあそぶのを見るくらいならば、左翼が左翼思想を全開にしてユートピア的将来を物語るのを見る方が大衆にとっては魅力的である。 左翼のオバマはそれで勝ち、中道のマケインはそれで負けたのである。 「中道」というと、天秤の真ん中にあってバランスが取れているように聞こえるが、それは誤解である。 中道というのは下降でもないが上昇でもない、ネガティブな現状維持ということである。

 

現在共和党の指名争いを戦う候補者の一人にニュート・ギングリッチという人物がいる。 ギングリッチは日本では「ゴリゴリの右翼」ぐらいの認識であろう。 社会主義化した日本らしい受け取り方である。 ギングリッチは保守的ではあるが「強固な保守」ではない。 中道寄りである。

 

最近のディベートで不法移民に関する論争が行われた。 その中でニュート・ギングリッチ候補はこのようなことを言った。 「不法移民を合法化するつもりはない。 しかし考えてみてほしいが、アメリカというのは移民の国なわけだ...不法移民としてアメリカに移住し、もう25年もここに住んでいる人たちがいる...そういう人たちは家族がいる...そしてコミュニティーがある...そして勤勉に働き、家族を養い、法を守り、善良な市民として生きている。 そういう人たちを強制送還する、という考えはアメリカ的ではない。 彼らの家族をバラバラに引き裂く、という行為は家族を重んじる保守としてあるまじきことである。 だから、私は彼らが手続きを経て合法的な市民となる道を作りたい...」 だいたいこのようなことを言っていた。

 

さすがディベートの名人だけあって「多くの人が、なるほど、と思うだろうな」と思う語り口である。 しかし以前「グリーンな保守主義」なる亜種思想をもてあそび、CO2削減などに媚を売ったことのある人物が発する言葉らしいというか、この人は本当に保守か?と疑いを抱かせる言葉である。 25年前の違法行為が、今の同様な行為と同じ罰を受けなくて良しとするのであれば、ならば15年ならどうなのか、10年ならば、8年ならば、5年ならば、3年ならば? それは誰がどういう基準でどのような権限で決めるのか? 法の精神は? 法に則り、これから辛抱強く手続きを積み重ねて合法的移民を目指そうとしている人々はどうなるのか。 その経過の真っ只中にいる人たちはどうなるのか。 既にそのプロセスを経て多大な努力をして市民となった人々はどうなるのか。 善悪をごまかしイメージを売り込む左翼そのものの考えである。

 

私であればこう言うであろう。 「I, as President, would welcome immigrants from all over the world.  And at the same time I would enforce the law, because this is a country founded on law and order.  For those who are here illegally, I would do everything to make their lives extremely difficult and unbearable, no matter where they come from, no matter how long they have been here… by implementing federal laws against illegal immigration, building physical fence along the southern border and by imposing hefty penalty against hiring illegals…until they self-deport.  And, for those who are hard-working, family-loving and law abiding, I wish they would come back to us… through the front door

 

2012年の選挙を戦う共和党候補者も強固な保守、かなり保守、保守ではあるが中道寄り、中道、といろいろである。 アメリカの将来のために...というより、保守の日本人としては保守主義と資本主義の未来のために、「強固なる保守」に勝利してもらいたいものである。

アメリカに生きる保守の精神

  • 2011.12.04 Sunday
  • 16:27
 

アメリカ大統領選の共和党候補のディベートが面白くなってきている。 保守主義というものがアメリカには生きていることが見て取れるからである。 保守主義と、それを支える厚い支持層があること、またそれを伝える保守メディアがあること、これはヨーロッパには見られない現象である。 アジア諸国にも見られない現象である。 そして最も重要なことだが日本でも見られない現象だということである。 

 

ギリシャ、イタリア、スペインに見る財政の崩壊は日本にも押し寄せつつある問題である。 この問題の根本にあるのが保守主義の消滅である。 人々が保守主義が消滅したことにも気が付かないし、そもそも保守主義が何なのかも知らない。 それこそが、これらの国々に共通する根本要因なのである。 

 

日本においては左派政権が進める自由貿易協定を自称保守政党の自民党の自称保守政治家がケチをつける始末である。 左派政権が進める増税について、自称保守政党の自民党の自称保守政治家が「やむを得ない」などと言っている始末である。 日本には「自称保守」はいるが、「保守本流」は非常に少ない。 「保護派」はいるが、「保守派」は少ない。 極めて少数派である。

 

アメリカはバラク・オバマ政権の左翼政策のもとで弱体化が進んだ。 国際的な地位の低下は目を覆うばかりである。 中国やロシアに見下される。 イラク撤退表明で中東における威信も地に落ちた。 経済はますます悪化し、失業者は増える一方。 増税増税、規制規制で企業活動を締め殺しながらいまだにブッシュ政権に責任を押し付けようとする。 全米で占拠運動を繰り広げる無法者集団に支持を表明する始末。 

 

アメリカの保守派はこの選挙を近年の歴史上いまだかつてない重要な戦いであると認識している。 このオバマが再選される事態になれば、アメリカは長い不幸な時代に突入することになる。 オバマが敗退するか否かは共和党が本当の保守を候補に選ぶことにかかっている。

 

アメリカの保守派を代弁するのが保守メディア、特に保守ラジオトーク番組である。 若き日にレーガン政権の司法省で主任スタッフとなりその後弁護士を経てトークショー・ホストとなったマーク・レビンは最近こう表現した。 自分がヨーロッパの社会主義国に住んでいるとして(ヨーロッパはどこも多かれ少なかれ社会主義である)、もしもその国の首相や大統領の候補者が今のアメリカの共和党の候補者たちが訴えているようなことを言ったとしたら、歓喜するであろうと。 

 

これは我々日本の保守にもそっくりそのまま当てはまることである。 「もしも、すっかり社会主義国となってしまった我が国日本の政治家や首相候補者達が、今のアメリカの大統領選の候補者が言うようなことを言い、お互いに論戦を繰り広げていたら、それは想像するだけでも素晴らしいことであろう」と。

 

参考

Complete South Carolina Republican 2012 Presidential Debate

http://www.youtube.com/watch?v=IjjwxjOupRI

右か左か

  • 2011.11.20 Sunday
  • 00:58
 

保守と左翼は右と左と言われる。 その対比を徒然と書き連ねてみる。

 

学びの保守・洗脳の左翼

保守は歴史から学ぶ。 知識を歴史からくみ取り、それを知恵に発展させる。 よりよき社会のために知恵を活用する。 それに対して左翼は歴史を捏造し、軽んじる。 歴史から学ばず、斬新で新奇で奇矯なアイデアを追い求める。

 

責任の保守・他力本願の左翼

保守は社会を支えているのは自覚と責任をもった個人であることを知っている。 保守にとって、個人の問題は一人一人の自覚によって解決するものである。 左翼にとって、それの解決は社会の責任であり政府の責任である。 政府がより多く持つものから奪い、持たざる者へと分配しなければならない、と。

 

覚醒の保守・酩酊の左翼

保守は現状認識の大切さを知っている。 保守にとって大切なのは現実であってユートピア的理想ではない。 保守は人間が生来善ではないことを知っている。 醒めている。 だから保守は国防に強い。 左翼にとって人は善である。 神は無い、人がある。 だから、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」てしまうのである。 だから、左翼は国防には弱い。

 

許容の保守・非寛容の左翼

保守は言論と経済の自由が社会の発展をもたらすことを知っている。 左翼は白痴やめくらといった古くから使われる言葉を差別用語というレッテルを貼る。 言論を規制する。 CO2が悪者であることは「議論の余地が無い」として正当な反対意見を退ける。 商業や工業を規制する。

 

謙譲の保守・尊大の左翼

保守は自分が自分であるのは自分のおかげではなく社会のおかげであることを知っている。 保守はその社会を形成する良き伝統、良き文化、知恵、知識を保ち、守り、次世代に受け継いでいく。 左翼にとって、自分があるのは自分のおかげである。 人間は既に地球の支配者であり、地球は悲鳴を上げている。 地球を助けるのは自分達である。 もう経済成長を追う時代は終わった。

 

保守は人間など地球規模で見れば真に小さな存在であるということを知っている。 津波は自然の災害であり、福島原発はその犠牲者に他ならない。 時には防ぎようのないものである。 左翼は2万人を超す犠牲者を出した津波よりも、その津波によって被害を受けた(地震によってではなく)原発を許すことができない。

 

論理の保守・感情の左翼

保守は頭で考え、心で感じ、耳で聞き、目で確かめ、そして論理で結論を出す。 左翼は感情が全て。 だから矛盾を抱え込む。 Occupy運動に繰り出し銀行つぶせ、大企業をつぶせと叫ぶ。 そしてATMで金を引き出す。 飯を食う。 服を買う。 そしてその自己矛盾に気がつかない。 最低賃金を上げろと...それで企業は採用を控える...雇用が減少する...失業保険を出す...財政困難に陥る...税金を上げる...企業や金持ちからもっと取れと...企業は投資を控えるそしてその自己矛盾に気がつかない。 

 

保守と左翼は右と左ではない。 上と下である。 保守とは上昇への道であり、左翼とは下降への道である。

 

1964年、バリー・ゴールドウォーター大統領候補の指名演説にてロナルド・レーガンは喝破した。 

 

There is no such thing as a left or right.  There is only an up or down. up to a man's age-old dream, the ultimate in individual freedom consistent with law and order--or down to the ant heap totalitarianism.

 

至言である。

田中英道という亜流人間

  • 2011.11.06 Sunday
  • 12:15
 

『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』という本で田中英道という名前を知ったが、学者で新しい教科書をつくる会の会長をした人物らしい。 日本の歴史を正すのも東京裁判史観を否定するのも大変良いことである。 しかしこの人物を調べるにつけいかがわしい偽保守、エセ学者、亜流思想家であることが分かる。 保守として最も大切なのは道徳である。 道徳の基本は事実無根の中傷をしないことである。 人種差別、民族差別は事実無根の中傷の最たるものであり、不道徳の極みである。 この人物はこの不道徳の極みである民族差別、反ユダヤ主義を自説の根本に置いている。 保守にあらざるだけでなく、同じ日本人として恥ずべき人物である。

 

氏は『戦後日本を狂わせたOSS~』の中で、「自分は反ユダヤではなく、日本人にはもともとそのような伝統は無い」と小賢しく前置きしたうえで、「ルーズベルトの先祖にユダヤ人がいる、そこが重要なところである」「ルーズベルトの政策に影響を与えたフランクフルト学派の学者はユダヤ人がほとんどだった」「ホロコーストによるユダヤ人の被害者意識が彼らの知的判断にかかわってくる」「ルーズベルトを補佐した人物に【ユダヤ人】が多かったことが【彼らの思想】が広まる要因になった」という具合に悪いのはユダヤ人という一個の民族であるとしている。

 

ルーズベルトの政策は左翼主義である。 左翼主義というのはユダヤ・キリスト教道徳の否定である。 「汝盗むなかれ」はユダヤ・キリスト教道徳の根幹である十戒のひとつである。 ルーズベルトとその側近が財政出動とばら撒きという政府権力を使った壮大なる盗みを正しいと信じて疑わなかったということと、この十戒の文言は根本から矛盾する。 多くのニューディーラー達はルーズベルトを含めて民主党ウィルソン政権で育てられた。 ウィルソン大統領はアメリカの歴史における初めての独裁者であり、戦争プロパガンダ推進、政府による企業活動の規制、言論統制といった政策を進めた人物であることはJonah Goldberg"Liberal Fascism"に詳しい。 よく日本の教科書には「理想主義者」などと書かれており、鳩山由紀夫的な人物を想像するかもしれないが、それは間違いである。

 

田中はフランクフルト学派こそがルーズベルトに影響を与えた張本人達であるという。 よく引き合いに出される当学派の代表的な学者はホルクハイマーとアドルノである。 彼らは確かにユダヤ系ドイツ人でナチの迫害を逃れてアメリカに来た。 ウィキペディアが正しければ、ホルクハイマーがアメリカに来たのは1933年で38歳のとき、アドルノが来たのは1938年で35歳のときである。 ルーズベルトが大統領に就任したのは1933年である。 アメリカの大統領というものは、任期が始まったとき、あるいはその途中で、海外からやってきた若き学者達から突然影響を受けるわけではなない。 尚ルーズベルトは就任した当時51歳である。

 

氏は自身のウェブサイトでこのように論じている。 

 

「ネタニヤフ首相ら、イスラエル政治家は、パレスティナのハマスの「テロ」の攻撃のみを言い募り、被害者意識だけを語るが、モサドの攻撃についても、そのパレスティナへの圧政のことを言わない。イスラエル入植地は、すでにイスラエル全域に及ぼうとしている。それは「侵略」という以外にない。そしてガザ占領地区があたかもアウシュビッツに近い状態になっているということ、イスラエル統治下のパレスティナ人の隷属・衰退ぶりは、「ナチ」の下のユダヤ人と似た状態になっていること。こうした「ナチ」とイスラエルとの類似性が、必然的にユダヤ人観を変えるのである。「アウシュビッツの後に、詩を書くのは野蛮だ」などというアドルノの発言は、ユダヤ人の被害者としての特権化の上に立っていたが、もうそうした発言は、無効となる事態が生まれていることになる。」

 

氏はイスラエルを一度きちんと自分の目で見たらどうだろうか。 人々が自由を謳歌し、自身と家族の幸福を追求し、勤勉に働き、懸命に国を守る、その姿をその目で見たらどうだろうか。 氏はイスラエルがガザやヨルダン川西岸地区に対して電力を供給している事実を知っているだろうか。 テロをやめないなら電力をカットすることもできるにも関わらず、ということを知っているだろうか。 ガザの入植地ではイスラエルが撤退した2005年以前は5000人ものパレスチナ人労働者を雇用していた事実(当然ながら、撤退後はその雇用は失われた)を知っているだろうか。 ナチがユダヤ人殲滅計画の基にユダヤ人の職と生命を直接的に奪ったことに対し、パレスチナ人に電力や職を供給するイスラエルを「似た状況」と表現するこの人物にはなにがしかの信憑性があるのか、ということである。

 

田中英道、この人物は日本の保守を代表する人物として桜チャンネルや井尻千男のパネルディスカッションに参加している。 この事実は日本の保守の未来に暗い影を落としている。 このような不道徳かつ無知な人物が「保守」と捉えられている日本、その精神的荒廃は目を覆うばかりである。

小さな政府とは

  • 2011.07.07 Thursday
  • 23:34

良い社会は「小さな政府」によってもたらされる。 良き市民は「小さな政府」によってもたらされる。 強き国家は「小さな政府」によってもたらされる。 小さな政府とは良いものである。

 

逆に、悪しき社会は「大きな政府」によってもたらされる。 悪しき不道徳な市民は「大きな政府」によってもたらされる。 弱き国家は「大きな政府」によってもたらされる。 大きな政府とは悪しきものである。

 

小さな政府とは何か。 小さな政府とは「何もしない政府」ではない。 小さな政府とは「仕事をしない政府」ではない。 小さな政府とは「役に立たない政府」ではない。

 

「小さな政府」という言葉は「リベラル」という言葉と同様誤解を受ける言葉である。  リベラルというのは「自由な」という意味ではないどころか、逆に「社会の正義を実現するために政府が積極的に介入するべきだ」とし、「そのためには個人の自由は制限されるべきである」とする考えであり「専制的な」行動を伴う思想である。

 

「小さな政府」というのは「役割を限定した」政府というとに他ならない。 ここで言う政府というのはその時々の内閣のことではない。 官僚機構を含む公共セクターのことである。 「国防、治安維持、公共インフラ整備」これらが政府の役割である。 なぜこれらが政府の役割なのかと言うと、これらは公共の利益に関することであり、営利を追求する企業には向かないからだ。 逆に言うと、無私の精神でこれらの仕事をする人間がいないと、企業が安心して営利を追求できずに経済が成り立たないからである。 

 

日本は非常に国防が弱いから、尖閣諸島で日本企業が油田開発を行うどころか中国に取られているではないか。  前金払っても商品を納品せずにとんずらする輩が取り締まられなければ契約が何の意味もなくなり商売が成り立たないではないか。 客先まで商品を運ぶ道路が無ければ生産する意味が無いではないか。

 

国防とは国家の生命線である国境や領海を命を懸けて守る仕事である。 治安維持とは社会の安全と安定を体をはって無法者から守る仕事である。 インフラ整備とは、人々の生活と企業活動に最低限必要な場を提供することである。 インフラというのは何も道路や橋だけではない。 社会を構成する人々が最低限の読み書きが出来、計算が出来、礼儀正しく節度をもっていることも重要なインフラである。 日本が製造技術を生かして兵器を開発してどんどん海外へ輸出できるような法整備をするのも一種のインフラ整備といえよう。

 

ついでに言うと、道端でごみをポイ捨てする人間は最低限のインフラすら備えていない人間である。 日本社会は大多数の人間がこのような常識を備えている。 人々の公共心というのは非常に重要な社会インフラである。 海外で公務員がおおっぴらに賄賂を取るのを見るにつけ、日本社会の一員であることを誇りに感じ、社会の伝統を受け継いできた先達に感謝の念を抱くものである。 

 

「消防や警察の仕事を政府が行うのであれば、なぜ保険や郵便を政府が行ってはいけないのか」という意見がある。 行ってはいけないのである。 なぜかというと、それらは民間企業に出来るからだ。 何故出来るかと言うと、実際にやっておりうまくいっているからだ。 目を開けてみれば分かることではないか。 

 

民間に任せておけばよい分野に政府が介入すると社会全体がダメになる。 

 

第一に業界が規制でがんじがらめになってコストが上がる。 そうすると既に市場のシェアを占めている大企業が政府と結託して自分の都合の良い規制をかけて新規参入を阻む。 規制を管理監督する官僚組織が発生するために際限なく国民から税金が取り立てられる。 社会のコストが再現なく上がっていく。 

 

第二に人々が常識という指針に従うのではなく法律と規制に従って物事を判断するようになる。 当然の帰結として個人の道徳観念が破壊される。 道徳という一番重要な社会インフラが破壊されるわけだ。 長い年月をかけて培ってきた文化ともいうべき道徳観念が一旦破壊されると再生は難しい。 以前書いたことがあるが学校のいじめを苦にする自殺は「大きな政府」の犠牲者である。

 

第三に政府が仕事をしなくなる。 逆説的だが本来の役割を忘れるのだ。 余計なことばかりするのだから本来の仕事を忘れるのは当然の帰結であろう。 今の日本を見れば説明を要しないはずである。

 

小さい政府は良い政府である。 小さい政府は機能を発揮する政府である。 小さい政府は道徳的である。

Abortion - the culture of death

  • 2011.06.11 Saturday
  • 00:47

One who side with death and one who side with life.  Which one are you scared of? 

 

One who thinks a person can decide who to live and who to die and one who thinks a person cannot decide who to live and who to die.  Which one are you scared of?

 

I happened to be scared of those who think themselves are eligible to make life and death decision of one life. 

 

I happened to agree with those who think that everybody has right to life.

 

Liberals believe pro-abortion is on the side of liberty and freedom.  They are right.  Killers take liberty to kill others.  Killers think it is their freedom to take life of others.  They are on the side of liberty and freedom - in their cocoon. 

 

Conservatives, on the other hand, are on the side of preserving life.  Conservatives think one should respect life, because each life has unalienable rights under the name of God and nobody is given power to take life.

 

War and death penalty are a different subject, which liberals are greatly confused.  But, it's another subject of another day.

 

Liberals and conservatives are living in two different planets.  We are two different species. Therefore, we will never agree with each other, and we shouldn't hope to get along with each other.

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>

time

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM