オバマ広島訪問に思う

  • 2016.05.29 Sunday
  • 11:15
 

米大統領が現職で初めて広島訪問、慰霊碑に献花 核なき世界訴え
[広島 27日 ロイター] - オバマ米大統領は27日、現職大統領として初めて広島を訪問し、原爆慰霊碑に献花した。献花後のスピーチで大統領は「亡くなった方々を悼むために訪れた。あの悲惨な戦争のなかで殺された罪なき人々を追悼する」と述べた。その上で「歴史の観点で直視する責任を共有する。このような苦しみを繰り返さないために何をすべきか問う必要がある」とし、核保有国は核なき世界を追求する勇気をもつ必要があると語った。


オバマの広島訪問を喜ぶ自称保守がいるが、極めて情けないことである。

先の大戦で日本が得るべき教訓は何だったのか。

それは、戦争へと至るどのような経緯があろうとも、ひとたび戦争が始まったら負けてはならないということである。そして負けないために手段を選んではならないということである。

負けないために「何をしてもよい」ということではない。

負けないために「可能な限り全ての手段を講じなければならない」ということである。

敵方の一般市民を大量殺戮しようが核兵器のような大量破壊兵器を使おうが、とにかく手加減をしてはならない。相手が戦意喪失して降参するまで叩きのめさなければならない。

それが戦争というものである。その現実こそが我々の体験である。

アメリカは日本を敗退させるために手段を選らばななかった。そして原子爆弾を使った。それはアメリカの立場からすれば何らおかしなことではない。アメリカ保守がオバマの広島訪問に激怒するのも当然といえば当然である。

日本の歴史は日本の歴史であり、アメリカの歴史はアメリカの歴史である。両者が同意しない部分があっても何ら不思議なことではない。ましてや死闘を繰り広げた大戦前後の歴史に関しては互いに完全に相反して当然である。

原爆投下は国際法違反だった、などと寝言を言っている者がいるが、そのようなことを言っている限り日本が自主独立の道を歩むのは不可能である。

国際法は法ではない。おまじないである。なぜならば国際法をあまねく執行する機関は存在しないからである。国際社会は強いものが制する無法地帯である。保護者不在の幼稚園である。力こそが唯一の言語である。それは過去、現在、そして未来永劫変わらぬ現実である。

「核なき世界」とは何か。それはマシンガンや大砲や手りゅう弾で人々が殺し合う世界である。第二次世界大戦以降、大国同士が直接戦火を交えずに来たのは核兵器のおかげである。

「核兵器は悪いものだ・・・」

それで我々はどうするのだ。

核保有国である中国、北朝鮮、ロシアの脅威の前に核保有どころか国防そのものを放棄しつつアメリカ駐留軍の存在に頼る。

この自己矛盾が我が国の姿である。

我々がアメリカ大統領から原爆投下の謝罪を受けて得るものは何もない。我々の自己矛盾と混乱が深まるだけである。

この自己矛盾を解決しない限り我が国が歴史と国防を取り戻すのは不可能である。その道は遥か遠いと言わざるを得ない。

世界遺産「南京大虐殺」と我らの罪状

  • 2015.10.11 Sunday
  • 17:11

<世界記憶遺産>「南京虐殺」資料を登録 中国が申請
【パリ宮川裕章】国連教育科学文化機関(ユネスコ)は9日、重要な歴史文書などを認定する世界記憶遺産に、中国が申請した「南京虐殺」に関する資料を登録することを決めた。中国にとっては、歴史問題の主張の根拠とする資料に国連機関から「お墨付き」をもらった形。一方、日本政府は「ユネスコの政治利用」と反発しており、日中間の歴史認識の溝を広げる可能性がある。(毎日新聞) 2015年10月10日(土) 3時19分掲載

この知らせを受けて、日本では「南京大虐殺」をめぐる中国側の申請がいかに嘘の資料で固められているか、という主張が目につく。国連ユネスコにしても、日本から54億円もの拠出金を受けているにも関わらず、このような仕打ちで返すとはけしからん、という声もある。

「ユネスコへの拠出金の一時凍結を!」という「強硬な」意見も見られるが、既に払ったものは返ってこない。既に日本はぼったくられたわけである。中国が捏造屋であるのは今に始まったことではない。既にそのような彼らの姿を何十年も目にしてきているのである。

外国が日本の国益を侵害し、日本側はそれに抗議する。抗議は口だけであり、敵対国家は実質的に何のお咎めも無し。毎度おなじみの光景である。

このような毎度毎度の繰り返しに対し、そろそろ違和感を覚えてもよいころである。

日本側の反応に力は無い。我々の最大の同盟国であるアメリカを含め、世界中の大方は南京大虐殺は事実であると認識している。ホロコーストが事実であったのと同じく、南京大虐殺も事実であると。南京大虐殺は20世紀における代表的な非人道行為であると。南京大虐殺を否定するは歴史の捏造であると。

中国のユネスコ記憶遺産巡り 菅長官「極めて遺憾」


上の日本政府の反応から伝わってくるのは「言い訳がましさ」だけである。南京大虐殺は事実なのだが日本はそれを公にされたくない。だからユネスコに文句を垂れるのだと。

なぜ実際にあったことを素直に認めないのか − 私が真実を知らない外国人であれば吐き気を催したことであろう。

我々にはそのような反応を示す外国人を責める資格は無い。

なぜならば、国の代表である総理大臣が南京大虐殺を認める談話を発表するのを許容しているのは、他でもない我々だからである。

安倍談話 - 懺悔の継承

「南京大虐殺」の汚名をしょっている限り、我々は罪人なのである。我々の先人も、我々も、我々の子孫も、全員が罪人なのである。

誰が罪人認定したのか?我々自身である。アメリカでも中国でもない。我々である。

なぜならば、我々自身がそれを否定しないからである。そして、我々の代表である総理大臣に、罪状を否定することを要求しないからである。

もう戦後70年が経過している。他人に責任転嫁して有卦に入る時は過ぎている。

終戦70周年 歴史認識について世界を相手に議論する

  • 2015.03.28 Saturday
  • 15:19

第二次世界大戦終了から70年、今日本では歴史を振り返ろうという機運が高まっている。終戦以来、日本は敗戦国として完全に悪者扱いであった。だが国内外の情報の入手が個人でも簡単にでき、瞬時に世界中の人間とコミュニケーションが取れるようになった今、我々にとって失われた歴史を取り戻す絶好の機会が到来している。

ここ数か月、私はツイッター上で主に保守のアメリカ人と戦争の歴史について議論をしてきた。議論をする相手に保守を選ぶには理由がある。保守とは原理原則と理想を大方共有しており、合意に達する意味があるからである。リベラル左翼とは原理原則も理想とするものも全く異なるため、合意に達する意味が無い。また、合意に達することもない。だからリベラル左翼とは出来るだけ最初から議論をしないのである。

いろいろな人間と何度も議論をしていると、ある程度のパターン、それも議論に負けないパターンが出来てくる。ツイッターは素晴らしい議論の場である。文字数が限られているために簡潔であることが求められる。だがリンクや画像を貼って、詳細な情報を伝えることもできる。議論の出来ない人間ほど「ツイッターで議論をするつもりはない」だとか「ネット上の情報など信用するつもりはない」などと言い逃れをするものである。

英語のできる者は、ぜひこれらを活用して世界へと発信されたい。

真珠湾攻撃
先ず出てくるのは「真珠湾攻撃」である。とにかく日本が先に戦争を仕掛けたのだから、絶対に日本が悪いのだ、というわけである。それに対してはこれである。




スターリンのソ連は日米両国を離反させ、敵対させるためにルーズベルト政権に入り込んでその外交政策に影響を及ぼした。アメリカは真珠湾攻撃の数か月前に(まだ両国が和平を模索しているはずだった時に)中立を破って日本が戦争状態にあった中国国民党を軍事支援した(リンク)。よって既にアメリカは日本と戦争状態にあったのであり、真珠湾攻撃は不当な先制攻撃でもなんでもなかった。アメリカは「勝ったつもり」だが、日本と交戦したがためにアジアの広域とヨーロッパの半分が共産化され、1億人もの犠牲者を出した。朝鮮戦争やベトナム戦争で戦死した米軍兵士も共産化の犠牲者である。

相手はここで、既に書いてあることをクドクドと突っついてくるか、これは議論しても勝ち目はないと見るや、サッと話を変えようとする。中国行きのチケットを買って飛行機に乗ろうとするのである。

南京大虐殺

大概は真珠湾攻撃の話から南京大虐殺の話へと瞬間移動する。これは定番メニューの一つである。「中国人に対するホロコーストをやった日本人に何も語る資格はない」というわけである。それに対してはこれである。




元々20万人で、それがどんどん増加しているのに虐殺などあるわけないでしょうと。

「お前の意見など信用できるか!」と言われたらこれである。




中国人兵士が民間人のようなふりをして狼藉を働き、それを日本兵のせいにしたことがバレた(それを外国人がいる前で自白した)というニューヨークタイムズ紙の記事。



日本軍入場後、治安が回復し、20万人の一般市民に対して帰宅許可が出た、というニューヨークタイムズ紙の記事。



蒋介石の国民党の治世下で中国人は苦しめられたが、日本軍が来てからようやく法治が復活した、というタイムズ紙の記事。



(アメリカ・ルーズベルト政権やイギリスがユダヤ人難民を見捨てていた最中に)ホロコーストを逃れたユダヤ人を満州や中国で日本軍が救ったこと。

ここで相手は「でも中国にいたのは日本軍だろ?中国から招待されたわけじゃないだろ?日本が侵略したのは確かだろ?」と食い下がってくる。それに対しては、これ(リンク)で歴史を説明してあげるもよいが、手っ取り早いのはこれである。

【動画アメリカ軍によるフィリピン人虐殺】



「アメリカ軍はフィリピンから招待されたのですか?」と聞いてあげればよい。「まあ、昔は現地の人々に対する扱いは酷かったな」とかムニャムニャ言ってはぐらかしてくる。ところで私はアフガニスタンやイラクは引き合いに出さない。それはこれらが正しい戦争だからである。

相手は中国から急きょ韓国へ飛ぶ。そして「でもお前らは朝鮮人の女性を性奴隷にしただろう」と言ってくる。それに対しては事実無根であると返し(リンク)、終戦直後の日本において米兵も同じように日本が用意した慰安所を利用したのだということを知らしめてやればよい。

そこで相手は韓国からフィリピンに急きょ移動してこういってくる。「しかし日本軍の連合国軍捕虜に対する扱いは非人道的だった。バターン死の行進はいまだに我々の記憶から消えない」と。

そこでこう言えばよい。「死の行進(デス・マーチ)」じゃなくて「生の行進(ライフ・マーチ)」でしょ、と。




アメリカ兵はバターンで日本軍に降伏する以前に、マッカーサー司令官のもとで空腹とマラリアで死んでいたのだと。写真を見ろ。日本軍は重い荷物を持っているが捕虜は手ぶらだぞと。一人の日本兵が三百人ものアメリカ兵の面倒を見たのだぞと。殺すつもりなら皆殺しにできたところを、こうやってマラリア地獄から皆を脱出させてあげたのだぞと。我々は感謝されなきゃならないのだぞと。

7割方はこれまでの段階で脱落である。ツイッターでは議論についていけずに相手をブロックしたら脱落である。

ここで更に相手は食い下がる。「俺の爺さんはバターンで殺されたぞ」と。

そうしたらこう言えばよい。「それがどうした」と。戦争とは非情なものである。誰それが死んだ、などはどうでもよい。自分の家族が死んだから、だから我々を糾弾するというのならば、これ(リンク)を出せばよい。これは南方戦線に参加したチャールズ・リンドバーグという有名人の日記であり、連合国軍の日本軍兵士に対する残虐行為が記されている。

そこで相手は「私は連合国軍が酷いことを何一つしていないとは言っていない」とか言い訳を始める。もしくはここらへんでブロックである。ブロックする人間はだいたい「お前は狂っている」「お前は歴史修正主義者だ」「もうこれ以上話したくない」に類するセリフを投げ捨てていく。

ここで追い打ちをかけ、戦争中の日本が連合軍の捕虜をどのように扱ったかを知らしめてやればよい。日本軍が撃沈したイギリスの軍艦エンカウンター号から海に投げ出された450人のうち422人を日本海軍が救出した英雄的な事実を教えてあげればよい(リンク)。日本軍兵士を最後の最後まで追いつめて抹殺しようとした連合軍の行いと比較しなさいと。

当然、戦争中であるから捕虜収容所においてもシェラトンやリッツカールトンのようなゴージャスなおもてなしは不可能である。しかし我々は可能な範囲で捕虜たちを生かす努力をしたのであり、善意を持って対処したことはアメリカ側の記録にも残っている(リンク)。当時の日本はまだ混浴の習慣が残っていたが、日本は捕虜の兵士たちをそのような一般の銭湯に入れてあげたことが記されている。

ここまで落ち着いて議論ができる相手ならば、過去を克服して未来に向けて両国の結束を固めなくてはならない、という点で合意に至るのである。

ところで、私はことさら原爆を引き合いには出さない。それは、相手の民間人を殺してでも自国の兵士の犠牲を最小限度にし、戦争の終結を早めようとするのは正当な行為だからである。戦争において民間人の犠牲をゼロにすることは出来ない。また、それを恐れて敵への攻撃の手を緩めることも出来ないし、してはならない。日本は中国、北朝鮮、ロシアと周りを敵国に囲まれている。日本は将来彼らとの戦争をするにおいて、味方の犠牲を限りなくゼロにし、彼ら敵国の犠牲を最大化しなければならない。そのためには彼ら敵国の民間人を大量殺りくするのは必須である。特に北方領土は既にロシア住民が住んでおり、後の火種を残さないようにするためには彼らを(いわゆる“何の罪もない”女子供老人を含め)皆殺しにするつもりでかからなければ領土を奪還することは出来ない。だから、その我々が民間人虐殺を批判するのは、将来的に理屈が合わなくなるのである。

時には相手はありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてくる。下のような画像を送りつけてきて「ごちゃごちゃ言おうが、とにかく貴様らは負けたのだ。今更歴史を変えようなどと考えるな。諦めろ」と。




そんな相手に対しても、同レベルになって反米的な言葉や汚いセリフを発してはならない。我々の目的は日米離反ではない。彼らは反日を克服せねばならず、我々は反米を克服しなければならない。「その爆弾は俺には届かなかったゼ」くらいに受け流せばよい。

大東亜戦争を肯定する人々を「民族派」と呼ぶ者がいるが、自閉症的な考え方である。私は民族派というのがどのような人達なのかを知らない。まあ知っているのかもしれないが、どうでもよいことである。我々が日本国の恩恵を享受しているのは大東亜戦争を戦った我々の先人のおかげである。彼らの戦った戦争を称揚するのは日本人であれば当然のことであり、民族派も何も関係無いのである。アメリカでは第二次大戦やその後の戦争を称揚する人のことを「民族派」などと呼んだりはしない。

上にあげた議論で戦えば、負けることはない。少なくともある程度の合意に達するか、相手が脱落するか、いずれかである。こちらが正しいからである。歴史を議論するのは楽しいことである。相手が「日本の悪」として信じて疑わなかったことを片端から否定しまくるのは爽快な気分である。これは陰気に「民族派」云々とつぶやく人間には分からない楽しさである。だがこちらが気分良いだけでなく、歴史認識において双方で合意に達することが出来れば更に良い。それは十分に可能である。

本来、我々の歴史の正当性を主張するべきは政治家の役割である。だが、実際は「右傾化」などと言われる安倍政権にしても靖国参拝も村山・河野談話の否定も出来ないザマである。我々は彼ら政治家を待っていることはない。我々民間が先んじて動き、彼らのケツに火をつけるくらいでなければならない。それは我々のために戦った祖先のために、ITと情報化の時代に生きる我々に課された使命である。

追記
いくら外国の人間と歴史を議論しても、我々日本人自身が正しい歴史観を持てないのならば無意味である。国際的に日本の戦争時代は悪であったと思われている現実は、他でもない日本人自身による反日の鏡写しである。他国人を責めるのではなく自省しなければならない。これほどまでに長い間、自国の本当の歴史を主張してこなかった日本の体たらくを。

原爆投下と国際法

  • 2015.03.28 Saturday
  • 12:47

第二次世界大戦におけるアメリカの広島、長崎への原爆投下は国際法違反であり、日本はそれを世界に発信するべきである、という意見がある。国際法違反は確かにその通りなのだが、それを主張することに余り意味はない。なぜならば、国際法というのは法律ではなく、いわば暫定的なお約束程度のものでしかないからである。

法とは何か。誰にでも分かるように明示され、だれに対しても同じように適用され、違反者に対しては必ず罰則が加えられる。これが本来の法律というものである。そして少なくとも法と呼ぶからには三番目の要素は不可欠である。なぜならば、それが無ければ何の執行力もない、呪文と同じだからである。

国には法律がある。世界には法律は無い。法を作る立法、法を実行する行政、法を解釈する司法、この三権があって初めて法は機能する(これらが分立しているかどうかは別問題である)。日本には日本の法律があり、アメリカにはアメリカの法律があり、中国には中国の法律がある。北朝鮮にすら法律がある。キムジョンウンという何の法律である。

一方、世界にあるのは力関係である。国際社会は無法地帯であり、いわば「子供だけの幼稚園」である。少しでも強い者が弱い者を支配し、弱い者が更に弱い者を支配する。弱い者は凶暴で乱暴な者と仲良しになるか、優しそうだけどもガタイのでかい者と仲良しになるかを選択する。何かの拍子で機嫌を損ねた強い者が弱い者の頭をガツンと殴りつける。「そんなの国際法違反だ」と叫んだところで意味はない。だが、もし強い者がお友達であれば、そのお友達が殴ったものを殴り返してくれる。二度と殴ってこないように脅してくれる。

これが国際社会の現実である。

世界にたった一つの法律があるとすれば、それは「力」に他ならない。ある程度気の合う強いお友達の御機嫌を伺いながら他の反吐が出るような嫌な乱暴者から守ってもらうのも一つの手だが、自分がある程度強い者となり、ある程度自分で身を守るのも手である。国土や経済の規模、地理的な条件もあるので、それぞれの国が自国にとって最良と思われる選択をしなければならない。

原爆で多くの一般市民が犠牲になったのは日本国民にとっての悲劇である。だが、原爆投下が国際法違反だったかどうかはどうでもよいことである。少なくとも、有史以来世界を支配する法律には反してはいなかったのである。日本国民として彼ら犠牲者を弔うのは当然である。だが灯籠を何万個流しても、彼らは戻ってこないのである。

国際法は法律ではない。それはまさしく日本が降伏して戦争が終わった後でソ連が日本の領土を侵略し、占領するという「国際法違反行為」が、70年の長きにわたって誰からも罰せられることなく今日に至っていることからも明白である。なぜ罰せられないかといえば、ソ連、そしてロシアがアメリカと並ぶ、「世界の法律」の執行者だからに他ならない。日本が過去の戦争において国際法を守るべく戦場に国際法学者を従軍させていたことは大変名誉なことである。だが、残念ながらその事実は対日プロパガンダによってかき消されてしまっている。国際法が法律でないのだから、ある意味当然である。

過去に関して重要なのは、日本は非常にしぶとく戦ったものの勝ち逃げできず、後半には劣勢になり、最新兵器の開発を敵方に先んじられたという点に尽きる。だからこそ原爆投下という目にあったのだと。未来に関して重要なのは、過去の教訓を生かし、いかに世界唯一の法律である「力」において守りを固めるかということに尽きる。それが核武装を含む軍備増強と自衛隊の正式な軍隊化にあることは明白である。そして日本が世界における法の執行者(アメリカに次ぐ2番目の軍事大国という意味)になった暁にこそ、原爆の被害者の魂が浮かばれるのである。

Remember Pearl Harbor… and Flying Tigers

  • 2014.12.23 Tuesday
  • 01:16


We shall remember Pearl Harbor.
 

We shall remember Flying Tigers.
 

We shall remember that America was at war with us long before our attack on Pearl Harbor.

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Search for Impeachable Crimes is Off Course
Patrick J. Buchanan

 

Friday, July 12, 1991
 

On CBS Sunday's “Face the Nation” the issue was the “October Surprise" - the charge that Bill Casey, of Ronald Reagan's 1980' campaign, secretly offere to send weapons to Iran, if Iran would hold onto its American hostages, until Reagan won the presidency.
 

For the record, I don't believe a word of it.
 

But bitter Democrats, unreconciled to their loss of the White House, will investigate, hope, and come up again with egg on their faces. But if they are truly interested in clandestine violations of law, involving war and peace, and mendacity at the highest level of government, they might read Sunday's L.A. Times.
 

http://articles.latimes.com/1991-07-06/news/mn-1525_1_flying-tiger
 

According to a story by Richard Vartabedian, the “Flying Tigers’ of Gen. Clare Chennault were not just U.S. volunteers fighting for Chiang Kai-shek. Recruited at U.S. bases, offered five times normal pay, they were sent off to fight Japan, months before Pearl Harbor, in a covert operation run out of FDR's White House by Lauchiin Currie (later exposed by courier Elizabeth Bentley as a Soviet spy).
 

Here is real history, Robert Schriebman, attorney for the Flying Tigers, has a secret memo dated August 1941, from Army Air Force Gen. Henry ‘Hap’ Arnold, affirming that creation of the Flying Tigers "has the approval of the president and the War Department.” To avoid a breach of international law, the entire project was organized as a commercial venture,’ reads a secret report prepared by Army intelligence in 1942.
 

David Ford, who is writing a book on Chennault’s heroes, says the operation was funded by a $100 million loan to China, arranged by Treasury Secretary Henry Morgenthau. (Morgenthau, recall, was later author - along with his deputy, Harry Dexter White, another Soviet spy - of the infamous "Morgenthau Plan," that urged smashing of all German industries, the flooding of her mines and conversion of that industrial heartland of Europe into pastureland, a proposed war crime to rank with Stalin's policy in the Ukraine.)
 

What the Pentagon has been denying for 50 years, the Pentagon admitted in May: The Flying Tigers, though their planes carried the insignia of the Chinese army, were on "active duty" for the United States. They were, and are, American veterans.
 

None of the above diminishes the heroism of these incredible pilots whose 294 kills of Japanese planes, with only four lost, is legendary in the annals of aerial warfare. Rather, the issue is a veritable dictator's contempt for the rule of law and for the Constitution of the United States.
 

At the very time his men were recruiting these warriors to go fight Japan, FDR was bound by the Neutrality Act, prohibiting aid to "belligerent" nations; he was assuring fearful American mothers he was doing his damndest to keep their sons out of foreign wars.
 

If Ollie North's $2 million in supplies to the Contras, (which did not even violate the Boland Amendment), had Democrats yowling about "impeachable acts," does not this secret, illegal dispatch of U.S. pilots to light Japan constitute an lmpeachable act? Does it not confirm what many historians have argued: That FDR deliherately sought to goad Tokyo into war, to embroil the United States in the Pacific, as the "back door” through which to take us into war in Europe, war FDR and Churchill concluded we had to fight - even though Congress voted, and the American people wanted, to stay out.
 

One day this whole story is going to spill out.

WWII, POW and the memoir of a fallen hero

  • 2014.12.08 Monday
  • 00:03

I cringe whenever I hear American, British and Australian people refer to Japan before 1945 as "a brutal aggressor". Virulently anti-Japan movie "Unbroken" will be released this month, and I expect anti-Japanese sentiment will raise its head yet again even among friends of our country.

I haven't read "Unbroken" yet, originally authored by Laura Hillenbrand who wrote the book without even meeting with Mr. Zamperini, the main character, in person. From the review of the book, however, one can understand that the purpose of the book is to vilify the Japan's war-time military and its treatment of Allied POW.

Attacking Japan's treatment of POW has always been a common theme. Were we more brutal, heinous and inhumane than others? The truth is we were not more brutal, heinous and inhumane than others. The situation was brutal, heinous and inhumane. All the people who participated in the war, struggled for survival.

To humbly counter this common theme of vilification, I decided to post materials that could help people to balance out the viewpoints. The following are the excerpts from the book "The Wartime Journals of Charles A. Lindbergh". Charles Lindbergh was a controversial figure. He was one time "a hero" and later on "a fallen hero".

I cringed when I found out Lindbergh was a Nazi Sympathizer. As a staunch Israel supporter and a hater of all kinds of totalitarianism including Communism, Fascism and Nazism, the revelation was mind-boggling. As Henry Ford, known as a great industrialist who transformed automobile industry and so the lives of millions of people worldwide had flaws (he was an anti-Semite), Lindbergh, the American hero, obviously was also a flawed man.

The purpose of the posting is to exhibit the material before the eyes of the viewers to evaluate. I have nothing to vouch for his remarks. There is just the fact that Charles Lindbergh who participated in the Pacific War as a private individual saw what he saw, heard what he heard and thought what he thought during the warfare against Japan.

Again, the purpose is not to incite hatred, but to give people perspective and context;

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Wednesday, June 21, 1944
General (Paul B. Wurtsmith)'s account of killing a Japanese soldier: A technical sergeant in an advanced area some weeks ago complained that he had been with combat forces in the Pacific for over two years and never had a chance to do any fighting himself-that he would like the chance to kill at least one Jap before he went home. He was invited to go out on a patrol into enemy territory. 

The sergeant saw no Jap to shoot, but members of the patrol took a prisoner. The Jap prisoner was brought to the sergeant with the statement that here was his opportunity to kill a Jap. 

"But I can't kill that man! He's a prisoner. He's defenseless." 
"Hell, this is war. We'll show you how to kill the son of a bitch." 

One of the patrol members offered the Jap a cigarette and 
as he started to smoke an arm was thrown around his head and his throat "slit from ear to ear." 


The entire procedure was thoroughly approved by the general giving the account. I was regarded with an attitude of tolerant scorn and pity when I objected to the method and said that if we had to kill a prisoner I thought we ought to do it in a decent and civilized way. The sons of bitches do it to us. It's the only way to handle them."


Monday, June 26, 1944
There were three silk Japanese flags hanging on one wall of the hut we were in, taken from the bodies of Japanese soldiers. The souvenir value of one of these flags was about ₤10, one of the officers told me ($33.00 American). Someone who has a Japanese officer's sword is asking ₤250 for it. The talk drifted to prisoners of war and the small percentage of Japanese soldiers taken prisoner. "Oh, we could take more if we wanted to,"one of the officers replied. "But our boys don't like to take prisoners." 

"We had a couple of thousand down at ----, but only a hundred or two were turned in. They had an accident with the rest. It doesn't encourage the rest to surrender when they hear of their buddies being marched out on the flying field and machine guns turned loose on them." 

"Or after a couple of them get shot with their hands up in the air." another officer chimed in." 

"Well, take the ----- th. They found one of their men pretty badly mutilated. After that, you can bet they didn't capture very many Japs." 

The talk drifted to air combats and parachute jumps. All of the pilots insisted it was proper to shoot enemy airmen coming down in their parachutes. However, several said that they themselves would not do it."The Japs started it. If they want to play that way, we can, too."Accounts were given of American airmen shot down hanging from their parachutes by the Japanese. 


Wednesday, June 28, 1944
Supper and evening with 475th officers. Talk again turned to war, prisoners, and souvenirs. I am shocked at the attitude of our American troops. They have no respect for death, the courage of an enemy soldier, or many of the ordinary decencies of life. They think nothing whatever of robbing the body of a dead Jap and call him a "son of a bitch" while they do so. I said during a discussion that regardless of what the Japs did, I did not see how we could gain anything or claim that we represented a civilized state if we killed them by torture. "Well, some of our boys do kick their teeth in, but they usually kill them first," one of the officer said in half apology.

Later in the evening, as I was getting ready for bed, another officer showed me his souvenirs. Several Japanese soldiers had walked into the camp at about two hours after midnight.) There was argument among the officers as to whether the Japs had come to steal food or to surrender.) The officer who was showing me the souvenirs woke, saw the Japanese, grabbed his. 45, and shot two of them. Another officer accounted for a third. I don't blame them for what they did. After all, one can hardly to ask questions when he sees Japanese soldiers in camp during the darkest hours of morning. What I do blame them for is the attitude with which they kill and their complete lack of respect for the dignity of death. The souvenirs consisted of a silk Japanese flag containing the usual characters, a number of Japanese bills, including invasion money, a name stamp, a postal savings book, a number of postal cards already written and addressed, several other articles, and a photograph of several Japanese soldiers, including the one from whose body the "souvenirs" were taken-a young boy of about fifteen to seventeen years of age. 


Thursday, July 13, 1944
Supper with Phil La Follette. Phil cooked supper. We discussed the war, old times, and the political situation back home. At one point, the conversation turned to the atrocities committed by the Japanese and by our own men. It was freely admitted that some of our soldiers tortured Jap prisoners and were as cruel and barbaric at times as the Japs themselves. Our men think nothing of shooting a Japanese prisoner or a soldier attempting to surrender. They treat the Jap with less respect than they would give to an animal, and these acts are condoned by almost everyone. We claim to be fighting for civilization, but the more I see of this war in the Pacific the less right I think we have to claim to be civilized. In fact, I am not sure that our record in this respect stands so very much higher than the Japs'. 


Friday, July 21, 1944
The Japanese stronghold on the cliffs on Biak is to be attacked again in the morning. Several hundred Japs are still holding out in caves and they have thrown back all of our attacks, and inflicted nearly one hundred casualties on our infantrymen. They have as perfect a natural defensive position as could be devised - sharp coral ridges overlooking and paralleling the coast, filled with deep and interlocking caves and screened from our artillery fire by coral ledges. This area is clearly visible from the top of the coral cliff, ten feet from the back door of the officers quarters where I am staying - a brown ridge surrounded by green jungle on the coast of Biak about three miles across the water from Owi island. 

The intense artillery fire has stripped the trees of leaves and branches so that the outline of the coral ridge itself can be seen silhouetted against the sky. Since I have been on Owi Island, at irregular intervals through the night and day, the sound of our artillery bombarding this Japanese stronghold has floated in across the water. This afternoon, I stood on the cliff outside our quarters (not daring to sit on the ground because of the danger of typhus) and watched the shells bursting on the ridge. For weeks that handful of Japanese soldiers, variously estimated at between 250 and 700 men, has been holding out against overwhelming odds and the heaviest bombardment our well-supplied guns can give them. 

If positions were reversed and our troops held out so courageously and well, their defense would be recorded as one of the most glorious our nation. But, sitting in the security and relative luxury of our quarters, I listen to American Army officers refer to these Japanese soldiers as "yellow sons of bitches." Their desire is to exterminate the Jap ruthlessly, even cruelly. I have not heard a word of respect or compassion spoken of enemy since I came here. 

It is not the willingness to kill on the part of our soldiers which most concerns me. That is an inherent part of war. It is our lack of respect for even the admirable characteristics of our enemy - for courage, for suffering, for death, for his willingness to die for his beliefs, for his companies and squadrons which go forth, one after another, to annihilation against superior training and equipment. What is courage for us is fanaticism for him. We hold his examples of atrocity screamingly to the heavens while we cover up our own and condone them as just retribution for his acts. 

A Japanese soldier who cuts off an American soldier's head is an Oriental barbarian,"lower than a rat." An American soldier who slits a Japanese throat "did it only because he knew the Japs had done it to his buddies." I do not question that Oriental atrocities are often worse than ours. But, after all, we are constantly telling ourselves, and everyone else who will listen to us, that we are the upholders of all that is "good" and "right" and civilized. 

I stand looking at the patch of scorched jungle, at the dark spots in the cliffs which mark the caves where the Japanese troops have taken cover. In that burned area, hidden under the surface of the ground, is the utmost suffering - hunger, despair, men dead and dying of wounds, carrying on for a country they love and for a cause in which they believe, not daring to surrender even if they wished to, because they know only too well that our soldiers would shoot them on sight even if they came out with their hands above their heads

We must bomb them out, those Jap soldiers, because this is war, and if we do not kill them, they will kill us now that we have removed the possibility of surrender. But I would have more respect for the character of our people if we could give them a decent burial instead of kicking in the teeth of their corpses, and pushing their bodies into hollows in the ground, scooped out and covered up by bulldozers. After that, we will leave their graves unmarked and say, "That's the only way to handle the yellow sons of bitches." 


Saturday, July 22, 1944
Stood out on the cliff at 9:00 to watch the heavies strike the Jap positions. The B-24s-eight planes in all - hit on the minute ; first two bombers, then two more flights of three ships each - spread at sufficient intervals to allow the smoke from one flight to drift aside before the next was in position to release its bombs. Since there was no enemy antiaircraft opposition, the bombers came over at the ideal altitude of about 6,000 feet. The bombs were perfectly placed, covering the entire length of the ridge. I could see them released with my naked eye - specks curving gracefully through the air - irretrievable death in flight. Then the flashing concussion waves as they hit, and the great column of smoke shooting skyward. In six minutes it was all over, the smoke drifting slowly away to show the torn trees and battered coral ridge. Then the ground artillery began its bombardment, covering the ridge with smaller puffs. This afternoon, our infantry will attack. 

A report came in on the area bombed this morning. The infantry moved in following the artillery bombardment after the bombing. They occupied the area "without firing a shot" - found about forty dead Japs in one cave and "parts of quite a few more" scattered about. The few who were living were sitting and lying around in a dazed condition and made no move as they saw our soldiers. One prisoner was taken, according to the first report ; but an infantry colonel told me later that no prisoners were taken at all. "Our boys just don't take prisoners.


Monday, July 24, 1944
Going down the hill, we came to a pass with the bodies of a Japanese officer and ten or twelve soldiers lying sprawled about in the gruesome positions which only mangled bodies can take. They had gone down fighting in defense of the pass and been left lying there unburied. Since the battle took place several weeks ago, the heat and ants of the tropics had done their work, and little flesh was left to cover the skeletons. In some places there would be a body with two heads lying together. In others there would be a body with no head at all. Some of the bodies had been so badly tom apart that there were only fragments left. And as one of the officers with me said, "I see that the infantry have been up to their favorite occupation," i. e., knocking out all the teeth that contain gold fillings for souvenirs

We had to cross a road and climb another hill to get to the caves themselves. At the side of the road we passed the edge of a bomb crater. In its bottom were lying the bodies of five or six Jap soldiers, partly covered with a truckload of garbage our troops had dumped on top of them. I have never felt more ashamed of my people. To kill, I understand; that is an essential part of war. Whatever method of killing your enemy is most effective is, I believe, justified.  But for our people to kill by torture and to descend to throwing the bodies of our enemies into a bomb crater and dumping garbage on top of them nauseates me

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The cave at the other end of the pit was larger and a little deeper. A path ran steeply down into it over boulders and debris. Charred skulls 
and bodies marked the work of the flame throwers. The inside of the cave was a mire of mud and filth, with the bodies of Japanese soldiers scattered everywhere. On the higher and somewhat less wet positions were stacked boxes of ammunition and food. At the center and far end of the cave the Japs had set up huts similar to those in the first cave we entered, but in better condition, since they were far enough in to escape the flame thrower. One of them had apparently been used for a hospital. One of the bodies on the floor was still lying, partially covered, on a stretcher. This is the cave where the Japs reportedly tried to surrender and were told by our troops to "get the hell back in and light it out."  The far end of the cave opened into a second pit, also littered with dead bodies. We could stand it no  longer and turned back to our jeep. Drove to the shore and bathed in the cool and clear water of a small spring, which the Japs in those caves had probably used only a few weeks previously.


Friday, August 11, 1944
Sitting on boxes and the edge of bunks in the rather poorly lighted tent, we discuss the question of Japanese prisoners. I said I felt it was a mistake not to accept surrender whenever it could be obtained ; that by doing so, our advance would be more rapid and many American lives would be saved. If the Japanese think they will be killed anyway when they surrender, they, naturally, are going to hold on and fight to the last - and kill American troops they capture whenever they get the chance. Most of the officers agree (not very enthusiastically) but say that our inf infantry (doesn't) look on it that way. 

"Take the 41st, for example ; they just don't take prisoners. The men boast about it."

"The officers wanted some prisoners to question but couldn't get any until they offered two weeks' leave in Sydney for each one turned in. Then they got more than they could handle." 

"But when they cut out giving leave, the prisoners stopped coming in. The boys just said they couldn't catch any." 

"The Aussies are still worse. You remember the time they had to take those prisoners south by plane? One of the pilots told me they just pushed them out over the mountains and reported that the Japs committed hara-kiri on the way."
 
"Well, you remernber when our troops captured that Jap hospital? There wasn't anyone alive in it when they got through." 


"The Nips did it to us, though."

"You can't blame the Aussies too much. They found some of their men castrated; and they found some with steaks cut out of them."

"They captured one place where the Japs were actually cooking the meat." (Only yesterday a notice was posted on the squadron bulletin board telling where several Japs had been captured on Biak while they were cooking the flesh of one of their own people.) 

The fact is fairly well established that little mercy is shown and nu- merous atrocities committed by our troops during the early stages of a campaign. Later, as positions are well established, some Japanese troops find it possible to surrender without being killed in the act. But barbaric as our men are at times, the Orientals appear to be worse. 


Wednesday, August 30, 1944
The officer I was with, who came in soon after the first landing, told on me that our Marines seldom accepted surrender of the Japanese troops the island. It had been a bitter fight; our men had lost heavily; The general desire was to kill and not take prisoners. Even when prisoners were taken, the naval officer said, they were lined up and asked which ones could speak English. Those who were able to speak English were taken for questioning. The others "simply weren't taken.

Spent most of the evening writing. Hour's walk along beach and through destroyed Japanese gun emplacements at end of island. Half-sunken American landing barges, the long barrels of Japanese naval guns, and bomb-broken blocks of reinforced concrete were silhouetted in the moonlight. 


Sunday, September 3, 1944
Supper and evening with Colonel Freeman and staff officers. They told me some of the incidents surrounding the capture of this island. We started with a terrific sea and air bombardment. The Japanese, as usual, fought stubbornly. The Marines, as usual, seldom accepted surrender


Monday, June 11, 1945
We had planned on exploring the opposite end of the underground factory this morning, but decided to drive through Camp Dora first. Some of the barracks - long, low wooden buildings-were occupied by Poles, some by Russians, some by Czechs, some by nationalities we could not place. 

On the mountainside above the camp we saw a low, small, factory-like building with a brick smokestack of very large diameter for its height. We could find no road leading to it, so threw the jeep into four-wheel drive and climbed directly up the steep hillside, weaving in and out between the tree trunks. At one end of the building were stacked probably two dozen stretchers, dirty and stained with blood - one of them showing the dark red outline of a human body which had lain upon it. 

The doors of the building were open. We stepped in. On our left, through another open doorway, lay a black, peasant-type coffin, a white cross painted on top. Beside it on the concrete floor, covered carelessly with canvas, lay what was undoubtedly a human body; and beside that, another coffin. we moved on into the main room of the building. It contained two large cremating furnaces, side by side, the steel stretchers for holding the bodies sticking out through the open doors. The fact that two furnaces were required added to the depressing mass-production horror of the place.

The statement that arms and legs had to be cut off to get the bodies in was, of course, a myth, for the doors were large and the stretchers long. But what difference did it make? Here was a place where men and life and death had reached the lowest form of degradation. How could any reward in national progress even faintly justify the establishment and operation of such a place? When the value of life and the dignity of death are removed, what is left for man?

A figure steps in through the door-a man in prison costume. No. a boy; he is hardly old enough to call a man. The prison suit bags around him, oversize, pulled in at waist and hanging loosely over shoulders. He moves out of the brighter light so that 1 can see his face more clearly. He is like a walking skeleton; starved; hardly any flesh covering the bones; arms so thin that it seems only the skin is left to cover them. 

He speaks in German to Lieutenant Uellendahl, pointing toward the furnaces. "Twenty-five thousand in a year and a half." He is Polish, he says in answer to our questioning, seventeen years old. He motions us to follow him and walks into the room we first saw. Stooping, he lifts the canvas from the form lying beside the coffins. It covered an ex-prisoner like himself, only thinner, lying, also in prison dress, half curled up on an Army stretcher. 

It is hard to realize that the one is dead, the other living, they look so much alike. A few days' growth of dark hair bristling from the head, hunger-chiseled features, burning dark eyes, for the eyes of the dead man are open. The most striking contrast between them lay in the expression on the dead man's face. Never, I think, have I seen such tranquility; as though at last, after living through hell on earth, peace had been found. Looking at that face, I realized that in death the spirit had triumphed over the man-built inferno we were in, that even a Nazi prison camp could not remove all the dignity from life and death. 

"It was terrible. Three years of it." The face of the young Pole is screwed up in grief and anguish of his memories. He points to the body  - "he was my friend, and he is fat!" - and re-covers it with the canvas. 

We walk outside. I do not notice where the boy is taking us. We have stopped near one corner of the building. I am staring off into the distance, my mind still dwelling on those furnaces, on that body, on the people and the system which let such things arise. Suddenly I realize that Lieutenant Uellendahl is translating."Twenty-five thousand in a year and a half. And from each one there is only so much." The boy has cupped his hands to demonstrate the measure. He is looking down. I follow Ms glance. We are standing in front of what was once a large oblong pit, probably eight feet long and six feet wide and, one might guess, six feet deep. It is filled to overflowing with ashes from the furnaces - small chips of human bones-nothing else. 

A trail of these ashes runs over the side of the filled-up pit where we are standing. They were dumped in carelessly, as we would dump the ashes from coal into a pit at home. And the pit was dug as a man would dig a pit for coal ashes if he cared nothing for the appearance of the grounds around his home-not very far from the furnaces and where the ground appeared easy to dig. Nearby were two oblong mounds which may have marked other pits. The boy picks up a knee joint which had not been left in the furnace long enough and holds it out to us. 

Of course, I knew these things were going on; but it is one thing to have the intellectual knowledge, even to look at photographs someone else has taken, and quite another to stand on the scene yourself, seeing, hearing, feeling with your own senses. A strange sort of disturbance entered my mind. Where was it I had felt like that before? The South Pacific? Yes: those rotting Japanese bodies in the Biak caves; the load of garbage dumped on dead soldiers in a bomb crater; the green skulls set up to decorate ready room and tents.

It seemed impossible that men-civilized men-could degenerate to such a level. Yet they had. Here at Camp Dora in Germany; there in the coral caves of Biak. But there, it was we, Americans, who had done things, we who claimed to stand for something different. We, who claimed that the German was defiling humanity in his treatment of the Jew, were doing the same thing in our treatment of the Jap. "They really are lower than beasts. every one of 'em ought to be exterminated.
" How many times had I heard that statement made by American officers in the Pacific! "And why beholdest thou the mote that is in thy brother's eye but considerest not the beam that is in thine own eye?" 

I looked at the young Pole. Where had I seen starvation like that before? It was on Biak Island, too. The picture of a native war canoe came up in memory - paddling slowly toward the shore near our camp, the Japanese prisoners escorted from it by armed, half-naked natives, at the end of the line several so starved that they could not stand to walk, thinner even than this Pole. Oh, we had not starved them in a prison camp like the Germans. We had been too "civilized, "too clever for that. We had let them starve themselves in the jungle (their own fault) by simply not accepting their surrender. It was simple, and one was not bothered by burning eyes of famine or danger of disease. A few miles of jungle hid and smothered all of that. It was only necessary to shoot a few men advancing to surrender with their hands in the air. ("You can't trust a Jap to surrender. He'll throw a grenade at you. The only way is to kill him right now.") Or one could be more blunt about it and shout to an enemy emissary, as our infantry officers boasted of doing at the west caves, "Get back in there and fight it out, you sons of bitches.

A long line of such incidents parades before my mind : the story of our Marines firing on unarmed Japanese survivors who swam ashore on the beach at Midway; the accounts of our machine-gunning prisoners on a Hollandia airstrip; of the Australians pushing captured Japanese soldiers out of the transport planes which were taking them south over the New Guinea mountains ("the Aussies reported them as committing hara-kiri or 'resisting"': ; of the shinbones cut, for letter openers and pen trays, from newly killed Japanese bodies on Noemfoor; of the young pilot who was"going to cream that Jap hospital one of these days"; of American soldiers poking through the mouths of Japanese corpses for gold-filled teeth ("the infantry's favorite occupation") ; of Jap heads buried in anthills "to get them clean for souvenirs"; of bodies bulldozed to the roadside and dumped by the hundreds into shallow, unmarked graves ("where they're so close we can't stand 'em, we have to bury'em") ; of pictures of Mussolini and his mistress hung by the feet in an Italian city, to the approval of thousands of Americans who claim to stand for high, civilized ideals. As far back as one can go in history, these atrocities have been going on, not only in Germany with its Dachaus and its Buchenwalds and its Camp Doras, but in Russia, in the Pacific, in the riotings and lynchings at home, in the less-publicized uprisings in Central and South America, the cruelties of China, a few years ago in Spain, in pogroms of the past, the burning of witches in New England, tearing people apart on the English racks, burnings at the stake for the benefit of Christ and God. 

I look down at the pit of ashes ("twenty-live thousand in a year and a half"). This, I realize, is not a thing confined to any nation or to any people. What the German has done to the Jew in Europe, we are doing to the Jap in the Pacific. As Germans have defiled themselves by dumping the ashes of human beings into this pit, we have defiled ourselves by bulldozing bodies into shallow, unmarked tropical graves. What is barbaric on one side of the earth is still barbaric on the other."Judge not that ye be not judged."It is not the Germans alone, or the Japs, but the men of all nations to whom this war has brought shame and degradation. 


Special thanks to;
http://blogs.yahoo.co.jp/furainngutaigaasu/MYBLOG/yblog.html

Diana West "American Betrayal"読了

  • 2014.10.31 Friday
  • 00:02
 


Diana West著作、「American Betrayal」を読了した。 本書は、現在アメリカ社会に脅威を与えているイスラムという敵を敵として認識することすらできないアメリカ社会への警告である。 現在イスラムはアメリカ社会に浸透している。 低層部だけでなく中層部、政権内部にまで浸透している。 なぜアメリカはこうも無防備なのか。 アメリカ社会をこれほどまでに敵による浸透に対して脆弱にしているのはどのような精神構造なのか。 

 

著者、ダイアナ・ウェストはその答えを第二次世界大戦に求める。 敵による社会奥深くまでの浸透は前例があったのだと。 その前例とは共産主義の浸透であったと。

 

本書はいままで語られてきた第二次世界大戦の歴史観をひっくり返す問題作である。 著者はアメリカ人であり、アメリカの立場から歴史を語っている。 だが著者は、いわゆる勝者史観ともいうべき「第二次世界大戦は良い戦いであった」とする従来の史観に異議をつきつける。

 

アメリカ人は騙されてきた。 「アメリカは第二次世界大戦にて巨悪を滅ぼした - 欧州にて(ナチス)、そしてアジアにて(日本) - ソビエト連邦という”そこまで悪くない”国と同盟して アメリカ人はそう信じてきた。

 

ナチスよりも遥かに多くの人々を殺したソ連はナチスを凌ぐ悪であった。 1930年代からロナルド・レーガン大統領が登場するまでの間、歴代のアメリカ政権はその事実を無視し、ソ連の存在を許容し、ソ連との共存を選択し、ソ連という悪の帝国が命を長らえるよう取り計らった。

 

アメリカがソ連の影響下になかったならば、第二次世界大戦ははるかに短い期間で終わっていたはずであった。 はるかに少ない犠牲者ですんでいたはずであった。 はるかに少ない破壊ですんでいたはずであった。 それは連合国側にとっても、枢軸側にとってもである。

 

アメリカが自国や連合国の軍隊への補給を差し置いてでもソ連の軍隊を助けたLend & Leaseのような政策(1941年からアメリカからソ連に対してありとあらゆる物資、食糧、はたまた後に核兵器となるウランまでが大統領直轄で最優先で届けられた)がなければ、欧州戦線において欧州の端っこ(フランス・ノルマンディー)からでなくて中欧から攻め上がっておれば(反共チャーチルはこの案を推していた)、ドイツを含む欧州の反共・反ナチスの勢力を支援していたならば、ドイツの反共・反ナチスの勢力と共闘してソ連の影響を欧州から排除していたならば(アメリカ、ルーズベルト政権は、スターリンの強烈な要請を受けてこれら反共勢力に対してプロパガンダ攻勢をかけると同時に彼らに対抗するソ連寄り勢力を積極的に支援した) ナチスとの戦争ははるかに短い期間で終了していたはずであり、同時にヨーロッパからソ連の影響を排除することができていたはずであった。 そうであれば、ソ連が超大国として戦後の世界に君臨することはなかったはずであった。 うまくすれば、ソ連は自壊し、ロシアの旧勢力が盛り返して共産主義はその時点で終焉していたかもしれなかった。

 

大国ソ連がなければ、欧州、アジアにおける共産化によるお夥しい犠牲者は発生しなかったはずであった。

 

何十年にもわたる欺瞞の後、たぐいまれなる指導者、ロナルド・レーガンによってソビエト連邦はついに潰えた。 しかしイスラムという新たなる脅威が頭をもたげている。 そして「見覚えのある」欺瞞がまたしても政界を、メディアを、学会を、そして社会を、支配している。 このままでは、「もと来た道」を歩むことになる

 

本書はアメリカ人のために書かれたものであるが、日本人である我々の歴史観にも大いなる意味を持つ。

 

正しい記憶を持つ日本人であれば、1940年代初頭、日本がいかにアメリカとの開戦を回避すべく努力に努力を重ねたかを覚えている。 日本側だけでなく、アメリカ側にも同様に日本との戦争回避を求める声があった。 しかしこれら双方の働きかけはことごとく邪魔にあった。 邪魔立てをしたのはソ連(ドイツと日本との挟み撃ち状態に陥ることを恐れていたスターリンは何とかして日本とアメリカを衝突させたがっていた)の意を受けたハリー・デクスター・ホワイトをはじめとする共産主義者たちであった。

 

アメリカのルーズベルト政権がソ連の影響下になかったならば、少なくとも開戦に至るほどまでには両国間の緊張は高まることはなく、真珠湾攻撃に端を発する両国における夥しい死傷者の発生もなかったはずであった。 日本はアメリカではなくソ連と戦っていたはずであり、ドイツと日本から挟み撃ちされたソ連は弱体化し、欧州、アジアは戦後の共産化を免れていたはずであった。 欧州、アジアは共産化によってもたらされた大量殺戮も免れていたはずであった。 日本は樺太や千島列島をソ連に奪われることもなかったはずであり、満州はそのまま独立国として繁栄を続けたはずであり、朝鮮の分断もなかったであろう。

 

著者、ダイアナ・ウェストは左翼からのみならず、同僚の保守言論人からも激しい攻撃にあっている。 今まで繰り返してきた「第二次世界大戦=正義の戦争」の歴史観をひっくり返されたのであるから怒りを買うのも当然であろう。 改めて本書を世に出した著者の勇気には敬意を表したい。

 

 

追記:

悲しいかな、著者はやはりアメリカ人、こういう捨て台詞に近い言葉があった。 「大戦中の残虐行為の原動力となった日本の神道は、イスラムの聖戦(ジハード)の思想と多くの点において似通っている」 この台詞の根拠となっている記事があったので見てみたところ、出典はJohn David Lewisなる人間が書いたものであった。

 

このJohn David Lewisの書いた記事をよく読んでみると、「神道の原理に突き動かされた日本人は何百万という人間を残虐に殺した」などと書いている。 この男もその根拠として何かを参照しているので見てみると、二つあった。

 

一つはジョン・ダワー著作「敗北を抱きしめて」。 このジョン・ダワーという人間を調べると、ウォール街を占拠せよ!運動を支持し、ノアム・チョムスキーやマイケル・ムーアなどと連名で沖縄の米軍基地建設反対運動を行った(それによって日米の関係を引き裂こうとする)極左であることが分かった。 

 

もう一つは、第二次大戦中に当時の国務長官だったジェームス・バーンズが国務省のアジア専門の役人だったジョン・カーター・ヴィンセントを引用して太平洋戦線で戦うマッカーサー元帥に向けて打った電報とやらであった。 ジョン・カーター・ヴィンセントは神道というものは有害な思想であり、学校や政治の場から完全に除去しなければならない、というようなことが書かれている。 ところで、ジョン・カーター・ヴィンセントは40年代にアメラジア事件で容疑をかけられ、50年代にジョセフ・マッカーシーに告訴されたソ連のスパイ・共産主義者であった。

 

「貴女は、こともあろうに、これら共産主義者の言葉を参照しているということが分かっていますか?」という突っ込みを入れたところ、こんな返事が返ってきた。

 

https://twitter.com/diana_west_/status/508949337242882048

 

 

いやあ、よく見つけましたねェ!、くらいの意味だろうか。 著者自身の驚いたようだ。 この回答を、私は誤りを認めたものと解釈する。

 

 

 

 

大東亜戦争と”アジアの共産化”

  • 2014.08.25 Monday
  • 01:13
  

「日本の大東亜戦争がアジアを共産化させた。 共産主義はアジアにおいて大量虐殺をもたらした。 よって大東亜戦争は愚かで邪悪な戦争であった」という笑止千万な歴史認識がある。 これは保守の中に巣食う認識である。 共産主義を敵視するまでは正しいが、その後がおかしい。 アジアを共産化させたのは日本ではなくてソ連である。 それを許したのはソ連の影響が政権中枢に浸透していた当時のアメリカである。 19452月にスターリン、ルーズベルト、チャーチルが一堂に会して行われたヤルタ会談にて密約が交わされ、中国はソ連の影響下に入ることが決定されていたのである。

 

1945年の終戦から数年間、中国では国民党が優勢であった。 共産党軍は北方に追いやられていた。 それがいつの間にか共産軍優勢となり、1949年に共産党が全土を支配するに至った。 ルーズベルト政権からトルーマン政権にかけてアメリカは蒋介石のもとに軍事顧問を送り込んでいたが、送り込まれた顧問は実のところソ連と通じる共産主義者であり、毛沢東の共産党とも通じていた。 彼らは秘密情報を毛沢東に流す一方、アメリカ本国に対しては蒋介石が酷い暴君であり、出来るだけ早く手を切って共産軍を支持するべきであると打電した。 

 

トルーマン政権はヤルタ会談でソ連と交わされた密約に従い、それまで長らく支えてきた蒋介石を見捨て、あからさまに共産軍を支援した。 結果、蒋介石の国民党は敗退して台湾へ逃げ、毛沢東の共産党が中国全土を平定する。 このあたりの経緯はStanton Evans著「Blacklisted」に詳しい。

 

中国が共産化されると、その波は朝鮮、ベトナム、ラオス、カンボジアを襲う。

 

「日本の大東亜戦争がアジアを共産化させた」という、言語道断にして笑止千万な歴史認識を流布する者はよほど日本を悪者にしたいか、あるいは無知であるか、いずれかである。 あるいは反共のようなふりをして祖国を足蹴にする卑怯者か。 いずれにしても、やっていることは反日左翼と全く同じである。

 

当時の日本は、それがたとえ不完全なものであったにせよ、得られる情報に基づいて国民の安全と利益を守るために大東亜戦争を戦うことを選択した。 だから我々はこの戦いを聖戦と呼ぶのである。 日本が「アジアを白人支配から解放したから」ではない。 「アジア開放」はオマケである。 そのオマケをつけたことによって、戦いの正当性はいささかも減じるものではない。 なぜならば、実際に開放された国もあるからである。

 

アメリカでは今、不当な言論弾圧(赤狩り)を行ったとして汚名を着せられたジョセフ・マッカーシーが見直されつつある。 同時に日本が真珠湾攻撃を行った理由も認識されつつある。 「ジャップが真珠湾を攻撃したのは奴らが邪悪で残虐で獰猛なサルだったから」がこれまでの通説である。 戦後の日本人が理性的でおとなしいのは何故かといえば、それは2発の原爆投下のショックで生まれ変わったからなのだ、と。 しかし、実はそうではなく、「ソ連の影響を受けていた当時のアメリカが、日本に不当な圧力をかけ、追い詰めたからだった」という認識が出てきている。 ここで肝心なのだが、だからといって「アメリカは間違っていた。 日本に対して土下座して謝罪しなければ」という歴史認識には決してならない。 なるわけがない。 なぜならば、既に多くの人々がこの戦いで戦死しているからである。 彼らの名誉というものがある。 そこは譲れない線である。 かの偉大なロナルド・レーガンもフランクリン・ルーズベルトを偉大な戦時のリーダーであり、ヒーローであった、と敬意を表している。

 

自国の戦争を否定する愛国はありえない。

自国の戦争を否定する護国はありえない。

自国の戦争を否定する保守はありえない。

 

大東亜戦争を否定するものは、必然的に反日である。

過去を取り戻す試み 大東亜戦争の肯定

  • 2014.08.12 Tuesday
  • 23:08
  

なぜ日本はいつまでも架空の「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」の責めを負い続けなければならないのであろうか。 なぜ隣国の韓国や中国だけでなく、同盟国であるアメリカにおいてもこのようなフィクションが正当性を持って語られ、「太平洋戦争」を語る上で不可欠な要素となっているのであろうか。

 

日本の敵は勢いづいている。 中国は尖閣諸島付近において領海領空の侵犯を繰り返し、ロシアは北方領土周辺で日本の漁船に対して発砲して威嚇するのみならず、軍基地の建設まで進めている。 竹島を不法占拠する韓国は中国寄りの姿勢を強めている。 日本の主権が脅かされる度に、否応なく日本人の生活基盤が同時に脅かされている。

 

日本がこのような脅威に対して備えようと動くたびに、「未清算の過去の犯罪」が邪魔に入る。 国民の安全を守るための正当な対策は、ことごとく過去によって縛りを受ける。 

 

韓国や中国の民度や民族性をなじるのが流行りである。 彼らは反日で凝り固まっていて進歩が無いと。 人種的に下等であると言う者までいる。 それは無益で刹那的な遊び、自己満足でしかない。 全ての人間は神の前に平等である。 平等でないのは文化である。 世界には優れた文化があり、劣った文化があるのであり、その違いが民度の違いとなる。

 

日本が未だに過去を引きずっているのは中国のせいでも韓国のせいでも誰のせいでもない。 それは日本人自らの責任である。 それは日本人自身が大東亜戦争を肯定していないというところからくるのである。 大東亜戦争は日本人が誤って引き起こした悪しき戦争であり、周辺国に災禍をもたらした元凶であった、という観念を日本人自身が持っている。 日本は償うことの不可能なほどの大罪を背負っていると。 だから日本が自衛をしようとするあらゆる活動が、否応なく正当性を失うのである。

 

集団的自衛権や憲法9条に触れることを忌み嫌う左翼はさておき、日本の国防強化を支持する人々の中にすら、大東亜戦争を否定する意見が見られる。 その理論は「日本はソ連を敵とすべきだったにも関わらず、誤ってアメリカやイギリスを敵に回してしまった。 当時の為政者は無能な国賊であった」という奇妙なものである。 奇妙だと言ったのは、当時の日本に敵を選択する自由と余裕があったという前提に立っているからである。 その理論は「彼ら無能な国賊達は、ソ連と通じ、あるいはソ連にそそのかされ、あるいはソ連に騙されてて無謀にもアメリカに喧嘩を売った」と続ける。

 

1930年代〜40年代の日本にソ連のスパイがいたのは事実である。 有名なのはゾルゲ事件である。 政府内に社会主義的な思想が蔓延っていたのも事実である。 しかし日本は日露戦争以来、ロシア・ソ連と戦い続けていた。 1939年のノモンハン事件において、ソ連軍が満州に対して侵略行為を行った。 ソ連軍との戦いで、満州を守る日本軍は17千もの死傷者を出した。 これは「ノモンハン戦争」ではなくて「ノモンハン事件」と呼ばれるが、アメリカのイラク戦争の戦死者が4千人であることを考えれば立派な戦争である。 

 

日本はソ連と共産主義を主たる敵として認識していたからこそ、ソ連のスパイ網であるゾルゲ尾崎秀実が逮捕され、処刑されたのである。 また、終戦前に近衛文麿が天皇陛下に書き送った近衛上奏文はソ連と共産主義の脅威を強烈に警告するものであった。 当時の日本がソ連を敵として認識していなかった、というのは歴史的事実に反するものである。

 

一方で、アメリカの状況はいかなるものであったか。 アメリカでは1930年代から本格的なソ連スパイの浸透が始まった。 その経緯は元共産主義者でソ連のスパイ網を告発したウィテカー・チェンバーズが著書”Witness(証人)”にて詳しく供述している。 そこで述べられているのは、アルジャー・ヒスやハリー・デクスターホワイトなど、ルーズベルト、トルーマン両政権の中枢で活躍した人物の多くがソ連の直接の指揮下で動くスパイであったという事実である。

 

これらソ連スパイは両政権で全幅の信頼を与えられ、自由に影響力を駆使した。 そこには彼らの暗躍を警告する「上奏文」は無く、逆に共産主義脅威論は御法度とされ、50年代まで完全封殺された。 1938年、命の危険を冒して共産党を脱退したチェンバーズは、当時のルーズベルト政権高官、アドルフ・バールにソ連スパイ活動の実態を供述し、大統領に伝えるように依頼した。 バールからそれを伝え聞いたルーズベルトは一笑に付す。 当然何のアクションも取られなかった。 

 

この証言が再度浮上したのは48年の下院反米委員会においてである。 アルジャー・ヒスが実刑判決を受け、ソ連・共産スパイ網が暴かれたのは50年代に入ってからである。 だが50年代に共産スパイ網の政府からの除去を主導したジョセフ・マッカーシーがどうなったか。 マッカーシズム、マッカーシー旋風、恐怖の赤狩り、レッド・パージ、言論弾圧そんな言葉が示すとおり、マッカーシーは今に至るまで人非人扱いである。 マッカーシーは時の大統領、トルーマンより名指しの非難を受け、マッカーシーの委員会は度重なる妨害を受けた。 だがその後、ベノナファイル(1940年から1948年までにソ連とアメリカのソ連スパイとの間での暗号交信をアメリカNSA37年もかけて解読した極秘記録)の公開によってマッカーシーが完全に正しく、むしろ脅威は過小評価すらされていたことが明らかになった。

 

アメリカの共産スパイが告発、摘発、除去を逃れる間、スターリンはルーズベルト、トルーマン両政権を好き放題遠隔操作していたわけである。 常に日本と対立していたソ連の、1930年代〜40年代初頭における重要課題の一つはアメリカと日本とが正面衝突するよう仕向けることであった。 そこで実行されたのがスノー作戦であった。 かのハル・ノートを書いたことで有名なハリー・デクスター・ホワイトにちなんだ作戦名(白→雪→スノー)である。 当時のアメリカは凄惨な第一次世界大戦を経て厭戦気分が漂っていた。 そこでスターリンがハリー・ホワイトに指令したのが「日本を追い詰め、アメリカと日本との関係を悪化させ、開戦にもっていけ」というものであった。

 

ドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入り、ソ連は敗戦に次ぐ敗戦を喫し、スターリンは苦しい立場に追い込まれていた。 何らかの方法で日本をアメリカと戦わせ、ソ連・満州国境沿いの軍事力を西方に集中させたい。 アメリカ政府への対日工作は自らの危機を乗り切るための命綱となった。

 

対米宣戦布告前に対米開戦論と対ソ開戦論とで対立があったことは確かである。 だが日本がいずれに傾こうが、アメリカを中心とする対日本包囲網は着実に狭まっていた。 30年代から40年代のアメリカ政府中枢部にとってソ連は同盟国であり、ソ連との共同歩調が絶対だったのである。 日本がソ連に宣戦布告すれば、ソ連の意図を受けたアメリカが更にあからさまな対日敵対政策をとったであろうことは十分に考えられることである。

 

当時のアメリカ政権中枢部はソ連の意図を受けて対日包囲にまっしぐらだった。 大東亜戦争前の日本は四面楚歌、逃げ場は無かった。 我らが先人は逃げずにぎりぎりの選択をし、戦いを選んだ。 国民の大部分が賛同した。 だから大東亜戦争は聖戦なのであり、それ以外に呼びようがないのである。

 

大東亜戦争は「日本がコミンテルン(共産主義運動の国際団体)に騙されて始めた」という説もあるが同じ理由で実にバカげている。 正確には「コミンテルンが操るアメリカが日本を追い詰めて始まった」と言うべきである。

 

大東亜戦争を否定したい人々は言う。 「大東亜戦争時の指導部は戦争当時、国民に対して『この戦争は日本が白人の植民地支配からアジアを開放するための戦だ』と説明した。 ではアジアが植民地から解放されたどうなったか? 中国、ラオス、ベトナム、カンボジア、北朝鮮、ビルマ、軒並み共産主義にのまれてしまったではないか。 どこが『解放』だったのか?」

 

一見もっともらしい説明である。 だがこの意見は当時の日本が置かれた状況を無視し、原因と結果をごちゃ混ぜにしている。

 

まず、いったい日本がどうやって戦争を回避しえたかについての説明は無い。 それから、アジアにおける、この6カ国以外の国々に対する言及が無い。 マレーシアは共産主義国ではない。 インドネシアもフィリピンも台湾も韓国も共産主義ではない。 これらの国々では戦後大いに経済発展している。

 

中国全土が共産化したのは満州国が崩壊したからである。 日本が独立を助け、爆発的な経済発展を遂げた満州国は共産主義に対する防波堤であった。 満州国が崩壊したのは連合国が日本を敗北せしめたからである。

 

朝鮮半島が共産化したのは連合国が韓国を併合した日本を敗北せしめたからである。 マッカーサー元帥は日本が去った後に北から押し寄せてきた共産軍と戦った。 北朝鮮によって一時は半島全土が制圧されるが米軍は共産軍を38度線まで押し戻す。 マッカーサーは北朝鮮を支援する中国に対する原爆使用を主張するが、トルーマンはマッカーサーをクビにする。 その後議会で証言したマッカーサーは述べている。 「日本人は世界に稀に見る勤勉な国民である。 彼らは経済封鎖による危機に直面していた。 日本の戦いは自衛のためのものであった」

 

カンボジアとラオスが共産化したのはベトナムが共産化したからである。 ベトナムの共産化を許したのは1970年代のアメリカ民主党議会である。 1972年のニクソン政権による北爆によって北ベトナムは息も絶え絶えであった。 しかしその後ニクソンがウォーターゲート事件で追い落とされ、ジェラルド・フォードが政権を引き継ぐと、議会を制した民主党は南ベトナムへの武器供給を遮断した。 この民主党による背信行為によって、ソ連から武器供給を受けた北ベトナムは息を吹き返し、19754月にサイゴンを陥落させ、ベトナム全土を共産化した。 

 

ベトナムを共産化させた共産勢力はラオスを、そしてカンボジアを陥とした。 なぜこれら複雑な経緯に対する責任を我々日本が負わねばならぬのか。

 

アメリカの歴史では第二次世界大戦は解放戦争であり、正義の戦争であったとされている。 邪悪なナチスドイツの暴虐からヨーロッパを、そしてユダヤ人を救った、というわけである。 その過程においてソ連と同盟したが、それはやむを得ないことであったと。

 

ウッドロー・ウィルソン大統領が第一次世界大戦に参戦。 当時拮抗状態だった英仏とドイツの戦線は一気に英仏有利に崩れる。 結果ドイツは敗戦国となっただけでなく莫大なる借金を課され、それがナチス台頭へとつながる。 一方、ウィルソンに強制的に戦争を継続させられた帝政ロシアは壊滅的な打撃を受け、その危機に乗じたレーニンはロシア革命で国を乗っ取り共産政権を打ち立てる。 ウィルソンはアメリカ史上初のファシスト独裁者であった。 ゲシュタポばりの言論弾圧を行い、大戦参加に反対する市民を殴打し、投獄した。 共産ソ連もナチスドイツも、言ってみればウィルソンが生みの親であった。 

 

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線においてアメリカが払った多大なる犠牲は、言ってみれば自ら撒いた種であった。 しかし、その事実は事実として、貴い犠牲は既に払われてしまった。

 

ユダヤ人を救出云々に至っては笑止千万である。 1930年代からホロコーストによってユダヤ人が大量虐殺されていることはルーズベルト政権は承知していた。 ニューヨーク・タイムズをはじめとする有力紙は意図的にホロコーストを隠蔽した。 1939年にSt. Louis号という船で907名のユダヤ人がドイツから脱出し、命からがら逃げてきた。 しかしルーズベルト政権は彼らの入国を許してはならないと厳命し、大砲で威嚇して追い払った。 そしてアメリカがヨーロッパ戦線に参戦した後も、ホロコーストから逃れたユダヤ人の嘆願にも関わらず、アウシュビッツへつながる線路の爆撃を拒んだ。 生きながらえたユダヤ人はナチスドイツ敗北によって助かっただけである。

 

一方、日本の戦いの主目的はあくまで日本の国益保護であり、アジア諸国の独立はオマケである。 だが日本が大東亜戦争を戦ったためにアジアの国々が独立を果たしたことは事実である。 欧米列強によるアジア支配は日本が種を撒いたわけではない。 欧米によるアジア植民地化をここで断罪しようというのではなく、それは歴史的な事実であり、日本が開放をもたらしたのも事実である、と述べているだけである。

 

大東亜戦争を肯定しなければ、それは対外的にどのように映るか。 日本人がこれほど多大な犠牲を払って戦った戦争を、日本人自身が否定している。 ならば、その戦いにまつわるあらゆる出来事が邪悪なものであったに違いない、となる。 すると、韓国や中国だけでなく、アメリカの保守までもが、首相の靖国参拝は不適切であり、日本はアジア・オセアニアにもたらした災禍を反省しきれていないとの見方をせざるを得なくなる。

 

歴史上の出来事には肯定的な面と否定的な面がある。 従って100%の肯定はあり得ない。 だが、全体を肯定した上で部分を反省する、という順番でなければならない。 でなければ、自らは現代という安全地帯に身を置いて、逃げ場のない状況で困難な決断をした先人を見下ろしあざ笑うことになる。 これ以上に恥ずべき行為があろうか。 歴史は事実に加えて文脈である。 歴史は事実の記録であると同時に物語である。 日本人自身が自国の過去を美しく物語れないような歴史は日本の歴史ではない。 歴史を失った国は脆い。 国防を語る前に、我々は歴史を取り戻さなければならない。

 

 

追記:

「日本の戦争は侵略戦争だった」「いや、日本の戦争は決して侵略戦争ではなかった」 よく聞かれるやり取りであるが、不毛である。 戦争とは侵略である。 逆に侵略でない戦争があろうか。 国家防衛の基本は「国境の外で敵を叩く」である。 敵が中に入ってしまえば国民と国内インフラが標的になる。 国内が主戦場になることがどれほど悲惨か。 だから戦闘は国境から遠ければ遠いほどよい。 そのために戦艦や空母や戦闘機や戦車やミサイルがあるのである。

 

「自国の防衛のために他国の国境を侵犯する権利があるか?」 これも不毛な問いである。  正しい答えはこうである。 ”政府は、必要であれば、他国の国境を侵犯してでも、自国民の安全を守らなければならない”

ウィテカー・チェンバーズ「Witness(証人)」読了

  • 2014.07.11 Friday
  • 14:58
 元共産主義者にしてアメリカ政府に巣食っていた共産スパイを告発したウィテカー・チェンバーズの著作「Witness(証人)」を読了した。 長い本だった。 長いとは聞いていたが、聞きしに勝る長さであった。 アメリカ人にとっても長いのだから、日本人が読んだら倍以上の体感である。


 

しかし重い内容の本であった。 不遇の幼少時代、冷たい父との相剋、弟の自殺、大学からの中退と共産主義への目覚め、共産主義雑誌への関わりから共産党への入党、公式の共産党からソ連地下組織への移行、ソ連のためのスパイ活動、共産党と共産主義からの離脱、潜伏、タイム誌との出会い、タイム誌での苦しみ、下院非米活動委員会からの召喚と大陪審での証言、共にスパイ活動をしたかつての戦友であるアルジャー・ヒスとの対決、自殺未遂、そして勝利...

 

ルーズベルト政権での財務省高官であったハリー・デクスター・ホワイト(ハル・ノートを書き、日本を対米戦争に陥れた人物)との会話や機密情報の受け渡しの様子などが克明に記されている。 官憲の目を逃れるために時間をあえて2時間ずらして約束して会う日時を決め、監視の目を巻くために散策を装い、書類を手渡し、隠れ家で写真を撮り、マイクロフィルムにしてソ連の情報員に渡しソ連や共産主義の脅威が全く認識されていなかった当時のアメリカにおけるスパイ活動が余すとことなく描写されている。


証言をするチェンバーズ

 

しかしチェンバーズは言う。 深刻だったのは情報収集活動ではなく、政権の外交政策への影響であった、と。 大東亜戦争のおける日本の運命を決したヤルタ会談には大統領顧問としてアルジャー・ヒスが随行している。 中国においてはアメリカは国民党を見捨て、共産党が主導権を握った。 チェンバーズがルーズベルト、トルーマン政権に深く入り込んだ共産ネットワークを告発した1940年代後半にいたるまで、アメリカの外交がソ連の意向に沿った形で操作されいたことは疑うべくもない。

 

日本についても言及がある。 チェンバーズによれば、ソ連の日本への浸透は失敗に終わっている。 ノダという日系米人である共産主義者が当時地下組織のリーダーであったチェンバーズによって日本に送られ、潜入し、活動を試みたものの、失敗して帰還し、失意のうちに病死した経緯が書かれている。 面白いことにノダはなぜか近衛文麿の親戚として書かれているが、それはチェンバーズの勘違いであろう。 おそらくは、ソ連は日本への浸透を試みたが失敗したために、既に政権中枢まで入り込んだアメリカを通じて日米戦争という形で日本潰しと日本の共産化を図ろうとしたのであろう。

 

なぜかくも容易に共産主義者は政権中枢に入り込み、かくも長期にわたって国の政策に影響を及ぼし続けたのか。 チェンバーズはニューディールをはじめとする当時の社会主義的な雰囲気を理由に挙げている。 皆が社会主義者であるなかで、共産主義を告発することは社会を敵に回すに等しかった。 その戦いにおいて、重要な役割を果たした人物の一人が後に大統領となる若き反共の闘士、リチャード・ニクソン下院議員であった。


 

なぜチェンバーズは共産主義から抜け出したのか。 様々な要因が複合的に作用していた、と記されている。 スターリンによる血も涙もない粛清を目の当たりにしたのはその一つであった。 しかし、一つの出来事が無意識の中で共産主義との離脱につながった。 それはチェンバーズ夫妻が授かった子供を共産党が堕胎させようとした時である。 最初はチェンバーズ自身も熱烈な共産主義者として党の意向に沿うつもりであったが、「この小さな子供にそんな酷いことをしないで」という涙ながらの妻の言葉に衝撃を受け、そして喜びの波に襲われた。

 

1950年代からアメリカは共産主義との戦いに突入する。 後にロナルド・レーガンによって共産主義の総本山であるソ連は崩壊させられたが、その戦いの端緒となったのがチェンバーズの告発であった。 歴史の転換点を記す、重要な書である。

 

参考:

http://www.c-span.org/video/?318550-2/cold-war-era-spies

http://whittakerchambers.org/

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