低機能、高価格なランドセル

  • 2018.06.16 Saturday
  • 23:01

ランドセルのカラーバリエーションや装飾が多様化し、ブランドとのコラボレーションによるものも出てきて目移りしそうなくらいのたくさんの選択肢の中から「たったひとつ」を選び出すのが大変・・・ 6年間使うなかで飽きのこないものを選んであげたい親としては、どうしてもキラキラしたものを欲しがる子供に対して納得のいく説明をどのようにしたらよいか・・・悩んでいる親が多い。さあどうしたらよいか・・・

という愚にもつかない記事を目にした。

子供に対して「納得のいく説明を」という愚かさがまず気になる。子供は親の保護下にある。子供には自分に必要なものが何かを判断する力はない。子供が分かるのは「今、何々が欲しい」だけである。子供に必要なものは何かを判断できるのも、「欲しい」と「必要」の違いを教えられるのも親だけである。「納得のいく説明」を試みたところで納得するはずがない。そもそも納得させる必要すらない。

それはさておき、このランドセルという前世紀の遺物はどうにかならないものか。

いまどき、高機能で大容量で軽量で頑丈なリュックサックがアマゾンでもより取り見取りである。高くても4000円から5000円程度である。

ランドセルという形状に融通性がなく、機能性も低く、重く、数年でボロくなるランドセルが安くても1万円前後、高いもので10万を超える。

世の中の進歩は、利便性向上、機能性向上、軽量化、低価格化であるが、その流れと真逆なのがランドセルという代物である。まさしく旧態依然とした公営教育の象徴である。

親が見栄をはって高額なものを買う。親が買えなければ祖父母が買う。買いたくない人も高級バッグ並みに高い「低価格ランドセル」を買う。他の子供が皆持っているのに自分の子供だけリュックサックだったら村八分にされる・・・という同調圧力に屈さざるを得ない。

子供を持つほぼ全ての家庭が無駄な出費を強要され、一部の人々が利益を得る。これを廃止すればその分だけでも経済が健全化するはずである。

女性省・・・ 

  • 2018.06.03 Sunday
  • 13:49
 

女性省設置を提言=参院自民
参院自民党は24日の政策審議会で、女性省の設置を柱とする内政と外交の国家ビジョンをまとめた。近く政府に提言する。内閣府や厚生労働省などに分散している女性政策の部署を統合して女性省を設置するよう主張。(2018/05/24-19:55)


気持ちの悪い時代である。

国家の仕事は第一に国防であり、第二に国防であり、第三に国防である。国の北端を守るためには国の南端を守らなければならない。国の南端を守るためには国の北端を守らなければならない。だから国防は民間の仕事でも地域の仕事でもなく、国家の仕事なのである。

だがこの国の政府は国防をなおざりにする一方でこのざまである。

女性であることに省を置くということは何を意味するか。

それは女性であることを国家が規定するということである。国家が規定するということは国家が管理するということである。国家が管理するということは個人の自由が国家権力の下に置かれるということである。

こういうことを推奨する人間は必ずその全体主義的な性格を隠す。

「多様性を認めよう」

こういうことを言う。

国家が規定し、管理し、統制する領域に、かつて多様性が存在したことがあったであろうか。

かつて優生保護法によって多くの女性が自らの意思に反して不妊手術を受けさせられた。現在そのこと自体は問題になっている。だが本質は変わっていないどころか、ますますプロパガンダ性を帯びているという他ない。

ハワイの噴火と自然環境

  • 2018.06.03 Sunday
  • 11:01

「環境に優しく・・・」「エコでロハスな生活・・・」「持続可能な・・・」

現代の豊かな生活を生きる我々がこういうゴタクを並べられるのはまさしく人間が技術革新と経済発展によって自然環境を克服してきたからに他ならない。

自然環境は優しいものではない。

自然環境は無慈悲で恐ろしいものである。

過酷な自然環境において人間は非力である。照り付ける灼熱の太陽、叩きつける雨、吹きすさぶ風、凍えさせる雪氷、揺れる大地、怒涛の津波、飢える猛獣、襲い掛かる蚊、傷口にたかるハエ・・・

人間というものは、忘れやすいものである。

自然環境に優しくするのは個人の勝手である。そうしたい人間はそうすればよい。

だが、ハワイで火を噴く火山をみるにつけ、自然環境というものがいかに「優しさのかけらもないか」を、我々は思い知らされるのである。


スタバ人種騒動とバカメディア

  • 2018.04.22 Sunday
  • 15:28
 

全米のスタバ8000店休業、人種偏見問題で研修へ 2018.04.18 Wed
ニューヨーク(CNNMoney) 米フィラデルフィアのスターバックスで友人と待ち合わせていた黒人男性2人が逮捕された問題を巡り、スターバックスはこのほど、全米の直営店8000店舗で5月29日を休業とし、人種的偏見の解消に向けた従業員研修を行うと発表した。


以下は世界的ニュースになった出来事の想像を交えた描写である。

男二人「トイレ使わせろ」
店マネージャー「トイレはお客様用ですので何かお買い求め下さいませ」
男二人「何もいらねぇよ。トイレだけ使わせろと言ってんだ」
店マネージャー「あの、当店ではトイレをご利用になりたい方には購入をお願いしております」
男二人「買わねぇよ。しょんべんがしてぇんだよ」
店マネージャー「すみませんがご遠慮下さい」
男二人「ウルセエ!舐めてんのかコラ!」
店マネージャー「警察呼びますよ」
男二人「なんだと?」

******
警察「どうしました?」
店マネージャー「この人達が何も購入せずに店に居座ってるんです」
警察「何してんの?店から立ち退きなさい」
男二人「嫌だ」
警察「嫌だじゃないよ。店は迷惑してると言ってるだろ。早く出なさい」
男二人「出ねぇよ」
警察「出ないと逮捕するぞ!」
男二人「ウルセェ!」
警察「逮捕だ!」

このスターバックス店舗があったフィラデルフィアの警察署長、リチャード・ロス氏(黒人)は当初この現場に向かった警察官の行動を完全擁護した。

来店者は店員から「お店では商品をお買い求めください」と言われたら何か買うか、あるいは買いたくなければ店から出るのが当たり前である。しかもこの男二人は店から出ずにマネージャーを小突き回しただけでなく、警察官に対しても反抗的な態度をとっている。人種に関わらず逮捕されて当然のことである。




しかしメディアは「黒人差別だ!」と報道し、無知蒙昧の群衆が騒ぎ、この男二人は無罪放免、ロス氏は警察を代表して謝罪、このマネージャーは退職に追い込まれ、スターバックスは謝罪の後に全米8000店舗で業務を中断して「研修」をやる顛末となった。

一方、相変わらず無知蒙昧の我が国のバカメディアは米国の左翼バカメディアの報道を翻訳するのみであった。

政府サービスが不要なわけ

  • 2018.04.22 Sunday
  • 14:29

政府サービスが民営化されれば、市場経済原理によって淘汰され、利益にならないが必要とされるサービスが無くなり人々が困る、という考えがある。この考えは、育児、教育、医療といった、人々が一種の感情移入をする分野において顕著である。

本当に必要ならば人は金を払うものである。自分や家族の命を救おうと必要な治療を行うために人は金を払う。治療が難しければ難しいだけ費用が高額になるのは当然である。高額では困る、というのならばその命はそれほど大切ではないのか、価値がないのか、ということである。

一方、必要ではあるが現実として人々が払えないほど高額であるという場合もある。それが本当に必要ならば、サービスを受けたいが高すぎて断念する、あるいはなんとしてでもサービスを受けようと世間に訴え大騒ぎして募金する、という事態があちこちで発生する。すると利益を得るチャンスを常に探し続ける起業家が目ざとく目をつけ、利益のチャンスとばかりに参入する。競争によって価格が下がるのは時間の問題である。

一方、一部の人にとっては必要ではあるが、その需要があまりにも少なく起業家の参入を促すほどの市場規模が無い、という場合がある。その場合、そのようなサービスを必要とする一部の人々は諦める以外無いのか、というとそうではない。彼らがすがることができる力強い味方がある。それは相互扶助という古来から伝わる人類の知恵である。相互扶助を期待するために人は自然と家族親戚友人関係を大切にする。和を以て貴しとなす、である。

これらを阻害するたった一つの要因は政府による規制・介入である。政府の規制・介入がなければ人々が直面する様々な問題に対する解決方法 - ”持続可能”で財政的に健全で常に改善し続ける解決方法 - が自然と生まれる。そこに政府サービスが存在しなければならない理由はない。

政府と科学研究

  • 2018.03.17 Saturday
  • 15:28

政府は科学研究に「投資」すべきか、という問いがある。

これは不思議な問いである。投資というのは営利行為である。投資は人の金をつかってやるものではない。投資というものは、未来のリターンを期待して現在の自分の金を投じることである。政府の金は政府が稼いだ金ではない。国民が稼いだ金を公共サービスのために徴収したものである。

太古の時代から中世、産業革命を経て今日に至る人々の生活は飛躍的な改善を見た。その背景にある一つの要素は技術革新である。技術を飛躍的に発展させたのは産業革命であった。産業革命は政府ではなく、民間が主導したものであった。当時の英国の経済は規制の無い自由放任であった。

政府は富を創造することはない。富を創造するのは民間であり、政府はそれを使うだけである。富は有限である。政府が金を使えばつかうほどに民間で使われる金は減少する。政府が「投資」と称してある領域に金を投入すれば、その領域における民間の活動は壊死する。政府に阻害される民間活動の領域が増えれば増えるほどに社会全体の富は減少する。故に民間の領域は大きく、政府の領域は小さくなければならない。

『しかし、現在の複雑化した世界において、民間の研究だけで足りるのか?』という人がいる。

「もしも政府がiPhoneを開発しなかったら、我々は未だに通信手段をテレックスに頼っていたことであろう」と言わんばかりである。

Iphoneがいかにして世に出たか。それを考えれば冒頭の答えは自ずから分かるはずである。

優良誤認を責める騙し屋政府

  • 2017.12.17 Sunday
  • 14:50
 

「痩せるレギンス」根拠なし 通販会社に措置命令 12/14(木) 朝日新聞デジタル 
「履くだけで痩せる」などと根拠のないダイエット効果をうたって商品のレギンスを宣伝したのは景品表示法違反(優良誤認)にあたるとして、消費者庁は14日、通信販売会社「SAKLIKIT(さくらいき)」(大阪市中央区)に対し、再発防止を求める措置命令を出した。


政府は国民から税金を徴収して様々な「サービス」を提供している。

年金・・・ 政府は国民に政府の年金サービスへの加入を義務付け、「あなた方に将来これが返ってくるんですよ」と根拠のない約束をしている。

医療・介護保険・・・ 政府は国民に安価で潤沢な医療・介護サービスという根拠のない甘言で国民を騙し続けている。

待機児童対策・・・ 政府は保育サービスを人為的に安価にして需要過多を引き起こしながら一方でその対策と称して解決への根拠のない試みを繰り返している。

これらの結果、政府は処理する当てのない巨額の財政赤字を積み上げている。

そしてその財政赤字を解決するためと称して根拠のない増税を行い、また今後の増税を計画している。

国家政府による現在の国民、そして未来の国民に対する壮大なる騙しである。

その政府が「痩せるレギンス」という矮小で人畜無害な広告に対して根拠の欠如を責め、再発防止を要求して罰金を科す、というのであるから冗談もほどほどにしなければならない。

我が国では政府が商品サービスの表示に関する文言、広告に関する文言、効果効能をどう表示するか、価格をどう表示するか、何を言ってはいけない、何を言わなければならない、といったことを細かく規定している。

これらすべて「国民を保護するため」という根拠のない理屈によるものである。

国民を大々的に騙す政府が国民を他の国民の誇大広告から守る、というのであるから冗談もほどほどにしなければならない。

誇大広告に釣られて被害を被る個人はいるであろうが、それを解消するのが市場経済におけるブランドである。荒唐無稽な広告で客を釣ろうとする業者は市場経済では自然と信頼を失って淘汰されていくのである。

政府がそのプロセスを邪魔しなければ、の話であるが。

アベノミクス、階級闘争レジームへ突入

  • 2017.11.26 Sunday
  • 14:37
 

<基礎控除>高所得者減額検討 2500万円超はゼロ
11/23(木) 7:40配信  毎日新聞 2018年度税制改正で焦点となっている所得税の控除の見直しを巡り、政府・与党は高所得者の基礎控除(一律38万円)の控除額を減額し、年収2500万〜3000万円より高収入の人はゼロとする方向で検討に入った。所得格差を縮める狙い。基礎控除は最低限の生活保障を目的に1947年に創設され、一貫して引き上げられてきたが、実現すれば初の減額。与党の税制調査会で議論する。


安倍政権を支持する日本の自称保守は痴呆症患者のようである。

「本来は左翼の政策を安倍総理が次々に推進し、民主党や共産党は手も足も出ない。素晴らしい!」などと開き直ってべた褒めする輩も見られる。

呆れたものである。

1980年代、サッチャー時代のイギリスにおいて左翼の野党が与党の保守党に対して「貧困層と富裕層の格差が開いている。どうするのだ!」と詰め寄る場面があった。

保守主義者のサッチャーは答えた。

「我々が政権について以来あらゆる層の人々が豊かになった。一方貴方がた左翼は富裕層の所得を下げると同時に貧困層を更に貧困に突き落とそうとする!そのようなやり方では決して富や機会を増大させることはできない!」




我々の思考はあの時代から何も進歩していないどころか、むしろ後退している。

保守政党と自称する自民党が共産党顔負けの再分配政策を推進する。アベノミクスは戦後レジームを脱却し、共産主義階級闘争レジームへと突入した。

医療費削減と配給制度

  • 2017.11.19 Sunday
  • 22:43

 

薬価改定対象を拡大 政府抜本改革案 医療費、最大2900億円削減
11/19(日) 7:55配信 政府が年末に取りまとめる薬価制度の抜本改革案が18日、判明した。平成33年度から導入する薬価の毎年改定(現行は2年に1度)の対象薬を、大幅に拡大する。医療費を押し上げている薬価を値下げすることで財源を捻出すると同時に、医療費全体の抑制が見込める。約5割の薬を対象とすると、最大2900億円の医療費削減効果があると試算している。


政府が商品やサービスの価格を恣意的に上げたり下げたりするとはどこのファシスト国家の話であろうか。

そもそも医療費をなぜ削減しなければならないのか。

医療とは人々が病や怪我を治療することであり、医療費とはそのための費用である。

医療費がかかること自体、悪いことではない。それは医療が存在することの証拠である。医療がなければ医療費も発生しないのである。医療がなければ人々の治癒も延命も無いのである。人が生きるか死ぬかというときに多額の金を費やして対処しようとするのは当然である。

医療が存在するというのはありがたいことである。喜ぶべきことである。

先端の医療技術が高額なのは当然である。そのために長年の研究開発と多額の投資が行われているのである。現在の一般医療は過去の高額な先端医療である。現在の先端医療なくして将来の一般医療は存在しないのである。

ある商品やサービスの価格を恣意的に低く設定するということは、その商品やサービスの供給を制限するということに他ならない。1個売って100円の儲けが出ていた商品を値下げさせられて80円しか儲けが出なくなれば供給を止める会社が出てくる。すると品薄になる。供給制限の影響を受けるのは政府ではなく我々国民である。

問題は医療費の高騰ではなく、医療を制度化する政府そのものである。

時代の先端を行く高価格な商品やサービスをもたらし、そのコストを徐々に下げさせて低価格化するのが市場である。この市場の役割を封じ込めているのが他ならぬ政府の制度である。その政府が自身の失敗の重みに耐えられなくなっている。政府はそのツケを国民に無慈悲な「医療配給」という形で負担させようとしている。

医薬の世界でいえば、国民は先端の医薬品を使用することもできず、かといえ確かな信頼の医薬品を使うこともできず、時代遅れで効果効能も怪しげなジェネリックしか選択肢を与えられないということを意味する。

高騰する医療費を削減する、とあたかも政府が財政的に責任感があるかのような書き方をしている。事実は失敗の上に失敗を重ねて時間を稼いでいるだけである。そしてこのような記事を無批判に読む国民は大方騙されているのである。

政府が削減すべきは医療費ではない。政府が削減すべきなのは問題を起こした張本人である政府自身である。

揺らぐ日本品質・・・揺すっているのは政府

  • 2017.11.12 Sunday
  • 13:24
 

製造業、相次ぐルール軽視=揺らぐ「日本品質」
日産自動車に続き、SUBARU(スバル)でも資格のない従業員が完成検査を行っていたことが発覚した。データ改ざん問題が収まらない神戸製鋼所を含め、消費者の安全に直結する品質管理でルールを軽視する事例が製造業で相次いだ。日本が世界に誇ってきた品質への信頼は大きく揺らぎ始めている。10/27(金) 21:00配信 時事



製品やサービスに対して品質を求めるのは誰か。それは顧客と、その製品やサービスに存在意義をかける企業である。

製品やサービスに対してあるべき品質を決定するべきなのは誰か。それは顧客と、供給者である企業である。

この製品の品質はこの程度でいいか、という企業と、その程度では満足できない、という顧客がいれば、その意識のギャップを埋めるのは高品質な製品を供給する新規参入企業である。

この製品の品質はこのくらいなければならない、という企業と、そこまでは必要ない、という顧客がいれば、その意識のギャップを埋めるのは品質を落としてでも低価格で製品を供給する新規参入企業である。

品質というものは、このように供給者と顧客によって決められるものである。品質とコストは相関関係にある。品質が上がればコストが上がり、価格が上がる。

自動車の最終検査を行う検査員に関して資格制度を決めているのは供給者でも顧客でもなく、政府である。

現代ビジネスの記事によれば、最終工程の検査は政府が決めた資格を持った人間が検査してもそうでない人間が検査しても実質的に同じであるという。

考えれば当たり前のことだが、百円均一で売られている製品ならいざ知らず、自動車という高単価製品が最終工程で不具合が発見されたら大事件である。例えば、コンベアで流れてきた完成品の車に検査員がドアの付け忘れを発見するなどがあれば、そのような工場はもはや存続することはできまい。一方、もし製品に不具合があるとしたら、それはもはや最終工程で外観的に発見できるものではない。

不具合が発生しないように部材受入から始まっていくつもの工程において管理項目を設定し、監視と検査を組み込んでいき、不具合の無いものだけが最終工程へと流れる仕組みを構築しているはずである。作業にしても検査にしても、ヒューマンエラーを最小化するために徹底してコンピューター制御で自動化し、「誰がいても間違えない」ようになっているはずである。 そのような仕組みこそが企業の生命線である。

「きちんとした資格を持った人間がきちんと検査すること」などという原始時代的な政府よりも企業は先にいっているのである。そうでなければ企業は生き残っていけないからである。

「日本品質」が揺らいでいる。

いや、日本品質が揺らいでいるのではなく、日本品質は揺すられているのである。

揺すっているのは政府である。

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