上海に駐在員として滞在する者より。
尖閣の問題の根源は日本にある。 問題は日本の弱腰外交である。 弱腰外交は他国が日本の弱みに付け込むすきを与え、日本の国益を侵食するのを許す。 しかし、その弱腰外交は政治家個人の性格といった矮小な問題ではなく、戦後、日本社会が一貫して育んできた自虐的歴史観の必然的な結果である。
尖閣の問題はここ1〜2年の民主党政権で突然発生した問題ではなく、1970年代、自民党時代から延々と続いている問題である。 民主党の問題ではなく、日本全体の問題である。
●自分達はアジア諸国に対して歴史的な負い目がある
●日本は国家として人道に反する罪を犯した
●日本の戦前戦中の行いは、ユダヤ人という一個の民族の絶滅を緻密に計画し、実行したナチス・ドイツと同列である
●日本は有罪の判決を言い渡され、永遠に罪を贖わなければならない
という認識が外交の出発点であれば、当然、自国の国益追及は道徳的な悪である、ということになる。 であるから、国益は追及してはならない、ということになる。 日本は道徳的に他国よりも負い目があるわけだから、堂々と領土主権を主張するのは厚顔無恥な行為である、ということになる。 たとえ日本の滅亡につながるとしても、憲法9条を死守するのが日本の使命である、ということになる。
まともな善良な人間に自虐史観をインプットすれば、このような思考がアウトプットされるのは当然である。 その意味では今回の決定を下した政治家の対応は理解不能な行為ではない。 ある意味、まともな人間による、まともな行動である。 極悪国家・日本の罪深き代表としては、今回の尖閣の事件は、日本の戦後の贖罪行為の至らなさの結果として真摯に受け止めるべきことである。
しかし、我々自虐史観を否定する者にとっては、彼らの行動は、日本という我々の祖先先輩たちが営々と築き上げてきた世界にも類を見ない優れた伝統に泥を塗る行為である。 問題は彼らの人格やIQではない。 歴史観が自虐であろうがなんであろうが、大概の人々は善良で勤勉な日本人である。 問題は彼ら自虐史観派と我々は二つの異なる惑星に住んでいるということである。
ただし異なる惑星に住んではいても、変異が生じることがある。 歴史観は自虐であっても国防・軍事に関するしっかりとした意識と見識を持った政治家もいることは確かである。 問題は、そのような政治家が発信する微妙なニュアンスは我々には理解できないことである。
靖国神社を参拝しない政治家がよく言うのはA級戦犯が合祀されており、参拝すれば、先の大戦を肯定することになるから、という理由だ。 その理由の是非はさておき、国の歴史を否定しながら強い国防を目指そうというのは無理である。 それは自己矛盾である。 テクニカルな法律的な議論は学者が象牙の塔に籠ってやればよいのであって、我々一般人にとってはどうでもよい。 単純に考えれば両者は相反する考え方である。 強い国防を目指すのであれば、国の歴史は肯定しなければならない。 そうでなければ我々国民は明確な方向性を見出すことは出来ない。
例を挙げれば、故レーガン大統領はベトナム戦争を正しい戦争だったと明言し、ソ連を悪の帝国と名指しして国防・経済共に強いアメリカを再生させた。 実際ベトナム戦争は不名誉な負け戦だった。 全力で戦えばアメリカが負けるわけはない戦いだったが勝利に向けての方向性を失ったためにベトナム全土が共産勢力に乗っ取られる結果となった。 しかし何と言われても戦いの動機は共産勢力の拡大防止だったわけだから正しかった、と言って国民の誇りを取り戻し、明確にソ連打倒と自由主義経済復活への方向性を示したのだ。 今やレーガンはアメリカ建国の父・ワシントンに次ぐ大統領として尊敬されている(左翼リベラルからは軽蔑・嫌悪されている)。
保守派はこの例に習うべきでる。 日本は、過去の戦争をすべて正しい戦争だったと明言し、自虐史観を脱却しなければならない。 学校で「日本にとっての」正しい歴史を教えなければならない。 弥生時代から始まって第二次大戦のあたりまでみっちりやって、あとは流す、ではなく、近代史において日本がいかに立派であったかをみっちり教育しなければならない。 左翼の言うとおり、それこそ「歴史の書き換え」が必要である。 それが出来るまでは、尖閣は繰り返される。 そして日本の国益は侵食され続けるだろう。
上海に駐在員として滞在する者より。
尖閣の問題の根源は日本にある。 問題は日本の弱腰外交である。 弱腰外交は他国が日本の弱みに付け込むすきを与え、日本の国益を侵食するのを許す。 しかし、その弱腰外交は政治家個人の性格といった矮小な問題ではなく、戦後、日本社会が一貫して育んできた自虐的歴史観の必然的な結果である。
尖閣の問題はここ1〜2年の民主党政権で突然発生した問題ではなく、1970年代、自民党時代から延々と続いている問題である。 民主党の問題ではなく、日本全体の問題である。
●自分達はアジア諸国に対して歴史的な負い目がある
●日本は国家として人道に反する罪を犯した
●日本の戦前戦中の行いは、ユダヤ人という一個の民族の絶滅を緻密に計画し、実行したナチス・ドイツと同列である
●日本は有罪の判決を言い渡され、永遠に罪を贖わなければならない
という認識が外交の出発点であれば、当然、自国の国益追及は道徳的な悪である、ということになる。 であるから、国益は追及してはならない、ということになる。 日本は道徳的に他国よりも負い目があるわけだから、堂々と領土主権を主張するのは厚顔無恥な行為である、ということになる。 たとえ日本の滅亡につながるとしても、憲法9条を死守するのが日本の使命である、ということになる。
まともな善良な人間に自虐史観をインプットすれば、このような思考がアウトプットされるのは当然である。 その意味では今回の決定を下した政治家の対応は理解不能な行為ではない。 ある意味、まともな人間による、まともな行動である。 極悪国家・日本の罪深き代表としては、今回の尖閣の事件は、日本の戦後の贖罪行為の至らなさの結果として真摯に受け止めるべきことである。
しかし、我々自虐史観を否定する者にとっては、彼らの行動は、日本という我々の祖先先輩たちが営々と築き上げてきた世界にも類を見ない優れた伝統に泥を塗る行為である。 問題は彼らの人格やIQではない。 歴史観が自虐であろうがなんであろうが、大概の人々は善良で勤勉な日本人である。 問題は彼ら自虐史観派と我々は二つの異なる惑星に住んでいるということである。
ただし異なる惑星に住んではいても、変異が生じることがある。 歴史観は自虐であっても国防・軍事に関するしっかりとした意識と見識を持った政治家もいることは確かである。 問題は、そのような政治家が発信する微妙なニュアンスは我々には理解できないことである。
靖国神社を参拝しない政治家がよく言うのはA級戦犯が合祀されており、参拝すれば、先の大戦を肯定することになるから、という理由だ。 その理由の是非はさておき、国の歴史を否定しながら強い国防を目指そうというのは無理である。 それは自己矛盾である。 テクニカルな法律的な議論は学者が象牙の塔に籠ってやればよいのであって、我々一般人にとってはどうでもよい。 単純に考えれば両者は相反する考え方である。 強い国防を目指すのであれば、国の歴史は肯定しなければならない。 そうでなければ我々国民は明確な方向性を見出すことは出来ない。
例を挙げれば、故レーガン大統領はベトナム戦争を正しい戦争だったと明言し、ソ連を悪の帝国と名指しして国防・経済共に強いアメリカを再生させた。 実際ベトナム戦争は不名誉な負け戦だった。 全力で戦えばアメリカが負けるわけはない戦いだったが勝利に向けての方向性を失ったためにベトナム全土が共産勢力に乗っ取られる結果となった。 しかし何と言われても戦いの動機は共産勢力の拡大防止だったわけだから正しかった、と言って国民の誇りを取り戻し、明確にソ連打倒と自由主義経済復活への方向性を示したのだ。 今やレーガンはアメリカ建国の父・ワシントンに次ぐ大統領として尊敬されている(左翼リベラルからは軽蔑・嫌悪されている)。
保守派はこの例に習うべきでる。 日本は、過去の戦争をすべて正しい戦争だったと明言し、自虐史観を脱却しなければならない。 学校で「日本にとっての」正しい歴史を教えなければならない。 弥生時代から始まって第二次大戦のあたりまでみっちりやって、あとは流す、ではなく、近代史において日本がいかに立派であったかをみっちり教育しなければならない。 左翼の言うとおり、それこそ「歴史の書き換え」が必要である。 それが出来るまでは、尖閣は繰り返される。 そして日本の国益は侵食され続けるだろう。