平和主義:悪と不道徳と退廃の思想

  • 2011.10.01 Saturday
  • 01:15
 

「我々は平和を希求しない。 我々は勝利を希求する。」国家の代表が世界に向かってこう言い放つ日を待ち望む。 勝利なき平和はは無意味である。 なぜならばそのような平和は空疎であり脆いからである。 逆説的であるが、平和を希求するのを止め、勝利を求め始めない限り平和は近づいてこないのである。 

 

平和は勝利の副産物である。 勝利によって平和がもたらされる。 しかし勝利なき平和は空虚である。 大東亜戦争に負けた日本は屈辱にまみれた空虚で脆い平和を手にした。 アメリカの軍事力に守られた日本は、自国を自力で守る必要がなくなったがためにその気概も力もなくしつつある。 かたわになりつつある。 かたわであることにも気づかないくらいに頭がボケてしまっている。 日本に日本人として生まれてきたありがたさをこれっぽっちも感じることのできない人間が増殖する。 その日本を守る防壁である領土、領海の重要性を理解できない知能遅れの文化人、学者、知識人、言論人、ジャーナリスト、教師が増殖する。

 

平和主義者、パシフィストは言う。 「何はともあれ平和であればそれでよい。 平和こそ何にも優先する。 戦争は悪であり平和は善である。 武器は死と悲しみをもたらし、ペンと詩は幸せをもたらす」と。 

 

尖閣で、竹島で、北方領土でやられっぱなしの日本が平和であると信じるならばそうするがよい。 とりあえずやられておけば平和であると思うならばそうするがよい。 自分で平和だ平和だと念じておれば脳内が平和でそれでよいのだと思うならばそうするがよい。 彼ら平和主義者が住むのは虚構のファンタジーである。 すべては空虚な嘘である。 偽りである。 まやかしである。 質実剛健たる本当の日本人の住む世界ではない。

 

平和主義は悪の思想である。 平和主義は不道徳の思想である。 平和主義は退廃の思想である。 なぜならば彼らの意味するのは我々の祖先が代々受け継いできた伝統・文化を、彼らが時には多大なる犠牲を払って守ってきたこの伝統・文化を、このかけがえの無い有形無形の財産を、守り次代へ伝えていく義務、それを放棄することを堂々と宣言しているも同然だからである。

 

「伝統・文化」という意味は茶道や能のことを言っているのではない。 そういうのが趣味な人は楽しめばよいし、ベートーベンやバッハが好きならばそれはそれで構わない。 「伝統・文化」というのは日本人らしさそのものである。 日本人らしさとは道徳性であり、許容性であり、自律性であり、論理性であり、向上心であり、思いやりであり、礼儀正しさであり、繊細さである。 これら全てをバランスよく包有する文化は日本独自のものであり、日本の国土が育んできた文化に他ならない。

 

平和主義者の一掃無くして日本が国家を体を取り戻す日はやってこない。 平和主義者の一掃無くして勝利は無い。 勝利なくして平和は無い。 

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