「政教分離」は左翼思想

  • 2012.02.21 Tuesday
  • 01:23
 

全体主義的左翼思想の言葉がいつの間にか世間一般にいきわたり、政治思想に無関心な人々だけでなく、保守を自称する人物までがその言葉を振り回すようになる、という現象はよく見られることである。 「格差社会」「社会正義」「地球温暖化」「脱原発」等々。 しかし特に日本社会に根付いている悪しき言葉として「政教分離」を挙げなければならない。 首相の靖国参拝は政教分離に抵触するからダメである、と左翼が言う。 それに対して「いや、別に宗教活動をしているわけじゃない。 政教分離は侵していない」と保守が弁明する。 どちらも全然だめである。

 

左翼全体主義の特徴は、論理性が無くひたすら感情的なこと、良きものを破壊しようとすること、自身の問題を他に転嫁して貶めんとすること、である。 政教分離という考えにはこれら全てが見事に当てはまる。 政と教、すなわち政治と宗教というものを分離することは物理的に不可能である。 例えれば、人間の脳という「ハード」と思考や想念、感情という「ソフト」を分離せよというに等しい。 ある人が立候補し、当選し、政治家になった途端、「今日からあなたの頭からあなたに対して価値観を与えてきた教えを完全に排除してください」と言われるに等しい。

 

政治とは何か。 それは「政府の仕事である国防、治安維持、社会基盤整備を行うために、法の枠の中で、国民から託された権限を行使すること」に他ならない。 そしてこれらに携わるのが政治家であるが、彼らが独裁的な権力を行使することを防ぐために行政、立法、司法の三権分立があるのである。 しかし、これら政治に直接携わる人々、そして彼らを選ぶ責務を負った国民達の行動の原動力となるのは何か。 何が彼らを突き動かすのか。 国家、社会、家族、文化、といった祖先からの遺産を守り、発展させ、そして次世代へと引き継いでいこうとする意思に他ならない。 ではその意思はどこから来るのか、そして意思を決定するうえでの判断はどこから来るのか、そして判断をする上での価値観はどこから来るのか。 

 

窓を開ければ価値観が入ってくるのか、蛇口をひねれば価値観が出てくるのか、スイッチを押せば価値観が閃くのか。 胃が空っぽになれば腹がへるのは本能である。 誰に教えられる必要もなく、誰もが感じるのが本能である。 良き社会のためにあえて人を困難に立ち向かわせる衝動、それは正義感であり、義務感であり、怒りであり、憧れであり、愛である。 それらの感情や衝動に方向性と指標と論理性を与えるのが価値観である。 価値観とは、誰が発明したのか。 テレビ朝日でも日経でもないし、ニューヨークタイムズでもハーバード大学でも東大でもソニーでもない。 神、仏、あるいは創造主の名において語られ、数百年、数千年という歴史の中で人々に生きる道を示し、律し、力を与えてきた教え、すなわち、それは宗教である。 もしも人類に宗教が無かったならば、人間は我々が住むような市民社会を形成することはできなかったはずである。 なぜならば、市民社会が存在しうる根本は個人の尊重、祖先の尊重、そして命の尊重であり、創造主の絶対的な命令としてそれらを教えるのは宗教以外にないからである。

 

汝盗むべからず。 なぜか。 警察に捕まるから... そうではない。 違法だから... そうではない。 盗まれる人がかわいそうだから そうではない。 創造主の前に、全ての人は生まれながらにして平等である。 ある人が労働によって付加価値を生み出し、収入を得る。 その収入でモノを買う。 そのモノはその人の労働の対価であり、その人だけのものである。 それを取り上げ、他の誰かに勝手に分け与える権利は誰にもない。 より多く労働し価値を生み出した人間が、労働せず、価値を生み出さない人間から収奪されるのは悪である。 意識するしないに関わらず、ユダヤ教だのキリスト教だの仏教だのカトリックだのプロテスタントだのに関わらず、それらを教えてきたのは宗教なのである。

 

ロナルド・レーガンは20世紀最大の政治家である。 彼はソ連を悪の帝国と呼び、アメリカ経済の再生と軍事力による断固たる対ソ戦略によりソ連を崩壊させた。 その後アメリカは20年にわたって繁栄をつづけ、その繁栄は世界に恩恵をもたらした。 レーガンを突き動かしたのは個人の尊厳と自由を踏みにじるソ連そして共産主義に対する強烈な怒りであった。 そしてその怒りの源泉は神への信仰であった。 生命、自由、幸福の追求個人の権利は神が与えたものであり、何人をもそれを侵すことは許されない。 もしもレーガンから信仰を取り除いたならば、その後にいったい何が残るというのか。

 

政教を徹底的に分離しようとした試みは歴史を見れば枚挙にいとまがない。 フランス革命、ロシア革命、大躍進そこで何が起きたか。 大衆による暴力と社会の解体、そして独裁、個人崇拝である。 ジャコバン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、ポルポト、金王朝、カストロ、チェ・ゲバラ(バカがTシャツのデザインに使う人物)彼らは皆宗教を敵視し、あるいは利用した。 そして彼ら亡き後は党中央政府という官僚集団による管理社会が残る。 彼らの世界に言論の自由、信教の自由、行動の自由は無い。  すなわち、市民社会は無い。 ところで、現在のアラブ・イスラム圏は権力者が国民を支配するために宗教を徹底利用している例である。 イスラムはもはや宗教ではなく政治理論である。

 

「政教分離」、それは唯一無比な歴史と文化を持つ国である日本を瓦解せんとする共産主義運動が広める毒である。 いったん毒されると頭脳が麻痺し、思考が停止してしまう。 恐るべき毒である。

コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

time

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM