全体主義と自由主義
- 2012.03.10 Saturday
- 13:38
日本はなぜだめになったのか。 保守と自称する者達の一般的な考えは以下のとおりである。 戦後の西洋的な民主教育によって個人主義と自由ばかりが強調され、公の精神と道徳が忘れ去られた。 その結果自分さえよければよいという利己主義が幅を利かせるようになった。 戦後教育で過去の日本は全て悪であると教えられ、日本人は愛国心を無くした。 国民は堕落してだらしなくなり、勤勉さを無くし、だから経済的にもダメになっていった...
正しいのと間違っているのとだいたい3対7くらいである。 「中国、北朝鮮、いい加減にしろ、ふざけんな!」といえばそれは保守である、というような。 でもよくよく話を聞いていると、「TPPは日本の皆保険制度を破壊しようとするアメリカの陰謀だ!」とか「ユダヤの陰謀に気をつけろ!」とかいう言葉が飛び出てきてずっこけてしまう。 決して全部間違いではないが、決定的な部分がおかしい。 基本的に雰囲気に流されている。 そして単細胞である。
西洋的な...とは何か。 西洋… ヨーロッパとアメリカのことか。 ヨーロッパという国は無い。 イギリス、ドイツ、スイス、イタリア、ギリシャ… 各国全部違う。 アメリカの文化とヨーロッパ諸国の文化は非常に異質である。 アメリカ文化というのも何を指すのか疑問である。 ニューヨーク、サンフランシスコとオクラホマ、テネシー、テキサスは全然違う。 ハリウッドやMTVはアメリカ文化のごく一部に過ぎない。 西洋的、アメリカ的、そういう言葉には意味が無い。 ホッブスとジョン・ロック、マルクスとハイエク、レーニンとゴールドウォーター、そしてレーガン、サミュエルソンとフリードマン、これら人物の思想は「西洋的思想」と呼べば呼べないことは無いだろうが、黒と白である。 昼と夜の違いである。 別世界と言っても良い。
個人主義と自由ばかりが強調され...とはどういう意味か。 逆に言えば、政府が事細かなルールを作って国民の生活を仔細にわたって管理・保護し、国民は生活上の様々な便宜を政府にすがる、という考え方が日本古来の伝統なのか。 医療費が全額公費負担される生活保護受給者のうち2日に1回以上の高頻度で3か月以上続けて通院した「頻回通院者」が全国で1万8217人に上ることがわかった、というニュースが以前あった。 この現象は福祉国家の必然なのではないのか。 これを利己主義と呼ばずして何なのか。 国民が「個人主義で」堕落しているからこうなるのではなく、福祉国家が国民を堕落させるからこうなる「利己的になる」のではないのか。 これが日本の伝統なのか。
自称保守主義者は頭の中が霧に包まれている。 だからこのような出口無き矛盾に陥る。 歯がゆいことである。 問題は西洋的な思想でもなければ個人主義でもない。 そのような問題は存在しないのである。 問題はただ一つ、全体主義である。 そして、その問題に対する回答はただ一つ、自由主義である。
西洋であろうが東洋であろうが、個人が自分で責任を持って自立して生きるという考え方は市民社会の基礎である。 歴史的文化的要因を解説する知識は無いが、日本では昔からその考え方、態度、文化は民衆レベルに広く浸透していた。 だから江戸時代から明治時代に至るわずか数十年でちょんまげの国から大艦隊の国へとのし上がれたのである。 その時代は国民皆保険だの皆年金だの失業保険だのといった制度は無かったし必要も無かったのである。
個人主義というかどうかは別として、個人が政府からあれこれ指図されずに自由に生きるということは、同時に責任を持つということに他ならない。 人は動物と違って一匹では生きられないから家族がある。 人が困れば家族が面倒を見る。 お互いに助け合う。 家族も近所も助け合う。 政府が全然関係ない人達から税金を取り立てて「財源確保」する必要などない。 個人を育むのは自分自身であり、家族であり、そして地域社会である。 個人は自分に責任を持ち、そして家族、地域社会も責任を共有する。
日本の保守は未だに左翼と右翼の抗争という図式の中に生きている。 左翼を国際主義的全体主義者とするならば、右翼は国粋的全体主義である。 両者は違うカラーを出しながら同じ思想、根っこを共有している。 どちらの方がましか、という問いはスターリンとヒトラー、毛沢東と蒋介石、どちらがましかを選ぶようなもので不毛である。 いずれの側も間違いである。 というよりも、いずれの側も全体主義であり、自由主義によって淘汰されるべきものである。