妊娠中絶と死の思想

  • 2012.04.04 Wednesday
  • 20:11
 

 

アパートの部屋に幼い子供をおしこめてドアをテープで閉じ、そのまま何週間も外泊して子供を餓死させただとか、高層階から子供を落下させて殺そうとしただとか、そういった性質の事件をよく見聞きするようになった。 東京都江東区木場のあるマンションから父親に落とされた子供は奇跡的に植え込みに落ちて命に別状なかったようだが、成長する中で「親が殺そうとして偶然助かった自分」という存在と「自分を殺そうとしたが、偶然、結果的に殺人者とならなかった親」という存在とどう向き合っていくのか、考えさせられるものである(考えても想像しても分からないが)。

 

命といものは、子供であろうが青年であろうが、中年であろうが老人であろうが、その価値が増減するものではない。 全ての命は天から(別にホトケでもカミでも何でもよいが)与えられたものであり、何人もそれを奪うことは許されない。 生まれたばかりの子供だから殺してもよいだとか、もう十分長く生きた老人だから殺してもよいだとか、そういうことは許されない。 キリスト教徒であろうが、仏教徒であろうが、何教徒であろうが、何教徒でもなかろうが、それが正しい考え方である。 この考え方を「生の思想」と呼ぶ。

 

しかし、それと真逆の考え方をする歴史的な思想の流れがある。 それを「死の思想」と呼ぶ。 その始祖はプラトンである。 プラトンの「国家」において、賢人指導者による国民の徹底統制が行われる。 産業、学校、病院、全てが国家によって運営される。 人は階級に分別され、仕事を割り振られ、住む家を決められ、結婚する相手を決められる。 逸脱は許されない。 健康で強壮な体作りが奨励される。 病院はそのための機関である。 強靭な人間が怪我をしたときに手当てを受けるのはよい、しかし生まれつき体の弱い者、運動不足で不健康な者、老人は病院を使うことは許されない。 なぜならば、「国家」が必要とするのは強く健康な人間だけであり、弱きものを治療するのは限りある予算の無駄であるから。 逆に、このような弱者は自殺を勧められる。 社会のためにこの世から去りなさい、と。

 

なぜ冒頭で述べたような事件が起きるのか。 それは社会を支配する道徳が「死の思想」に偏り、「生の思想」が排除されてるからである。 それを立証する事実がある。 それは妊娠中絶である。 妊娠中絶というのは上に述べた「死の思想」に基づいて一個の生命に終止符を打つ行為である。 その生命は、自らを防御する手段をもたず、生きる権利を主張する手段ももたず、抗議する手段も持たず、そしてこの世に何らの足跡を残す手段も持たない。 それは人間として最も弱い立場にある生命である。

 

人間の生命の誕生は必ずしも常に幸福に包まれているわけではない。 祝福で迎えられることもあれば、長らく待望された末に出来ることもあれば、時期的にも経済的にも状況的にも望まれずに誕生することもある。 どのような状況下であろうとも、生命は生命である。 親である我々がこのような状況だから、子がこのような状況だから、と理由をつけ、この場合は生命を絶ってもよいとし、一つの生命に対して、たとえまだ自分の体内にあろうと、死刑判決を下す権利は本来誰にも無い。 状況が一つの人間の生命が生きる権利を減じることは無いからである。 だが現在日本を含め多くの国でそのようなことをする権利が法律で認められている。 「死の思想」が法律で武装しているのである。

 

「まだ生まれてもいないから殺してもよいのだ」と考え、その考えが空気のように当然となれば、次にくるのは何か。 「まだ生まれて間もないから殺してもよいのだ」 という考えである。 生まれてくる前に殺せばよかった。 殺しておけばよかった。 そのときであればまだ合法だったのだ。 うっかりしていた。 つい産んでしまった。 でもまだ生まれたばかりだ。 お腹の中にいたときと違うのは、泣いたりわめいたりすることくらいだ。 いや、お腹のなかでも動いたりしているではないか。 じゃあ、そのときに殺そうが、今殺そうが、大した違いは無いではないか。 そう、実質的には同じだ。 殺してしまえ。 「死の思想」がもたらす当然の結論である。

 

「死の思想」は不幸と惨めさをもたらす。 「死の思想」は人々の弱みに付け込み、誤った権利意識を植え込み、法による権力を取り込み、マスメディアや芸能界を支配し、社会を害毒で麻痺させる。 人々が「我々は古いしがらみから解き放たれたのだ」、「我々は進んでいるのだ」という倒錯した自由意識を強める間に社会は朽ち続ける。 社会で最も弱き者達は日々犠牲になる。 まるでゴミであるかのように捨てられる。 「死の思想」はかくも強力な害毒である。 その害毒の解毒剤となるのは保守主義だけである。

 

 

P.S.

  1. 人間には他人の生命を奪う権利はないといっても死刑は別である。 殺人者は他人が天から授かった命を奪ったのであるから、その罪を償うには同じ目にあうしか方法がないのである。
  2. プラトン〜トマス・モア〜ホッブス〜マルクス〜現代の左翼にいたる「全体主義・圧制・暴虐」の流れはマーク・レビン著「アメリトピア」に詳しい。 日本語訳は無いが、世界の自由を求める人々に読まれるべき本である。 
  3. ではレイプによる妊娠はどうなのだ? 何によろうが、生命は生命である。 生命が宿った瞬間にそれは生命なのであり、何者もそれを奪う権利は無いのである。 それに、レイプによる妊娠の実例を世界広しもと一度も聞いたことが無い。 故に合ったとしても非常に稀である。 稀なることを一般化する必要は無い。 稀なることが全部であるかのように主張するのは左翼の論法である。
  4. リック・サントラムは全米の妊娠中絶廃止を訴えている。 この真の保守政治家は共和党指導部の圧力にも関わらず指名争いの戦いから脱落する気配はない。 最後まで戦いぬき、願わくばオバマ大統領と対峙してほしいものである。
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