「びびる国民」「大きな政府」「大企業」悪の枢軸
- 2012.05.04 Friday
- 21:05
第一章
イオンというスーパーのストアブランドのチョコレートか何かの商品から落花生成分が検出され、何十万個という商品を回収しているそうであるが、世も末である。 法律でアレルギー物質としての表示義務があり、工場での混入により未表示の物質が入ってしまったということで回収すること自体は仕方がないのだろう。 何が世も末かといえば、それは日本人が「らっかせい」ごときに右往左往する国民に成り下がったことである。
「らっかせい」ごときにビビるようなヤワな国民が中国やロシアの覇権主義に対抗できるのか。 「らっかせい」ごときにビビるようなヤワな国民が北朝鮮の侵略行為に対応できるのか。 「らっかせい」ごときにビビるようなヤワな国民が右に左に安定感無くぶれるアメリカと伍していけるのか。 「らっかせい」ごときにビビるようなヤワな国民がイランや中東情勢に翻弄される世界情勢の中を生き残っていけるのか。
「らっかせい」ごときにビビるようなヤワな国民には日露戦争でロシアを叩きのめしたかつての日本人の面影はない。 「らっかせい」ごときにビビるようなヤワな国民には逆境の中自らの運命を切り開くために朝鮮半島、そして中国大陸、そして南アジアへと攻めていったかつての日本人の面影はない。
「らっかせい」ごときにビビるような体たらくだから放射能にもビビって原発を止めた挙句に電気代の高騰にびびるという、ビビッてだらけの国民である。 日本をビビらせたい国々からしてみたら日本はいじめられっ子の泣き虫坊やも同然であろう。 ネパールやブータンのような貧乏国はいじめてもしょうがないが、まだ金のある日本はいじめ甲斐がある。 情けないことである。
第二章
「びびる国民」あっての「大きな政府」であり、「大きな政府」あっての「びびる国民」である。 そしてそこに副産物的な存在としての「大企業」がある。 この三つは相互関係にある。 互いが互いを求め、互いが互いを増長させる。 「大きな政府」と「びびる国民」と「大企業」によって社会が閉塞化し全員が惨めになる。
食品アレルギーがあるのならば、それを食べなければよいだけである。 例えばちょっとした落花生アレルギーであれば直接食べなければよい。 あるいはちょっとかじって様子を見ればよい。 結構ひどいのであれば、入っていそうな食品は避ければよい。
菓子には大体アレルギー物質が入っている。 ならば食べなければよい。 水あめや蜂蜜でも舐めればよい。 果物でも食べればよい。 今の時代、果物といえば世界中から入ってくる。 選り取り見取りである。 リンゴには落花生アレルゲンは入っていないから安心して食べればよい。 法規制の必要性などこれっぽっちもない。
人間、何かしらのハンディを負っているものである。 五体満足でない人はざらにいる。 アレルギーも様々である。 落花生アレルギーもいれば花粉アレルギーもいれば猫や犬のアレルギーもある。 左翼アレルギーというのもある。 左翼は知性と常識に対する強いアレルギーがあるから非常に憐れである。 アレルギーというのは千差万別できりが無い。
これら様々なアレルギーを持つ人々全員を保護するためにいちいち法整備をするということは何を意味するか。 彼ら自身が知識と常識と自制心を身につけて判断し、自分の身は自分で守る、ということをしなくなる。 「あれも食べたいこれも食べたい…アレルギーになった…どうしてくれる…企業は責任を取れ…国が守れ… 」「国が守ります…法を整備します…企業を規制します…責任とらせます…管理を強化します…更に細かく規定します」
法規制に対応できる企業は大企業だけである。 もしくは、資金力のある大企業には非常に有利である。 回収せざるを得ない場合でも、大企業にとってはかすり傷である。 小さな企業や店であれば存亡の危機である。 だから次第に小さな企業や店は淘汰され、生き残るのは大企業のみ。 中小企業が廃れるにつれて自然に大企業による寡占が進む。 寡占によって購買の選択も雇用の選択も狭くなる。
これが社会の閉塞化という現象である。 日本は前から自殺者が多いが自殺を考える人も更に増えているそうである。 このような閉塞感のある国ならではの現象であろう。 閉塞的な状態に安住し、びくつきながら自らの命を絶つことばかり考える人々の国、日本。 日本は末期的である。
追記
アレルギー物質を含む食品に関する表示Q&A
厚生労働省医薬食品局食品安全部基準審査課
http://www.caa.go.jp/foods/pdf/syokuhin12.pdf
何百人何千人もの高給取りの高級官僚がこのような下らない資料をせっせと作成し実施、管理にあたっているのだから税金などいくらあっても足りないはずである。