いじめを助長する心なき裁判

  • 2012.08.09 Thursday
  • 23:20
 

最近石川県で、ある男性が自分の子供が通う学校に乗り込んで行き、子供をいじめた生徒を教室で殴って怪我をさせ、それで罰金刑になったそうであるが、心無い判決である。

 

平鍋裁判官は「娘を助けたいという心情は十分理解できる」としたうえで、父親の行為を「男児やほかの児童に対し精神的に大きな不安と衝撃を与え、保護者や学校関係者にも大きな不安を与えた」と指摘した。 Asahi.comより

 

この男性は親としての見本である。 大人としての見本である。 子供が、特に自分の子供がいじめにあっているときにどうするべきなのか。 その見本である。

 

正しい裁判とはこういうものである。 「娘を助けたいという心情から出た一途な行為である。 男児やほかの児童に対しては重要な人生の教訓を与え、保護者としての手本を示した」と。 裁判官が正しい裁判が出来ないのであれば、このブログが代わって裁判を行ってあげてももよいくらいであろう。

 

この男性が刑の程度はどうあれ、罰を受ける、という事実は、とりもなおさず日本が法治国家ではないことを示している。 法治の基本は道徳である。 人々に道徳があれば基本的な決まり事を定めるだけで市民社会が成り立つ。 人々が「基本的にやってはならないこと」を知っているから余計な法律や規制は必要ない。 盗むな、殺すな、騙すな。 それだけで良い。 

 

この男性は盗んだのか、殺したのか、騙したのか。 この男性は子供が安心して学校に通い、勉強し、遊び、友達を作り、成長できるような環境をつくろうとした。 いじめた生徒が衆人環視の中殴られるのを見て、いじめを受けた生徒は「これで安心して通学できる」と思ったはずであるし、他の生徒もやって良いことと悪いことが分かったはずである。 また他の生徒も、悪い行いが断固たる制裁を受けるのを見て安心感を覚えたはずである。

 

しかし日本では教師の体罰が禁止され、教師としての機能が果たせなくなっているほどだから、社会全体が不要な規則でがんじがらめである。 「道徳」など入り込む隙間もないほどである。 だから本来は褒められるべき行為をしたこの男性が罰金刑に処せられるという、倒錯した結末になるのである。

 

社会はこの男性を裁くことで、人が自由に教育を授けるという権利を侵害したことになる。 いじめを止めようとした男性が罰せられるのだから、逆に言えば、いじめは報いられたのである。 このような社会で、子供は「道徳」も「法治の基本」も学ぶことなく大人になる。 知恵無き知識で詰まった頭で過去を振り返り、そしてつぶやく。 社会はあまりにも不完全である、もっともっと規制が必要である、と。

 

 

追記1:「殺す」のは殺そうとして殺すことである。 医療において殺そうとすることは無い。 医療は生かそうとする行為である。 だから余計な法律がなければ医療裁判などあり得ないわけである。

 

追記2:余計な法律や規制が無ければ、くだらない裁判も無くなる。 ベンゴシも必要なくなる。 企業や病院が「コンプライアンスだ」などといってびくつくことも無くなる。 良いことばかりである。

 

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