「日本精工:独禁法違反で罰金」国家による収奪のひとコマ

  • 2013.03.30 Saturday
  • 11:34
 

 

法とは何か…. 保守主義の源流の一つである19世紀フランスの自由主義経済政治学者のフレデリック・バスティアは著書『法』の中で言う。 「法とは正義である法とは個人が身体、自由、そして財産を自衛するための集団的組織である」と。 バスティアの言に従えば、今日の世界そして日本に存在する法律のほとんどは「法」の名に値しない。 すなわち悪法である。

 

人間は歴史上、法の本来的な存在理由を捻じ曲げ、人間の悪しき性質である「収奪」のために法律の持つ強制力を利用してきた。 その法律が悪法すなわち収奪かどうかを判断するにはどうすればよいか。 バスティアは言う。 「その法律が、ある人からその人に属する所有物を取り、その物が属さない別の人に与えるのであれば、それは収奪である」「その法律が、個人であれば犯罪を犯すことによってのみ可能な方法で、一人の市民に不利益を与えることと引き換えに別の市民を利するのならば、それは収奪である」と。

 

独占禁止法という法律がある。 ベアリングの大手の日本精工という会社が独禁法違反で3億8000万円の罰金を科された。 2010年に日本精工の幹部が業界の他3社の幹部と会合を持ち、鋼材価格の値上がり分を産業機械向け軸受けの価格に転嫁することで合意していたのだという 判決を述べる裁判長がこう言ったそうである 「犯行は大規模かつ組織的に行われ、悪質。市場占有率が最大の日本精工がカルテルの中心的役割を果たした」と。

 

独占禁止法はバスティアの言う収奪であり、すなわち悪法である。 収奪の定義に完全に一致するからである。 ある企業がその業界でシェアを拡大すれば、その企業は”その業界における”独占に向かって限りなく近づいていることは間違いない。 だがそのシャア拡大は品質とサービス改善という企業の努力なしには成しえないものであり、すなわち、企業の財産であり、企業を構成する個々の社員の財産である。

 

独占禁止法なる悪法は空想の論理に基づいている。 「企業は独占によって我々市民の生活を牛耳ることが出来る」という空想である。 だから「政府が国家権力を行使して介入し、企業からその財産を奪って別の企業に与える”調整”をしなければならない」となる。 

 

なぜ空想なのか例えば、テレビ製造の業界である1社が何らかの理由でシェア1番となり、他社を買収して完全な独占状態を実現したとする。 ではそのテレビの会社は好き放題の値段をつけられるのか。 今まで1万円だったのを10万円や100万円や一千万円の値段をつけられるのか。 つけるのは勝手である。 では消費者はどう反応するか。 消費者にとってはスマートフォンもあればパソコンもあればI-Padもあればあれもこれもある。 テレビ好きには痛いだろうが死ぬことはない。 テレビを買わなくなるだけ、というのは容易に推測できることである。

 

独占禁止法成立に関わった”偉い人達”がいかに単細胞であるかが分かろうというものである。 しかもその単細胞ぶりと無知無能を恥じるでもなく堂々とその独善的論理を振りかざすのだから政府というのは恐ろしいものである。 法が機能する国は栄える。 栄える国は国民が幸福を享受する。 一方、法が捻じ曲げられ、収奪に利用される国は停滞と後退に苦しむ。 そのような国において国民は不幸と惨めさを味わう。 今の日本がどちらに向かっているか、言わずと知れたことである。

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