カンボジア・賃上げデモ、ふと日本の昨今をふりかえる

  • 2014.01.10 Friday
  • 23:05
 

カンボジアでは縫製工場の工員が賃上げのデモを起こし、手に負えなくなって警察が発砲するという事態になっているらしい。 こういう事態はいまや珍しいことではない。 労働者が賃金を上げろと叫び、暴れ、破壊し、政府は圧力を受けて最低賃金を上げる。

 

このようなニュースを見るたびに、日本人として生まれてきた幸運を感じるものである。 日本人はよほどのことが無い限りデモをすることはないし、暴徒化するなどまず無いといってよい。 これは日本人の文化性を表すものである。 暴徒化しない日本人を、単に「おとなしい」「無関心」「無気力」などと評する評論家がいるがそれは勘違いである。

 

「前よりも暮らしぶりが良くなった」「だから更に頑張ろう」

 

これが日本人の精神性である。

 

「XXパーセント賃上げしろ」「でないと暴れて破壊行為に及ぶぞ」

 

これが「彼ら」の精神性である。

 

「彼ら」というのは世界の大多数のことである。

 

「彼ら」に経済の原理を説いても無駄である。 賃上げを行えばそれまで雇っていた労働者を雇用することが出来なくなります。 機械化せざるを得なくなり、雇用が減ります。 そして失業が増えます… そんな説明をしても無駄である。

 

日本人の特徴を言えば、それは細やかさ、思いやり、慎ましさ、誠実、器用、美意識、厳格、真面目、そして明晰な思考である。 日本人は世界でも稀有なる民族である。 民族性は最も重要な経済インフラである。 産業が空洞化する日本だが、本来は日本以上に世界中の工場となるに相応しい国は無い。

 

精神性は文化である。 優れた文化というものは一発屋の芸能人のように出てきては消えるものではない。 時間をかけて醸造されるものである。 世代から世代へ、何年、何十年、何百年、何千年という時間の中で受け継がれてきたものである。

 

精神性はモノではない。 人は常日頃から精神性の存在を意識することはない。 見えないがそこにある「何か」なのである。 しかしその「何か」を改めて意識するとき、その精神性を伝えてきた伝統と先祖を敬う気持ちが我々の中に自然と沸いてくるのである。

 

戦後、日本は経済成長と経済の停滞を経験してきた。 その間に我々はこの精神性を確実に失ってきた。 政府が国民教育を通じて伝統への敬意を踏みにじってきた成果である。 今の日本に「古きもの・伝統的なもの」に対する尊敬の念が片鱗でも存在するだろうか。 

 

「婚外子を子供と平等に扱おう」という考えは伝統的な家族制度への攻撃である。 これを推進するのは家族制度を破壊することを目論む者達である。

 

「婚前交渉はいけない」 これは「古臭い」考えではない。 「古い」考えである。 「古い」ということは「古き時代から絶えることなく今に伝わる」ということである。 言い換えれば「英知がある」からこそ「古い」のである。 同棲やデキ婚などという現象が珍しくない今の日本に古き観念に対する敬意の片鱗もあるだろうか。

 

同性婚の制度化の可能性が取りざたされる昨今である。 「結婚は一人の男と一人の女の間の契り」 これは「古臭い」考えではない。 「古い」考えである。 男女だから子が生まれ、社会が継続する。 強い家族制度は強い経済へと繋がる。 考えれば当たり前だが、そこに時代を超える英知があるのである。

 

日本人が古くから受け継いできた精神性をその残滓まで失うならば、日本は稀有なる国ではなくなり、日本人は稀有なる民族でなくなろう。 我々は大多数の一員となるのである。

 

 

追記:

店のバイトが夜中に店の冷蔵庫に入って写真を撮り、それをフェイスブックに投稿して… といった事件が続けざまに起きたことがあった。 精神性喪失は我々の前に現出しつつあるのである。

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