尊厳死...安楽死... 死の文化がやってくる

  • 2014.02.14 Friday
  • 18:46
 

我が国の人口が年々減少する中、死の文化が不気味な広がりを見せている。 「尊厳死」「安楽死」 そんな言葉が日常的にメディアで語られるようになり、いまや法制化の動きすら出てきている。

 

まず一旦歴史を眺めてみる。 安楽死が最も制度的に行われたのはナチス時代のドイツであった。 ナチスドイツでは生きるに値する人間と生きるに値しない人間とが国家基準に基づいて選別された。 「偉大なるドイツ」を建設するためには「偉大なる国民」が必要だ、というのがその理由であった。 しかしナチスの思想は彼ら独自のものではなかった。 ダーウィンの進化論を起源に広まった優生学がその背景にあり、社会主義的な傾向を持つ思想家は多かれ少なかれ共通する思想を持っていたのである。

 

日本では尊厳死、安楽死、と二つの用語が使われるが、段階的な違いがあるだけで実質的な違いは無い。 自殺ほう助の仕方が消極的であるか積極的であるかの違いである。

 

オランダは1973年から、ベルギーでは2002年から、スイスではかなり以前から、安楽死が合法化されている。 新たな制度を自国に導入する前に、既にその制度を導入している他国で何が起きているかを知るのは有用である。 

 

どの国でも言えるのは、いったん「殺すこと」が合法化されると、それに付随する数々の条件や但し書きが次々と有名無実化しているという事実である。

 

オランダでは自殺ほう助による死は年間の死者の10%を占めている。 そしてその半数は当人の同意無しに殺処分されている。 かの国の老人は病院にかかる際、病院でうっかり殺処分されないよう、「私を殺処分しないでください」と書かれたカードを携行する。

 

ベルギーではオランダよりも歴史が短い割に段階的な発展が非常に速く、「回復が見込まれない病気で苦しむ老人」だけでなく、あらゆる精神的肉体的苦痛を理由に医師による自殺ほう助が法的に認められている。 そして現在法整備に向けて進められているのが子供の殺処分である。 18歳以下の「苦しむ子供」を子供の了解なしに親の了解だけで殺処分できるようにすべし、という動きである。 「正しい冷静な判断」を親がしてあげることで子供を「苦しみから救ってあげる」のが「優しさ」なのだ、と。

 

スイスでは自殺ほう助は簡単である。 一連の経緯がビデオに収録される(ビデオビデオ)。 立会のもとで当人は毒薬を飲み、静かに永遠の眠りに落ちる。 家族は警察を呼び、警察は当人の死を確認し、家族へ一通りの聞き取りを行う。 それで終わりである。

 

どの国にも「厳格な」医学的、法学的条件が存在する。 だが実際のところ、それらが遵守され、違法に自殺ほう助した医師が罰せられることはほとんど無い。

 

回復の見込みのない末期の病気に苦しむ家族を目の前にして「楽にしてあげたい」と感じないならば、その人間は人間ではなかろう。 人間には血が通っていて、心があるから、そう感じるのが当然なのである。 だが、であるがゆえに、この問題においては「心に感じる」以上に「頭で考える」意思が試されるのである。

 

自殺ほう助がいったん解禁されれば、それが行き着く先にはどのような社会があるか。 以下の逸話はフィクションである。 フィクションであるが、将来の現実を予見するものである。

 

ダイアンは家族に愛される18歳の女子高校生。 ある日のこと、彼女はいつもより帰りが遅い。 6時半になっても帰ってこず、母親は心配し始める。 8時を過ぎ、父親は警察に電話をする。 事故等のお届けはないですねえ、と言われる。 町の病院にかけてもどこもダイアンという名前の患者はいないという。 いよいよ焦り始めた母親は手当たり次第に電話をかけ、ついにダイアンの一番の友人、レネをつかまえた。

 

「ああ、ジョンソンさん... レネの口調は感情の高ぶりを示していた。 彼女は泣きながら言った。 

 

「わたし、おかあさんに電話しなきゃって思たんだけど、でもダイアンに約束したんです。 クリニックからおかあさんに電話させるって」 

 

「クリニック? 何のクリニックなの?」

 

「あの 街にあるライフ・チョイス・クリニックです電話かけてもらっていいですか...

 

母親はすぐにそのクリニックに電話をかけた。 クリニックの管理者が電話口で言った。

 

「本当に残念なことです、ジョンソンさんちょうど私たちもお宅へ電話しようとしていたところです。 本当にお辛いことだと思いますから、お座りになって聞いてください。 ダイアンさんは今日の午後、当クリニックにお越しになって、”逝き”の補助を依頼されました。 御存じだと思いますが、最近成績のことで大変悩んでいたようで、また州立大学からの不合格通知もあって最近彼氏ともうまくいっていないとか そんなこんなで人生を生き続けるのが耐えられなくなったということでした。 …. 御存じだと思いますが、”死の権利”法が18歳以上の方にも適用されるようになりましてこれもご本人様の意思ということで、どうぞご理解ください。 ご当人様が選択されたことで、ご当人様にはその権利がありますので。 一言申し上げますと、逝かれる際にはそれはそれは平和なお顔でした。 最後に仰っていました。 家族がいてよかったって….

 

アメリカの福音派の宗教家、ジェームズ・ドブソンのウェブサイトより

 

僅か100年前にはどのような理由があるにせよ、子供を気軽に「おろす」などということが広範に行われることなど想像すらされなかったはずであるが、それが現在では当たり前となっている。 タガが外れれは「殺し」が「日常の治療行為」となるのは時間の問題である。 そして中絶で「おろせなかった」子供を自殺ほう助で「殺せる」制度が実現するのである。

 

痛み、悩み、苦しみ

病気、怪我、容姿、貧困、人間関係、障害...

それらは乗り越え、克服するものから「選別する条件」となる。

 

生きるに値する人間、生きるに値しない人間、生きるに値する生き方、生きるに値しない生き方...

 

「生きること」が個人の手から離れ、国家によって制度化され、規定され、振り分けられ、処分される社会...

 

そんな社会は実在したのである。 

 

我々は、そんな冷たい社会を自らの手で再び実現しようとしているのである。

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