金持ち、利益、そして我々庶民

  • 2014.07.28 Monday
  • 01:23
 

ふとしたきっかけで、ある方とツイッターでやりとりをすることになった。 どうやら私とは意見が180度異なるようである。 しかし、その方とは理性的で落ち着いたやりとりをすることができた。 意見の相違にも関わらず、その方は話を逸らしたり、罵詈雑言を発したり、あるいは難しい用語を振り回して威嚇したりすることもなく、平易な言葉で淡々と自説あるいは疑問を述べられたからである。 これは、珍しいことであり、新鮮な感覚を覚えたものである。

 

その方のプロフィールから、その方がブログをやっていることを知った。 ページに入ってみると、一つの記事が目に留まった。 

 

お金持ちにもほどがある 「この世界において金持ちはとことん金持ちである。 しかし同時に食うや食わずの人もいる。 この不公平を解消するため、個人が保有する資産や一定期間稼ぐ金額に上限を設けてはどうだろうか。 それによって、極端なお金持ちも極端な貧乏人も存在しない社会が実現するのではないか」 

 

大まかにはこのような趣旨である。 この記事の最後に、このアイデアを実現するために問題点があれば意見がもらいたいと書かれていたので意見を書くことにした。 書き始めたらいつの間にか結構な長さになっていた。 せっかくなので当ブログに掲載することにする。

 

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ここのところ、ツイッターで何度かやり取りをしています、@CBJapan1です。 貴ブログ記事を拝見したので意見を述べたいと思います。

 

「人の収入上限を決めてしまい、世の中をもっと公平にしよう」 これは大変興味深いお考えなのですが、いくつか重大な問題があります。我々の生活を豊かにしてきた進歩が止まり、急激な後退が始まります。そしてその後には悲劇がやってきます。

 

利益というものは、一般には「儲け主義、守銭奴、がめつい、ピンハネ、不当」みたいな悪い印象がまかり通っていますが、実は大変重要、かつ有用、かつ必要不可欠な役割を果たします。これが → http://bit.ly/1nEgpbf その役割です。利益があるから進歩があり、幸福がある。利益がなければ進歩はなく、後退と惨めさがあるのみ、と言っても過言ではありません。

 

金持ちがドデカい成功を収め、ドデカい富を得、絢爛豪華なるその世界を我々庶民に見せつけてくれればくれるほどに、「俺だっていつか!」と野心を燃えたぎらせる人間が沢山出てくる。しかし、いつの世でも成功者はごく一部です。ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも何十万人もの野心家達の中のごく一部です。ゆえに、比率から言って「野心を燃えたぎらせる人間」が多ければ多いほどに成功者は多くなり、少なければ少ないほど、成功者は少なくなります。

 

成功の影には運あり才あり努力あり。成功の影には惨めな失敗がゴマンとあり。しかし彼ら挑戦者を突き動かすのはのは何かといえば、それは他人のドデカい成功とそれがもたらす豊かさ、名声、充足感に他ならないわけです。

 

成功者は何をもたらすか。我々庶民の生活に便利さと豊かさをもたらします。アイフォン一つで何でも出来る。それはわずか数十年前には考えられもしなかった便利さです。

 

ちょっと待て!それはきちんと努力をして、有用な商品やサービスを実現した人について言えることだろうが!最初から金持ちの家に生まれるだとか、生まれながらに容姿に恵まれてテレビに引っ張りだこだとか、何の努力もしていない奴が金持ちでいられるなんて不公平だろうが!

 

実は、そうでもないのです。ここにも書きましたが → http://bit.ly/1A61ydW 今我々が普通に使っているモノは、数十年前は一部の金持ちだけに手の届く「贅沢品」でした。今は誰でも持っている携帯電話もノートパソコンも、はたまた海外旅行も、昔は一部の金持ちだけが持つ、あるいは、することが出来た、「金持ちのおもちゃ」だったわけです。彼らが大枚をはたいて「金持ちのおもちゃ」を買い、試し、不要と判断されたものは廃れ、有用と判断されたものは改良が加えられ、それを見た小金持ちが背伸びしてそれを買い、そうこうするうちに購入量が増え(需要曲線が右にシフトし)、それを見た製造会社は生産キャパを増設して供給を増やし、そのうちに価格が下がりそして今、我々庶民が持てる道具となったと。

 

アイフォンという商品が一つあるお陰で、その原材料、資材、製造、保管、物流、販売、修理にいたる様々な分野で雇用が生まれます。これら様々な事業所に出前するベントー屋もヤクルトおばさんも儲かります。彼らが仕事の後で一杯やる居酒屋も儲かります。居酒屋に納品するビール会社も、ビール会社に納品するヒャクショーも、サカナを供給するサカナ屋も、サカナ屋に供給する漁師さんも、皆儲かります。

 

これは利益の上限が決められておらず、成功すれば成功するほどに青天井の儲け放題だからこそ実現していることであって、利益の上限を誰かが恣意的に決めることで何が起こるかといえば、「挑戦する動機の消滅」に他ならないわけです。上限が決められてしまっていれば、何もシャカリキになって挑戦することはないわけで、「まあ、俺の人生こんなもんだ、頑張ってもしゃあない、適当にやろうぜ」と(そういう生き方が悪いとは言っておらず、それもアリです)。

 

と同時に、現在の成功者がどういう行動に出るかというと、「守り」に走ります。いままでは儲けに儲けられた。既に自分は自分の努力・運・才覚の成果を摘み取った。しかしこれからは時代が違う。儲けたいほど儲けられる時代は終わった。今までは、儲けた金を投資して、更に金を増やすことを繰り返してきた。それは終わりにしなければいけない。今ある金をいかに守るかが大事だすると、新たに事業を起こしたいと思う人がいても、その人に投資しようとする人がいなくなります。新たな投資は減少し、雇用の伸びは止ります。

 

さらに、「この様子だと、下手をすると今まで儲けた金を過去に遡って徴収されかねないゾ」となり、金持ちの海外逃亡が始まります。これは架空の物語ではなく、実際に世界各地で起きている実話です。フランスではつい最近、大富豪がロシアに移住・帰化してニュースになりました。

 

金持ちが投資をするのをやめ、さらに逃亡すれば、イの一番にあおりを食うのは誰か。他でもない、ベントー屋さん、ヤクルトおばさん、そして居酒屋です。そして、その影響は徐々に徐々に広がり、会社員・サラリーマンとして何となくミドルクラスを意識している大多数の人々にも大波が押し寄せる。そのときにはもう手遅れです。我々の多くが困難に直面することになりますが、貧困者や弱者こそが最も手痛いダメージを被ります。

 

人の収入上限を決めよう。それは決して不可能ではありません。過去にそれは実践されました。ソ連をはじめとする共産圏の各国でそれが大々的に行われました。スラブ系、ラテン系、中央アジア系、中華系、朝鮮系、南アジア系、それぞれの土地柄・民族性でスタイルは異なりますが、一つ共通することがあります。それは「人の収入上限を決める」には非常に強大な中央集権体制を必要とし、権力の集権化と集権化された権力の行使において、生の暴力が使われてきたという事実です。

 

「人の収入上限を決め」る過程で多くの人命が失われました。 共産主義の犠牲者は1億人以上といわれています → http://bit.ly/1nEgITB

 

我々は、果たしてこの実験を繰り返す必要が、あるのでしょうか。そして、繰り返してよいのでしょうか。

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