オーストラリア、炭素税を廃止 正気の風が吹き始める

  • 2014.08.11 Monday
  • 17:52
  

共産主義者の得意技は七変化である。 彼らはカメレオンのように状況に応じて容貌を変える。 日本社会が共産主義の脅威に晒されている、と言おうものならちょっとした変人扱いを受けるであろう。 それはなぜかと言うと、共産主義者がいわゆる革命運動家としての顔を捨て去り、最先端の現代風な顔を身につけたからである。 そして、その洗練された容貌からはいわゆる共産主義のカビ臭さは完全除去されているからである。

 

つい最近、中核派の運動家が東京都内で逮捕された。 「こんなの、まだいたの?」というのが大方の反応であろう。 彼らは生きる化石である。 純粋なのか、バカなのか。 共産主義の顔がいまや完全に様変わりしたことを知らずに置いてけぼりを食った哀れな人々である。 言い換えると、彼らはまさに一般人が抱く「共産主義者」のイメージだったわけである。

 

洗練された容貌を身につけた共産主義者達は自らを共産主義者と呼ぶことは決して無い。 正面から「あなたは共産主義者ですね」と問いかけようものなら、相手は「はぁ?」という顔をしてまともに取り合わないであろう。 共産主義は中身はそのままだが完全にパッケージを変えている。 彼らが選んだパッケージの一つが「環境」である。

 

汚い空気や汚い水を求める人間はいない。 汚い環境で子を育てたいと願う親はいない。 だから環境さえ掲げれば、誰も反対できないし、したがらない。 反対しようものならキチガイ扱いである。 「環境」は水戸黄門の印籠である。 どれほどキチガイじみた政策であっても、「恐れ多くも“環境“にあらせられるゾ!!」でハナシは終わりである。

 

キチガイじみた共産主義者による政策に事欠かない今日であるが、そのグローバル性において筆頭に挙げるべきは「人為的地球温暖化説」と「二酸化炭素排出削減」である。 狂気じみた共産主義者達はどれだけの証拠が揃おうとも、地球温暖化を捨てようとしない。

 

過去17年間、二酸化炭素の排出量は年を追って増え続けているにも関わらず(先進国が京都議定書に沿って排出量を削減しようとしている一方で中国をはじめとする新興国が工業化を推し進める過程で排出を増加させているため)、地球の温度の上昇はゼロである。 人間の経済活動の結果として排出される二酸化炭素の地球に与える影響が極めて軽微であり、削減も抑制もする必要性が無いことの動かぬ証拠である。

 

Wattsupwiththatより

 

 

しかしそれでもめげないのが共産主義者の特徴である。 なにせ彼らにとっては、彼らの教祖スターリンが言ったように、一人の死は悲劇だが、100万人の死は単なる統計に過ぎない。 彼らの流布する嘘によって世界中の経済活動が、更にそのために何億人という人々の生活が影響を受けようとも、彼らがめげるわけもないのである。

 

二酸化炭素は経済のアウトプットが増えれば必ず増える。 経済活動が活発になれば必ず増える。 それを抑制し、削減しようとする彼ら共産主義者の目的はただ一つ、資本主義の撲滅である。

 

共産主義者が教育、研究、政府、マスコミ、企業、ありとあらゆる分野に巣を張り巡らせる日本社会は益々資本主義から遠のいている。

 

しかし世界が共産主義に乗っ取られたのかといえば、そうともいえない状況が出てきている。

 

オーストラリアで炭素税が廃止された。 保守主義を掲げるトニー・アボット首相が昨年9月に就任し、選挙時の公約を果たしたのである。 日本を含め、世界各国が環境税や炭素税といった税制を導入して自らの首をしめようとしている中において、オーストラリアは非科学、迷信、愚鈍の際たる炭素税を破棄して負担を経済から取り除いた最初の国となった。

 

一方、今回の炭素税廃止について、炭素税を導入するよう国内外から圧力を受けてきたカナダ保守党のハーパー首相はトニー・アボット首相に賛辞を表明し、両国の連携を強めるべく声援を送った。

 

 

 

狂気の悪臭で満ちる世界にあって、正気の風が吹き始めている。 その正気の風は世界に広がるのか。 もしもそうなるのであれば、あの時が一つの時代の転換点であったと、後年この時を振り返ることになろう。

 

追記:

「でも、炭素税や環境税を課すことで企業活動が厳しくなるのは分かるが、一方で技術の進歩と革新を促す効果もあるんじゃないか?」という声がある。 このような人は、「進歩と革新」がどこからやってくるのか知らないのである。 一生懸命に働く人をもっと働かせようと思ったら、給料を減らすのではなくて増やすことである。 「君は一生懸命にやっている。 だからあえて給料を1割減らす。 更に奮起して減った分を埋め合わせ、逆に1年後には増えているくらいに頑張ってもらいたい」と言われても、奮起するどころか白けるというものである。 進歩と革新のためには利益が不可欠である。 それは理論ではなくて人類の経験に基づく事実である。

 

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