「Blacklisted by History」読了 マッカーシズムとは何だったのか
- 2014.09.08 Monday
- 00:37
”ジョセフ・マッカーシー”と言えば、マッカーシズムやマッカーシー旋風、そして赤狩り、といった言葉が思い浮かぶ。
マッカーシズム、マッカーシー旋風、赤狩りは何であったのか? 通常以下のように理解されている:
- マッカーシーの赤狩りは中身のない架空の事件であった。
- 赤狩りによって、多くの罪なき人々が次々と悲劇に追い込まれた。
- マッカーシーは不当に強硬で執拗な手段を用いて反発を招き、国民の不安を駆り立てた。
- マッカーシーがターゲットにしたのは自由主義的で進歩的なニューディール支持派の民主党員であり、共和党員としての自身の地位を上げるための政治的活動であった。
- 1953年に朝鮮戦争が終わりを迎えるとともに共産主義の脅威は後退しており、マッカーシーの共産主義脅威論は根拠の無いものであった。
- マッカーシーが標的にしたのは社会主義に対して心情的に好意を抱いていただけの無害な人々であり、疑わしきは摘発・除外という魔女狩り的な荒っぽい方法によって何の罪もない人々の生活を破壊した。
- 進歩的な考え方の人々が多いハリウッドはマッカーシーの恰好の餌食となり、共産党員でない無関係な人々も失職に追い込まれた。
- 1950年2月9日、ウエストヴァージニア州ホイーリングという小さな街にてマッカーシーは演説を行い、共産党員の政府内への浸透について述べ、それらの共産党員やスパイのリスト205名分を持っていると言った。 だが実はマッカーシーはそのようなリストは持っておらず、単なるハッタリであったことがバレている。
- 中国学者に過ぎなかったオーウェン・ラティモアはマッカーシーからいわれなき罪を着せられ、迫害を受けた。
- 天才物理学者、ロバート・オッペンハイマーは、若き日に共産主義に傾倒したことがあるというだけで血祭りにあげられ、公職から追放された。
- 赤狩りの欺瞞がバレるにつれ、風当たりを感じるようになったマッカーシーは、焦りのあまり、攻撃の矛先をアメリカ陸軍にまで向けるにいたったが、批判が事実無根であったため、逆に再起不能なまでに叩かれることになった。
- マッカーシーによる告発は全くの事実無根であり、架空のホラ話であったということがバレたため、上院にて弾劾され、調査委員会委員長を解任された。
- マッカーシーは性格破綻者であった。 臆病で狡猾、敵の弱点を見つけては攻撃することに長けていた。 大酒飲みで、政敵を見つけては「共産主義者」「ソ連のスパイ」などのレッテルを貼り、口汚くののしった。
Stanton Evans著作「Blacklisted by History」という本を読了した。 一言で言えば、上に挙げた所謂通俗的なジョセフ・マッカーシーに対する理解を根底から覆してくれる本である。 通常世の中で理解されている”歴史”あるいは”事実”というものが、いかに捏造されたものであるか、捻じ曲げられたものであるか、隠蔽されたものであるかを痛感させられる。
上に述べられた”事実”は全てが”嘘”である。
マッカーシーの罪は”間違っていた”ことではなく、”正かった”ことであった。 存在する危機を暴き、社会に突き付けたことで時の権力(政権、政府関係者、メディア等)の怒りを買った。 そして今日に至るまで抹殺されることになった。
マッカーシーが標的にした者達は確かに多くはニューディール支持者であった。 だが彼らは自由主義的でも進歩的でもなかった。 今日、彼らは実際にソ連の国益に沿うべく行動していたことがヴェノナファイル(1940年から1948年までにソ連とアメリカのソ連スパイとの間での暗号交信をアメリカNSAが37年もかけて解読した極秘記録)等の公開で明らかになっている。 著名な科学者、オッペンハイマーは共産党員であり、核開発に関する機密情報をソ連に流していることがFBIの捜査で分かっていた。 オーウェン・ラティモアは中国学者としての立場を隠れ蓑に蒋介石の軍事顧問となり、その立場も隠れ蓑にして毛沢東の中国共産党へ軍事機密を流していた。
マッカーシーは警察や検察の代わりを演じようとしたのではなかった。 当時の政府各組織において、既に安全保障上のリスクとされている人物が重要なポストに据えられたままになっている状況があった。 それに対し、マッカーシーは、FBIの捜査記録やそれ以前の非米活動委員会等での証言を基にメスを入れたのであった。
マッカーシーは「私はこの人物が怪しいと睨んでいる」などと言ったことは一度もなかった。 「FBIの捜査においてソ連へのスパイ活動を行ったことで摘発されているにも関わらず、この人物は国家機密に関わる地位に据えられている。 なぜだ!?」と注意を喚起し、しかるべき措置が取られるべきであると主張したに過ぎない。
マッカーシーのホイーリングでの演説にまつわる「205名分のリスト」の話は実話と嘘が入り混じっている。 「205名」という数字はマッカーシーの演説草稿にあったもので、マッカーシーが演説で実際に言ったのは「57名」であった。 そして57名分のリストは実際に存在した。 「マッカーシーは”205名”と言った」と主張したのは敵対する民主党のタイディングス議員であった。 同議員は「私はその録音を持っている!」と強弁し、マッカーシーに認めるよう迫った。 しかしマッカーシーは逆に「では、その録音を議会公聴会で再生なさい」と応戦。 実はその録音は存在しておらず、タイディングスはしどろもどろに終始した。 しかしそのような実話は「歴史」上には書かれていない。
録音を再生してやる!と息巻くタイディングス。 だが録音は存在しておらず、その脅しはハッタリだった。
マッカーシーが調査を米陸軍に向けたのは焦ったからでも何でもなく、陸軍の内部告発によって機密情報の漏えいが発覚したからである。 陸軍のカーク・ロートン少将は、マッカーシーの委員会にて証言した。 「既にソ連のスパイとして告発され死刑となったローゼンバーグのスパイ網がフォート・マンモス陸軍基地に生き残っており、軍の機密情報がソ連に漏れている。 その動きを阻止せんとする自分は軍内にて上からの妨害にあっている」という内容であった。 軍は当初マッカーシーの努力を称賛したが、時のアイゼンハワー政権は隠蔽工作に出る。 「マッカーシーの調査にこれ以上協力してはならない」 これがホワイトハウスの軍への指令であった。 ロートン少将は長年の軍歴にも関わらず罷免される。 そして後を引き継いだラルフ・ツウィッカー将軍はそれまでのマッカーシーへの協力姿勢を一変させ、マッカーシーへの攻撃へと転じる。
ところで、インターネット上にはマッカーシーに関する誤った情報も多々見られる。 「ハリウッドの俳優がマッカーシズムの犠牲になった」というものである。 ハリウッドの共産主義浸透を調査したのは下院非米活動委員会である(後に大統領となったニクソンはメンバーの一人)。 マッカーシーは上院議員であって、下院の当委員会とは無関係である。
1930年代から40年代にかけて、アメリカはソ連とは友好関係にあった。 その関係を推進したのはルーズベルトとトルーマン両政権であった。 当時の社会はニューディールの最中であり、社会主義の色濃い時代であった。 その社会背景にあって、ソ連は政府組織の上層部にまでスパイを送り込み、影響力を行使した。 反共主義者であったエドガー・フーバー長官のFBIはソ連・共産主義の脅威を明確に認識し、政権上層部に関わるスパイ事件を捜査する(アメラジア事件はその一つ)。 しかしトルーマン政権はそれらの事件に対して協力するどころか、あからさまな隠蔽に走る。
政権によるソ連スパイの存在に対する隠蔽は、その後設立されたマッカーシー委員会に対しても同様であった。 マッカーシーが国務省に書類の提出を求めると、同省は「機密だから」とのらりくらりとかわし時間稼ぎをする。 その手が尽きると今度はホワイトハウスが直接介入を始める。 大統領がそれらの書類をホワイトハウスへ呼び寄せ、委員会の手に渡るのを妨害。 更にはファイルから一部の書類が”紛失する”(抜き取られる)事態まで発生。
政権は民主党のトルーマンから共和党のアイゼンハワーへと移行。 マッカーシー委員会と共和党政権とで反共同盟を組めるかと思いきや、もともとマッカーシーを毛嫌いしていたアイゼンハワー大統領はトルーマン大統領以上の妨害工作に出る。 マッカーシー委員会への協力を止めるよう陸軍へ指示したのも、民主党議員を中心としたマッカーシーの弾劾を陰で推したのも、他でもないアイゼンハワー大統領であった。 マッカーシーの真っ当な質問を退け、陸軍の弁護士ジョセフ・ウェルチがこの有名なセリフ「Have you left no sense of decency?(あなたには良心というものがないのですか?)」を吐いたのはこのような状況においてであった。
マッカーシーは初めて立候補した頃にまで遡って調査を受け、46項目もの罪状で弾劾を受ける。 ここで知られていない事実がある。 それは最終的に弾劾決議に至ったのは1項目だけであり、その他は調査を進める段階で証拠無しということで棄却されたということである。 大騒ぎをして弾劾した結果がこれならば、通常ならばマッカーシーの大勝利とされてもおかしくはない。 だが「マッカーシー抹殺」は政治的に既に決定されていた。 そして、それが今の我々が知る「事実」となったのである。
マッカーシズムという言葉はいつの日か、「不当な迫害」から「迫害にもめげず、勇気を持って声を上げること」を意味するようになるのであろうか。 その時こそ過ちの歴史が克服されたと言えるのであろう。 このような書が出版され始めているのは良い兆候である。
追記:
本書には日本人としても興味深い記述がある。 1930年代、ソ連スパイであるゾルゲの日本派遣。 ゾルゲがソ連から受けた指令は日本の軍事的な矛先をソ連から逸らすこと。 1941年”中国学者”にして”蒋介石の軍事顧問”にして共産主義者であったオーウェン・ラティモアは、中国から本国へ電報を打つ。 「蒋介石総統は米国が日本との妥協を探ろうとしている事を大変憂慮されており、そのような事態になれば中国の米国への信頼は壊滅的な打撃を受けると仰っています」と。 その電文を受け、ホワイトハウスに伝えたのは大統領補佐官、ロークリン・カリーであった(ラティモアと同じくソ連のスパイとしてマッカーシーの標的となった)。 そして同じくソ連のスパイとして対日関係悪化を最大限推し進めたのが、後に日本への最後通牒(ハル・ノート)を書いたハリー・デクスター・ホワイト(財務次官補)であった。 ソ連の意向に操られたルーズベルト政権が日本に不当な圧力をかけたことが真珠湾攻撃につながったと、本書は認めているのである。
昨年11月に本書を読了し、上記の歴史のサイトに「マッカーシーと共産主義の真実」と言うスレッドに45の章毎に概要をレポート形式で掲載しております。最近、江崎道朗さんが「日本は誰と戦ったのか」と言う本でエヴァンズの『スターリンの秘密工作員』や長谷川毅さんの「暗闘」を紹介されております。
エヴァンズの日米戦争についての見解は私が下記に2016年1月22日に紹介しておりますので、江崎さんより早かったです。最後まで読んでくださいと言うことでしたので、まずは報告までです。
http://www.rekishi.info/forum/forum100/20150126224738.html