"Better Late Than Early" 読了

  • 2015.01.18 Sunday
  • 02:54

"Better late than early" 早いより、遅いほうがよい。 本書は「遅い」初等教育のススメである。



世界、そして日本の教育界の趨勢はひたすら集団教育の低年齢化へと向かっている。 世界、国、そして自分自身の将来への不安を抱えながら、親は少しでも良い未来を子供に託そうと、一歳でも早くから集団教育をスタートさせることに余念が無い。

本書はそのような趨勢に警鐘を鳴らす。 早期教育は子供をカタワにすると。 近眼、どもり、非行、勉学への意欲喪失、これらは早期教育の結果である。 逆に言えば、これらを未然に防止するには初等教育の開始を遅らせることである。

ここでいう初等教育とは保育園や幼稚園を含む、施設での集団教育のことである。 「遅い初等教育開始」とは、すなわち子供を何らかの教育機関に入れる時期を遅らせ、その間家庭で教育することである。 更には家庭での教育とは机に向かっての学問的教育ではなく、人間としての徳を叩き込む教育である。

子供の育成において父親の役割は欠かすことができない。 だが家庭での教育で主役となるのは母親である。 母親と子供の20分間の遊びは3時間の「学校教育」に匹敵する。 本書が勧める集団教育の開始時期(小学校入学)は8歳〜10歳である(ただし1年生から始めるわけではない)。 全人格的な人間形成及び、視覚・聴覚・認識・判断など、学ぶための準備を整えるにおいて決定的な時期となるのが生まれてから8歳〜10歳になるまでである。 この時期に、幼児と大人である親とが暖かい家庭において安定した関係を築くことが、その後の子供の人生を決定づけるほどに重要である。

子供を教育するにおいて母親に必要なのは学位でも知識でもない。 必要なのは子供に対する献身的な愛である。 母親が求められるのは子供に断片的な知識を詰め込むことではなく、生きる基本を身に着けさせることである。 子供は母親と一緒にあらゆる家事を行うことで、皆から必要とされる一家の一員であることを実感する。 親と一緒に掃除、片づけ、料理、買い物、家庭菜園の手入れをすることで生きるための経験を与えられる。 この経験はテレビやゲームからは決して得ることができない。

子供は学校で受け身になるのではなく、自分の目で見、耳で聞き、手で触り、動かすことで能動的に生きることを経験する。 ご飯の時間までに料理を作り終えるには何時から作業を始めればよいのか、そのためにスーパーで何を買えばよいのか、塩・砂糖・バターは何グラム必要か、4人いる家族と2人の来訪者のために箸を何本並べればよいのか。

こういった作業を親と子供が一緒に行うことで、子供は実体験において言葉と時間と空間を肌感覚で把握し、同時に計画し、計測し、計算し、記録することを学ぶ。

読むことはあらゆる学びの基本である。 読むとはすなわち考えることである。 しかし人間は目が見えれば「読める」わけではない。 読めるためには言葉が有機的に実体験と繋がっていなければならない。 そうでなければただ単に文字ヅラを追っているだけに過ぎない。

家庭教育において、子供は以下「読むための基礎体力」を8歳〜10歳までに身に着ける。

視覚(本の文字など、近いものをしっかり捉えて落ち着いて追える)
認識(文字として読んだものを現実とつなぎ合わせて理解できる)
聴覚(音の違いを正しく聞き分けることができる クとグ、オとヨなど)
滑舌(正しく聞きとった音を正しく発音することができる)

逆にそれ以前は準備期間であり、準備が完了していない時期に無理に学習を始めれば結果は学びへの意欲喪失となる。 学校教育とはまさに学びへの意欲を喪失した子供の大量生産の場である。

本書の著者は早期集団教育提唱者と対立する。 早期集団教育において、子供は早いうちから家族から引き離され、集団の型に押し込められる。 親は子供を自分の影響が及ばない場所に子供を送り出すわけである。 幼い子供が他人の子供との共同生活でストレスに悩まされ、それが精神的障害の原因となっている事実は数々の事例によって証明されている。 崩壊した家庭の子供にとっては集団教育の場は有意義でありうる。 だがそれは特別な事例であって、全ての子供を学校へ送ろうとするのは病人も健常な人も全員を病院へ送ろうとするようなものである。

準備不足の状態で学校に送られた子供はついてゆけずに脱落する。 あるいは一見成績はよくても内なる葛藤を抱え、後に学びへの興味を失う。 失敗することへの恐れが子供の心に委縮やフラストレーションをもたらす。 失敗→興味の喪失→諦め→脱落.. こういった負の連鎖は往々にして「早すぎる集団教育」の産物である。 学問的な能力の開発が比較的に遅いからといって知能遅れとは限らない。 準備不足な状態で学問教育を強いられれば、文字ヅラは読めても本当の意味が分からない。 意味が分からなければ面白さが分からない。 面白さが分からなければ、読むことへの興味は失われる。 学習障害が学校教育を始める時期が早期であればあるほど発生する確率は高い。 賢ければ賢いほど、自分がすべきことと実際にできることのギャップに苦しみ、精神的なトラブルを抱える傾向がある。

しかし、子供を集団教育の場に置かずに家でずっと教育してどうやって「社会性」が身につくのか? これは最も一般的な疑問である。 早期学校教育が子供の社会性育成に有効であるという神話は根強い。 そもそも社会性とは何であろうか。 社会性とは、自制心ある人間として礼儀と節度をわきまえ、他人を思いやり、責任ある正しき外交的な振る舞いが出来ることである。 ギャグをかましたり人の顔色をうかがったり空気を読んだりと、いわゆる世渡りに長けることではない。 社会性は人から与えられ、人に与えることによって醸成されるものである。 社会性を教えることが出来るのは他でもない親である。

逆に、同年代の子供から何かを学ぶとすれば、それは子供の世界でしか通用しない振る舞いか、生の暴力と脅しである。 子供の世界でモノを言うのは理性ではない。 強きが弱きを従える、力ありきの社会、それが子供の世界である(ある意味国際社会の縮図である)。 集団教育の現場にて、大人(教師・職員)が一人一人の子供に親身に接するのは不可能である。 従って、集団教育の場では子供の社会性の形成は遅れることになる。

多くの親は、集団教育こそが教育であるとの意識のもと、子供に権利を与える一方で責任を教えることをせず、その結果手に負えなくなると学校に責任を押し付ける。 その間子供は人間としての基本を結局誰からも教わることなく成長する。

社会性は教えないわ、余計なストレスをかけて精神障害を引き起こすわ、学びへの興味を喪失させるわ、手短に言えば集団教育は欠陥商品である。 いまどき欠陥商品を唯々諾々と買い続けるのはよほど愚かな消費者だけである。

だが、10歳まで家で教育をし、それから学校教育を始めて本当に大丈夫か?という疑問はあろう。

往々にして家庭で教育を受けた子供は最初は同年代よりもやや遅れてスタートするが、あっという間に同年代に追いつき、追いつくだけでなくリーダーシップを発揮するものである。 なぜならば、そのような子供は早期に学校に入った子供には得られない体験をしている自信があるからである。 基礎的な体力が備わっていることに加え、学ぶことへの明確で強い目的意識があるから同年代の子供よりも一歩も二歩も先を行けるのである。

生まれた直後から8〜10歳になるまで、本格的な学習を開始するまでの準備期間に何をするべきか。 本書は以下に挙げる項目を軸に、―仍此18か月、1歳〜3歳、2歳〜5歳、4歳〜7歳、6歳〜8、9歳のそれぞれの期間、家庭において子供をいかに教育するべきかを述べる。

 
  • 自制心と服従(自分の欲求を制するのは人間として生きる基礎である。 家庭は民主主義ではない)
  • しつけ、マナー、規則、法律(やってよいこととやってはいけないこと)
  • 触ってよいものダメなもの、自分の持ち物と他人の持ち物との区分(所有権とその範囲=大人になってもこれが分からず、人の金も自分の金だと思っている人間が多い)
  • 好きに行動することが許される範囲(他の家に行って恥をかかないように)
  • 子供の友達をどうやって選ぶか(友人選びは教育の一環である)
  • 規則的生活(幼児に対する"feeding on demand"は「我儘っ子」への早道)
  • 好き嫌いの無いバランスの取れた食事(前の食事で残ったものから食べさせるべし)
  • 生活回りのあらゆる手段・機会・対象を使っての言葉の習得。 雑誌の切り抜きを使う手作りのジグソーパズルなど、金をかけなくても出来ることは山ほどある (名詞から始まり、形容詞、副詞、そして動詞、現在形・過去形、正しい文法の習得)
  • 音楽:旋律とリズム (ピアノを習わせる前に音楽に合わせて空き缶でドラム叩き)
  • 安全衛生(刃物の扱い、熱湯やガスコンロやドアへの注意、交通安全)
  • 他の生きものへのいたわり(小動物を飼ったり植物を育てることで、生かされている自分を知る)
  • 他人へのいたわり(これが教えられるのは、子への無限のいたわりの気持ちを持つ親だけである)
  • 整理整頓、信頼性、迅速性、配慮、勤勉、清潔(「来た時よりもきれいに」と「整然とした作業環境で効率良い仕事を」の精神を叩き込む)
  • 辛抱(撒いた種はすぐに花を咲かせるわけではない。 花を咲かせるには日々の観察と水やりと光合成が不可欠であることを家庭菜園で知る)
  • 計画性(規則性のある生活を回していくために先を読んで行動する癖をつける)
  • 情報の正確な把握と伝達(「〜を〜へ伝えて」「〜を〜から持ってきて」の指示を実行させて正確さへの意識を植え付ける)
  • 社会の仕組み(警察、消防、政府、企業はどうやって社会を構成しているのか。 政府と市場のあるべき関係を知る)
  • 経済の仕組み(定額のおこずかいで収入と支出、貯金と消費を知る。 特に貯蓄の大切さは重要)
  • 調査(「教わっていないから知らない」ではなく、分からないことをいかにして能動的に調べて知識とするか)
  • 目標、実行、挑戦、結果(レゴを組み立てる、お絵かきを仕上げる、のような小さな作業を完了させることで達成の喜びを知る)
  • 愛国心・社会と国家と歴史への敬意(自分が生を受け生きられるのは誰のおかげであるか。 家族、地域、国家、そしてそれらを守り育んできた歴史と伝統とその有難さを知る)

朝起きてから夜寝るまでの全ての時間が教育である。 朝から晩までぎゅうぎゅうにカリキュラムを組めという意味ではない。 子供が大人に向かって育つのを助け導くために、一刻も無駄にするなかれということである。

8歳にもなれば、家事のほとんどが自分でできるようになる。 一人前に家族のためにいっぱしの食事が作れるようになる(本書では8歳でパンが焼ける子供が紹介されている)。 読み書き計算を早々と始めさせようとするのではなく、生きる基本をしっかりと身に着けさせる。 自分の身の周りのことを自分で片づけ、周囲の人のために何かをしてあげることのできる自立した子供を育てる事。 それが家庭教育の真価である。
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