終戦70周年 歴史認識について世界を相手に議論する

  • 2015.03.28 Saturday
  • 15:19

第二次世界大戦終了から70年、今日本では歴史を振り返ろうという機運が高まっている。終戦以来、日本は敗戦国として完全に悪者扱いであった。だが国内外の情報の入手が個人でも簡単にでき、瞬時に世界中の人間とコミュニケーションが取れるようになった今、我々にとって失われた歴史を取り戻す絶好の機会が到来している。

ここ数か月、私はツイッター上で主に保守のアメリカ人と戦争の歴史について議論をしてきた。議論をする相手に保守を選ぶには理由がある。保守とは原理原則と理想を大方共有しており、合意に達する意味があるからである。リベラル左翼とは原理原則も理想とするものも全く異なるため、合意に達する意味が無い。また、合意に達することもない。だからリベラル左翼とは出来るだけ最初から議論をしないのである。

いろいろな人間と何度も議論をしていると、ある程度のパターン、それも議論に負けないパターンが出来てくる。ツイッターは素晴らしい議論の場である。文字数が限られているために簡潔であることが求められる。だがリンクや画像を貼って、詳細な情報を伝えることもできる。議論の出来ない人間ほど「ツイッターで議論をするつもりはない」だとか「ネット上の情報など信用するつもりはない」などと言い逃れをするものである。

英語のできる者は、ぜひこれらを活用して世界へと発信されたい。

真珠湾攻撃
先ず出てくるのは「真珠湾攻撃」である。とにかく日本が先に戦争を仕掛けたのだから、絶対に日本が悪いのだ、というわけである。それに対してはこれである。




スターリンのソ連は日米両国を離反させ、敵対させるためにルーズベルト政権に入り込んでその外交政策に影響を及ぼした。アメリカは真珠湾攻撃の数か月前に(まだ両国が和平を模索しているはずだった時に)中立を破って日本が戦争状態にあった中国国民党を軍事支援した(リンク)。よって既にアメリカは日本と戦争状態にあったのであり、真珠湾攻撃は不当な先制攻撃でもなんでもなかった。アメリカは「勝ったつもり」だが、日本と交戦したがためにアジアの広域とヨーロッパの半分が共産化され、1億人もの犠牲者を出した。朝鮮戦争やベトナム戦争で戦死した米軍兵士も共産化の犠牲者である。

相手はここで、既に書いてあることをクドクドと突っついてくるか、これは議論しても勝ち目はないと見るや、サッと話を変えようとする。中国行きのチケットを買って飛行機に乗ろうとするのである。

南京大虐殺

大概は真珠湾攻撃の話から南京大虐殺の話へと瞬間移動する。これは定番メニューの一つである。「中国人に対するホロコーストをやった日本人に何も語る資格はない」というわけである。それに対してはこれである。




元々20万人で、それがどんどん増加しているのに虐殺などあるわけないでしょうと。

「お前の意見など信用できるか!」と言われたらこれである。




中国人兵士が民間人のようなふりをして狼藉を働き、それを日本兵のせいにしたことがバレた(それを外国人がいる前で自白した)というニューヨークタイムズ紙の記事。



日本軍入場後、治安が回復し、20万人の一般市民に対して帰宅許可が出た、というニューヨークタイムズ紙の記事。



蒋介石の国民党の治世下で中国人は苦しめられたが、日本軍が来てからようやく法治が復活した、というタイムズ紙の記事。



(アメリカ・ルーズベルト政権やイギリスがユダヤ人難民を見捨てていた最中に)ホロコーストを逃れたユダヤ人を満州や中国で日本軍が救ったこと。

ここで相手は「でも中国にいたのは日本軍だろ?中国から招待されたわけじゃないだろ?日本が侵略したのは確かだろ?」と食い下がってくる。それに対しては、これ(リンク)で歴史を説明してあげるもよいが、手っ取り早いのはこれである。

【動画アメリカ軍によるフィリピン人虐殺】



「アメリカ軍はフィリピンから招待されたのですか?」と聞いてあげればよい。「まあ、昔は現地の人々に対する扱いは酷かったな」とかムニャムニャ言ってはぐらかしてくる。ところで私はアフガニスタンやイラクは引き合いに出さない。それはこれらが正しい戦争だからである。

相手は中国から急きょ韓国へ飛ぶ。そして「でもお前らは朝鮮人の女性を性奴隷にしただろう」と言ってくる。それに対しては事実無根であると返し(リンク)、終戦直後の日本において米兵も同じように日本が用意した慰安所を利用したのだということを知らしめてやればよい。

そこで相手は韓国からフィリピンに急きょ移動してこういってくる。「しかし日本軍の連合国軍捕虜に対する扱いは非人道的だった。バターン死の行進はいまだに我々の記憶から消えない」と。

そこでこう言えばよい。「死の行進(デス・マーチ)」じゃなくて「生の行進(ライフ・マーチ)」でしょ、と。




アメリカ兵はバターンで日本軍に降伏する以前に、マッカーサー司令官のもとで空腹とマラリアで死んでいたのだと。写真を見ろ。日本軍は重い荷物を持っているが捕虜は手ぶらだぞと。一人の日本兵が三百人ものアメリカ兵の面倒を見たのだぞと。殺すつもりなら皆殺しにできたところを、こうやってマラリア地獄から皆を脱出させてあげたのだぞと。我々は感謝されなきゃならないのだぞと。

7割方はこれまでの段階で脱落である。ツイッターでは議論についていけずに相手をブロックしたら脱落である。

ここで更に相手は食い下がる。「俺の爺さんはバターンで殺されたぞ」と。

そうしたらこう言えばよい。「それがどうした」と。戦争とは非情なものである。誰それが死んだ、などはどうでもよい。自分の家族が死んだから、だから我々を糾弾するというのならば、これ(リンク)を出せばよい。これは南方戦線に参加したチャールズ・リンドバーグという有名人の日記であり、連合国軍の日本軍兵士に対する残虐行為が記されている。

そこで相手は「私は連合国軍が酷いことを何一つしていないとは言っていない」とか言い訳を始める。もしくはここらへんでブロックである。ブロックする人間はだいたい「お前は狂っている」「お前は歴史修正主義者だ」「もうこれ以上話したくない」に類するセリフを投げ捨てていく。

ここで追い打ちをかけ、戦争中の日本が連合軍の捕虜をどのように扱ったかを知らしめてやればよい。日本軍が撃沈したイギリスの軍艦エンカウンター号から海に投げ出された450人のうち422人を日本海軍が救出した英雄的な事実を教えてあげればよい(リンク)。日本軍兵士を最後の最後まで追いつめて抹殺しようとした連合軍の行いと比較しなさいと。

当然、戦争中であるから捕虜収容所においてもシェラトンやリッツカールトンのようなゴージャスなおもてなしは不可能である。しかし我々は可能な範囲で捕虜たちを生かす努力をしたのであり、善意を持って対処したことはアメリカ側の記録にも残っている(リンク)。当時の日本はまだ混浴の習慣が残っていたが、日本は捕虜の兵士たちをそのような一般の銭湯に入れてあげたことが記されている。

ここまで落ち着いて議論ができる相手ならば、過去を克服して未来に向けて両国の結束を固めなくてはならない、という点で合意に至るのである。

ところで、私はことさら原爆を引き合いには出さない。それは、相手の民間人を殺してでも自国の兵士の犠牲を最小限度にし、戦争の終結を早めようとするのは正当な行為だからである。戦争において民間人の犠牲をゼロにすることは出来ない。また、それを恐れて敵への攻撃の手を緩めることも出来ないし、してはならない。日本は中国、北朝鮮、ロシアと周りを敵国に囲まれている。日本は将来彼らとの戦争をするにおいて、味方の犠牲を限りなくゼロにし、彼ら敵国の犠牲を最大化しなければならない。そのためには彼ら敵国の民間人を大量殺りくするのは必須である。特に北方領土は既にロシア住民が住んでおり、後の火種を残さないようにするためには彼らを(いわゆる“何の罪もない”女子供老人を含め)皆殺しにするつもりでかからなければ領土を奪還することは出来ない。だから、その我々が民間人虐殺を批判するのは、将来的に理屈が合わなくなるのである。

時には相手はありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてくる。下のような画像を送りつけてきて「ごちゃごちゃ言おうが、とにかく貴様らは負けたのだ。今更歴史を変えようなどと考えるな。諦めろ」と。




そんな相手に対しても、同レベルになって反米的な言葉や汚いセリフを発してはならない。我々の目的は日米離反ではない。彼らは反日を克服せねばならず、我々は反米を克服しなければならない。「その爆弾は俺には届かなかったゼ」くらいに受け流せばよい。

大東亜戦争を肯定する人々を「民族派」と呼ぶ者がいるが、自閉症的な考え方である。私は民族派というのがどのような人達なのかを知らない。まあ知っているのかもしれないが、どうでもよいことである。我々が日本国の恩恵を享受しているのは大東亜戦争を戦った我々の先人のおかげである。彼らの戦った戦争を称揚するのは日本人であれば当然のことであり、民族派も何も関係無いのである。アメリカでは第二次大戦やその後の戦争を称揚する人のことを「民族派」などと呼んだりはしない。

上にあげた議論で戦えば、負けることはない。少なくともある程度の合意に達するか、相手が脱落するか、いずれかである。こちらが正しいからである。歴史を議論するのは楽しいことである。相手が「日本の悪」として信じて疑わなかったことを片端から否定しまくるのは爽快な気分である。これは陰気に「民族派」云々とつぶやく人間には分からない楽しさである。だがこちらが気分良いだけでなく、歴史認識において双方で合意に達することが出来れば更に良い。それは十分に可能である。

本来、我々の歴史の正当性を主張するべきは政治家の役割である。だが、実際は「右傾化」などと言われる安倍政権にしても靖国参拝も村山・河野談話の否定も出来ないザマである。我々は彼ら政治家を待っていることはない。我々民間が先んじて動き、彼らのケツに火をつけるくらいでなければならない。それは我々のために戦った祖先のために、ITと情報化の時代に生きる我々に課された使命である。

追記
いくら外国の人間と歴史を議論しても、我々日本人自身が正しい歴史観を持てないのならば無意味である。国際的に日本の戦争時代は悪であったと思われている現実は、他でもない日本人自身による反日の鏡写しである。他国人を責めるのではなく自省しなければならない。これほどまでに長い間、自国の本当の歴史を主張してこなかった日本の体たらくを。

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