"The Well-Behaved Child"読了 躾の極意

  • 2015.05.03 Sunday
  • 13:43



本書は子供の躾に関する本であるが、いわゆるハウツー本ではない。そもそも人間とは、大人とは、子供とは何であるかという根源的な観点から子育てを語り、「行儀のよい子供」をいかに形成することができるかを掘り下げる。本書は戦後、特に60年代から顕著になった左翼リベラル、フェミニズム、精神医学による悪影響を受けた育児・教育論に喝を入れる。正しい答えは古き時代にある。欺瞞に満ちた昨今の似非教育論を排し、60年代以前の伝統へと立ち返ることで、健やかな子供の育成と幸福な家庭生活とを実現することができると著者は言う。

親から子への最高のプレゼントは、玩具でもお金でも遊園地や動物園へのお出かけでもない。無粋に響くかもしれないが、それは「服従」である。服従を躾けられた子供は軋轢の無い幸福な子供時代を送ることができ、立派な善良な市民となり、親元を巣立ち、自分の人生を謳歌することができる。

服従=幸福である。

子供が早い年齢から服従を躾けられれば子供はそれだけ幸福な子供時代を送ることができ、親は軋轢と悩みとフラストレーションから解放される。

服従 - それは金はかからないが何にも代えがたい贈り物である。

子供は悪である。それでは唐突なので、もっと丁寧に言うと、子供というものは”いかにしても”悪いことをするものである。子供の「悪さ」を大人が躾によって除去してあげることで、子供はいつしか善良な大人に成長する。そこを理解することで、子供の聞き分けの悪さを目の前にした親は「育て方を誤ったのだろうか」などと自分を無為に責めることから解放され、リラックスして子育てに励むことが出来る。

子供は純粋無垢な赤子から幼児(1〜3歳)へと成長する。「悪」が顔を出すのはここである。子供は独裁者か犯罪者の予備軍である。泣きわめく幼児が言葉では表現できないものの、実に言いたいのはこれである。

 
  • 王様は自分だ!
  • 周りはボクの言うことを聞け!
  • やれといったらボヤボヤしないですぐやれ!
  • 言うことを聞かないヤツは許さないぞ!

これを大人になってもやっている有名な人物がいる。



なぜ子供は反抗し、悪さをするのか。それは単純に楽しいことであり、大人を困らせることが面白いからであり、自身に注目を集めることができるからであり、大人との交渉に使えるから(大人しくしてやるから、その代わりに玩具を買え)である。だからクセになる。止められない。そのまま育てば上の写真の人物とよく似た人間になるであろう。

躾とは悪を退治することであり、その手段は「罰」である。罰とは、大人として悪い事をやったら社会的に食らうであろうしっぺ返しの「軽い版」である。罰は悪い行いへの報いであり、戒めであり、教訓である。それは子供にとって「身に沁みる」ものでなければ意味がない。十分に強烈でなければならない。端的に言えば、罰とは「生活水準引き下げ」である。子供にとっての生活水準の決め手は自由と楽しさ。その自由と楽しさを奪い、適度な苦しみを感じさせることである。それは時には玩具を取り上げて部屋に閉じ込めることであり、時にはお尻をペンペン叩くことである。

躾をするうえで重要なのは親の権威(リーダーシップ)である。権威の要素は/頼、尊敬、I従、っ蘋燭任△襦親は信頼と尊敬に値する行いをし、子に服従と忠誠を要求すること。実行段階での要点は意思伝達である。親が子に対して何かを指示する時、堂々と簡潔に、断固とした態度で伝えること。余計な説明をしない。「なんで?なんで?なんで?」に対しては「これは命令です」と一言。

なぜ余計な説明をしてはならないかというと、それは口論の機会を与えるからである。余計な説明とは、たとえばこれである。「あのね、Aちゃん。3時にね、ママのお友達がくるのね。だからちょっとここのオモチャ片づけようか。あんまりグチャグチャだとさァ、お友達にあれぇー汚ーい、って言われちゃうからね、どお?できる?」。子供はすかさず切り返す。「あっちの部屋使えばいいじゃん」「まだいいじゃん」「隅っこだけならいいじゃん」「汚くないじゃん」。説明すればするほどに口論の機会は満載である。

親が子と口論を始めたら、その瞬間に親の権威は失墜である。口論というのは同等の立場だから成立するものである。口論をするということは、親が自ら子供と同列に立場を引き下げているわけである。権威が失墜したら服従もへったくれもない。クドクドと文句を言ったり怒鳴ったり激高するのもダメ。それは自己制御不能の状態を親自ら晒す行為だからであり、同様に権威失墜につながるからである。

指示は一言でよい。むしろそうでなければならない。「いい?分かった?」と聞かない。「分かんない」「分かんないじゃないの!」「だって分かんないもん!」「だから!分かんないじゃないって言っているでしょ!」とまたもや口論である。また、「あれ、Aちゃん、約束を忘れたの?」のような余計な警告をしない。子供の不服従に対して警告すれば、服従するフリをしたり、不服従を小出しにして反応を見たり(イランの核開発のように)と親を操作しようという挙に出る。服従しなければその時点で判定してビシッと罰を与える(罰を実行するのは状況により後でもよい)。子供は不服従の結果どうなるかを身をもって学ぶ。そして次は服従を選択する。

服従を選択することを覚えた子供は楽になる。親に議論を挑み、親と交渉し、親を操ろう、などという試みに無駄なエネルギーを費やす不毛さを知るからである。

罰するべき行為は以下である(著者はD-Wordと呼ぶ)
Disrespect(無礼)
Defiance(不服従)
Destructiveness(破壊的行為・暴力)
Deceit(嘘・騙し)
※本ブログではこれら全部をまとめて「不服従」としている。

罰を与えるにあたっての注意点は、「苦難を子供へ!」である。親が苦しむのではなく、子供が苦しむような設定にすること。さもなければ不服従に対する教訓が得られず、問題を自分で解決するクセがつかないからである。

「ご褒美」ではなく「罰」という部分が肝心である。大人しくしたから、あるいは言うことを聞いたからと、ご褒美をあげげたのでは後の交渉に使われるだけである。「言うことを聞いてやるからアイスクリームを買え」と。「買ってくれないの?じゃあ言うこと聞かねェ」と。

行いの改善に対しても、同じ理由でご褒美は禁物である。著者はむしろ(重篤な場合に限るが)、"Piling On"を薦める。"Piling On"とはこれである。



アメリカン・フットボールで、下の人間が立てないように「これでもか」と重ねて覆いかぶさる戦法である。一つの重大な不服従(例えば親に対して”バカ”や”死ね”と言うなど)に対して罰を与えた後で、子供が何かに対して許可を求めた際、「あの時お前はこれをやった。だからダメ」と言って却下する。それを4回5回と繰り返す。これは子供の脳理に嫌というほど焼き付けるためである。ただし、これを年中やっていたら効果が無くなるだけでなく子供の心に傷を与えてしまうため、重大な不服従に対してのみ適用すべきである。

本書はいくつかの局面での有用な示唆を与えてくれる。

寝る
夫婦と子供は別にすべし。結婚とは一男一女の契りであって三人の関係ではないということを、子供なりに知るべきだからである。著者は繰り返し「子供を家庭の中心に据える」ことを警告する。子供を王様にするなと。家庭においては夫と妻の結婚生活が第一であり、週に一度は子供を預けて夫婦でデートするべきである。

食べる
乳児や幼児を大人と同じテーブルに座らせるべからず。なぜならば、そうすることによって否応なしに子供はその場の注意関心を一身に集めることになり、結果として周囲の大人が「召使い」になってしまうからである。「これがいい!」「これいらない!」「これもっと!」「やだ!」それに対して大人が右往左往する。子供は「召使い」の働きがお気に召さないと癇癪を起して泣きわめく。ならどうすべきか。

幼児は大人が食事をする前に別のテーブルに座らせ、食事を与えること。12か月〜18か月は哺乳瓶をやめてボトル(sippy)に切り替えること。食べることを手伝わず、促しもせず、一言「さあどうぞ」。全部食べて、足りなければ必要な分量だけ追加する。残したらラップしておき、次の食事で出す。好き嫌いや文句は却下。大人が他人の家で出された食事に文句を言ったら失礼に当たる。その常識を訓練するわけである。

Sippy


著者は子供は5歳までは大人と別に食事をするべしとする。それにより、自分の立場をわきまえ、大人の食事を邪魔せず、行儀よく食事をすることのできる子供になるのだと。

出す
トイレの練習は15か月〜24か月で完了すること。くれぐれも遅らせるべからず。トイレが自分で出来るということが子供にとっては無上の誇りとなる。水をタップリ与えてタイマーを1時間でセット。鳴ったらトイレへ。どうしてもオシッコをしようとしなければ、するまでトイレに閉じ込めるのも手である(苦難を子供へ!)。トレーニングパンツの類は使うべからず。オムツを取り去り、普通の服を着させる。もしウンチやオシッコで服が汚れたら自分で手洗いさせること(苦難を子どもへ!)。本書では、子供が何年もオムツ離れできない、と悩んでいた親の子供が、「苦難を子どもへ!」方式によってものの数日で自分でトイレに行けるようになった実例が紹介されている。

変わった癖・罪のない悪戯
体をひっきりなしに引っ掻く、毛を抜く、頭を物にゴンゴンぶつける、といった変わった癖を持つ子供がいる。ほとんどの場合、精神的な問題でも身体的な問題でもない。何らかの理由で不合理なことをするのが子供というものである。また、家のものを取って隠すなど、悪と呼べないレベルではあるが迷惑な悪戯がある。そういった場合に推奨するのが「創造的な方法」である。

一つの例が「医者に相談」である。医者といえば、場合によっては親以上に権威がある。「あのなA太郎、今日お医者さんに相談したんだが、お医者さんが言うには、体を引っ掻くのは睡眠が足りないからだそうだ。だから、今日から6時におネンネだ」と告げ、実行する。すると子供は毎日6時に寝なければならない鬱陶しさ(苦難を子どもへ!)から逃れようと、引っ掻く癖をあっさり放棄する。

もう一つは「ドラマ性の喪失」である。子供が悪戯するのは、ドキドキ・ワクワク感があるからである。それを無くしてしまうのである。例えば子供の部屋に「オモシロ箱」とでも書いた箱を置き、「お父さんとお母さんのモノはなんでも見ていいから、見たらこの箱に入れてな」と言っておく。すると子供は勝手に取ったモノをいじくりまわしてからその箱に入れる。すぐにどうでもよくなり、「盗み・隠し癖」は消える。

勤労奉仕と尊敬の精神
子育ての目的は、良き市民を輩出することである。良き市民とは、他人に対して尊敬の念を持ち、報酬以上に与えることを旨として勤労に励む人間のことである。3歳から少しずつ日常の家事を手伝わせるべし。基本的な家事に対しては報酬としての小遣いは無しが望ましい。6〜7歳あたりから料理を覚えさせるのもよい。

人を尊敬する謙虚な子供にするためには、自我意識を肥大化させないことである。具体的には褒めすぎない、おだてないこと。限りない愛情を注ぎながらでも出来ることである。

その他
  • 悪の退治は早いほど良い。癇癪・ギャン泣きは3歳の誕生日までに潰すべし。
  • テレビもビデオ・ゲームも白痴の箱。撤去するのが望ましい。
  • 心理学者は本書を反動的で非人間的と非難するだろう。彼らの言うことを聞くべからず。
  • 特に10代では部活動を家庭生活の中心にしないこと。子供が朝早くから夜遅くまで土日も出勤で部活動に励んでいたのでは時間も活力も部活動に吸収されてしまう。家庭生活が一番重要である。

子育てはノウハウではない。哲学である。本書には沢山の事例やノウハウが列挙されている(悪さをするたびに日割又は週割チケットを切り、チケットが無くなると罰則を加えるチケット制等)。それを詳しく知りたい人は原書に当たることをお薦めしたい。だが、それらハウツーを断片的に会得して実行しても意味がないし効果も無い。大切なのは、それらを実行する基礎となる洞察である。その洞察こそが本書の肝である。
コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>

time

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM