女性活躍推進法 - 少子化を促進する愚法

  • 2015.08.30 Sunday
  • 00:52

<女性活躍推進法>成立 管理職の数値目標設定の公表など  記事リンク
●女性管理職の割合に数値目標の設定などを義務付ける「女性活躍推進法」は28日午前、参院本会議で自民、民主、公明各党などの賛成多数で可決され、成立した。従業員301人以上の企業と、雇用主としての国や自治体は、女性登用の推進に向けた「行動計画」の策定と公表を求められる。数値目標の水準は各企業などに委ね、罰則規定もないが、計画策定と公表の義務付けによって女性登用を進める効果を狙っている。 ●安倍政権は「女性活躍」を成長戦略の中核の一つに掲げ、「20年までに指導的地位に女性が占める割合を30%にする」との目標を掲げている。人口減少が進む中、女性に活躍してもらい、労働力不足による社会の活力低下を防ぐ狙いもある。


またもや愚劣な法律である。

進む人口減少の埋め合わせをするために女性に「活躍」させ、人口減少がもたらす活力低下を防ぐのを「狙う」?

少子化防止を狙うのは結構だが、狙っている方向が全く逆である。

企業は個人の集団である。雇う側も雇われる側も、つきつめれば個人である。どのような人間がどのような人間をどのような条件でどれだけの期間どれだけの人数雇おうと、それは雇う者の勝手である。どのような人間がどのような人間にどのような条件でどれだけの期間雇われるか、それも同じく雇われる者の勝手である。両者の思惑や利害が一致して「雇用」が生まれるのである。本質的には「お買い物」と同じである。誰も他人に商品を無理強いする権利はなく、同じく欲しくもない商品を意思に反して買わなければならない義務もない。

本来私的であるべき領域に堂々と数値目標まで掲げて政府として踏み入っていこうというのがこの法律である。政府の領域が拡大すればそれだけ私的領域が狭められ、私的領域が狭められればそれだけ自由は減少し、自由が減少すればそれだけ経済は沈滞し、経済が沈滞すればそれだけ社会全体の富は減少し、富が減少すればそれだけ社会から活気は消え、幸福度は下がり、人は後ろ向きになり、将来に不安を覚え、少子化へと向かう。まさに今我々が生きる日本社会である。

「女性は社会で活躍すべし」という言葉の裏には「女性は社会で活躍してこなかった」という含みが読み取れる。言っている本人達は自分が開明的であるかのように思っているのだろうが、よく考えればこれほど女性を蔑視した発言はない。

世の専業主婦は活躍していないのであろうか。彼女らは人生を墓場に葬ったのであろうか。生きる屍なのであろうか。奴隷なのであろうか。これら多くの女性達は惨めな人生を送ってきたのであろうか。子供を産み、育てるために仕事に就かず、あるいは仕事を辞め、家庭に入る女性の多くは自由意志で選択している。なぜならば家庭を守り、子を育むのが女性としての本能だからである。

女性が家庭を守る?では男性は家庭を守らないのか?そういう意味ではない。男性の主たる役割が外で働いて稼ぐことである一方、女性の主たる役割は家庭を暖かい雰囲気に保ち、小さな子供の世話をすることにある、という事実を述べたまでである。男性が子供の世話をしてはならないわけでもなく、女性が外で働いてはならないわけでもない。だが主たる役割は古来から現在にわたって不変である。

ここで二つの対照的な家庭を比べてみる。

家庭Aでは夫が働き、妻は専業主婦。夫が仕事をする間、家事をし、子供の世話をし、趣味・交友を楽しむ。夫が帰ると子供と一緒に笑顔で迎え、一日の労をねぎらう。夫は妻が時間をかけ、心を込めて作った料理を味わう。

家庭Bでは夫も妻も働く。両方とも朝はバタバタと忙しい。子供を保育所に預けて通勤する。二人とも通勤地獄と仕事で披露困憊。妻はやや早く帰宅して簡単に食事を準備する。夫は遅くに帰宅して食事をする。妻は何も言わないが、険しい表情には「わたしも働いているのだ。それなのになぜ私だけが家事をしなきゃならないのだ」と書いてある。「食器洗いくらい自分でやってよ」。その言葉にすべてが表れている。

家庭Aと家庭B、どちらが幸福であろうか。夫も妻も日々の活力を新たにできるのはどちらの家庭であろうか。夫にとって「帰りたい」家庭とはどちらであろうか。

答えは家庭Aであることは明白である。

女性が外で働くことを否定しているのではない。カーリー・フィオリーナのような女性はビジネス界で活躍すればよいし、マーガレット・サッチャーのような女性は政界で活躍すればよいし、諏訪内晶子のような女性は音楽界で活躍すればよい。才能や能力を存分に発揮するのはよいことである。世のため人のためである。それを決定するのは個人あるいは個人の集合体である家庭である。なぜ、それを法制化しなければならないのか。法制化とは個人の自由意志による柔軟な選択を否定することに他ならない。

だが専業主婦として家庭において大活躍している偉大な女性は人知れずして多々いるものである。その存在を認識し、感謝しているのは家族だけであろうともである。

当法律では従業員301人以上の企業は女性登用の推進に向けた「行動計画」の策定と公表を求められる。罰則規定はまだないらしいが、効果が薄いとみれば「対策」として何らかの罰則が今後追加されるはずである。こういったものを担当する企業部署はまた一つ仕事が増えるわけである。同時に役所でも仕事が増えるわけである。仕事が増えるということは人件費・運営費増、コスト増である。

しかしそれよりも問題なのは、こういった法律が出るたびに国民の意識が麻痺していくことである。この法に関するニュースのコメント欄を見れば一目瞭然である。批判的な意見も多が、「介護のほうが重要だ」「保育施設拡充が先だ」「育児サポートのほうが先だ」「ニート対策をしろ」などというのが多数である。政府による対策を求めるという点ではどっちもどっちである。同じ穴のムジナである。個人の問題に対して政府が立ち入ってもよいし、そうすべきである、という意識が四方八方から刷り込まれていくわけである。このような法律の危険性はそこにある。

一般的に、女性は自分より稼ぐ男性と結婚するものである。そして自分より稼ぐ男性を尊敬するものである。企業の幹部としてバリバリ稼ぐ女性がコピー取りもまともにできない稼ぎの低い新人君や「自分探し」に明け暮れるニート君と結婚することはない。稼ぐ女性が結婚するのは「自分よりも多く稼ぐ男」と相場が決まっている。だが稼ぐ女性も稼ぐ男性もお互いに忙しい。「すれ違い」は日常的に発生する。高所得者同士の結婚に離婚が多いのもそのためである。

この法律は女性に対して社会へ出て働け、もっと働け、頑張れ、上を目指せ、とハッパをかける。企業に対しては、女性をもっと受け入れろ、引き上げろ、要職に据えろ、と要求する。

この状況において男性が直面するのは何か。職場においてはより熾烈な競争、家庭においてはより険悪な雰囲気である。

その結果は結婚の減少であり、男性の地位低下、威信低下、活力低下である。そしてその結果は更なる少子化である。女性が「社会進出」し、稼げば稼ぐほどに相対的に結婚相手としての男性の価値は下がる。結婚もできないし元気も出ない。それで子供づくりに励めと言われても無理というものである。

少子化は経済縮小をもたらし、税収低下をもたらし、それが更なる増税をもたらし(消費税:0%→3%→5%→8%→10%)、それは更なる経済縮小をもたらし、富の減少をもたらし… と負のスパイラルはとどまるところを知らない。これが我が国の未来である。

偉大なる政治家、ロナルド・レーガンはかつてこういった。

"The more the plans fail, the more the planners plan"

計画が失敗すればするほどに計画者は計画をする。

これが我が国の姿である。

 
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