携帯電話料金引き下げ - 政府大活躍社会へ
- 2015.11.29 Sunday
- 01:11
安倍晋三首相の発言に端を発した携帯電話料金問題の波紋が広がっている。9月11日の経済財政諮問会議で突如、首相が「携帯電話の家計の負担軽減は大きな課題だ」と発言、高市早苗総務相が「年内に利用金低廉化の具体策をまとめる」と引き取って、携帯電話料金引き下げ方針があれよという間に既定路線となった。【産経ニュース 2015.10.4】
よく次から次へと愚にもつかない政策を考えるものだと感心するばかりである。だが日本の行く末を考えると感心している場合ではない。
安倍首相は社会主義者である。社会主義者というものは経済を知らないし、知ろうともしない。「経済の力学を無視」は社会主義者の社会主義者たる所以であり、経済を理解したら社会主義者は社会主義者ではなくなってしまうのである。
モノやサービスの価格というものは、それを形作るうえで関わる様々な組織の様々な思惑やリスクやコストの集合体である。通信機器ひとつとっても、ソフト面を支える何百何千何万という人々がおり、ハード面を支える何百何千何万という人々がいる。これらサプライチェーンの一つ一つの組織と彼らが置かれた状況によってコストは影響を受ける。
そしてコストを決定する要因で忘れてはならないのが政府の規制である。政府(総務省)は電信事業者から「電波利用料」なるものを年間800億円程度徴収している。
商品、サービスを形成する各事業者の状況と政府の規制といった要素が「コスト」として収斂する。そして「コスト」は消費者の需要と相まって「価格」として現出する。コストだけが価格になるわけではなく、消費者の希望だけが価格になるわけでもない。需要と供給がバランスして価格(料金)となる。
首相は料金引き下げをせよと命じる。料金(価格)は「下げろ」と強制すれば下がるかもしれない。だがコストは「下げろ」といって下がるものではない。料金(価格)は信号である。信号を無理やり変えても実態は変わらない。
だが実態が変われば信号はそれを映し出す。商品・サービスを取り巻く環境が変化すれば価格は上がる、もしくは下がる。
先に述べた電波利用料を10分の一、100分の一にしたらどうなるのか。もしくは廃止したらどうなるのか。総務省自身も述べているように、利用料を徴収するということは、徴収の目的である各種活動以外に徴収するための経費がかかるのである。故に徴収自体を廃止して一般税収で必要最小限の経費だけを賄うという考え方をするべきである。それを行えば、必ず事業コストに影響し、価格に反映されるはずである。
また、いわゆるケータイ等の電波機器については電波法によって認定を受けて「技適マーク」を表示することが義務付けられており、「技適マーク」のない機器を使った場合は電波法違反となる。その法律を撤廃して自由に海外の機器を輸入して販売できるようにすれば、それも事業者の環境、そしてコストに影響を与え、価格へと反映されるはずである。
このような規制緩和・撤廃を促進するのではなく、頭ごなしに「携帯料金を下げろ」という政府の姿勢にトンチンカンぶりが如実に現れている。首相の発言を受けてNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの3社の株価下落で時価総額約2兆円が失われた。損害を被った投資家の投資家心理を悪化させたのは言うまでもない。政府が「大活躍」するとロクなことがない。
ところで、「携帯電話」という言葉に違和感を覚える人は多いのではないか。いまどき「携帯電話」を使っている人がどれだけいるであろうか。
いまどき誰でも持っているスマートフォン。これは携帯電話であろうか。一般にはそのように呼ばれているが、実際に「電話」は機能の一部の一部である。これは多機能移動式通信機器(Multi-Function Mobile Communication Device)と呼ぶべきものである。
私のアイフォンには以下の機能が入っている(一部のみ)。
- ポッドキャスト(保守コメンテーターの番組が沢山入っていて日々更新される)
- キンドル(英文の原書・小さな図書室並みの蔵書)
- iBooks(日本語の本はこれで読む)
- ツイッター(これで世界に発信)
- スケジュール帳(もう紙の手帳は不要)
- Fox Newsのアプリ(一般のテレビはほとんど見ない。これで大体足りる)
- Holy Bible(紙なら重くて分厚い旧約・新約聖書)
- TuneIn Radio(世界の音楽番組やトーク番組を楽しめる)
- Skype(個人的な連絡に使用)
この機器を「電話」として使う時間は全体としては僅かである。日によっては「カメラ」として使うほうが多いくらいである。
私はよくカメラを使うが以前まではデジカメを常に持ち歩いていた。だがそれが壊れたのをきっかけにもうカメラを持つのはやめた。そしてカメラは必要無いことに気がついた。だから私はもうカメラには金を使う必要がないのである。
最近ではスマートフォンは持っているがパソコンは持たないという人も多い。スマートフォンの機能がこれだけ向上してくると、確かに使い方によっては完全にパソコンの代用となり、パソコンを開く必要がなくなるということである。すると何万〜十数万するパソコンを買う必要がなくなるということである。
それ以外にもスマートフォンを時計代わりにしている人もいる。そのような人にとっては数千〜数万〜数十万という時計をする必要がなくなるというわけである。目覚まし時計にもなれば地図にもなる。ストップウォッチにもなれば電卓にもなる。そのうちテレビも不要となろう。実際ある調査では20代の若者の14%がテレビを持たず、その理由の一つは「スマホとPCで動画サイトみれば事足りるから」となっている。
「携帯電話料金を引き下げろ」という指示は、この機器が「携帯電話」だと思っている人間、携帯電話が最新鋭機器だと思ている”頭が昭和”な人間ならではのものである。かなり以前だが、「先方から電子メイルが来ましたんで、それプリントアウトしてファックスで送りますワ!」という人がいたが、政府の立案者などそのレベルである。
安倍首相は「家計に占める通信費用の高さが消費拡大を阻害している」としているが、家計を逼迫させている主要因は通信費用ではない。通信費用がかかりすぎるなら通信機器を持たなければよいだけである。通信機器が無くて死ぬことは無い。個人が選択すればよいことである。
家計を苦しめているのは税金と円安による全体的な物価上昇である。これらは他でもない政府によって引き起こされた問題である。これらを放置して携帯電話だけをやり玉にあげるとは偽善もよいところであり、トンチンカンも極まれりである。
トンチンカンで無見識な政府によるトンチンカンで無見識な政策の連発。これがアベノミクス第2ステージのスローガンである「一億総活躍社会」ならぬ「政府大活躍社会」の姿である。
追記:
どうしても携帯電話の値下げをやりたいのであれば中国や北朝鮮のように電話事業を国営化すればよい。電電公社の再生すればよい。本当の社会主義の実現である。