アベ・LGBT左翼ファシズムを許さない

  • 2016.01.24 Sunday
  • 18:44

【自民がLGBTのプロジェクトチームを設置へ】自民党は14日、レズビアンやゲイなどのLGBT(性的少数者)に関する課題を検討するプロジェクトチーム(PT)を近く党内に設置する方針を決めた。稲田朋美政調会長が同日の政調幹部会で「人権侵害や差別はなくさなければならない」とPTの設置を提案し、了承された。LGBTをめぐっては、東京都の渋谷区と世田谷区が同性カップルを男女間の結婚に相当する関係として認める証明書を発行するなど、自治体レベルでの対応が先行している。PTでは、LGBTへの差別をなくす法制度のあり方についても検討する方針だ。 産経新聞 1月14日(木)



なぜか日本では保守政党とされている自民党がこれ。

そして日本で保守メディアとされる産経の報道がこれ。

保守の空気が危機的に薄い日本。救いようがないとはこのことである。

LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)は性的少数者ではない。彼らは性的に異常を持った病人である。これは彼らへの差別ではない。心臓病を患った人を病人と呼ぶことが差別ではないのと同じである。

LGBTの人々は自ら選択して病人となったわけではない。心臓病患者が自ら選択して病人となったわけではないのと同じである。

LGBTという存在は進歩でも開放でもない。遺伝でも先天でもない。LGBTは文化の産物である。

なぜならば世界の歴史においてLGBTの存在は珍しいものではなく、ある時代のある文化ではLGBTが激増(古代ギリシャ・ローマのように)する一方、それ以外の時代・文化においては極少数にとどまるからである。性道徳が退廃する文化においては必然的にLGBTが増えるというのが歴史の法則である。

性道徳が退廃する文化とはまさに日本を含めた今の先進諸国のことである。昨今のLGBT活動家(そっとしておいてもらいたいだけのLGBTと区別して)による権利主張の激しさは退廃した世相を反映するものである。

一般的に言われる「LGBT差別」とは差別ではない。LGBTに結婚が認められないのはLGBTに対する差別ではない。幼児性愛者が幼児と結婚できないのが幼児性愛者に対する差別ではないのと同じである。動物愛者が犬や猫との結婚を認められないのが動物愛者に対する差別ではないのと同じである。親兄弟姉妹が結婚できないのが親兄弟姉妹差別ではないのと同じである。

男性が生来持つ衝動的で破壊的な性質を落ち着かせ、そのエネルギーを建設的で生産的な方向に向けるのが一男一女の結婚である。

将来成長すべき姿としての男性像を男児に教え、将来結婚相手として見出すべき男性像を女児に教える父親。将来成長すべき姿としての女性像を女児に教え、将来結婚相手として見出すべき女性像を男児に教える母親。この父親と母親を子供に与えられるのが一男一女の結婚である。

子供が経済的にも精神的にも安定して成長する環境を整えることができるのが一男一女の結婚である。

男性と女性には性差というものがある。これは差別ではなく事実である。この事実の上に社会が発展する基礎を築いてきたのが一男一女の結婚である。

その基礎を破壊しようとしているのが他ならぬ自称保守・安倍政権である。

保守を自称する政党がLGBTを取り巻く社会の風潮に迎合し、東京渋谷区と世田谷区のパートナーシップ条例を意識して法制度改変もほのめかす。そしてその政党よりも左翼な有象無象の政党がそれを「不十分である」として批判する。この気味悪い動きをけん制する勢力は無い。

ファシズムを予兆させる世の中である。あるいは既に我々はファシズムにどっぷり漬かっているのか・・・。


追記:
●性道徳に厳しいと思われているイスラム世界においてもホモセクシャルが多いことが知られている。イスラム教では一夫多妻を認めている。これは一男一女の契りという結婚観の否定である。本来あるべき男女関係を歪めるとホモセクシャルは必然的に増加するという法則が証明されているわけである。

●HIV・エイズはホモセクシャルの病気である。ホモ以外の人で罹患する人がいないわけではない。ホモの人々が大部分を占めるという統計的事実を述べたまでである。ある人が「HIV・エイズは道徳的な生活(誰もが結婚するまで純潔を守り、結婚してからは貞操を守る)をすれば撲滅可能な病気である。なぜそのために政府が我々の税金を使わなければならないのか?走っている車の前に飛び出すという変なクセのある人々がいるとして、これらの人々に関して政府が『皆でこの不幸な人達を助けよう』と言えば誰もが『バカなことを止めさせればすむことだ』と反応するだろう。同じことではないか?」と言ったが、けだし至言である。

●「ダイバーシティ(多様性)」なる言葉が氾濫する不気味な世の中である。多様性は善であり、正であり、力である、という思い込み・・・あるいはカルト宗教というべきか。多様性が善と発展をもたらしたことは歴史上において一度たりとも無い。多様性は有利性ではない。多様性は克服すべきものである。多様性の代名詞のように勘違いされるアメリカにおいても同様である。世界中から集まる人々は「神への信仰、多数から一つへ、自由」の理念のもと一つの国民である「アメリカ人」になる。それがアメリカの強さの秘密である。
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