「ブラック企業」と一億総フィクション社会

  • 2016.05.01 Sunday
  • 22:40

幻覚で急ブレーキ、眠らずハンドル握る… トラック運転手が過酷労働の実態を吐露
西日本に本社を置く大手運送会社で働く50代のベテラン運転手の男性は関西の営業所から首都圏の営業所への配送を担当している。3日かけて1往復の乗車をこなすが、その勤務実態からは、法令を無視した過酷さばかりが浮かび上がる。 産経新聞 4月30日(土)11時30分配信 


「一億総活躍社会」なる言葉がある。

我々の社会は「一億フィクション社会」というべきものである。

皆がフィクションを信じ、フィクションの登場人物となり、フィクションを語り継ぐ。

「ブラック企業」なる言葉がある。

それはフィクションである。だが誰もがそのフィクションを信じ、そのフィクションの登場人物となり、そのフィクションを語り継ぐ。

「ブラック企業」がフィクションとはどういう意味か?現実にブラック企業は存在するのではないか。

「ブラック企業」とは俗に「人の扱いが酷い会社」を意味する。そのような会社は程度の差はあれいくらでも存在する。冒頭の記事の会社もそのような会社の一つであろう。

だが問題は、「ブラック」なのは会社なのか、ということである。

会社というのは強制労働収容所ではない。誰も会社で働くことを強制されているわけではない。どれほど人使いの酷い会社であろうが同じである。「辞めたい」という人を無理やり拘束し、銃やナイフを突きつけて働かせる、などという光景は無い。働きたい人は働き、辞めたい人は辞める。ただ、会社で働いて給料を受け取るにあたっては相当の働きを求められるわけであるが、時としてそれが「強制的」と感じられるだけである。

どれほど社員が「俺の会社は酷い」と感じようが、一旦辞めるとなれば「去る者を追わず」である。

だが多くの人は、酷い会社だと感じつつも辞める決断がつかない。なぜならば、酷いながらも現在の会社でそれなりの給料をもらっていて、辞めたら同じ条件で雇ってくれる会社を探すのが非常に難しいことを知っているからである。

だから人は冒頭の記事のように「もうそろそろ限界だ」と知りつつもそのまま押し進んでしまう。他に選択肢が無いからである。

他に選択肢があれば、通常の判断力のある人間ならば「生きるためにはカネが要る。カネをもらうために仕事をするのだ。カネをもらうだけなら他にも手段はいくらでもある。ここで自分の身を危険に晒す意味が無い」と早々に見切りをつけて仕事を辞め、他の仕事を探すであろう。そして社員がどんどん辞めてしまうような会社は事業継続すら危うくなり、すみやかに淘汰されるか雇用条件の改善が促されよう。

なぜ選択肢が無いのか。それは雇用の機会が縮小しているからである。それは政府が規制と課税によって雇用創出を制限しているからである。

日本は先進国の中でも雇用規制が厳しく、雇いにくく解雇しにくい社会である。それは労働市場の硬直化と流動性の減少につながる。

日本はまた先進国の中でも法人税の高い国である。日本の工場は次々と工場をたたみ、海外へ生産を移転する。そして日本のような国に生産を移転しようとする海外の会社はない。

会社は辞めればそれっきりである。だが政府というものは、日本人として日本にいる限りは決して逃れることはできない。全国どこに行こうがその影響から脱することはできない。

ブラックなのは会社ではない。

ブラックなのは政府である。

だが我々は今日もフィクションを語る。明日もフィクションを語る。フィクションは世代を超えて語り継がれる。

メディアは「ブラック企業」という言葉を流し続ける。人はその言葉を毎日のように聞くなかで洗脳されている。

誰もブラックなのは政府だとは思わない。

それは我々は「一億総フィクション社会」に生きているからである。

 
コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>

time

selected entries

categories

archives

recent comment

recent trackback

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM