「食料無駄捨てNO、欧州で対策強化」の危険

  • 2016.09.03 Saturday
  • 14:51

食料無駄捨てNO、欧州で対策強化 寄付促進へ税優遇・罰則
【ベルリン=宮下日出男】欧州で食料廃棄の削減に向けた動きが活発化してきた。税負担軽減や罰則導入で余剰食料の有効活用を促す。とくに先進国で売れ残りなど食料の「無駄捨て」が多いことが問題視されてきたが、国連が食料廃棄半減の世界目標を打ち出す中、対策を強化する。 産経新聞 8月22日(月)7時55分配信 


かつて冷蔵技術の無かった時代、ほとんどの食材は消費者の手元に届く前に腐ってしまった。だが近代からの冷蔵・運送技術の飛躍的な進歩により、生産されたものの多くが店頭に並び、消費者の手元に届くようになった。

これは資本主義経済の開花によるものである。資本主義経済において人々は利益を追求する。畑を耕して育てた野菜がその場で腐ってしまったり良い状態で販売できなければ単なる無駄働きである。野菜が輸送途中で腐ってしまったり良い状態で店舗に販売できなければ、農家から野菜を買い取った流通業者とって単なる無駄働きとなる。野菜が店に並んですぐにダメになってしまえば野菜を流通業者から買い取った小売業者にとっては単なる無駄働きとなる。

野菜という商品を消費者の胃袋に収めるために、畑から店頭に至るまで全ての局面において無駄を無くすための戦いが行われている。昨日よりも今日、今日よりも明日、と一般人には見えないところでたゆみない努力が行われている。

それもこれも、原動力となっているのは「利益」である。

物事は二律背反であり、有か無かではない。何かをもう少し得るためには何かをもう少し犠牲にしなければならない。何かをもう少し立てれば何かをもう少し下げなければならない。あっちを上げつつこっちを下げる。重要なのはバランスであって、バランスを取るせめぎ合いが現場では日々行われている。

小売業者にとっては野菜を消費者に売ることがまずは利益の源泉である。だが一方で、鮮度の落ちたものを売れば店のブランド低下をもたらし、それは客足の低下となって跳ね返ってくる。客足の低下は売上低下につながり、ひいては従業員への給料支払いにも影響する。更には腐敗したものが販売されればブランド低下にとどまらず、食中毒による訴訟にもつながる。それは事業継続をも危機に陥れる。

仕入れた野菜は全部売りたい。だから店は消費期限の近い食材は値下げしてでも売り切ろうとする。だが何でもかんでもただ売ればよいというものではない。実際に消費期限が来てしまった、あるいは「店のイメージを低下させること間違いし」と判断される程度の消費期限しか残っていない食材については廃棄せざるを得ない。

廃棄するのはタダではない。商品コストと廃棄コストは店の負担である。店は事業継続のため赤字を出すわけにはいかない。どこかから原資を得なければならない。その原資は「新鮮な野菜をより高い値段で売ったときの利益」から来る。

新鮮な野菜を売ったときの利益が100として、新鮮でない野菜を廃棄するコストが10とすれば、店は利益を100から90に下げることで客にも迷惑をかけず、店のイメージも低下させないギリギリのところで「事を収める」ことになる。

畑から店へのオペレーションが悪く、無駄が多ければ多いほど廃棄コストは上がり、消費者は高い買い物をすることになる。

一方オペレーションが良ければ無駄が少なく済み、コストは低く抑えられ、消費者は安い買い物をすることになる。

同じ品質の同じ商品を買うならば誰でも安いほうへ流れる。価格が同じくらいなら誰でもより品質が良い(新鮮で美味しそう)ほうに流れる。

利益を追求する市場経済の原理によって「無駄」は人知の限りを尽くして既に削減されているわけである。

「いや、まだまだ削減できる」というのであれば、

自分でやれ

ということである。

だが冒頭の規制は「まだ無駄を削減できるはずだからやってみる」ではなく、役人が一方的に小売業者に対して基準を設定し、「まだ無駄を削減できるはずだからやれ」と命令するものである。

それによって何が起こるかというと、無駄が増えるのである。

食品を扱うあらゆる業者が「あらかじめ設定された消費期限に従って小売業者が食品を廃棄することができない」という状況への対応を迫られる。それは法律だから逃げることができない。

もしもある食品会社の消費期限切れ商品が慈善団体を通じて生活困窮者に渡り、その人が食べて食中毒を起こせば必ずや「社会的問題」となる。それは表示や契約などで食品会社が事前の防衛手段を取っていたとしても避けることはできない。

消費期限の切れた自社製品がどのように扱われるか、といった未知の領域に対してどのような「社会的責任」が課されるのか。この限定しきれない責任領域に対して企業存続のために訴訟やメディアの報道といったリスクを経営に織り込んでいかなければならない。

リスクはコストである。リスクが低ければ低いほどコストは低くなり、コストが低くなればなるほど商品の価格は下がる。逆にリスクが高ければ高いほどコストは高くなり、コストが高くなればなるほど商品の価格は上がる。商品を買うのは消費者である。

価格が上がれば上がるほど商品は売れなくなり、商品が売れなくなればなるほど企業経営は難しくなる。故に価格を上げるにも限度がある。企業は存続のために価格はできるだけ据え置かなければならない。するとそのしわ寄せは従業員に来る。

コストは消えることは無い。誰かが負担しなければならない。

「食べ物を大事にしようよ」
「無駄を減らそうよ」

この「高邁な理想」を実現せんとする政府の関係者は彼らの政策によって発生したコストを負担することはない。コストを負担するのは消費者であり、関係する企業の従業員である。

他国の事例ながら、経済の原理を知らない理想ほど危険なものはない、という真理を思い出させる一件である。同記事のコメント(賛同者が多い)を見ればいつ日本で実施されてもおかしくはないことが分かろう。


 
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