「電通」に見るブラック国民の姿

  • 2016.10.16 Sunday
  • 18:55
 

電通の女性社員を労災認定=入社9カ月、過労で自殺
大手広告代理店電通の新入社員だった高橋まつりさん=当時(24)=が昨年12月に自殺し、三田労働基準監督署が労災認定していたことが7日、分かった。時事通信 10月7日(金)18時7分配信


若くして人が自殺するのは悲劇である。親、家族にしてみればこれほど無残なことはあるまい。日本の広告代理店を代表する大手の電通に関する出来事であるからこれほど大きく取り上げられるのも当然であろう。

しかしもっと大きな悲劇はこの出来事に対する国民の反応である。

見聞きするのは、やれ電通は酷い会社だ、ブラック企業だ、上司が悪い、はたまた日本の企業文化が悪い、といった企業を悪者にするものばかりである。

そしてその帰結は何かといえば、相も変わらず「企業への規制を強化せよ」だ。長時間労働や「パワハラ」を止めさせるために行政はもっと行動せよ、と。

そして早速行政は行動を始めている。東京労働局が電通に立ち入り強制捜査に乗り出している。電通の仕事は広告作成であり労働局の対応ではない。労働局のために報告や資料をまとめたりと普段の業務に上乗せして更なる緊急の対応業務に迫られているはずである。普段の残業どころではない。お上のための残業である。しかし「残業が増えますので」などという言い訳は通用しない。お上が強制する残業は断れないのである。

このような問題が起きるたびに企業が悪者になる。そして何も改善されない。それどころかこの見当違いな反応によって改善への道は閉ざされる。新たな法律や制度がつくられて世の中の仕組みが複雑化する。それによって問題は更に見えにくくなり、状況は更に改善から遠のく。

この世に命をかけるに値することは数多くない。命をかけるに値するのは危険に晒された自分と家族の命を守ろうとするときくらいである。会社で働くのは給料をもらって生活するためであるから命をかけるに値するものではない。

ではなぜ人は時として死ぬまで頑張ってしまうのか。

それは現在の職場で頑張らなければ後がないからである。少なくとも多くの人々にとってそれは現実的な感覚である。新卒で入った大手有名会社から脱落すれば同様の条件で仕事を見つけるのは難しい。一般公募で転職できるのは30代までで、それ以降は各段に条件が厳しくなる。実質的に一旦入った会社で頑張るしかない。

「いや、実力さえあれば自分を売り込んでいけるだろ」「強烈な意思があればどこからでも這い上がっていけるぞ」

と言える人間はそれでよい。個人の気持ちの持ちようとしては何ら問題はない。しかしこのようなスローガンを叫んだところで世の現実は何も変わらない。

なぜ我々は一旦入った会社にしがみつかなければならないのか。それは「嫌だったら辞めて他を探す」が難しいからである。

なぜ難しいのか。

それは労働三法(労働組合法、労働基準法、労働関係調整法)をはじめとする労働市場に対する規制によって企業は「労働者を雇いにくく、労働者を解雇しにくい」状況に置かれているからである。

企業にとって人を雇うというのは大変なことである。大手になればなるほど雇用に関する仕事を専門に行う部署が必要となる。健康保険、厚生年金、雇用保険といった労務手続きをはじめ、法律で定められている労働諸規定を満たすために対応しなければならない。

企業が人を解雇するのも同様に大変である。単に「能力が足りないから」では解雇できない。人を雇い続ける余裕がなく、人員を削減しなければ存続が難しい場合も「誰を切るか」が問題となり、「切る」のは簡単ではない。だから余裕のない企業では解雇したい社員に対して激しい叱責や空気による圧力を加えて「自発的退職」を促し、比較的余裕のある大手企業では社内他部署への異動といった手段で乗り切る。

つまりは問題の根本は政府であり、その政府に労働市場規制を要求しているのは誰かといえば、それは我々国民だということである。

労働三法というお節介な法律を撤廃し、雇用者と被雇用者が自由に契約することができるようにすればどうなるか。

「このような能力・資質を持った人をいくらで雇いたい」という企業に対し、「このような仕事でこのような給料で働きたい」という人々が縦横無尽に渡り合い、業務負荷、労働時間、賃金、福利厚生といったものについて自然と相場が形成される。そこから大きく外れれば「割に合わない」となる。割に合わないことをするのは特殊な人、ということになる。雇うにも解雇するも簡単であるため「空き」が常にある状態となる。昼で今の仕事を辞め、午後新し仕事を見つけて明日からそこで仕事をする、といったことが簡単にできるようになる。

そのような環境で誰が会社のために「連日朝の4時まで残業」などしようか。

だが世の大方の意見は「電通はブラック企業だ」止まりである。

「電通を罰せよ!」「電通を営業停止にせよ!」

滑稽なのはそのような人間がひとしきり電通をこき下ろした後で見るテレビのバカ番組のスポンサーのCMを作成しているのが電通だということである。

我々がある会社を「ブラック企業だ」というとき、我々は我々の姿を鏡で見て、いかに我々がブラック国民であるかを知らなければならない。

「企業を罰する」というとき、問題は誰が罰するかである。企業への制裁を叫ぶ人間は決して「市場経済によって制裁を受けるべし」とは言わない。彼らが言うのは「行政は何をしている!」「行政は何とかしろ!」である。

行政が動くということは規制の強化である。規制の強化は更なる労働市場の硬直化をもたらす。労働市場の硬直化は労働者の選択肢の減少をもたらす。選択肢の減少はこのような悲劇をもたらす。

ブラックな国民がブラックな政府を煽ってブラックな労働市場を形成し、ブラックな労働環境で労働者が死ぬとブラックな国民は更にブラックな規制を強化せよと叫ぶ。ブラック政府のブラックな強制査察を受ける企業の管理層はブラックな残業を迫られる。

喜劇というには悲しすぎ、悲劇というには愚かすぎである。

追記:
日本人は労働生産性を上げて労働時間を短縮すべき、という意見もある。これは個人的な心意気としてはよいが、問題の本質とは無関係である。海外を知る人間は日本人の労働生産性が非常に高いことを知っている。真面目さや勤勉さといったDNAは我々日本人が代々先人から受け継ぐものである。我々は集中して長時間働き、正確で完成度の高い仕事を丁寧に仕上げる。これは美徳であり、重要な経済インフラである。だが日本人は規制に対応するために無給で政府に奉仕することを強いられている。身の周りのモノで政府に規制されていないものが一つでもあるか見てみればよい。長時間労働の割に豊かさを享受できないのはそのためである。
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