「森友問題」 教育の自由の危機

  • 2017.04.09 Sunday
  • 15:40

ここ数週間にわたり国会とメディアを賑わした「森友問題」とは何だったのか。
 

  • 小学校認可の経緯が不自然
  • 国有地売却の経緯が不自然
  • 補助金の受給経緯が不自然
  • 塚本幼稚園での「異常」で「偏った」愛国教育


これら疑惑に関して森友学園の理事長である籠池氏が国会喚問に呼び出され、「迷惑」をこうむった自民党が籠池氏を叩き、自民党と籠池氏の過去の癒着をネタに攻撃をしかけた民主党が自らの氏との関係を暴露されるという顛末に至った。双方叩き合いに明け暮れた数週間が経ち、いまやどうでもよくなった白けた空気が漂っている。

恐らくこのまま世の関心が薄れていき、この「森友問題」が表出させた本質的な部分は一顧だにされないまま立ち消えになるであろう。

塚本幼稚園の教育は問題ではない。その教育方針に賛同するか否かは個人の自由である。教育勅語を園児に暗唱させる教育を素晴らしいと思えば子供を入れればよいし、「安倍総理頑張れ!」の合唱が変だと思えば入れなければよい。

この「問題」の本質は、許認可制度と補助金制度の弊害、そして失われる教育の自由である。

許認可制度と補助金制度があるから「森友問題」がある。

許認可制度と補助金制度がなければ「森友問題」はありえない。

基本的に土地を所有するのが民間であり、国有地は国家防衛に関する一部の土地に限定しておれば、「土地売却の価格が適正であったか否か」などという論争は起こりえない。

教育における許認可制度と補助金制度は、公平中立を謳いながら実のところある方向性の政治的な偏りを押し付ける仕組みに他ならない。その偏りとは文科省と日教組が良しとする方向性である。彼らの基準に沿い、彼らの方向性を向く教育は保護され、補助され、優遇される一方、そっちを向いていない教育は否定され、不利な競争を強いられる。あるいは否定されないためには地方政府や中央政府との関係づくり(忖度や口利き)が必要となる。

しかし、いわゆる右もいわゆる左もこの側面に全く触れることなく泥仕合に興じる。それを眺める大衆はどちらかについて互いになじりあう。まさに一億総愚鈍社会である。

一億愚鈍社会から身を引き離してこの件を考えれば、民間教育に対する熾烈な破壊工作が行われていることが分かろう。

大阪府が森友学園に立ち入り調査に入り、小学校の許認可申請は取り消され、出資者や親(顧客)にも動揺が広がっている。制度と関係によって成功した籠池氏は制度と関係から遮断され、窮地に立たされている。

政府基準に合わない民間教育は攻撃に晒され、じわじわと絞め殺される。教育の自由はますます狭められている。

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