揺らぐ日本品質・・・揺すっているのは政府

  • 2017.11.12 Sunday
  • 13:24
 

製造業、相次ぐルール軽視=揺らぐ「日本品質」
日産自動車に続き、SUBARU(スバル)でも資格のない従業員が完成検査を行っていたことが発覚した。データ改ざん問題が収まらない神戸製鋼所を含め、消費者の安全に直結する品質管理でルールを軽視する事例が製造業で相次いだ。日本が世界に誇ってきた品質への信頼は大きく揺らぎ始めている。10/27(金) 21:00配信 時事



製品やサービスに対して品質を求めるのは誰か。それは顧客と、その製品やサービスに存在意義をかける企業である。

製品やサービスに対してあるべき品質を決定するべきなのは誰か。それは顧客と、供給者である企業である。

この製品の品質はこの程度でいいか、という企業と、その程度では満足できない、という顧客がいれば、その意識のギャップを埋めるのは高品質な製品を供給する新規参入企業である。

この製品の品質はこのくらいなければならない、という企業と、そこまでは必要ない、という顧客がいれば、その意識のギャップを埋めるのは品質を落としてでも低価格で製品を供給する新規参入企業である。

品質というものは、このように供給者と顧客によって決められるものである。品質とコストは相関関係にある。品質が上がればコストが上がり、価格が上がる。

自動車の最終検査を行う検査員に関して資格制度を決めているのは供給者でも顧客でもなく、政府である。

現代ビジネスの記事によれば、最終工程の検査は政府が決めた資格を持った人間が検査してもそうでない人間が検査しても実質的に同じであるという。

考えれば当たり前のことだが、百円均一で売られている製品ならいざ知らず、自動車という高単価製品が最終工程で不具合が発見されたら大事件である。例えば、コンベアで流れてきた完成品の車に検査員がドアの付け忘れを発見するなどがあれば、そのような工場はもはや存続することはできまい。一方、もし製品に不具合があるとしたら、それはもはや最終工程で外観的に発見できるものではない。

不具合が発生しないように部材受入から始まっていくつもの工程において管理項目を設定し、監視と検査を組み込んでいき、不具合の無いものだけが最終工程へと流れる仕組みを構築しているはずである。作業にしても検査にしても、ヒューマンエラーを最小化するために徹底してコンピューター制御で自動化し、「誰がいても間違えない」ようになっているはずである。 そのような仕組みこそが企業の生命線である。

「きちんとした資格を持った人間がきちんと検査すること」などという原始時代的な政府よりも企業は先にいっているのである。そうでなければ企業は生き残っていけないからである。

「日本品質」が揺らいでいる。

いや、日本品質が揺らいでいるのではなく、日本品質は揺すられているのである。

揺すっているのは政府である。
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