カルロス・ゴーン逮捕は日本凋落の一章

  • 2019.01.01 Tuesday
  • 12:43

日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン被告(64)=金融商品取引法違反罪で起訴=が、平成20年のリーマンショックで生じた私的な投資による損失約18億5千万円を日産に付け替えた疑いが強まったとして、東京地検特捜部は21日、会社法の特別背任容疑で再逮捕した。ゴーン容疑者は報酬過少記載事件で10日に再逮捕され、東京地裁が20日に勾留延長を認めない決定をしたため、近く保釈される可能性が高まっていた。今回の再逮捕で勾留は長期化する見通し。SankeiBiz 2018.12.21


カルロス・ゴーン氏の拘束がいまだに続いている。この国の金持ち引きずり降ろし体質は病的である。

東京地検特捜部はゴーン氏を金融商品取引法違反罪で逮捕し、それが法廷で却下されると今度は会社法の特別背任容疑で再逮捕した。

これは「罪を見つけて犯罪者を裁く」ではなく、「人を捕まえて罪を探す」という法治主義の基本をないがしろにするものである。現代の複雑化した法制度において、些細な過失を探そうと思えば何人も犯罪者にすることができる。今回の「事件」はまさにそれである。

ゴーン氏は自らの報酬額を過少に有価証券報告書に記載したとされて金融商品取引法違反罪に問われた。ゴーン氏くらいになると我々庶民のように月給とボーナスが全報酬という単純なものではない。退任後に「もらう予定」の報酬もある。予定だから額は未確定である。有価証券報告書というのは投資家向けの書類であるから脱税ではない。投資判断を左右するものですらないから騙しでもない。

更に地検はゴーン氏がその立場を利用して自宅購入や改装等の私的目的の出費を会社経費につけかえることで会社に損失を与えたとして特別背任容疑で再逮捕した。

仕事領域と私的領域を完全に分けられる人間は皆無である。仕事のレベルが上がれば上がるほどにその両領域を隔てる境目は薄くなる。朝起きてから寝るまで、寝ている間も仕事のことを考え続ける。人と会って飯を食ったり酒を飲んだり遊びに行ったりするのも仕事との関係性を排除することはできない。ゴーン氏くらいの立場になればあらゆる時間を業績向上につなげることが求められる。

そうなると必然的に私的な時間に仕事の領域を、仕事の時間に私的な領域を混ぜ込まざるを得なくなる。あらゆる人には1日の時間は24時間しかないからであり、体力と知力を2倍、3倍にすることはできないからである。私的領域が仕事領域になり、仕事領域が指摘領域になるのである。それは悪いことでも何でもない。現実というものである。

そして、日産ほどの会社を崖っぷちから回復させるにはそれ相応の能力が必要である。だからこそ国内ではなく国外からゴーン氏という人材を得たのである。人材はタダではない。稀有な人材であればあるほどそれなりの報酬が必要なのである。こういう人材は日々の生活に困っているわけではない。このような人材に特有なニーズがある。行動範囲は常人を遥かに超えるためかかる経費も莫大になる。様々な都市に豪邸を買って別荘にするというのもその一つである。その経費を会社で負担するというのも、必要な人材を確保するために必要なコストである。

もしもそのコストが会社の利益を上回っており、会社に損失を与えているというのであれば、会社がゴーン氏を解任すればよいのである。もしも経費の使い方が不当であると、多くの幹部が感じるのであれば、幹部は会社内でそられを阻止すればよいのである。幹部が阻止することができず、多くの社員が不満を爆発させているのであれば、幹部も社員も会社を去ればよいのである。それで自然と自浄作用が働くのである。

日産はカルロス・ゴーン氏を絶対君主にいただく帝国ではないし、公官庁でもない。日産は株式会社である。会社としてゴーン氏の処遇を決定すればよいのであって政府がしゃしゃり出る必要はない。

些細なことでも人々が「会社を利用して個人的なニーズを充足させている」例は沢山ある。海外出張によく行く人間がマイルをためてそれで買い物をしたり家族旅行に行ったりするのもそれである。出張は会社経費である。マイルを買い物や家族旅行に使うのは個人用途である。人はそのようなことには目くじらを立てないが、カルロス・ゴーン氏は許せない。それは氏が金持ちだからである。

金持ちを引きずり下ろして人々が豊かになるか。考えてみれば分かることであるが、社会主義に脳をやられた人間にはやはり分からないのであろう。

あの国で活躍すれば大儲けできる、と思えば潰れる寸前の会社をV字回復させ、世界に冠たる企業に変貌させられるほどの有能な人材がやってくる。あの国で活躍し、儲けられたと思ったら引きずり降ろされて牢獄に入れられ、財産も没収される、となればどうなるか。バカバカしくて来る気にもなるまい。

インターネット上では「乾いた雑巾を絞るようにぎゅうぎゅうに締め上げてやれ」と息巻いている人間を見かける。この一件で溜飲を下げたつもりになっている人間は束の間の楽しみを享受すればよい。この結果は来月、再来月、来年、再来年といった近い時間軸で来るわけではない。10年〜20年といった時間軸でじわじわと効いてくる。その時にはこの件など遠い過去になってしまっている。人々の記憶にも残っておるまい。

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