医療の危機

  • 2011.08.01 Monday
  • 00:17
 

「市場原理による効率追求のため、医師は激務を強いられ、それが医師不足へつながり、病院の閉鎖や診療科の廃止が相次いでいる、出産難民が急増している」

 

これは左翼の作り話である。 これらの状況があるのは本当だが理由が違うし責める対象が全然違う。 これは左翼が一番得意とする論法である。 自らが作り出した問題を、他者の責任に転嫁する。 そしてもともとこのような問題を作り出した政策を政府の権力で更に推し進めようとする。

 

「誰でも医療を受ける権利がある」というもっともらしい言葉がある。 人間にはそのような「権利」はない。 人間には金で商品を買う権利がある。 医療は商品である。 治療行為は医師の労働によるサービス。 医薬は製薬会社の労働による商品である。 サービスや商品を受けとるには対価が必要である。 対価を払わずにただでサービスや商品を受けるのを窃盗という。 そんなことをする権利は誰にもない。 「人の労働の成果を平等に分配できる」などというのはマルクス・レーニン主義の思想である。 左翼思想は全ての良きものを悪しきものに変える。 医療も同様である。

 

国民皆保険制度というのは左翼思想を起源とする。 自分が払うのは一部だけで後は医療を受けていない他人が負担するのである。 医療を提供する方も受ける方もコスト感覚がなくなるから風邪程度で大げさに病院に行くのもいるし、必要も無いのに社交感覚で病院通いするのもいる。 収支が合わなくなるのは当然である。 

 

医者というのは医療と言うサービスの提供者である。 自身の職能でサービスを提供するという点で、大工やバイオリン奏者やセールスマンと同じである。 要するに患者を治せばそれでよい。 手に技術があればそれでよい。 それがおかしなことに国家の免許制なのである。 高い大学の医学部に行き、大学院に行き、それからどうするのか知らないが、とにかく医者になるのは大変である。 それが割に合っているうちは良かった。 しかし今行政の支出削減で人が足りず激務にさらされる現状では割に合わない。 なり手が足りなくなって当然である。

 

医療を「権利」と思い、国家の免許によって安全が「保障」されていると勘違いした人間達は治療がうまくいかないと医療ミスだと騒いで医者や病院を訴える。 一生懸命やってうまくいかず、それで患者やその家族に訴えられたのではたまったものではない。 なり手が足りなくなって当然である。

 

解決方法は簡単である。 国民が保守化し、賢くなれば良い。 実現が簡単とは言わないが説明は簡単である。 国家・政府の役割は医療ではない。 医療は医者や病院や製薬会社の仕事である。 国家・政府の仕事は国防、治安維持、インフラ整備である。 医療と言うサービス、医薬という商品のやり取りに国家が介在してよい理由は何もない。 

 

具体的に言えば、医師を免許制でなく、自由開業性にすれば良い。 何の免許も必要なし。 なりたい者が何とか医院とかいって看板を出せばよい。 医薬も厚生省を廃止して各社が自由に出したいときに出せばよい。 国民皆保険制度を廃止して、個人が必要に応じて民間の保険に入ればよい。

 

医療の安全はどう保障するのか、と言う人間がいるだろう。 事故は必ず起こるものだ。 人間死ぬときは死ぬのである。 そんなときは諦めるしかない。 

 

そうはいっても死にたくないのは人情である。 医療の安全というのは医師の腕によるものである。 国の認定によるものではない。 大昔にとった免許が何の保証になるか。 免許は安全の保障ではない。 免許があってもヤブやへたくそはいくらでもいるではないか。 安全の根拠は実績である。 

 

実績の積み上げこそ保障である。 名のある医師に患者が集まり弟子が集まる。 未経験者は下積みからたたき上げて医師となる。 一つ一つ実績を積み上げていくから間違いがない。 技術が伝承される。 モラルも伝承される。

 

今は情報などいくらでも発信出来、手に入る時代である。 何とか派の先生だから安心だとか。 逆にどこの骨とも知れない医者は信用できないとか。 口コミで情報が広がる。 知っている人が治療を受け、良いサービスを受けられた、というのが一番の安心材料である。 それに医師や病院も自分で情報発信すればよい。 国の免許など無くても名のある大学や病院で研鑽を積んだことが分かればそれも安心材料であり売り文句である。

 

健康管理は個人の責任である。 病気になってそのままほったらかすのも治すのも個人の責任だし個人の自由である。 医師も病院も薬も、選ぶのは個人の責任であって国・政府の責任範囲ではない。 国・政府の責任は、例えば患者と病院の間の契約の遵守を強制することと、違反者を罰することである。 変な権利意識で個人の責任感が欠如すると 医師や病院に責任転嫁する。 何かあるとすぐに訴える。  訴訟の危険性を避けるために費用がかさむ。 訴えられれば医療どころではない。 ストレスがかかる。 医師が不足する。 少ない人員でこなすので負担がかかる。 医療ミスを起こす。  更なる訴訟。 更なる医師不足。 悪循環である。

 

医師になる門戸を開き、多数が競争し、情報を発信する。 優れた医師は治療費が高いが、新米は安い。 自身の病気と経済状態に応じて選べばよい。 個人が個人の責任で選ぶ。 患者が医師を信用し、医師は患者を信用する。 うまく治ればよい。 うまくいかなければ、次の手を考えればよい。 最悪の事態になれば、その時は諦める。 そのくらいの割り切りが出来るレベルに国民がなれば、現在よりもずっと良い医療が実現するはずである。

 

完全自由経済化、これがあらゆる問題を解決する秘訣である。

コメント
医療に特別な地位が与えられているのが疑問でした。
普通の商品として、自由な経済活動の中で対処する。
激しく同意します。
  • minoru.llc
  • 2013/10/30 11:35 PM
Minoru様、ありがとうございます。 この記事ではやや舌足らずで言い切れなかったことをこちらで書いておりますのでついでにご一読ください。 

医療崩壊への道・回避への道・発展への道
http://conservative.jugem.jp/?eid=351
  • CBJ
  • 2013/10/31 1:27 AM
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