ケネディ神話の崩壊

  • 2011.06.29 Wednesday
  • 00:29
 

ジョン・F・ケネディは強い信念に従って改革を断行した。 そのために軍産複合体、CIA、マフィアといった巨大組織を敵に回し、暗殺された。 オズワルドは単なる捨て駒であって、その陰には巨大な陰謀が渦巻いていたのだ。 この事件はケネディという一世一代の巨人、全世界の希望の星、平和の使者が巨大な悪の力によって葬り去られた悲劇であり、永遠に我々に影を落とし続けるのだ。 ケネディがいれば、ベトナムの悲劇は無かっただろう。 ケネディを殺した悪の力は脈々とアメリカの裏の権力を支えている。 それがいつ我々を脅かすか分からない。

 

というのは自分も数年前まで信じてきたことだった。 高校時代に落合信彦の「2039年の真実」やその後オリバー・ストーンの映画「JFK」に触れて完全に陰謀説を信じていた。

 

しかしここ3年ほどの間保守の思想に傾倒するにつれ、自分の中でケネディが占める重要性はどんどん少なくなっていた。 そしてVincent Bugliosi20数年をかけた大作「Reclaiming History」を読むことで完全に吹っ切れた。 

 

これは大作である。 苦労がにじみ出てくるような本である。 同時に淡々と時系列で事実を述べている。

 

フォード大統領もレーガン大統領も狙撃されたが幸いに無事だった。 ケネディは若気の至りでやや注意不足だった。 あまりに大衆がフィーバーするのでそれに応えようとシークレットサービスの要請をしばしば無視した。 そして気の毒なことに気のふれた共産主義者のオズワルドに殺された。 ジャック・ルービーはそんなケネディ・フリークの一人だった。 それもかなり入れ込んでいた。 怒り心頭でジャック・ルービーはオズワルドを殺した。 沢山の人が悲しい思いをした、気の毒な事件だった。

 

そんな簡単な事件だったのである。 しかし左翼は納得いかなかった。 彼らのアイドル、ケネディの人生がそんなタバコの煙のような存在であっていいはずがない。 そこで「ケネディ神話」という信仰宗教が始まった。 もう40年以上も前の出来事である。 そろそろ間違いを認めて店をたたむ時である。

選挙権

  • 2011.06.28 Tuesday
  • 00:48
 

全ての成人に平等に選挙権が与えられている。 これは正義ではない。 不当なことであって正しいことではない。 沢山働き税金を払い社会に貢献している人間と、わずかな収入でわずかに納税している人間と、働かず働く気もなく社会に寄生している人間が等しく政治に携わる権利があるなどということがあってよいはずがない。

 

ではどこで線を引けばよいのか。 それに対する答えはない。

 

専業主婦自身の納税額はほとんどないかもしれないが、家庭を守り、夫を支え、次世代を育てているのだから、社会にとっては夫と同等の価値があるはずである。 しかし良い年をして親から独立せず結婚もせず仕事もせず引きこもっている人間が社会にとって何の価値があるというのか。 彼らは左翼思想の犠牲者であるから彼らを責めているのではない。 しかし選挙権は平等にすべての成人に与えられるのは当然である、とする考え方は危険である。

 

なぜか。 民主主義は脆いものである。 社会にとって何が良いのかを考える力の無い人間は自分にとって何が「いい感じ」なのか、で票を投じる。 政治家が「子供手当をくれる」「高等学校を無償化する」と言えば、それは自分にとって「いい感じ」なので票を投じる。 しかしその財源は増税である。 増税は企業や消費者への負担であり、経済への重りである。 景気は悪化し国家財政も悪化する。 

 

しかし票を入れた本人は「施しもの」なしにはいられなくなり、「施しもの」だけが得意な衆愚政治家を国会に送り込む。 衆愚政治家は「いい感じ」な政策を連発する。 そして政府・官僚は肥大化し、社会は今の日本のように身動きの取れない状態に陥る。

 

線を引くのは簡単ではない。 引けないかもしれない。 誰がどう引くのか。 その人間達は誰がどのように選ぶのか。 現実的かつ常識的なのは、大日本帝国憲法に立ち戻ることである。 当時の日本は帝国ロシアを叩き、世界から尊敬され恐れられていたからである。 少なくとも国家の体を為さない今の日本とは比べることのできない立派な社会であったことは間違いがない。 そこへ立ち戻るというのは、やはり簡単ではない。 しかしその考えは決して突拍子の無い思いつきではない。

文化人の驕り

  • 2011.06.24 Friday
  • 22:05

福島第1原発の事故の影響で、海外奏者の来日中止が相次ぐなど大きな損害を被ったとして、社団法人日本クラシック音楽事業協会が、国を通じて東京電力に賠償を求める」のだという。 あまりの馬鹿さ加減に言葉を失うが、自然災害による被害を特定の企業に負わせようとするのは筋違いである。 なぜ国を通すのか、なぜ国が訴訟手続きの仲介となるのか全く理解できないが(政府は訴訟の代理業務など行っていないはずである)、いずれにしても正しい対応は却下することである。

 

人間は芸術で生きることは出来ない。 飯が食えることと服が着られることと屋根の下に住めること。 これらが十分満足できてから、初めて暇な時間に芸術を楽しむのである。 またそうあるべきである。 金が無くて飯もろくに食えない人間にベートーベンやモーツアルトの音楽など何の役にも立たない。

 

同様に電気が無くては芸術も成り立たないのである。 楽器を作るために必要な材料(木材、金属、プラスチック)を加工するのに電気を使う。 それらを組み立てるのに電気を使う。 作業するのに太陽の直下では無理で室内でやるから電気を使う。 楽器を入れるケースも同様である。 それらを運搬するのは車である。 自動車工場は石炭で動くのではない。 電気である。 コンサートホールを建てるのに必要な建材、資材の製造、それらの運搬、作業。 全部電気無しには出来ない。 ホールに電気がなければ真っ暗である。 

 

よくわからないが、クラシック音楽などに関わっている彼らは自分達が偉いとでも勘違いしているのではあるまいか。 いかにも自分たちが文化の担い手でもあるかのように思い上がっているのではあるまいか。 このような連中には電気を断ち切って不便な生活を強いてやるのが一番の薬である。

歴史上の証拠

  • 2011.06.24 Friday
  • 21:32

戦時中日本がアジア諸国を蹂躙したという証拠を振りかざして日本を非難する人間がいる。 海外だけでなく日本にも沢山いる。 特にマスコミ、教育、政府、官僚といった世界にはこの手が多い。

 

証拠には直接証拠と状況証拠がある。 他にも沢山あるのだろうが詳しいことは別に法律の専門家ではないので知らない。

 

人が何かをしたことを立証するには証拠が必要である。 例えば殺しを立証するには動機だけでなく現場に落ちていた髪の毛や皮膚のDNA鑑定、使われた武器やそれについていた指紋といった直接証拠や目撃者の証言だのアリバイだのといった状況証拠を合わせて検証する。 集められた証拠によって誰かが誰かを殺したことを立証することが出来るのである。

 

しかし逆に誰かが誰かに何かをしなかったことを立証するにはどうしたらよいのか。 そもそも「何かをしなかった証拠」などというものは存在するのか。 そのようなことを立証するなど可能なのか。 例えば誰かが昨日、「路上で通行人にぶつかったにもかかわらず謝らなかったということが無かった」ということを証明することを考えてみればよい。 無かったと言い張ってもそれは主張であり証拠にはならない。 誰かが「ぶつかられて謝りもせず通り過ぎた」と主張すればそれに対しては「それは嘘である」としか言いようがない。 

 

ではどのように判断すればよいのかと言えば、その人間が普段そのようなことをする粗雑な性格なのか、それともそのような行動をとったことが無い温和な性格なのかということで判断するしかないわけである。 それしか判断のしようがないのである。 そして、その方法で大概は正確な判断ができるのである。

 

日本軍は日清戦争においても日露戦争においても第1次世界大戦においてもその勇敢さと規律正しさと戦地においての節度ある行動は列強諸国からの称賛の対象であった。 その様子は各国のジャーナリストや軍人によって克明に記されている。 当時の規律正しさの片鱗が今でも日本人の血に流れている事実が今回の地震で世界中の注目を集めることとなった。

 

逆に中国軍の規律の無さと残酷さは有名であった。 これは国民党と共産党を問わない。 国民党は台湾に逃げ込んだ後、地元の人々を虐殺した。 台湾のお年寄りに聞けば中国からやってきた人間によって台湾人がどれほど筆舌に尽くしがたい苦しみと恐怖を味わったかが分かる。 彼らは生きた証人である。 通州事件は共産党による日本人虐殺であった。 その殺し方は人間のやることとは思えない惨たらしいもので、彼らの性格をまざまざと示すものであった。 天安門事件、チベット、ウイグル。 彼らの性格は変わっていない。

 

歴史の事実を知るには、「証拠」など必要はない。 目を開き、現実を見て、常識というフィルターを通して判断すれば事実は自ずから見えてくるのである。

 

 

 

 

アメリカの健全さ

  • 2011.06.22 Wednesday
  • 00:46

アメリカは世界で最も健全な国である。 健全さにおいては稀有な存在であり、貴重な存在である。 なぜ健全かというと、保守と左翼がそれぞれの存在と違いを意識しているからである。 左翼と対比することにより保守の正しさが際立つ。 保守と対比することにより左翼の誤謬が際立つ。 

 

2012年のアメリカ大統領選は近年に例を見ない保守と左翼がお互いの存亡をかけた戦いとなる。 レーガンの保守政治の後、全ての大統領が中心から左の間をさまよってきた。 ジョージ・ブッシュは国防の面は大変良かったが国内経済政策で左翼におもねりすぎた。 結果オバマ左翼政権が突っ走る路線を敷くこととなった。 その間、いかに左翼的政策が社会・経済に対して悪影響を与えるかが明らかとなった。

 

Sarah PalinMichele BachmannRick Santorumといった大統領候補あるいは候補となると目される彼らは現在まで社会を侵食し続けてきた左翼的政策との決別を明瞭に宣言している。 保守派は小さな政府、自由な経済、強い国防という保守三原則を掲げ、指名獲得に向けて誰が最も保守であるかの争いを戦うこととなる。

 

アメリカでは左翼、右翼、革新、保守という言葉が生きた言葉として使われている。 左翼である一般テレビ・新聞メディアに対して保守を代表するFox News、ラジオ・トークショー、インターネットメディア、言論人が気炎を上げる。

 

フランクリン・ルーズベルトは狡猾な手段で国民を嘲弄し続けた。 しかしオバマや左翼はこれら保守メディアを黙らせることは出来ない。 Tea Partyは保守派の草の根運動として国民的な広がりを見せている。

 

日本の保守はこの動きに注目しなければならない。 そして自分の国を振り返らなければならない。 何をどうすればよいかは自ずから見えてくるはずである。

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