宰相の条件
- 2011.08.30 Tuesday
- 21:39
次の首相が信じがたい軽さで決まった今、改めて宰相とはどうあるべきか考える。 宰相論とか言うと、家康、信長、秀吉といった歴史上の人物を上げてみたり、まとめる力、調整する力、ひっぱっていく力といった性格的なことを述べてみたりする本が多い。 しかしそれは根源的な要素ではない。 ヒトラー、スターリン、毛沢東、フランクリン・ルーズベルト、金日成、金正日、皆強力なリーダーシップとビジョンを持っていることには変わりはない。 しかしどれもひどい人物である。 国民の安全、治安、経済を外敵から守ること。 それが首相の仕事である。 そのためにはどうあるべきかを述べる。
保守主義を信念として持っていること。 保守とは古き良き伝統を保ち守ることである。 古き良きものを足掛かりにするから前進できるのである。 足掛かりが無ければ後退するのみである。 だから絶対に保守でなければならない。
小さな政府の信奉者であること。 政府のやるべきことは少ない。 少ないとは簡単であるという意味ではない。 限られているということである。 国防、治安維持、インフラ整備。 それ以外は余計なお世話である。 社会福祉は余計なお世話である。 余計な世話焼きというものは余計なことばかりするだけあって肝心なことがおろそかになるのは洋の東西と時代を問わない。 必要に応じて政府は小さくも大きくもなるべき、などという人間は政治の本質を理解しないマガイモノである。
強い国防の信奉者であること。 これぞ政府の仕事である。 政府でなければ誰がするか。 国民はこのために税金を払うのである。 国防が弱い政府は税金泥棒と反逆罪で緊急逮捕されなければならない。 国境・領海がしっかり守られて初めて国の文化と経済が安泰となる。
資本主義の信奉者であること。 資本主義に一輪の疑いを持つ人間はニセモノである。 資本主義とは永遠に使える超高性能浄水器のような存在である。 資本主義は人間と社会を浄化する。 向上させる。 明るくさせる。
経済自由化の信奉者であること。 資本主義経済は契約があって初めて機能する。 契約とは売り手と買い手の約束である。 政府はその約束に対して拘束力を行使するだけでよい。 約束破りを罰する。 厳しく罰する。 それだけでよい。 あとは自然に任せる。 規制はかけない。 そうすると経済は活性化して資本主義の自浄作用であらゆる問題が全部綺麗に解決する。 それをどれだけ固く信仰するか。 それが大事である。
日本の歴史を尊重していること。 日本の歴史を恥じるもの。 特に近代史を恥じるものに国政に関わる資格はない。 8月15日に靖国神社参拝しない人間に国政に関わる資格なし。 言い訳する人間に国政に関わる資格なし。 歴史博士でなくても良い。 日本の独立を守った英霊に感謝すること。 それは最低限である。 神話が現代につながる国は世界に類がない。 皇室は世界に類を見ない日本という国の象徴である。 歴史に連続性があるというのは民度の高さと穏やかな民族性の証しである。 殺戮と断絶の連続である中国と比べれば明らかである。 その日本の歴史を尊重しない人間は国政に関わる資格なし。
他国におもねらない人物であること。 政府の仕事は国民を守ること。 そのために国民は政府を雇うのである。 政府が責任を持つのは国民であって外国ではない。 他国の顔色伺いをする人間は自国民をないがしろにする。 そのような傾向がある人間は国政に関わる資格なし。
以上の条件をそろえた人間が多ければ多いほど良い。 なぜならばその中から選りすぐりの人物が指導者として選ばれるからである。 競争の中で人格、能力、強さが試される。 人を説得する能力のある人間が選ばれ、そこから保守の精神が広がるのである。 今の日本において、限りなく空想に近い。 しかし、これが本来の姿である。