「茶のしずく石けん」に見る犯罪隠し
- 2011.11.29 Tuesday
- 12:24
「茶のしずくせっけん」という石けんがアレルギーを起こして問題になっているとか。 これを取り上げるのはこれが問題だからではなく、日本でこんなちんけな話題が騒ぎになっていることが問題であり、遥かに大きな問題が隠されているからである。
この問題にマスコミが騒ぐだけならばまだよい。 騒ぎたい人間が騒げばよいわけだし、民主主義社会において騒ぐ自由は保障されているわけだから。 問題は独立法人消費者センターだの、厚生省だのといったお役所が余計なおせっかいを焼いていることである。 政府がおせっかいを焼いて問題が解決したためしは未だかつてない。
石けんというのは法的に化粧品に類するものと医薬部外品に類するものがあり、共に厚生省の管轄にある。 商品の製造、保管、販売に至る一連の流れは薬事法という法律に規制されている。 その法律ではどの原料は使ってはだめ、これはだめ、あれはだめ、と細かく規定されている。 問題となっている原料は使用が許されている物質である。 この石けんを使って湿疹が出た人間がいるそうであるが、それが意味するのは結局政府の規制など何の役にも立たないということである。
企業は役所からの制裁なり市場の制裁なりを受けるであろうが、それを規制する役所は何かの制裁を受けるのか? お前がこの規制を作った責任者だから年収の何パーセントを罰として払えとか、そういう罰があるのか。 無い。 規制をし、おせっかいを焼き、問題が起これば言い訳をし、しかし責任はとらない。 それが役所である。 これは別に役所で働いている人を非難しているわけではなく事実を述べているだけである。 これが事実ではないと言うのであれば、その人間は別世界に住む住民であるから同じ言語で議論しようとするのは不毛な試みである。
この問題でユウカという企業にどれほどの問題があるのか知らないし、どうでもよいことである。 企業がどれほどの問題を起こそうが、消費者を裏切ろうが、隠し事をしようが、社会全体で見れば大海の一滴のような微々たる問題である。 大切なのは、企業が、どれほどの巨大財閥であろうが微小な個人会社であろうが、市場の原理に従って、その行動に対する結果を受けることである。 その結果がポジティブなものであろうがネガティブなものであろうが。 役所が「店頭から撤去せよ」などというのは余計なお世話にお程があるということである。 それは市場が決めればよいことである。
You-Tubeである消費者(中年の主婦)が苦情を述べている。 使い始めてすぐに湿疹が出たが2個使い切った。 その後顔が腫れあがって医者で小麦アレルギーだと言われた。 もう普通の生活が出来ない。 何とかしろと。
自由な社会というのは責任が伴うものである。 自由な社会というのは市民が一定の読み書きが出来て常識を持って行動するということが前提で成り立っている。 この前提は社会的インフラである。 この社会的インフラが高度に発達した社会はより自由であるし、逆にこれが無い社会は独裁者が必要となる。
普通この類の商品には大概こう表示してあるものである。 『お肌に合わないときは使用を中止してください。 しっしん等が発生したときは皮膚科に相談することをお勧めします。』 2個使い切るということは「ちょっと触れた」どころではなく、「かなり使った」ことになる。 また、この商品は明確に効果を謳っている。 効果がある、ということは、副作用もあり得る。 これは常識である。 字の読めない人間や常識の無い人間は買い物などしないほうがよい。 これは常識である。
例えば百万個販売している中で五百件クレームがあったとすれば、0.05%だろう。 大した数ではない。 会社として販売を中止したほうが良いと思えばそうするもよし、ウェブサイト上で警告するほうがよいと思えばそうするもよし。 何もせずにほっとけばよいと思えばそれも良し。 結局は顧客がどう判断するかであって、顧客の指示を失なえば市場から消えるし、それでも好きだという顧客が多くいれば生き残るわけである。 この商品にしても、問題のある客もいると同時に感謝している客もいるはずである。 どちらがどれだけ多いかによって市場が決定すればよい、ということである。
アレルギーといえば、杉花粉アレルギーという国家的犯罪が誰も、誰からも、どこからも問題にされずに放置されているのはどういうことか。 これに比すれば一企業の問題などどうでもよい。 日本人の大半が一年の半年以上をアレルギー状態で過ごすのである。 これによる生産性の低下と集中力の低下、そして経済的損失は想像の域を超えるものがある。 なにせ花粉の季節は頭が朦朧として鼻が詰まり呼吸が困難である。 マスクは鬱陶しい上に効果も気休め程度。 薬をのんでしのいでも今度は眠くなる。 金もかかる。 これこそ農林水産省だか林野庁などというものがいかに何の役にも立たない役所であるか、ということを示している。
空気というのは言ってみれば公共設備であり、重要なインフラである。 空気を吸っても人々がアレルギーにならないようにする、というのは重要なインフラ整備であり、これは政府の仕事以外の何物でもない。 それを政府はほったらかしにしつつどうでもよい問題に頭を突っ込んでいる。 このような一企業の些細な問題をあげつらうとは偽善どころの騒ぎではない。 犯罪隠しである。