日本は日韓併合で救われた
- 2012.06.30 Saturday
- 16:17
日本が明治から昭和の激動の時代を、そしてその後現代にいたるまでの過程をいかに生き抜いたきたかを考えるときに忘れてはならないのが日韓併合である。 日韓併合は左翼からは侵略行為と呼ばれる。 時には保守の中にも否定的な見解がある。
「朝鮮人を日本人と一緒にする必要は無かった」「保護化で十分で、併合まですることはなかった」「もともと文化が違うのだから成功するはずはなかった」「あんなことをしたからパチンコ屋だらけになった」「在日問題もそのおかげだ」と、いろいろな意見がある。
どれも一定の事実ではある。 しかし問題はどれも真実を捉えていないということである。 これら個別の事実に突き当たったときに常に立ち返らなければならないのは、日本が置かれていた国際情勢、及びその中において国防と独立をいかに維持しなければならなかったか、という現実である。 そして同時に直視しなければならないのは周辺の国々で「独立を維持しえなかった国々」がどのような運命をたどったかということである。
日本は明治時代より常に列強の脅威を受けてきた。 国を取り巻く情勢を安定させるためは朝鮮の独立と近代化が必要不可欠であった(地政学的に朝鮮半島は日本に突き付けられた匕首のようなものである)。 日本はそのために日清日露の二つの戦争を戦った。 その間、日本は朝鮮を「清の属国」から「大韓帝国」へと格上げすることに尽力し、援助を行った。 統治を近代化させて経済を発展させるよう再三にわたって促した。 残念ながら後退的な朝鮮文化のため韓国はいささかも前進することが出来なかった。
日露戦争に勝利した日本は韓国を保護化し、伊藤博文が暗殺されるに及んで遂に併合する。 保護化も併合も日本が一国で突っ走ったわけではなく、当時アメリカもイギリスも全面的に支持したものである。 それ以外の選択肢はあり得ないと。 その後ロシアは共産主義のソ連となるが、日本はソ連から今までにも増して脅威を受けることになる。
1920年、共産パルチザンがニコライエフスクに駐留していた日本の居留民と軍人合わせて約700名をそして共産主義に同調しない市民6000人を惨殺した尼港事件が起きる。 その虐殺のあまりの凄惨さに日本人は共産主義の悪魔性を知ることになる。
革命後のソ連は不戦条約の陰で軍拡に次ぐ軍拡を進めた。 1918年当初に33万だった赤軍は翌年80万になり、 尼港事件のあった1920年には300万になり、そして550万という大軍となった。 凶暴な非文明国家が軍を巨大化していたわけである。
ソ連は拡張・侵略を続ける。 1938年、ソ連は「日本が併合していた」韓国北部に攻め入る。 張鼓峰事件である。 ソ連が戦闘機や戦車まで投入したにも関わらず紛争が戦争に発展することを望まなかった軍部は専守防衛を守り苦戦を強いられる。 そこでソ連と戦ったのは日本軍とその指揮下にあった朝鮮軍である。
翌年の1939年、ソ連はまたもや一方的な侵略行為をはたらく。 ソ連が満州に攻め入ったノモンハン事件である。 ソ連側2万に対し日本側1万7千の死傷者を出し、苦戦を強いられる。
そして1945年8月9日、ソ連は日ソ不可侵条約を踏みにじり対日戦争を開始する。 北から西から東からソ連は満州国に攻め入る。 同時に北から樺太を攻め、北海道に迫る。 同時に極東ソ連から朝鮮半島へ迫る。
ソ連軍の進軍経路
日ソ軍の配置
ソ連・満州への進軍
地図 Wikipediaより
満州国はソ連の軍政下に入り滅亡、日本は朝鮮を失う。 ソ連支配下の中国北部で共産活動が始動する。 共産党と国民党の戦いを経て共産勢力が中国全土を呑み込む。 中国を逃れた国民党は台湾を支配、台湾はその後李登輝総統による改革が始まるまで長い抑圧の時代に入る。
朝鮮半島は一度はソ連に後押しされる共産勢力が制圧するが、1950年アメリカ参戦によって38度線まで押し戻される。 朝鮮の北半分、朝鮮民主主義人民共和国は、スターリン主義と朝鮮文化を掛け合わせた独特の主体思想である絶対専制世襲制によって統治されることとなる。 2012年現在、その支配が終わる気配はない。
ベトナムも南北に分断され、長い戦いの末1975年に共産勢力に制圧される。 共産勢力は勢いを得てラオス、そしてカンボジアを呑み込む。 ベトナムでは60万もの人間が圧政を逃れようとして波間に消えた。 カンボジアでは200万もの人間が飢えと拷問で死んだ。
そして我が祖国日本は... 日本は領土である朝鮮と台湾を失い、アメリカの統治下にはいる。 1952年サンフランシスコ条約発効により日本は主権を取り戻し、今日に至る。 日本はルーズベルト、トルーマンというリベラル左翼の意図を受けたGHQにより強制的に社会主義的な政策が押し付けられ、それらは今に至るまで日本社会を蝕むが、周辺諸国のような悲惨な運命をたどることは免れた。
もしも日本が名ばかりの独立国であった韓国を併合していなかったならば、韓国は張鼓峰事件のような侵略行為に対してなすすべもなく降参していたはずである(日本が朝鮮半島に主権を行使できたからソ連に対抗出来た)。 韓国はソ連の支配下に置かれソ連は1920年代から日本本土を脅かしたはずである。 そして先の大戦終結時には朝鮮半島を足掛かりに日本本土を直接攻撃したはずである。 ソ連が日本全土を、もしくは群馬県あたりから北を取っていた可能性は高い。
であったならば、朝鮮半島の運命は日本の運命となったのである。 ドイツ・東欧の運命は日本の運命となったのである。 ベトナムの運命は日本の運命となったのである。 カンボジアの運命は日本の運命となったのである。 「平和な戦後日本」は無かったのである。
日清・日露戦争、韓国併合、満州事変、満州建国、国連脱退、三国同盟… そして大東亜戦争は日本の敗戦で終わる。 その過程においては様々な失敗や間違いが不徳があったことも確かであろう。 反省は必要である。 しかし彼ら先人たちの判断を、今我々が住む日本、アメリカの核と駐留米軍に守られる「平和な」日本の観点・価値観から安易な批判や断罪をしてはならない。 なぜならば、我々が我々であるのは間違いなく明治〜昭和を生きた彼ら先人たちのお蔭だからである。