生きにくい社会 「不可能」に幽閉される日本社会

  • 2012.08.26 Sunday
  • 13:59
 

日本は生きにくい社会である。 年間3万人もの人が自殺する。 多くの人が希望の無さを耐え忍ぶか、自ら人生を終えるかの二者択一を迫られている。 多難であることと希望が無いことは違う。 貧困と希望が無いこととも違う。 格差と希望が無いこととも違う。 希望が無いこと、というのは抜け道が見いだせないことである。

 

最近学校でのいじめに関する話題が絶えないが、学校は社会の縮図である。 いじめを苦に自殺する。 家庭がもはや外界と私生活を遮断し個人の聖域を守る壁でなくなっている。 誰も無条件で自分を守ってくれない。 教師は見て見ぬふり。 いじめる者を口頭で注意するのみ。 それ以上立ち入ってはならないと法律で決められている。 教師も人間であるから法に触れることは出来ない。 リスクは負えない。 学校で生きる権利を認められないのに社会に出たらどうなることか 逃げ道を見いだせず自ら命を絶つ。

 

自由主義経済社会というのは生きやすい社会である。 そこでは熾烈な生き方をするもよい。 気楽な生き方をするもよい。 どのような生き方も許される社会である。 また弱者にとっては逃げ道のある社会である。 なぜならば自由である分、基本的なルールさえ守れば選択肢は無限だからである。 逆に、統制社会は生きにくい社会である。 制御不能に増え続ける規制に適合することが求めらる。 個人的にこれらに適合しない何かを追求する、あるいは気楽な生き方を追求することは許されない。 逃げ道が無い社会である。 特に貧者、弱者、マイノリティーにとって辛い社会である。

 

日本が向かっているのは統制社会である。 「世界に誇る日本の国民皆保険を守ろう」「地球を温暖化の危機から救おう」「危険な原発を止めて安全な自然エネルギーへ移行しよう」「食の安全を守るために基準を強化しよう、放射能規定値を厳しくしよう」「物質的豊かさよりも心の豊かさを求め、経済ゼロ成長を受け入れよう」というスローガンが政府機関から、メディアから、そして我々庶民から発せられる。

 

これらスローガンが繰り返されるたびにそのメッセージは我々の心に浸透し、思考をコントロールする。 我々はこのスローガンに沿って規制が次々と発せられるのをひたすら眺めるのみ。

 

悪化し続ける財政にも関わらず、その原因である医療制度にしがみつかなければならないその財政に充てるため、増税を受け入れなければならない  増税により可処分所得が減るが、「社会保障」を維持するためだから我慢しなければいけない  原発は「危険だから」止めなければならないでも火力はCO2が増えるから使えない  でも使わないとやっていけないから当面は使わなければならないでもその分電力料金が上がるのを受け入れなければならない農家は基準が厳しすぎて作物を出荷できない  企業も上がる電力料金のため採算がとれない社員は将来に不安を覚えながらも文句を言う相手はいない でも仕方がない 耐えなければならない。 

 

公的医療制度(国民皆保険)が崩壊を免れるのは不可能である。 CO2の排出削減をしつつ企業のアウトプットを上げるのは不可能である。 原子力という貴重な技術を捨てて電力供給するのは不可能である。 「自然エネルギー」から安価に安全に安定的にエネルギーを抽出するのは不可能である。 農家や企業が生産活動を阻害されつつ生き残ることは不可能である。 その環境で働く人々が収入を維持するのは不可能である。 収入が減り、雇用が減少しつつある中で不安を覚えないのは不可能である。 不安の中で心の豊かさを得るのは不可能である。

 

一つの「不可能」が幾つもの「不可能」を生み出し、「不可能」と「不可能」が連鎖して更なる「不可能」を生み出し、「不可能」が「不可能」を倍増させ、「不可能」と「不可能」の間にある自由な領域を包囲して「不可能」な領域とする。 日本は不可能のサイクルに陥っている。 というよりも、日本は不可能のサイクルに幽閉されている。 一人の独裁者が強権で日本社会をコントロールしているのではなく、我々一人一人が社会主義的マインドセットによって自らを閉じ込めている。 

 

我々を幽閉する厚い鋼鉄のドアには強固な鍵が無数についている。 この状態ではドアを押しても叩いても殴ってもびくともしない。 我々はそのカギを一つ一つ開けていかなければならない。 いうなれば、それは我々の思考を固定化する社会主義思想の毒を除去する作業である。 しかし現状維持を企む勢力はいったん開けた鍵をまた閉めようとする。 我々が持つ鍵をも奪おうとする。 鍵を一つ開け、二つ開け、三つ開け… 100個開け、千個開け、1万個開け、10万個開け そしてその時に強烈な体当たりを食らわせばドアの鍵はちぎれ、我々は幽閉から解かれる。 しかし、今のところ、その見通しは無い。

 

 

追記:幸いなことに、幽閉された我々にも外からの声が聞こえる。 彼らがドアを叩く音が聞こえる。 彼らも幽閉の身である。 しかし我々と違うのは、彼らは自らドアを叩き壊そうとしているということだ来る11月に。

 

 

ロムニーの英断 ポール・ライアン副大統領へ

  • 2012.08.19 Sunday
  • 13:39
 

アメリカ大統領選は残すところ3か月を切った。 オバマ政権は本業の政権運営よりも挑戦者のロムニー候補への人格攻撃に血道をあげている。 『ロムニーが率いたべイン・キャピタルが資金提供を拒否したために炭鉱が閉鎖され、職を失った労働者の一人は癌を患った妻がいたが、失職とともに保険も失い、死ぬのを見守るしかなかった ロムニーは冷酷だ。 いいのか、ロムニーで』というような話を選挙コマーシャルで流している。 その後、実はこの労働者が失職したのはロムニーが退職してから何年も後の事であり、しかもその当時、妻は保険でカバーされていた、という事実が発覚した。 ロムニーとは関係ないわけである。 しかしなりふり構わぬオバマ陣営は弁解も謝罪も無し。 次々とネタをこしらえてはロムニー陣営を攻撃する。

 

一方共和党候補のロムニーは賢明な選択をした。 副大統領候補として選挙戦を戦う相方となったポール・ライアンはリバタリアンでもネオコンでも中道左派でもない。 ティーパーティー(茶会党)の保守、レーガンの保守、本流の保守である。 ポール・ライアンの思想には保守の柱が貫かれている。 すなわち、小さな政府、自由な経済、強い国防の三本柱である。 保守であるからにはこの三本柱が重要であり、どれが欠けても、それはカタワである。 なぜならばこれら三本の柱は相互に依存しており、どれかが欠ければ他が成り立たないからである。 ※だからロン・ポールはどこまで行っても異端でしかない。

 

ライアン議員はウィスコンシン州選出の下院議員として、増大する政府の歳出への対抗という分野で目覚ましい活躍をしてきた。 民主党がオバマ・ケアという医療からの市場経済原理排斥法案を強行採決する前に行われた両党派会談において、ライアン議員はオバマ大統領と直接対決している。 11月の選挙で共和党が勝利した暁にオバマ・ケアを撤廃させることを公言している。 

 

高齢者保健制度はもともと赤字だったが、オバマ・ケアによってUS$ 500billion5千億ドル)ものカネがこの保険基金から抜かれて政府の計画に充てられることになった。 この制度を継続することは不可能であり、その破綻は目前に来ている。 その高齢者保健制度を改革するため、ライアン氏はライアン・プランと呼ばれる医療保険制度への市場原理導入法案を掲げている。 「55歳以上の人間は既にこの制度に組み込まれている。 故に彼らからこの制度を奪うわけにはいかない。 彼らのための金は確保する。 しかし55歳未満の若い世代には破綻した制度から脱却する自由を与えなければならない。 医療保険のコストを下げなければならない。 そのためには医療保険業界における自由競争を実現しなければならない」 医療保険の話は結構難しいがまとめるとそのようなことである。

 

ライアン議員の参画により茶会党支持層は活気づくはずである。 だが氏のメッセージを受け取るのは茶会党だけではない。 ライアン氏の健康的な若さとエネルギー、そして反対者と議論する際にも見られる真摯な姿勢は民主党の殻に閉じこもった人々の心をも開かせるはずである。 保守主義の思想が明晰な頭脳と明快な思考によって具体化し、明瞭な語り口によって語られる。 オバマ陣営は強敵と対峙することになる。 バイデン副大統領は冷や汗をかいているはずである。

 

 

ポール・ライアン オバマ大統領を斬る

 

ポール・ライアン オバマ政権、財政、医療を語る

 

茶会党、ポール・ライアンを歓迎

 

 

追記:日本に必要なのは、まさにこういう政治家である。

大きな政府と地獄の満員電車

  • 2012.08.18 Saturday
  • 19:43
 

日本経済が出口のない不況で閉塞感を深める中、地方が過疎化する一方で首都圏に人口が流入し続けている。 毎朝、首都圏では人々が凄まじい満員電車での通勤を余儀なくされている。 他人と密着した詰め込み状態が好きな人間はいない。 少なくとも普通の感覚を持った人間で好きな者はいない。 皆耐えている。 

 

人間には「個人の領域」というものがある。 ある人間が別の人間に対し、ある一定の物理的距離を保つ。 それは人間と人間とがお互いの存在を認めあうための暗黙のルールである。 他人が他人の至近距離に近づくということは、ある状況下では攻撃的行為ともなる。

 

世界的に見て、「日本人の特質」といえるのが「他人に対する礼儀と思いやり」である。 世界を旅すれば、この特質が信じられないほどに稀有なものであることが分かる。 しかしその日本人が、これから一日が始まろうとしている時間に、あるいはこれから家庭へと戻ろうとしている時間に、互いに押しのけあい、ぶつかり合う。 

 

「押すんじゃねえよ!」「痛えんだよ!」「てめえだろうが!」「おめえだ!」「新聞読むんじねえよ!」「うっせえんだよ!」「なんだこの野郎!」 時には怒鳴りあい、時には殴り合う。 最近では刺し、刺されることもある。 真面目な社会人がぶちきれ、我を忘れ、理性をかなぐり捨てる。 

 

首都圏において、同じ場所、同じ時間、同じ方向、同じ手段で人々が一斉に移動する。 大手企業を中心に多くの企業が首都圏本社や事務所を構えているからであり、勤務するにはそこへ向かって行くしかないからである。 なぜこれほどまでに首都圏に企業が集中しなければならないのか。 なぜ地方ではいけないのか。

 

企業活動を規制する中央官庁や役所や当局は大部分が東京にある。 企業の組織が大きければ大きいほど中央官庁との絡みが増える。 だから事務所は首都圏にあったほうがよいし、そうでなければ不都合である。 その取引先や下請け企業、関連企業もそれに続かざるを得ない。 

 

企業の首都圏への流入が続いている。 首都圏の人口増加が続いている。 この二つの事実は、中央官庁の中央統制が進めば進むほど、一極集中と人の過密状態は進むという関係を意味している。 この状況は資本主義経済システムの必然なのか。 経済成長の必然なのか。 社会成熟の必然なのか。 全て否である。 そして逆である。

 

自由で流動性のある社会においては人々は不快な状況から逃れようとする。 場所的、時間的、物理的にその状況を脱しようとする。 すなわち、良い方へ、良い方へ、と移行する。 しかし一方で、不自由で流動性に欠ける社会においては人々は異常な状況に耐えることを強いられる。 そして異常であるにも関わらずその状況が生活の一部となってしまい、それを変える見込みが立たないために諦めざるを得ない。 悪い方へ、悪い方へと落ちる。 現在の日本は、不自由で流動性に欠ける社会の典型である。 

 

社会から自由と流動性を奪うのは個人ではないし企業でもない。 唯一それが出来るのは政府であり、官僚機構である。 なぜならば、彼らはいかなる個人も、いかなる企業も太刀打ち不可能な国家権力という力を持っているからである。

 

南北に長く伸びた日本列島は多様性に富んだ地形、気候、文化を形成し、それぞれの地域における特色と強みを生み出してきた。 東京が一番偉く、大阪が次、その他は下という序列化、そして都市が地方へ施しを与える(地方交付)という隷属化によって、地方の特性と強みは奪われ、産業が衰退する。

 

地方の産業が衰退するにつれ、日本全体の経済はますます悪化する。 同時に首都圏への集中はますます加速し、人々はますます非人間的な生活を強いられる。 同時に日本人は日本人としての最も大切な特質をますます失っていく。 人々はなすすべもなく、ひたすら溜息をついて耐え忍ぶ。 これは「大きな政府」のなせる業である。

 

 

追記: 「大きな政府」は決して幸福や繁栄をもたらさない。 これは物理的法則である。 世界のいかなる国においても、この法則は成り立つ。 例外は一つもない。 有り得ない。 ただし、それぞれの国は異なった歴史、文化、環境を持つために、「不幸」の現出の仕方に違いがある。 日本の場合、その一つの例が「地獄の満員電車」、ということである。

 

満員電車の姿

 

電車に押し込まれる

侵入者をプランクトンのエサにせよ

  • 2012.08.16 Thursday
  • 21:29
 

尖閣諸島に不法上陸した香港の活動家達を日本政府は一両日中に強制送還する予定だということで、またもや怒り心頭、血管が破裂せんばかりである。 こんな体たらくで東京都が買って、それでどうなるのだ。 国有化して、それでどうなるのだ。 彼ら不法侵入者に対して、日本は断固たる手段をとることが出来ないことを、これでもか、これでもか、これでもか、これでもか、と世界に発信し続ける現在の状況において、誰が保有しようが全くもって無意味であろう。

 

断固たる手段とは何か。 それは一回警告し、警告の言葉が終わるか終わらないかのうちに侵入船に大砲を打ち込み、木っ端微塵にして海に沈め、プランクトンの餌にでもしてやることである。 これ以外に「断固たる手段」と呼べる手段は存在しない。 抗議が来たら、「そのような事故の発生は聞いておりません」とでも言ってとぼけてやればよい。 船が来るたびに同じ事をしてやればよい。 どこの国が何を騒ごうと、涼しい顔をしておればよい。 現行の法律では彼らの本土への爆撃はしようも無いだろうが、このくらいのことは出来るはずである。 これぞ無言のメッセージというやつである。 言って分からない連中に通じるのはこれだけである。

 

あまり事を荒立てると中国に駐在している多くの日本人が危険に晒されるよ… と言う人間がいるが、全く分かっていない。 悲しいくらいに物事の道理が分かっていない。 祖国日本がしっかりしていなくて困るのは、海外にいる人間達なのだ。 祖国日本が弱くて困るのは、海外にいる人間達なのだ。 祖国日本がバカにされて困るのは海外にいる人間達なのだ。 彼らは「個人」であると同時に、いやそれ以上に「ニッポンそのもの」なのだ。 本人が好む好まざるとに関わらず、である。 強いニッポンが背景にあるから彼らは尊敬される。 強いニッポンが背景にあるから彼らは厚遇される。 強いニッポンが背景にあるから彼らは耳を傾けられる。 そういうものである。

 

強制送還などというとゴツイ響きがあるが、何のことは無い。 いうなれば、「なんでこういうことするの!」と不貞腐れた狼藉物を大事に家まで送ってあげ、「もう、お願いだから、こういうことするの止めてよね! 頼むね! じゃあね!」とお願いしてバイバイする、ということである。 世界が見守る中、これ以上間抜けな対応は無い。 本土まで警備付でエスコートして、食事を楽しんでいただいて、お泊りいただいて、御高説を拝聴して(聞き取り調査)、それで本国までお届けする(送還)… 全て国民の税金で。

 

恐らく実際に送還となるのであろう。 この悔しさを、国民は塩を削ぎ傷にすり込むように、痛みとして体に刻み付けるべきである。 忘れることがないように。 ごまかすのではなく。 ちゃかすのではなく。ふやけた笑顔を浮かべるのではなく。 目を逸らすのではなく。 顔を背けるのではなく。 子頭良いふりをするのではなく。 しっかりと見るのである。 これがわが国の姿なのだと。

 

 

追記1:「8月15日 不戦の誓い新たに…」 この不道徳で退廃的で垢にまみれた言葉を、いたいいつまで聞かされなければならないのか。 『昔の日本人ばバカで愚かで非道だった。 近隣諸国を侵略しまくり、虐殺しまくり、それでアメリカさんまで怒らせて… 1945年から日本人は賢くなった。 善良になった。 優しくなった。 我々はもう武器は持ちません。 戦いません。 そして信じています… 周辺国の皆様が優しく親切に接してくれることを。 そうしてくれなくても、でも願い続けます… いつか心が通じてくれたらと… 』

 

追記2:彼らがプランクトンの餌になれば食物連鎖で我々が食する魚にまで上がってくるかもしれないと考えるとなんだが、その頃にはたんぱく質からアミノ酸に何度も分解されて、もう跡形もないはずである。

終戦記念日 そして凋落する日本

  • 2012.08.15 Wednesday
  • 21:22
 

8月15日、終戦記念日。 遠い日本の靖国神社の方向に向かい、頭をたれ、手を合わせ、日本のために戦って散っていった人々に対する感謝をささげる。 彼らのお陰で日本は独立を守った。 何千何万何十万という人々が最前線で戦い、あるいは銃後で家族を支え、戦場で、そして本土で、尊い命が犠牲になった。 しかし悲しいかな、戦後世代は先人の地で染まった国土の一部をやすやすと敵国に手渡し、国が弱体化するのを尻目に利己的で矮小で脆弱な「安全・安心・安定」の世界に安住する。

 

韓国の大統領の無礼な発言は、韓国という国の性質はさておき、いかに日本が弱体化したかを示すものである。 『日本は被害者の立場と加害者の立場の違いを理解していない』『謝罪をする意思がないのであれば天皇が訪韓する必要はない』

 

恩を仇で返すのは相手を侮ればこそ出来る事である。 韓国は、戦後彼らが歩んできた道と彼らの現在の姿を、北朝鮮の同胞達のそれと対比させたとき、日本に対していかに深く感謝しなければならないかが分かるはずである。

 

歴史を遡ること100年、国としての体をなさず、清やロシアに翻弄されるがままだった韓国の独立を後押ししたのが日本だった。 朝鮮民族独立のために犠牲を払ったのが日本だった。 それでも一人で立つことの出来ない韓国を保護化し、併合し、そして近代化してあげたのが日本だった。 韓国は日本の領土であったお陰で大戦末期のソビエト連邦の侵略で「半島全土が朝鮮人民民主主義共和国」となる運命を免れた。 戦後、韓国は日本が残したインフラと財産をフル活用して発展した。 大部分が日本のお陰である。

 

与えた者の立場と授かった者の立場の違いを理解していないのが韓国である。 数々の非礼を認識せず、それらを謝罪する意思すら無いのが韓国である。 そして今回大統領自身による発言。 これは友好国に対してあるまじき態度であり、明らかな敵対的行為である。 金輪際、韓国の元首による日本訪問は必要ない。 日本は韓国大使館を退去させ、駐韓大使を引き戻し、国交を断絶すればよい。 日本が韓国と外交関係を断ち切り、韓国の元首が日本を訪問せず、日本の元首や首相が韓国を訪問しないからといって困ることは何も無い。 国交が無くとも幾らでもビジネスや観光は可能である。 幾らでも韓国製品を買えばよいし、韓国へ売ればよい。 韓流が好きなら観ればよい。 キムチが好きなら食えばよい。 いずれにしても、国交を断絶するという状況は戦争開始の一歩手前を意味するわけだから、「抗議」以上のメッセージは伝わるはずである。

 

韓国との関係が悪くなれば景気にも悪影響を及ぼすことを心配する向きがあるかもしれないが、それは逆である。 景気に悪影響を与えるのは国の威信の低下である。 国の威信が低下するということは、その国が弱く不安定であることを意味する。 そのような環境はビジネスにとってのリスク増大を意味する。 長期的な投資の決定をする際のマイナス要因となる。 だから、これだけの挑戦的態度を受けた今、韓国と断交したからといって景気が「より悪くなる」などということは有り得ない。

 

8月15日、終戦記念日。 遠い日本の靖国神社の方向に向かい、頭をたれ、手を合わせ、日本のために戦って散っていった人々に対する感謝をささげる。 そして悔やむ。 かつての偉大な大日本帝国が、いまや韓国ごときにすら軽んじられる国に成り下がったことを。

 

 

追記:

中国の活動家が尖閣諸島に上陸したそうである。 報道では香港の活動家となっている。 香港は中華人民共和国の一部であるが、彼らはいまだに自分達はチューゴクジンではなくホンコンジンだと思っている。 ならば香港人らしく振舞っていただきたいものである。 しかし日本は上から下から横からと、やられ放題である。 集団リンチである。 ところで都が尖閣を保有することで、このような事態がどのように防げるのだろうか。 所有者が誰かという問題ではなく、国が威信をかけて国土を守ろうとしてるかどうかの問題である。 

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