クーリッジ大統領に学ぶ

  • 2013.04.17 Wednesday
  • 20:41

 

アメリカの1920年台は狂瀾の20年代、狂騒の20年代、黄金の20年代などと形容される。 空前絶後の殺戮と破壊をもたらした第一次世界大戦が終わり、アメリカでは平和と経済発展と技術革新の時代が幕を開けた。 その立役者は共和党・ハーディング大統領の副大統領としてホワイトハウス入りし、ハーディングの急死後昇格して大統領になったカルビン・クーリッジ大統領であった。

 

「クーリッジ大統領」で検索してみれば分かるとおり、氏にまつわる情報といえば大したものがない。 「寡黙だった、悪戯好きだった」といった表面的で愚にもつかない内容がほとんどで、世界史の教科書でも触れられることはない。 アメリカでも近年まではほとんど忘れられた存在であった。

 

Charles Johnson著『Why Coolidge Matters(何故、今クーリッジなのか)』は読みごたえのある一冊である。

 

 

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本書を読めば、クーリッジ大統領が寡黙でも愚鈍でもないどころではなく、まさにリンカーン以後、レーガン以前のアメリカ大統領府における巨人であったことが分かる。 同時に、ウッドロー・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、ジョン・ケネディ、リンドン・ジョンソンといった面々を上位にランクインさせる歴史家・大学教授・大メディアといった左翼による評価において、なぜ、クーリッジがレーガンと並んで最下位に近い評価をされるのかが分かるのである。

 

1970年代の未曾有の不況から経済を立て直して繁栄の80年代を築き(その繁栄はその後20数年間続いた)、自由世界を脅かしていたソ連を崩壊させたレーガン大統領が尊敬し、手本としていたのがクーリッジ大統領であった。 チャールズ・ジョンソンは、フランクリン・ルーズベルト以来、左翼の歴史家・著述家によって意図的に抹消されてきたクーリッジ大統領の実績、人物像、そしてその哲学を現代の我々の前に蘇らせた。

 

ウィルソンの時代にアメリカはファシズム独裁、ヨーロッパでの不毛な戦い、巨額の財政赤字、不況、そしてうなぎ登りの失業率を経験した。 その後共和党・ハーディングが政権をとり、減税を行って経済の立て直しはこれからと思いきや汚職等で足を取られ、僅か2年ほどでハーディングが急死し、副大統領だったクーリッジが大統領へ就任。 クーリッジ大統領はハーディングの経済政策を継承しつつ自身の哲学による強い政治を推し進めた。

 

クーリッジ大統領の業績は歴史的である。 クーリッジは在任中4回もの大減税を行い、財政赤字を削減させ(2322.3億ドルから29年の16.9億ドルへ=20世紀最大の削減率)、財政を均衡させ、アメリカ史上空前絶後の好景気をもたらした。 クーリッジの在任中、アメリカ人は平和を謳歌し、生活水準は飛躍的に向上し、失業率は最低となり、自動車やラジオなどの工業製品は次々と出荷され、エジソン、フォード、ファイアーストン、ディズニーといった実業家たちは空前の富を手にし、そして同時に一般人も次々と貧困を脱して生活の便利さを享受した(クーリッジ在任中一人当たりの所得は522ドルから716ドルへと上昇)。 

 

繁栄は人心の安定と偏見の減少をもたらす。 クーリッジ在任前に最大に達したクー・クラックス・クラン(KKK)のメンバーは任期終了時には最低水準へと減退した。 同時に、人種差別主義者・ウィルソンの時代には最高潮に達していた黒人への暴力も、クーリッジ在任の最後の年にはほぼ消滅するに至った。

 

20世紀初頭は”革新主義”の時代であった。 革新=プログレッシブとは「政府が社会のあらゆることに対して責任を持ち、関与し、管理していくことが求められている」という考え方である。 「現代は合衆国憲法が制定された頃の単純な時代ではない。 政府は積極的に不平等・不公正の是正を行っていかなければならないのだ」と。 本書はクーリッジを(ハーディングの)前任者のウィルソンと対比させているが、それが非常に興味深い。 なぜならば、左翼から理想主義者として讃えられているウィルソンとクーリッジはあらゆる面で相反するからである。

 

ウィルソンが合衆国憲法と独立宣言を過去の遺物として唾棄したのに対し、クーリッジはこれらを政権運営の根幹に据えた。

 

ウィルソンが傲岸不遜にも自身を「選ばれし大人物・開明的な指導者」と見做していたのに対し、クーリッジは自身を「偉大なアメリカ国民と神から政権運営を託された幸運なる人間」として考え、自分個人への賞賛や礼賛を固辞した。

 

ウィルソンが自身の政権に人種差別主義者やKKK支持者を囲い人種隔離政策を推進したのに対し、クーリッジは人種主義を排除して能力第一主義を貫いた(クーリッジにとって人間は全て神の子であった)。

 

ウィルソンがロシア共産革命とボルシェビズムに対して曖昧な好感をいだいていたのに対し、クーリッジは明確な敵意を示し、在任中一度もソ連政府を正当に認めることはしなかった。

 

ウィルソンが「自分は世界に平和をもたらす力がある」と信じていながら招かれもせずに戦争に突入したのに対し、クーリッジは同盟国との良好で安定した外交関係を追求し、自由な交易による多国間の繁栄をもたらした。 ※ウィルソンが徹底した反日であったのに対し、関東大震災に見舞われた日本に対し、アメリカ国民に呼びかけて千2百万ドルもの寄付を送ったクーリッジは徹頭徹尾親日であった(活動主義に傾いていた議会による移民法案の反日条項を排除すべく動いたにも関わらず出来なかったのは不幸であった)。

 

クーリッジの政治の根幹には明快な思想があった。 それは「政府の任務は立法(法の制定)・司法(法の適用)・行政(法の執行)にあり」、行政の長たる大統領の任務は「法の執行」に他ならない、というものであった。 法の制定者である議会は次から次へと法案を持ってくる。 クーリッジは「良い法律を作るよりも悪い法律を潰すほうが重要」という名言を吐き、拒否権のペンを振るって余計な法律を葬り去った。

 

クーリッジの思想の根底にあったのはキリスト教であった。 アメリカ建国の父達同様、クーリッジは自己を統治する(独り立ちして生きる=それは個人であれ家族であれ地域であれ)ためには宗教と教育は不可欠であると信じた。 そして宗教なき教育は教育ではないとまで言い切った。 「宗教こそがアメリカを専制の魔の手から遠ざけるのだ」と。 「我々の国家は道徳無しに生きることはできず、そして道徳は宗教なしに生きることはできないのだ」と。 「我々から宗教が無くなれば、社会は粉々になり、人は政府に頼らざるを得なくなるのだ」と。

 

クーリッジはこのような言葉を残した。 「私が倹約政策に傾倒するのはカネを節約したいからではなく、人々を救いたいからだ」「この国の政府の支出を支えるのは働く人々である」「我々(政府)が一ドル無駄に使えば、それはその分彼らの生活がひもじくなることを意味する」「我々が一ドルを慎重に倹約すれば、それは彼らの生活がその分豊かになることを意味する」「倹約とは、最も実用的な形式での理想主義である」

 

クーリッジ大統領は、人間の経験に基づいた「当たり前の哲学」を簡単な言葉で表現した。 世の中はあまりにも「当たり前」なことが疎んじられ、軽んじられ、退けられている。 それはクーリッジが政権にあった当時も、レーガンが政権を取った1980年代も、そして我々が生きる現代においても、何も変わっていないのである。

 

「冷戦時代は”大きな政府 VS 小さな政府”などという議論があったが、今はもう時代が違うあんな単純な時代ではない今は社会がもっともっと複雑になってきている規制をどんどん外せばよいというものではない

 

そんな議論を振りかざす人間が堂々と「保守」を名乗る日本。 こんな日本にこそ、クーリッジの再来が求められているのではないか。

 

 

参考:

 

マーレイ教授&ブレッシング教授による歴代大統領の格付け

↑クリントンがレーガンよりも上!という偉い大学教授先生らによる格付け。 クーリッジも下の方。

 

 

 

 

イスラエル、トルコに謝罪 守るべき一線を譲ったネタニヤフ首相

  • 2013.04.06 Saturday
  • 20:06


歴史は繰り返す。 国や地域は違えども、一度あることは二度あり、三度あるものである。 

 

先週、イスラエルのネタニヤフ首相がトルコのエルドガン首相にガザ”支援船”にまつわる「不手際」を謝罪するという出来事があった。 イスラエル訪問中のアメリカのオバマ大統領の見守る中、ネタニヤフ首相は電話をとってトルコの首相府にかけ、Apology(謝罪)という言葉を使って9人のトルコ人の死を詫びた。 これらトルコ人は”マヴィ・マルマラ”号という船でガザに向かい、イスラエル海軍によって殺されたテロリスト達である。

 

1937年、南京攻略を進める規律高い日本軍と比較して中国軍には規律の「キ」の字も無かった。 南京城に向けて日本軍が進軍するなか、城内の住民を略奪するわ放火するわ破壊するわ、中国軍(蒋介石の国民党軍)の酷さは天下一品であった。 日本軍が南京に入城してようやく平和が回復し、住民は安堵した。 にもかかわらず戦後「南京大虐殺」なる作り話がまことしやかに語られ、愚かにも日本がそれを自身の罪として認めて謝罪までしたものだから、「日本軍の残虐行為」という話になってしまった。 事実は完全にひっくり返り、「世界の認識」はひっくり返ったままである。

 

ネタニヤフ首相の謝罪によって、”マヴィ・マルマラ”号事件は「イスラエルの残虐行為」になってしまった。 何せイスラエルの”右派”と呼ばれるネタニヤフ氏が謝ったのである。 もう「事実」は固まったも同然である。 私はイスラエルには対して概して好意的な見方をしてきた。 世界がイスラエルを非難する最中にあってもその行動を一貫して支持してきた。 しかし今回のネタニヤフ氏の行動は、最大限控え目に表現しても誠に残念なものだと言わざるを得ない。 イスラエル人の中には反逆罪でリコールすべしとの声もあるが、当然と言わざる得ない。 ネタニヤフ氏は1976年にエンテベ空港奇襲作戦でハイジャックされた飛行機から乗客を救出した英雄たちの一人である(氏の実兄ヨナタン・ネタニヤフは氏と一緒に作戦に参加して殉死した)。 だがその英雄も、政治の駆け引きの中で心を失ってしまった。

 

”マヴィ・マルマラ”号事件で実際に何が起きたのか、Andrew McCarthy著「Spring Fever: The Illusion of Islamic Democracy 」に克明に記されている。 テロリスト達の余りの残虐さ、極悪さ、非道さに言葉を失うが、あえてそこから引用する。

 

4:30amイスラエルのスピードボートに乗った戦闘部隊はマヴィ・マルマラ号へ乗り移りを試みたが、そのための取っ掛かりのフックが同号のIHH(表の顔はイスラム慈善団体・裏の顔はテロ組織)活動家によって投げ返された。 数分後、イスラエル国防軍はヘリコプターを飛ばし、戦闘部隊は上空から実弾ではなくフラッシュバン式のスタングレネードを使って船への下降を試みた。 力を示すことで人命を害することなく船を取り押さえることが出来ることを期待した部隊はペイント・ボールガン主体で武装しており、自衛のための実弾入り拳銃だけを携帯していた。

 

兵士達がデッキに降り立つと棍棒、ナイフ、投石器を振りまわす獰猛なIHH活動家によって攻撃を受けた。 作戦に参加した一人のイスラエル人兵士は以下のような恐ろしい光景を目にした。

 

私の上官はヘリから船に下降した最初の兵士だった。 彼が船の看板に降り立ったとき、彼は棒で頭を殴られ、ナイフで腹を刺された。 彼は主兵器としてはペイント・ボールガンしか持っていなかったが、自衛用に所持していた拳銃を引き抜いた瞬間に脚を撃たれた。 彼は拳銃を一発発射したが活動家は彼をバルコニーから下の階の看板へと放り投げた(下の看板まで3メートル)。

 

下の看板に突き落とされた彼は他の活動家によってある部屋に引き摺られ、そこで二人の活動家によって服をはぎ取られた。 上官はベスト、ヘルメット、シャツをはぎ取られ、靴とズボンだけの姿になった。 その後彼らは上官が負った腹の刺し傷をナイフを使って更に広げた。 彼らは彼の腹筋を横に切り裂き、内臓を手で引き出した。 それが済むと彼らは上官を抱えて部屋から出た。 上官はその間ずっと意識を維持した。 彼らは我々兵士にその上官の姿を見せ、恐怖で怖気づかせようとしたのだ。

 

幸運にも活動家達が上官と一緒に看板に出たときに一人のイスラエル兵士がそれを目にし、そのときに上官を歩かせていた活動家を撃った。 兵士が発射したのは特殊な非殺傷型の銃弾で、活動家は死ななかった。 私の上官はその隙に看板から海に飛び込み、陸軍救助ボートまで泳いだ(彼の内臓はまだ体から出ていた。 その状態で彼は塩水の海を泳いだ)。 彼の命はこのようにして救われた。 彼に対してこの行為を行った活動家は今トルコで、ヒーローとして、生きている』

 

マヴィ・マルマラ号を送り込んだトルコ政府は同船を「ピース・ボート」と呼んだ。 テロ支援国家にとってはテロの船は「平和の船」ということになる。 2005年にイスラエルが「パレスチナ人及び世界(国連)の要望に従って」自主的にガザ地区から撤退して以来、イスラエル南部の町々は同地区を乗っ取ったテロ組織・ハマスによるロケット攻撃に晒された。 ハマスとは、ガザ地区のパレスチナ人によって民主的に選ばれたイスラム・テロ集団であり、彼らの組織条項には「イスラエルの撲滅」がはっきりと掲げられている。 平和交渉には相手の存在を認めることが前提であるが、彼らは交渉相手であるイスラエルの存在権をハナから認めていないである。 彼らパレスチナ側が望むのが平和ではないことは明らかである。

 

マヴィ・マルマラ号がガザに向かった目的は「生活物資を届ける」などではまるでなく、イスラエルに対して自爆的テロ行為で挑発をすることにあったのは明白である。 なぜならば彼らは最初から戦闘を行う準備をしていたのであり、イスラエル軍と対峙したしょっぱなから戦闘的であったからである。 拿捕後の調査で船からおびただしい棍棒、ナイフ、投石器の類が発見されており、イスラエルの兵士達に対して実弾が使われていたことも明らかになっている。 またそれらが準備され、使用されるシーンは映像として残っている。

 

今回の謝罪が実現した背景にはオバマ大統領による強烈な脅しと強制力があったことは想像に難くない。 オバマ大統領は歴代大統領のなかで、最も反ユダヤ的・反イスラエル的であることは数々の事例からいえることである。 例えばイスラエルがイランの北に隣接するアゼルバイジャンとの間でイラン牽制のための極秘裏に交渉を進めていたことを一般メディアにリークしたことなどはその代表である。 イスラエルとアメリカの歴史的関係から、アメリカはイスラエルの動向に関してはかなりの情報を持っているはずである。 オバマ大統領はそれら情報をイスラエルの敵にリークすることでイスラエルに明白な脅しをかけているわけである。 再選を追い風に更なる脅しをかけてきたオバマ大統領に対してネタニヤフ首相が挫けたというのが今回の事のあらましである。

 

やれ、対シリア情勢でトルコとイスラエルの利害が一致した、やれ、トルコとしてもイスラエルとの関係修復は望みであって、謝罪で顔を立てる代わりに過去を水に流したのだ 等々様々なうんちくがあるのは分かっている。 それらは枝葉末節な解説に過ぎない。 国家には守るべき一線がある。 それは最前線で生命を危険に晒して戦った者に対する責任、彼らに対する絶対的な感謝、そして彼らが守った国家としての誇りである。 ネタニヤフ首相は、国家のリーダーとして守るべき一線を政治的駆け引きの最中に見失い、敵に譲ってしまった。

 

マヴィ・マルマラ号でテロリストに袋叩きにされた兵士達の気持ちが誰に想像できるだろうか 別室で腹を切り裂かれた兵士の恐怖が誰に想像できるだろうか... そして国家の政治的都合によって「敵に売り渡された」彼らの落胆が、誰に想像できるだろうか 謝罪があるとすれば、それは彼らに対して以外、ありえようはずがない。

 

 

 

 

画像・映像資料:

 

船に降り立つイスラエル軍兵士と待ちかまえるテロリスト達

 

ロープをつたって次々とイスラエル兵士た降り立つ

 

 

テロリスト達が金属棒を振るいながら下で待ち受ける

 

 

降り立った兵士をテロリスト達が金属棒で殴りつける

下の階もテロリストでいっぱい。 彼らの頭の位置で上階の高さは推して知るべし。

 

 

そこから一人のイスラエル兵士が下の階(3メートル下)に突き落とされる


 

 

テロリスト達はイスラエル兵を更に叩く


 

 

船上の状況を証言する負傷した兵士

 

 

 

2010530日夜 テロ集団は手に手に武器を取ってイスラエルとの対峙に備える

 

 

 

2010531日未明 警告するイスラエル軍に対して挑発行為を開始

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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