"アベノミクス" よろず屋と化す政府
- 2013.05.05 Sunday
- 18:09
安倍政権の経済政策は巷では"アベノミクス"などという名称を与えられて持ち上げられているが、簡単に言えば「社会主義」以外の何物でもない。 民主党という社会主義らしい社会主義政党から自民党という保守っぽい社会主義政党に変わっただけのことである。 アベノミクスの全ては社会主義政策らしく、政府が権力と官僚機構の機動力を行使して個人や企業の活動を制御し、より良い方向に操作し、それらの結果に対する責任を負うべきだ、とする考え方に基づいている。
歴史上、様々な社会主義的政策が試みられてきた。 高き志と清き心と熱き情熱が高度な専門知識によって政策化され、実施されてきた。 それらの政策はことごとく最終的に失敗へとたどり着いた。 政策立案者や支持者が失敗を認めることは無くても悪しき結果は隠しようのない事実である。 最低賃金制度は労働者の生活を守りたいという理念から生まれたが、結果は失業の増加であった。 週休二日制度は労働者のワーク・ライフバランスを守りたいという理念からうまれたが、結果はコスト増による産業空洞化であった。 労働基準法・最低年齢は子供を搾取から守りたいという理念から生まれたが、貧乏人が収入を得る機会を奪われる結果となった。
社会主義政策というものは、いかに高邁な理想と高度な知識によって制度化・実行されようが、必ず失敗するという運命にある。 何故かといえば、当然といえば当然だが、少数の集団が何千、何万、何百万、何千万という人々に代わって意思決定をし、良い結果を生み出すのは不可能だからである。 鍛冶屋には鍛冶屋の、木こりには木こりの、油屋には油屋の、駄菓子屋には駄菓子屋の、積み上げた歴史と経験による知恵がある。 東大・京大・慶応早稲田を出ても、そこからハーバードやプリンストンやケンブリッジに留学しても、鍛冶屋にも木こりにも油屋にも駄菓子屋にもなれないのである。
東大・京大を出た人間が駄菓子屋なんぞになりたいわけがあるまいが… という問題ではない。 社会主義政策というのはまさしく政府が個人や企業にとって代わって細々としたことまで決定を下すということなのだから、自動的にそうならざるを得ないのである。
安倍政権は少子化や子育ての問題に積極的に取り組もうとしているようだが、子供を産むのも育てるのも政府の仕事ではなく親や家族の仕事である。 親が子供を保育所に預ければ、その子供の責任を持つのは政府ではなくて保育所である。 保育所の人員や設備の管理に責任を持つのは政府ではなくて保育所の経営者である。
保育所の園長さんはその道一筋で長年の経験がなければ勤まらないし、そうであっても様々な困難に直面しながら時には失敗し、時にはうまくこなしながら日々の業務をこなしている。 その道のド素人である政府・官僚が育児や保育に手を出してうまく可能性は万に一つもないし、そもそもそのような考えを持つこと自体、傲岸不遜にもほどがあろうというものである。
安倍政権は女性の票を狙ってか、育児休暇を1年から3年に延ばすことを企業に要請することを検討中だとか。 当たり前のことであるが、最低賃金を上げると労働者を雇うコストが上がって結局労働者のために全くならないのと同じで、女性を雇うコストが上がるために企業としては女性を雇いにくくになり、結局は企業側も「書類選考にて見送り」といった当たり障りのない理由をつけて女性を雇わなくなるだけのことである。 企業の人事としては、これが政策として実施されも法制化されもする以前に、政治家が「話し」を始めた段階で今後の採用方針を考え始めるはずである。
いったい政府は「何屋さん」になりたいのか、はたまた「よろず屋」になりたいのか… 政府はあくまでも政府であって保育所の経営者ではない。 政府はあくまでも政府であってよろず屋ではない。 政府の仕事は国民の基本的な安全を守ることであって、保育所の園長さんの真似事をすることではないし、不用意で愚にもつかぬ発言をして国民の生活や将来を脅かすことでもない。 安倍首相は下野していた間、政府とは何たるものか、政治家とは何たるものか、それらを突き詰めて考えたのではなかったのか。