リバタリアン界隈ではアブラハム・リンカーンを貶すのが地味に流行っているようである。 どうやらマレー・ロスバード、ルー・ロックウェル、トーマス・ディロレンゾといったアメリカの泡沫リバタリアンのリンカーン叩きが同じくリバタリアン・ルートで日本に輸入されているようである。 彼ら泡沫リバタリアンは、左翼のように言う事なす事全てが間違っている、というわけではないが、決して王道を行くことは無い。 それは彼らが単なる変人に過ぎないからである。
アブラハム・リンカーンはアメリカ合衆国が危機の時代を迎えた最中、国を分裂から守った偉大なリーダーである。 世界一の大国としての繁栄と威信はリンカーンの勇気と決意がなければあり得なかった。 故に保守ならずとも大多数のアメリカ人から深い尊敬をもって讃えられているのである。
アメリカの奴隷制度が撤廃されたのは、ひとえにリンカーンが決意を持って南北戦争を戦ったからに他ならない。 奴隷制度という最悪の制度と正面から戦い、克服した唯一の国、それがアメリカである。 世界中の人々が列をなしてアメリカに移住しようとするのはアメリカが放つ自由の光によるものである。 その光はどこからくるのか。 それは他でもなく、肌の色を基準に人間を隷属化するという自由の対極にある制度を撤廃するために、62万人という犠牲を払ってでも戦った、という歴史的事実からくるのである。
生命、自由、幸福の追求… 人類は神の前に平等に造られた… これがアメリカ合衆国の建国の理念である。 アメリカとは世界で唯一、理念によって建国された国である。 しかし一方で南部連合の憲法では奴隷は国民の「所有物」として位置づけられ、奴隷なしには成り立たない社会となっていた。 アメリカ建国の理念と奴隷制度とは根本から矛盾するものである。 南部連合が奴隷制度を維持するために合衆国を離脱した時、まさに国の在り方が問われていたのである。 国が存在意義を失うとき、それは国が存在理由を失い、崩壊することを意味する。
合衆国建国時、そして憲法制定時の指導者達はなぜ連合国(独立した国々による緩やかな集合体)ではなく、合衆国(一個の中央政府を頭とする州政府の集合体)を築いたのか。 それは合衆国としての存在こそが独立と国内の安定を維持し、経済的繁栄をもたらすものであるからに他ならない。 南部の離脱主義者が思い描いたような分裂した国々であったならばどうなるか。 互いの争いが生じ、それぞれが勝手にヨーロッパ各国と手を組みはじめる。 ヨーロッパの歴史上、延々と続いてきた権謀術数や覇権争いがそのままアメリカ大陸に持ち込まれることになるのである。 リンカーンが恐れたのはまさにそれである。
アメリカはイギリスからの「離脱」によって生まれたのではない。 アメリカはイギリスの圧制への反逆と、そして革命によって生まれたのである。 合衆国憲法では革命の権利が謳われている。 だが合衆国憲法では離脱の権利は謳われていない。
リンカーン叩きの泡沫リバタリアンは言う。 奴隷解放の目的であれば、何も多大な人的・物的犠牲を払って戦争をする必要など無く、そのまま放っておけば自然消滅したはずであると。 もしくは奴隷を買い上げて解放してあげるだけで解決したのだと。 それをしなかったリンカーンは誇大妄想狂の独裁者なのだと。
奴隷制を守るために命をかけても戦おうとしたのは南部諸州であった。 奴隷制度撤廃に向けて取り組むことを公言していたリンカーンが大統領に選ばれたために彼ら南部諸州は合衆国離脱へ動き、そして合衆国(北部)に攻撃をしかけたのである。 北部が攻撃をしかけたのではなく、南部である。
「奴隷買い上げ・解放」案について言えば、それはまさにリンカーンが試みた事である。 しかし合衆国側であった北部の人口の少ないデラウェア州においてすら、一頭400ドルという買い上げ価格を提示したにも関わらず奴隷所持者は奴隷を政府に売り渡そうとはしなかったのである。 いわんや南部の州において所持者が大人しく奴隷を売り渡すはずがない。 ましてや政府が何としても買い取るとなれば、完全な売り手市場であり、青天井で掛け金が上がっていくはずである。 政府は破産である。 この常識的な理屈が分からないのが泡沫リバタリアンの泡沫たる所以である。
泡沫リバタリアンは言う。 ”独裁者”リンカーンは人身保護令状(Habeas Corpus)を憲法に反して独断で停止することで国民から言論の自由や行動の自由を奪い、戦争に賛成しないだけで市民やジャーナリスト達を次々に捕えて投獄したと。 民主党のクレメント・ヴァランディガム議員は「反戦を唱えただけで」捕えられたと。
当時は非戦闘員として敵対する南部諸州のために物資を調達したり、スパイを働いたり、破壊活動を行ったりする者達がいたのである。 北部諸州やカナダをも含む地域において組織的な扇動行為や治安妨害行為が行われていたのである。 ヴァランディガムについて言えば、彼は北部のオハイオ州で反合衆国のアジ演説をぶったりカナダへ行って暴力的な治安妨害行動を先導したのである。 日本の大東亜戦争時に敵と通じた共産主義者のようなものでる。 リンカーンは政治犯の扱いには慎重であり、ヴァランディガムは投獄された後、間もなく釈放されている。
リンカーンは人身保護令(Habeas Corpus)を停止するにおいて議会に諮らなかった。 合衆国憲法、第1条9節に「人身保護令は内乱や侵略の場合以外には停止されるべからず」とある。 逆に言えば、南北戦争のような国家危機においては停止してもよいのである。 だが、この憲法第1条というのは「議会」の条項である。 ということは、停止する権限は議会にあるのであり、大統領ではない、ということで泡沫リバタリアンは鬼の首を取ったつもりでいるようである。
これが泡沫リバタリアンの泡沫たる所以なのであるが、憲法というものは文字ヅラだけで解釈してはならないのである。 憲法解釈にはOriginalismというのがある。 その条項を書いた人々が意図したように解釈をするべきだとする考え方である。 Originalismを放棄すれば、憲法などいくらでも拡大解釈可能である。
この人身保護令については、実は「停止する権限が誰にあるのか」は明記されていない。
原文はこうである。
The privilege of the writ of habeas corpus shall not
be suspended, unless when in cases of rebellion or invasion the public safety
may require it.
誰が、とは言っていない。 受動態である。 以下「追記」に記載するが、憲法制定当時は「議会は」と明確に主語を入れるべし、という意見もあったが、最終的には議会が停止すべき場合もあれば大統領が停止すべき場合もあろう、ということであえて主語を入れず、となったのである。 憲法云々を言う場合には、このような根源的な議論が必要なのであるが、泡沫リバタリアンには無理であろう。
泡沫リバタリアンは言う。 南部は自由貿易と自由な市場経済を求めていたのであるが、それに対して北部側はモリル関税法という法案で関税を引き上げを行うことでイギリスと盛んに貿易をしていた南部を経済的に困窮させ、それが戦争の引き金になったのだと。
当時のアメリカが保護政策を推進していたのは事実である。 この関税法はリンカーンが就任後に施行したものであるが、議会を通過したのは前任者であるジェームズ・ブキャナン大統領(民主党)の時代である。 そして、議会を通過したのは1861年2月であり(リンカーン就任前に)南部諸州が1860年12月に連邦を離脱した後である。 南部諸州が離脱せず、議会に議員が残っておればこの法案は通過しなかったはずなのである。 従って、当関税法は戦争の原因ではなく、南部諸州離脱の結果である。
泡沫リバタリアンは言う。 リンカーンが戦争を遂行したのは実は奴隷解放のためではなく、誇大妄想とナショナリズムのためであると。 「この戦争における私の至上の目的は連邦を救うことにある。 奴隷制度を救うことでも破壊することでもない。 もし奴隷を一人も解放せずに連邦を救うことができるならば、私はそうするだろう」というリンカーンが友人に当てた手紙の言葉をとらえ、鬼の首をとったつもりでいるわけである。
リンカーンは手紙の中でこう続けたのである。 「私は、全ての人間は自由であるべきである、という既に一般に知られている私の希望について言及するつもりはない」と。 リンカーンは大統領であり、独裁者ではなかった。 大統領の務めは合衆国を守ることであって、専制君主のように「誰々を即刻開放せよ」だの「誰々を即刻捕えよ」と命じることではなかった。 冒頭に述べたように、「合衆国の維持」こそが独立と自由の基礎だということをリンカーンは理解していたのである。
泡沫リバタリアンには理解が及ばぬ偉大さを持った指導者、それがリンカーン大統領だったのである。
参考:
Lincoln Defended
By Rich
Lowry
http://www.nationalreview.com/article/350144/lincoln-defended-rich-lowry/page/0/2
Debate continues
over 'The Real Lincoln'
By Richard Ferrier
& Geoff Metcalf
http://www.wnd.com/2002/04/13687/
Abraham Lincoln
or the Progressives: Who was the real father of big government?
By Allen C.
Guelzo
http://www.heritage.org/research/reports/2012/02/abraham-lincoln-was-not-the-father-of-big-government
Habeas Corpus条項の制定時の状況について:
One of the most
obvious ambiguities in the Habeas Corpus Clause is the absence of an
affirmative grant of the right to suspend habeas corpus. Written in the
negative, the clause only described the conditions under which it could be
suspended. While controversial during the ratification debate, it has been
generally accepted that a right to suspend the writ is implied in the language.
The next ambiguity arises from the fact that the clause does not affirmatively
state who can suspend the writ. Originally, Charles Pinckney proposed the
clause with the words "shall not be suspended by the Legislature."
This reference to Congress was dropped in the later debate, allowing some to
argue that either Congress or the President could suspend habeas corpus.
However, it is notable that the Committee of Style moved the clause from
Article III (dealing with the judicial branch) to Article I (dealing with the
legislative branch), suggesting that suspension was viewed as a legislative
power. Later, President Abraham Lincoln's unilateral suspension of the writ was
met with such political and judicial opposition until he obtained congressional
authorization. See Ex parte Merryman (1861).
http://www.heritage.org/constitution/#!/articles/1/essays/61/habeas-corpus