社会は豊かに、人口が増え、そして地球は安泰である

  • 2014.06.30 Monday
  • 14:44
 

「人口爆発まで残された期間は、あと半世紀しかありません」

 

と、ある学者だか評論家だか知らないが、ネット上で警告を発しているものがいる。

 

メディアというものは、「危機」を餌にして生息する生き物である。 これはメディアを貶めているわけでもなければ非難しているわけでもない。 メディアというものの性質を描写しただけである。

 

メディアは日本の「少子化」を報道し、危機感を煽る。 そして政府はその危機に対して対策を打たなければならない、と示唆する。

 

メディアは世界の「人口爆発」を報道し、危機感を煽る。  そして各国政府はその危機に対して対策を打たなければならない、と示唆する。

 

この世は少子化しており、人口は爆発的に増加している。 このような報道を絶えず目にし、耳にし、人々は混乱と疲れを感じる。 世の中、どうなっているのか、分からなくなる。 どうしたらよいのか、分からなくなる。 考える気力を無くす。 そのうちに、考えることを放棄し、その時その時のメディアが垂れ流す情報を無批判に受け入れるようになる。

 

日本が少子化しているのは事実である。 それが問題なのも事実である。 なぜならば、少子化が続けば、理論的に国民がいなくなるからである。 国民がいなくなれば国家は消滅する。 国家が消滅する過程において、国家は弱体化し、国民の安全と自由を守る機能は低下する。 だがこの現象は、メディアで流布されるような、「成熟した社会が辿る必然的な道」でもなければ、「政府による人口増加政策の欠如」によるものでもない。 何十年にもわたって行われてきた社会工学的政策の結果である。

 

一方で、世界の人口が増えている。 これも事実である。 なぜ増えているかというと、経済と医療と食糧の事情が大幅に改善しているからである。 人類は長い歴史上、常に戦争と餓えと疫病に晒されてきた。 ひとたび戦争が起これば数百万の犠牲はザラであった。 為政者による搾取は広範囲に行われ、国民の大多数を占める農民は容赦ない年貢の取り立てで飢餓に苦しんだ。 今では珍しいマラリアも、つい百年前までは今の先進諸国でも猛威を振るっていた。

 

思えば、「人口爆発まで残された期間は、あとXXXしかない!」とはかなり昔から聞いているセリフである。 「人類が引き起こす地球温暖化によって、自然環境が壊滅的な打撃を受けるまでにあとXXXしかない!」という説と同じで、最初にそれを言った人間がいつの間にか御臨終しても、その後次から次へと、別の人間によって更新されながら繰り返される。 後10年!が後20年!になり、後30年!が後50年!になり、その時その時の都合次第で自在に変化する。 実に都合の良いものである。

 

「人口爆発とは過去数十年〜数百年の世界人口の爆発的な増加のこと。 現在起こっている様々な問題の根本的な原因の一つで、食料・用水・雇用・エネルギー・住宅などの不足を引き起こし、その結果として貧困をもたらす。 資源枯渇や環境破壊などの原因となっている」 

 

これはある人口爆発の説である。 人口爆発説を唱える人間はどれも同じようなものである。 世の中の現象は、原因があって、結果がある。 だが、温暖化論者も人口爆発論者も(実は彼らは99.99%兼任であるが)、結果を原因とし、原因を結果としている。 原因と結果を逆にし、それを繰り返し叫ぶ。 これはプロパガンダの常套手段である。

 

世界で人口が増えているのは事実である。 人口が増えているのはなぜか。 上のプロパガンダを直接引用すれば、まさに食糧、用水、雇用、エネルギー、住宅の事情が大幅に改善し、その結果として貧困が解消され、資源開発が進むことで更に社会が豊かになり、それによって生活環境が大幅に改善されているからである。 付け加えれば、医療技術の進歩により、幼児の死亡率が大幅に下がり、不治の病が克服され、寿命が大幅に伸びているからである。

 

  • 新鮮で美味しい食べ物がより多くの人々の手に渡るようになった。
  • より多くの人々がきれいで美味しい水を飲み、清潔な水で体を洗えるようになった。
  • より多くの人々が安定した職と収入を得られるようになった。
  • 家庭でスイッチを入れれば明かりがつき、煙を出さないガスで自炊ができるようになった。
  • しっかりした住宅で雨風、暑さ寒さ、悪党や獣から等から身を守り、安心して生活できるようになった。
  • ガンや心臓病といった重い病気にかかっても治癒できるようになった。

 

これらは人口増加をもたらす要因である。 これらをもたらしているのは何か。 それは資本主義である。 資本主義とは利益と損失のシステムである(前者だけを考えるモノ知らずが多いが)。 ある商品・サービス利益を上げる人が他人を鼓舞し、より良き商品・サービスをもたらす。 一方で愚かな経営で資源を浪費する者には損失という罰で場外撤退を命じ、より賢い経営をする者へ資源が供給される。 1から2が生まれ、5から10が生まれる。 とめどもない富の増加のサイクルが生まれる。

 

資本主義の恩恵を受けているのはいわゆる先進国だけではない。 共産主義国家である中国やベトナムしかり、である。 貧しいとされる東南アジアやアフリカの諸国もしかりである。 資本主義が貧しい国々を搾取する、などというのは嘘も甚だしく、資本主義と自由貿易がもたらす富によって、貧しい国々も昔の「絶望的貧困」から脱することが出来るのである。

 

人口増加は富の増加の象徴に他ならない。 ある地域で食糧を巡る争いがあるとすれば、貧困が蔓延しているとすれば、病気や事故による死が広範囲にわたって発生しているとすれば、それは人口増加とは何の関係も無い。 その原因は「自由の無さ」であり、それは有史以来の現象である。

 

なぜ、彼ら人口爆発論者達はこれらの問題の原因を「人口増加」としたいのであろうか。 それは彼らが共産主義者だからに他ならない。 共産主義は生きている。 今でも多くの人々の心に巣食っている。 彼らの敵は富である。 そして富をもたらす資本主義である。

 

人口は「爆発」することはない。 人口は「増える」のである。 社会が豊かになり、人口が増える。 そして、地球は安泰である。

 

 

追記:

  • 人口爆発論者にとっての理想は中華人民共和国である。 かの国では毎年 人もの赤子が殺処理される。 一人っ子政策という、共産主義者ならではの非人道的政策の成せる業である。
  • 人口爆発、地球温暖化、こういった何の根拠もない迷信が未だに国家レベルで信仰されている不思議な世にあって(この場合には彼らの好きな「政教分離」が適用されない不思議さ)、聖書が言う「神が天地を創造され、次に人間を創造された」という話の方がよほど真実味があるというものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

道徳はどこからやってくるのか

  • 2014.06.23 Monday
  • 01:09
 

不道徳と自由が両立する社会、そのような社会がこの長い人類の歴史の中で、たった一つでもあったであろうか。 不道徳でありながら自由であり続ける、それはある意味理想郷であろう。 しかし、そのような社会は存在した試しがなく、そして存在することは今後もなかろう。 それはユートピアであり、あらゆる専制主義者や計画主義者、あるいは一部の泡沫リバタリアン達の夢である。

 

不道徳は自由の敵である。 社会を構成する人々が一定の道徳観を持ち、道徳に則した行動をとるからこそ、その社会における自由は維持されるのである。 人々が道徳を失えば、それまで不文律で機能していた領域に問題が生じる。 すると人々は法律や規制を求める。 常識で律されていた行動が法律で規定される。 社会は杓子定規な決まり事だらけとなる。

 

一方法律は万能ではない。 人々がそれを守ろうとする意識が無ければ意味がない。 法をかいくぐるための資金とコネのある人間は得をし、そのような資金もコネも無い人間は些細な法への抵触で足をすくわれる。 全ての人が法の前に平等な透明性のある法治主義の社会から金とコネが幅を利かせる魑魅魍魎とした人治主義の社会へと変貌する。

 

道徳はどこから来るのであろうか。 道徳は信仰からくるのである。 信仰とは宗教のことである。 信仰を失った社会は道徳を維持することが出来ない。 それは信仰が道徳の源泉だからである。

 

信仰心など無くても道徳的な人はいる。 それは信仰など存在しなくても道徳は存在しうる、ということを意味しない。 宗教的でなくても善良で正義感のある多くの人々の観念は、世代を超えて伝えられてきた宗教を源流とする道徳の残滓に過ぎない。

 

人間は、生まれながらにして善ではない。 人間は、善を行うべく躾けられ、鍛えられ、導かれなければならない存在である。 共産主義者は信仰(神)を否定し、人間の理性を至高の存在であるとした。 人間の理性によって試みられたのがソビエト連邦であり、中華人民共和国であり、ポルポトのカンボジアであり、ホーチミンのベトナムであり、カストロのキューバであり、金王朝の北朝鮮であった。 結果は言うまでも無い。 人間の理性とは、かくも当てにならないものである。

 

仏教には五戒がある。 五戒とは、1)生き物を殺すなかれ、2)盗むなかれ、3)姦淫をするなかれ、4)嘘をつくなかれ、5)酒を飲むなかれ、である。

 

ユダヤ・キリスト教には十戒がある。 十戒とは、1)主が唯一の神である、2)偶像を拝むなかれ、3)神の名を無為に口にするべからず、4)安息日をまもるべし、5)父母を敬うべし、6)殺すなかれ、7)姦淫するなかれ、8)盗むなかれ、9)隣人に対して偽りの証言をするべからず、10)隣人の家を欲しがるべからず、である。

 

これらは命令である。 「守ったほうが長い目で見るとお得ですよ」というセールス文句ではない。 これらを守ることでたとえ命を失おうが関係ない。 とにかく守りなさい、という命令であるから、「なぜ守らなければならないのか」をくどくどと説明するものではない。 善人でありたいと願うならば、救いを得たいと願うならば、あるいは悟りを得たいと願うならば、これらを守りなさい、と。

 

時代によっても状況によっても変わらない、このような普遍的な道徳を、人々に与え続ける(命令し続ける)のが宗教の役割である。 しかし宗教が、人々が規範に従うことを命令する力を失えばどうなるか。 道徳はその時々の「状況判断」か、「好き好き」程度のものに堕する。 処世術や世渡り、根回しや談合、こういったものが至高の行動規範となる。 人と人の財産に対する尊重の念が消え失せ、いかに上手く立ち回って私腹を肥やすかが行動指針となる。 

 

そこは既知の決まり事(伝統的な習慣も含め)さえ守れば誰からも阻まれることなく行動できる自由な社会では、もはやない。 金と権力を持った人の顔色を伺い、その場の空気を読み、自らの意思を殺して生きる、そんな不自由な社会である。

 

信仰を失った社会は道徳を維持することができない。 道徳を失った社会は自由を維持することができない。 これは私見ではなく、既に多くの自由を愛する先人たちが洞察している事実である。

 

 

追記:これは泡沫リバタリアンが勘違いするところである。 彼らは自由から道徳が生まれると考えるが、それは順序が逆である。

所得に課税し、消費に課税し、所有に課税し… 

  • 2014.06.16 Monday
  • 00:58

【新座市、夫婦から27年間税を過徴収 請求額払えず家失う】 新座市が1986年以降、約27年間にわたり、市内に住む60代の夫婦の一戸建て住宅に固定資産税を誤って過徴収し続けていたことが10日までに分かった。同税の延滞金などを支払い切れなかった夫婦の住宅は昨年10月、市に公売に掛けられて売却され、誤徴収が発覚したのは長年住み慣れた家を失ってから半年後だった。 埼玉新聞 6月11日(水)2時10分配信

 

悲劇である。 30年近くもローンを払い続け、税金を払い続け、ようやく家が自分の所有物となろうか、というところを目前にしてこの夫婦は家を市に取り上げられ、家は競売にかけられ、追い出され

 

行政によるミスである。 言語道断な間違いであるが、「ありえない間違い」ではない。 これは行政が人間の集団であるからには「必ずおこる間違い」である。

 

この事件は、財産の所有を奨励しない社会にあって、起こるべくして起こった悲劇である。

 

自由の基本は財産の所有である。 自分が自らの労働で得た対価を他人に奪われるとしたら、それは奴隷状態と変わらない。 自分が自らの労働で得た対価を自分のために使うだけでなく、それを子や孫に残したい、と願うのが人間の本能である。 それを否定する社会は人間を隷属化する冷たい社会である。

 

この事件は、国民から富を収奪し、国民を隷属化する冷たい社会にあって、起こるべくして起こった悲劇である。

 

固定資産税、相続税、贈与税... これらは「所有」を推奨せず、「放棄」を促す社会の税制である。 政府に吸い上げられた富は社会保障や公共事業といった富を生まない政府プロジェクトに消える。 富を吸い上げる政府は無制限に肥大化する。 肥大化した政府は更なる財源を欲し、そして自己正当化のために規制や法律を作る。 国民は隷属化のアリ地獄から抜けることが出来ない。

 

固定資産税、相続税、贈与税... 所得に課税し、消費に課税し、所有に課税し そこには所有と財産というものに対する敬意の欠片も無い。 自由な社会にはあってはならない不道徳な税制である。

 

 

追記:

フェア・タックスに移行すべし。 フェアタックス制においては所得課税は廃止される。 固定資産税、相続税、贈与税、キャピタルゲイン税も撤廃される。 課税は消費のみである。 消費課税とはいっても「消費税=VAT(付加価値税)」ではない。 売上税である。 最終の消費段階でのみ課税が発生する。 消費をする者だけが税金を払う。 金持ちも貧者も差別無しに一律である。 フェアな税制である。

 

http://www.youtube.com/watch?v=6szslYYlRr8

"The Case for the Fair Tax"

イラク陥ちる

  • 2014.06.16 Monday
  • 00:04
イラクが陥ちようとしている。 2003年、政治の垣根を越えた圧倒的な支持のもと、議会の承認を経てアメリカはイラク戦争に突入。 米軍を中心とする連合軍の死者は4千を超える。 それから早くも10年以上が経過する今、イラクが元の木阿弥になろうとしている。

 

何か既視感(デジャヴ)のようであるがそうではない。 ベトナム戦争と同じことが起こっている。 北ベトナムはアメリカに勝利した、と言われることが多いが、それは勘違いである。 共和党・ニクソン時代に北ベトナムは完膚なきまでに叩かれ、息も絶え絶えであった。 だが不幸なウォーターゲート事件でニクソンを追い落とすや否や、議会を制した民主党は南ベトナムへの支援を断った。 一方でソ連からの支援を間断なく受けた北ベトナムは息を吹き返し、アメリカの弱さを見て取った彼らはサイゴンめがけて猛攻撃を仕掛けた。 サイゴンは陥落し、ベトナム全土が共産ゲリラの手に落ち、その後カンボジアとラオスも共産主義者の手に落ちた。

 

アメリカがイラクを攻めたのはサダム・フセインのイラクがアメリカを脅かしていたからであった。 911以降、国防のパラダイムは変わった。 自国の国境を守りのラインとすることはもはや出来ない。 戦争は制服を来た正規軍によるものではもはやない。 敵はいつの間にか忍び込み、飛行機を使って無防備な市民をターゲットに大量殺戮を行う。 国と国民を害せんとする集団、そしてその集団を擁護する国、これらを叩かなければ国民の安全を守ることは出来ない。 国防の前線を敵地へ持っていかなければならない。 これが9.11後の国防である。

 

サダム・フセインは独裁者であった。 だがアメリカがイラクを攻撃したのはサダム・フセインが独裁者だったからではない。 サダム・フセインが一部のテロ活動を支援していたからでもなかった。 ラムズフェルド前国防長官も明確に述べているように、フセインは9.11には関わっていなかった。 父ブッシュ、クリントン時代にまで遡る度重なる反米活動に加えて毒ガス等の大量破壊兵器を持っているとの確証があったから、アメリカ議会は超党派的な支持の背景に攻撃に踏み切ったのである。 そしてそれは正しかったのである。

 

アメリカ軍を中心とする各国の兵士達が砂埃と熱気と疫病の大地でゲリラを相手に死闘を繰り広げた。 多くの若者が戦地に赴いた。 国と、国に住む家族、これから生まれてくる子供達を守るために志願して軍務に服した。 多くの兵士達が命を失い、戦友を失った。 負傷して手や足を失った。 多くの家族が子を失い、父や母を失った。

 

民主党のオバマ大統領はイラク戦争を引継ぎ、そして終結させた。 その終結は、栄誉ある勝利ではなく、一方的撤退であった。 オバマのアメリカはイラクから手を引き、2015年にはアフガニスタンからも手を引くことを公言している。 「もう少しで我々は出ていきますから、その後はどうぞお好きになさってください」と敵に向かって呼びかけているのと同然である。 更にはグアンタナモ基地に収容されていたテロリスト首領格の5人をボウ・バーグダルという反逆者と引き換えに釈放する始末である。 2016年の民主党の大統領候補と目されるヒラリー・クリントンは「彼らはアメリカへの脅威ではない」などとほざいているがバカ丸出しである。 これらテロリストの職業はテロである。 放たれれば、テロ以外にやることは無い。

 

イラクが陥ちようとしている。 戦争の成功を信じて戦い、命を失った兵士たちの家族の思いはいかなるものであろうか。

 

アメリアの弱さが世界中のならず者達を挑発してやまない。 イスラム主義者、中国、ロシアアメリカの弱さが世界を混乱に陥れる。

 

ラムズフェルド前国防長官が述べたとおり、弱さは挑発的である。

ノルマンディー上陸作戦、そして我が日本を振り返る

  • 2014.06.08 Sunday
  • 20:52
 

194466日は米軍を中心とする連合軍によってノルマンディー上陸作戦が開始された日である。 通称「D-Day」と呼ばれる。 第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において転機となり、結果としてナチス・ドイツの壊滅をもたらすことになった重要な戦いであった。

 

アメリカのラジオではメインの話題はD-Dayである。 トーク番組のホストは当時の英雄的な戦闘場面を紹介し、コールインするリスナーは作戦に参加した親や祖父の思い出を語る。 政治の垣根を越え、皆で国のために戦った人々の栄誉を讃える。

 

アメリカでは第二次世界大戦で戦った人々の思い出が、今でも彼らの孫やその子供の代にまで鮮明に受け継がれている。 自分の祖父が泥沼を這いずり、敵の銃弾を浴び、負傷しながらも決死の覚悟で突撃したボートで上陸する際、恐怖のあまり泣き出す部下の前で大声で歌い、「男だろ!国のために戦おうぜ!」と叱咤激励したといったシーンが世代を超えて受け継がれている。

 

ほぼ死ぬのが確実な運命を目前にしながら彼ら兵士は船から飛び出して浜に向かって突進し、浜を走り、崖をよじ登った。 海や浜辺は彼らの血で真っ赤に染まった。 ドイツ軍の機関銃掃射と砲弾の雨の中、兵士たちは次々となぎ倒される。

 

よく日本の神風特攻隊は人類史上唯一無比なるクレイジーな自殺作戦であったと言われるが、冗談もほどほどにしなければなるまい。 第二次世界大戦はどの国においても「兵士達が確実に死ぬことが分かっている作戦」など珍しくもなかったのである。 しかも彼ら米兵は自分たちの国を守るために命をかけたのではなく、遠く離れたヨーロッパの国を解放するために体を張ったのである。 どちらが”クレイジー”か、言うまでもなかろう。

 

先の大戦の記念日が敗戦日だけである我が日本を振り返る。 我が日本では自衛の戦いであった大東亜戦争が否定され、それとともに誇るべき戦闘の数々、そしてそれらに参加した人々の思い出も忘れられている。 戦争の記念日に語られるのは英雄的戦闘ではなく、「原爆投下」と「平和への思い」と「いつか来た道」への恐れだけである。 今我々が生きる日本を残してくれた兵士達の栄誉が消え去ろうとしている。 そして彼らへの恩も忘れ去られようとしている。 恥ずべき忘恩の我々日本国民は、自由と独立と繁栄を維持するに値するのであろうか。

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