同性愛者に優しい社会

  • 2014.09.21 Sunday
  • 23:41
  

日本社会は同性愛者に優しくないと言われる。 テレビの影響などで徐々に同性愛者の存在が社会的に認められつつあるが、他の先進諸国と比べると、まだまだ彼らに対する権利の保障が遅れている。 未だに偏見や無理解が蔓延っていると。 そしてこのような状況が同性愛者を精神的に追い詰めていると。 日本はもっと開放された社会を目指さなければならないのだと。

 

歴史上、同性愛者を暴力で弾圧してきたのはどのような社会であったか。 ナチスドイツ、ソビエト連邦、中国、そしてその他の共産主義国家、これらの国々では同性愛は犯罪とされた。 法律違反であり、逮捕され、そして処刑される対象であった。 なぜ同性愛者であることが犯罪なのか。 それは彼らが国家が定める「規格」に合わないと判断されたからである。 ナチスドイツのような国家社会主義国、そして共産主義国において、人間は国家の道具である。 国民を増やさない(生殖しない)同性愛者は、国家にとって不良品も同然である。 不良品には生きる価値は無い。 だから彼らは逮捕され、処刑されたのである。

 

これはキリスト教で言う「罪」とは違う。 キリスト教において同性愛は罪である。 同性愛者は罪を犯していることを説かれ、同性愛から脱するよう説得され、促される。 昔のアメリカにはソドミー法という同性の性行為を禁じる法律があったが、実際にこれで逮捕された人間はまれであった。 逮捕された人間は逮捕されるべき別の理由があったのである。

 

ソ連でのゲイ弾圧

http://www.charonboat.com/item/132 より

 

ナチスドイツでのゲイ弾圧

http://gayhistory.tumblr.com/page/3 より

 

そして今、同性愛者を殺している社会がある。 それはイランやサウジアラビアといった厳格なイスラム教国家である。 



イスラムは自由と良心と個人の尊厳を否定する危険な政治思想であり、イラクやシリアを中心に、今日を世界を不安定にしている要素である。  穏健なイスラム国家と言われるマレーシアでも、最近ジョホール・バルでホテルにいた女性2人が宗教警察に逮捕されている。 現在ジョホール・バルの罰則はまだ刑務所入り、むち打ち、そして罰金であるが、イスラム主義者は同性愛を厳罰を適用するよう呼びかけている。

 

同性愛者にとって、優しい社会とはどのようなものであろうか。 我々は、同性愛者の「権利」の問題にどう向き合うべきなのであろうか。

 

キリスト教・福音派の著述家・心理学者のジェームズ・ドブソンが主催するFamily Talkというラジオ番組において、最近この問題が取り上げられており、有用な示唆を与えられた。

 

生後、8か月までは赤子にとって母親が全てである。 しかしそれ以降は父親の存在を認識することで男女の違いを徐々に認識するようになる。 男の子は父親から男としての在り方と女性への接し方を教わり、女の子は母親から女としての在り方と男性への接し方を教わる。 しかしこの過程で何らかの混乱が生じることがある。 親同士の不仲や子供への暴力・暴言、虐待、無関心、あるいは他の誰か(親戚、友人)からの悪戯、意地悪、いじめといった要素によって何らかの混乱が生じる。 すると男が男として育たず、女が女として育たず、という現象が起きる。 成長期の子供の精神はデリケートであり、ちょっとしたボタンの掛け違い程度の、些細な事からも混乱が生じ得る。

 

しかし、家庭が、そして社会がしっかりしておれば、子供は徐々に混乱から脱することができる。 子供の精神状態は成長期に大きく変動する。 ある時点で「自分はなぜか同性に魅かれる」と感じても、その8割以上は23年後にはその混乱を脱している。

 

では一方、その混乱から脱することができない一部の子供がいるのはなぜか。 その原因は性的体験の早まっている昨今の社会風潮にある。 成長期〜青年期は心が大きく成長する時期である。 その時期は混乱を通り抜ける時でもある。 そこで自分が同性愛者ではないか、と思ったとしても、結婚まで性交渉をしない伝統的な社会であれば、周囲の導きによって安定した状態でその混乱から脱することができ、立派な大人の男に、そして女になることができる。 

 

一方、伝統的価値観の崩壊した現代においては性的体験年齢は低下の一途を辿っている。 そして結婚を考えるずっと前段階において、既に性的経験をしていないことは人間として恥ずかしいことであるとする風潮がメディアを通じて流布されている。 そのような社会では、青少年は自らを実験台に乗せることになる。 混乱した中で、同性に魅かれるという混乱状態をそのまま行為に移してしまう。 するとその精神状態は混乱のまま固定化されてしまう。 しかも、昨今のメディアは同性愛者であることをカミングアウトすることを勇気ある行為であるかのように煽っている。 同性愛的な行為自体をしなくても、「混乱状態」が正しいのだ、と勘違いをしてしまう。 それがいわゆる同性愛者の増加という現象である。

 

同性愛とは、性の混乱であり、一種の異常、あるいは病気である。 ゲイであることよって生命が危険に晒されるわけでも、同性愛が空気感染するわけでもないが、異常であることには変わりはない。 生まれながらにしてゲイとして生まれる者は一人としていない。 人間は必ず男として、あるいは女として生まれる。 それ以外の何ものでもない。

 

世界のどの国々も、特別な社会政策(中国の一人っ子政策等)を実施しなければ、男女比率はほぼ半々である。 しかし同性愛者率は各国でかなり差がある。 同性愛の多い国では、例えばタイのように、「本当の男が見つからない」が結婚適齢期の女性の悩みとすらなっている。 ゆえに、同性愛という現象は生物学的なものではなく、文化的なもの、すなわち、後天的な原因によって発生する現象である。

 

同性愛者にとって最も優しい社会は、伝統的な道徳観念に根差した社会である。 そのような社会において、彼らは少年〜青年期に混乱から脱することができる。 青少年は一件体は大人と同じでも、脳の成長は著しく進行中である。 逆に言えば、脆弱であるということである。 社会の暴風に晒す前に、成長するまで保護しなければならない。

 

現代ではアナクロニズムと呼ばれる伝統的価値観に根差した道徳が、実は青少年を育て、導き、守っていく要であるということが分かる。 「ゲイの権利」を法整備し、「ゲイに対する認識と理解」を行き渡らせるなど愚の骨頂である。 それは良心と寛容と開明性の仮面をかぶって青少年の精神を蝕み、さらに未来の次世代をはぐくむための社会基盤の崩壊を加速させる悪の道である。

 

 

参考:

HOMOSEXUALITY PANEL - I from Dr. James Dobson's Family Talk

http://youtu.be/kNtUYPjdicc

 

HOMOSEXUALITY PANEL - II from Dr. James Dobson's Family Talk

http://youtu.be/qcUjRS70w_U

 

HOMOSEXUALITY PANEL - III from Dr. James Dobson's Family Talk

http://youtu.be/NlSKKi5nW00

シャッター街 中央集権と規制の産物

  • 2014.09.14 Sunday
  • 18:35
  

昔は活気のあった地方の街がすっかり廃れ、見る影もない。 このようなシャッター街は日本中に存在する。 



二つの種類の意見を耳にすることがある。

 

商店街というビジネスモデルは既に過去の遺物であるからシャッター街という現象が起こる。 顧客ニーズに応えることが出来ないからシャッター街となるわけで、致し方ないことである。 創意工夫で魅力ある店づくりをしていれば潰れるわけがない。 潰すべきものは潰す。 そうでなければ社会は発展しない。

 

郊外型の巨大ショッピングモールが次々と出現したせいで、個人商店や地場資本のスーパーで構成されている商店街では廃業が相次ぎ、シャッター街と化している。 これは規制緩和の弊害である。 地方都市の衰退によって日本全国の文化と景観が画一化され、地方の固有性が喪失していく。 共同体的な絆が崩壊し、人情味のない冷たい社会がやってくる。

 

二つの両極に見える意見である。 どちらも一部の事実がある。 しかし全体としては両方とも間違いである。

 

大小を問わず、事業が潰れるのは、市場に必要無しと判断されたから、とは限らない。 例えば政府が恣意的に最低賃金を上げれば、社員の平均年収が800万の会社には影響なくても、安価な若年労働に頼っていた零細企業や商店は直接的な影響を受ける。 例えば政府が白熱灯の製造を中止するよう企業に命令し、LEDを導入する事業体に補助金を出すと決定すれば、それまで白熱灯の材料を供給してきた企業は直接の影響を受ける。 高価なLEDを導入せざるを得ない資金力の無い事業体も直接の影響を受ける。 今までどれほどの創意工夫で事業に当たってきたかに関わらずである。

 

市場経済の特徴は、利益と損失、成功と失敗の両方が存在することである。 基本的なルールが誰に対しても同様に適用される公平な場において両方の絶えざるせめぎ合いがあるからこそダイナミックな経済が存続することができる。 シャッター街という現象は、損失と失敗が増大し続けるという現象であり、歪みがある証拠である。

 

地方の街がシャッター街と化したのは規制が緩和されたからではない。 個人商店や地元のスーパーが廃業したままで、それに取って代わる事業が育たないからである。 なぜ育たないかといえば、それは育つことが阻害されているからである。 何が阻害しているかといえば、それは規制である。 

 

規制というものは、往々にして大企業と政府が結託して作るものである。 大企業には資金力と発言力がある。 大企業が一番嫌うのは他社との競争である。 特に小さな企業や新規参入者からの挑戦は尚更である。 環境を保護するため、女性にとって働きやすい環境を実現するため、マイノリティーの地位を向上させるため、安全性を向上させるため、消費者ニーズに応えるため、ありとあらゆる理由をつけて政治家とかけあって規制をつくる。

 

最初は”業界基準”としてスタートし、後にそれを”法制化”する。 商品の原材料、製造方法、流通方法、販売方法、表示方法、リサイクル方法、廃棄方法までを事細かに取り決め、それを法律にする。 法律であるから資金がある無しに関わらず、やらなければならない。 やるなら事業が存続でき、出来ないなら市場撤退を迫られる。 独創的な発想と創意工夫によって決められた以外の方法で、いかに一般消費者が喜ぶような商品作りができようが、関係ない。

 

中小零細企業に出来ないことが大企業には出来る。 逆に大企業には出来ないことが中小零細企業には出来る。 大企業の強みが資金力と組織力とすれば、中小零細企業の強みはスピードである。 大企業ではプレゼン・書類・ハンコウ・決済の連続である。 企業は大きくなればなるほど役所と変わらなくなる。 コアの事業と無関係な業務も非常に多い。 どうでもよい書類作成も非常に多い。 一方、小企業では一発即決、社長が行ける、面白い、と感じたら即実行である。 しかし大企業の目線で作られた規制は小企業の創意工夫を一網打尽にする力を持つ。 規制とは法律であり、法律とは強制だからである。

 

地方都市が廃れて廃墟のような様相を呈する現実を見て喜びに浸る人間はおるまい。 一方、人は活気ある街を歩けば気分の高揚を覚えるものである。

 

アメリカには政治の基礎の部分に地方分権がある。 アメリカの首都はワシントンDCであるが、アメリカ版「霞が関」がワシントンDCにあるわけでもなく、アメリカの有力企業がこぞってワシントンDCに本社を置いているわけではない。

 

テキサスやオクラホマのような州は「Right to Work State」(働く権利のある州)と呼ばれる。 これらの州は例外なく、保守的で伝統を重んじる州である。 左翼オバマ政権が2期目に入り、相変わらず景気の後退が続いているアメリカであるが、これらの州は相対的に景気が良く、景気の悪い他の州からの人口流入がある。 「景気の悪い他の州」とはどこかと言えば、ニューヨークやカリフォルニアといった、左翼の牛耳る大きな政府志向の州、いわゆる日本人が想像するところの、「リベラルで進歩的なアメリカ」を体現するような州のことである。


 

リベラル・左翼の州は景気が悪い。 なぜ景気が悪いかというと、規制が多いからである。 なぜ規制が多いかというと、そこの住民であるリベラル・左翼が規制を求めるからである。 なぜリベラル・左翼が規制を求めるかというと、彼らは全体主義者だからである。 カリフォルニアはかつては全米のBread Basket(穀倉)と呼ばれた。 しかし今では畑に河の水を引くことすら阻害される有様である。 なぜかというと、デルタスメルトという小魚を保護するためと称し、環境極左の市民団体が州政府に圧力をかけて農家がポンプで河から水を引くのを禁止しているからである。

 

こうして景気が悪化していくわけであるが、リベラル・左翼の自己中心的性格がここで現れる。 彼らは景気悪化に嫌気がさす。 そして周りを見渡す。 近くに景気の良い(保守の)州がある。 それを見て彼らは引っ越しを決意する。 引っ越した彼らは保守の住民(=前世紀の価値観、時代遅れの個人主義に縛られ、頑迷な差別意識を引きずる人々)を見て思う。 これら遅れた人々を教育し、導いてやらねばと。 そして彼らは燃え盛る炎がごとき熱意で左翼民主党に投票し、現代社会としてあるべき規制を導入しようとする。

 

こういう彼らリベラル・左翼を表現する言葉がある。 「イナゴ」である。 英語では"Locust Liberals"である。

 

左翼・リベラルの犠牲・デトロイト市(アメリカのシャッター街)

 

 

彼らリベラル・左翼は「何が不景気をもたらしているか」の根本が分かっていない。 行く先々で同じことを繰り返す。 そしてそこが不景気になると次へ移動する。 まさにイナゴの行動形態である。

 

ここで説明したいのはイナゴの生態ではない。 彼らイナゴが存在するのは、とりもなおさず、地方による違いがあるからである。 その違いをもたらしているのは地方分権である。

 

日本に目を戻し中央政府の権限と業務を縮小し、政府の権限を地方に分散すればどうなるか。 中央集権が解消されれば事業体が東京に一極集中する必要はなくなる。 企業が霞が関に詣でる必要も無くなる。 地方で完結すればよい。 東京の過密地帯で毎日こんな状態で通勤するのを楽しむ人間はおるまい。 東京に人口が集中するのはそこに仕事が集中しているからに他ならない。 他人とある程度の距離を保つのは人間の本能であるから、集中する必要がなくなれば自然と分散されるはずである。

 

地方分権が進めば、仕事も住まいも地方に分散され、リベラル・左翼的な地方、保守・伝統の地方、リバタリアン的な地方が出てこよう。 リバタリアン的な地方は目覚ましく経済発展し、保守・伝統の地方は安定して生活しやすく、リベラル・さ左翼の地方は荒れて廃れるという状況が出現する。 経済発展する地方は人口が増え、更に発展する。

 

地方がシャッター街と化すのは誰が見ても喜ばしいことではない。 だが、喜ばしい状態にするための鍵は政府ではなく、人々である。 補助金・交付金ではなく、解放である。 規制ではなく、規制撤廃である。

 

追記1

バーガー・キングが高い法人税を避けるためにカナダへ本社移転した。 米Forbes誌は保守のスティーブン・ハーパー首相のもと、法人税率を引き下げたカナダを「世界で最もビジネスフレンドリーな国」とランク付けした。 日本は法人税をゼロにしなければならない。

 

追記2

中央集権が進むと地方が過疎化する。 地方が過疎化すると高齢化が進み、人間がまばらになり、山野は放置状態となる。 人影が少なくなると熊やイノシシが徘徊するようになる。 荒れた山は自然の食糧が少ないために熊やイノシシが下山し、人家までやってくる。 一人で散歩している老人が猛獣に遭遇する。 風が吹くと桶屋が儲かる政府が大きくなるとクマが出る 

「Blacklisted by History」読了 マッカーシズムとは何だったのか

  • 2014.09.08 Monday
  • 00:37

 

”ジョセフ・マッカーシー”と言えば、マッカーシズムやマッカーシー旋風、そして赤狩り、といった言葉が思い浮かぶ。 

 

マッカーシズム、マッカーシー旋風、赤狩りは何であったのか? 通常以下のように理解されている:

 

  • マッカーシーの赤狩りは中身のない架空の事件であった。
  • 赤狩りによって、多くの罪なき人々が次々と悲劇に追い込まれた。
  • マッカーシーは不当に強硬で執拗な手段を用いて反発を招き、国民の不安を駆り立てた。
  • マッカーシーがターゲットにしたのは自由主義的進歩的なニューディール支持派の民主党員であり、共和党員としての自身の地位を上げるための政治的活動であった。
  • 1953年に朝鮮戦争が終わりを迎えるとともに共産主義の脅威は後退しており、マッカーシーの共産主義脅威論は根拠の無いものであった。
  • マッカーシーが標的にしたのは社会主義に対して心情的に好意を抱いていただけ無害な人々であり、疑わしきは摘発・除外という魔女狩り的な荒っぽい方法によって何の罪もない人々の生活を破壊した。
  • 進歩的な考え方の人々が多いハリウッドはマッカーシーの恰好の餌食となり、共産党員でない無関係な人々も失職に追い込まれた。
  • 195029日、ウエストヴァージニア州ホイーリングという小さな街にてマッカーシーは演説を行い、共産党員の政府内への浸透について述べ、それらの共産党員やスパイのリスト205名分を持っていると言った。 だが実はマッカーシーはそのようなリストは持っておらず、単なるハッタリであったことがバレている
  • 中国学者に過ぎなかったオーウェン・ラティモアはマッカーシーからいわれなき罪を着せられ、迫害を受けた。
  • 天才物理学者、ロバート・オッペンハイマーは、若き日に共産主義に傾倒したことがあるというだけで血祭りにあげられ、公職から追放された。
  • 赤狩りの欺瞞がバレるにつれ、風当たりを感じるようになったマッカーシーは、焦りのあまり、攻撃の矛先をアメリカ陸軍にまで向けるにいたったが、批判が事実無根であったため、逆に再起不能なまでに叩かれることになった。
  • マッカーシーによる告発は全くの事実無根であり、架空のホラ話であったということがバレたため、上院にて弾劾され、調査委員会委員長を解任された。
  • マッカーシーは性格破綻者であった。 臆病で狡猾、敵の弱点を見つけては攻撃することに長けていた。 大酒飲みで、政敵を見つけては「共産主義者」「ソ連のスパイ」などのレッテルを貼り、口汚くののしった

 

Stanton Evans著作「Blacklisted by History」という本を読了した。 一言で言えば、上に挙げた所謂通俗的なジョセフ・マッカーシーに対する理解を根底から覆してくれる本である。 通常世の中で理解されている”歴史”あるいは”事実”というものが、いかに捏造されたものであるか、捻じ曲げられたものであるか、隠蔽されたものであるかを痛感させられる。

 

 

上に述べられた”事実”は全てが”嘘”である。

 

マッカーシーの罪は”間違っていた”ことではなく、”正かった”ことであった。 存在する危機を暴き、社会に突き付けたことで時の権力(政権、政府関係者、メディア等)の怒りを買った。 そして今日に至るまで抹殺されることになった。


マッカーシーが標的にした者達は確かに多くはニューディール支持者であった。 だが彼らは自由主義的でも進歩的でもなかった。 今日、彼らは実際にソ連の国益に沿うべく行動していたことがヴェノナファイル(1940年から1948年までにソ連とアメリカのソ連スパイとの間での暗号交信をアメリカNSA37年もかけて解読した極秘記録)等の公開で明らかになっている。 著名な科学者、オッペンハイマーは共産党員であり、核開発に関する機密情報をソ連に流していることがFBIの捜査で分かっていた。 オーウェン・ラティモアは中国学者としての立場を隠れ蓑に蒋介石の軍事顧問となり、その立場も隠れ蓑にして毛沢東の中国共産党へ軍事機密を流していた。

 

マッカーシーは警察や検察の代わりを演じようとしたのではなかった。 当時の政府各組織において、既に安全保障上のリスクとされている人物が重要なポストに据えられたままになっている状況があった。 それに対し、マッカーシーは、FBIの捜査記録やそれ以前の非米活動委員会等での証言を基にメスを入れたのであった。

 

マッカーシーは「私はこの人物が怪しいと睨んでいる」などと言ったことは一度もなかった。 「FBIの捜査においてソ連へのスパイ活動を行ったことで摘発されているにも関わらず、この人物は国家機密に関わる地位に据えられている。 なぜだ!?」と注意を喚起し、しかるべき措置が取られるべきであると主張したに過ぎない。

 

マッカーシーのホイーリングでの演説にまつわる「205名分のリスト」の話は実話と嘘が入り混じっている。 「205名」という数字はマッカーシーの演説草稿にあったもので、マッカーシーが演説で実際に言ったのは「57名」であった。 そして57名分のリストは実際に存在した。 「マッカーシーは”205名”と言った」と主張したのは敵対する民主党のタイディングス議員であった。 同議員は「私はその録音を持っている!」と強弁し、マッカーシーに認めるよう迫った。 しかしマッカーシーは逆に「では、その録音を議会公聴会で再生なさい」と応戦。 実はその録音は存在しておらず、タイディングスはしどろもどろに終始した。 しかしそのような実話は「歴史」上には書かれていない。 

 

録音を再生してやる!と息巻くタイディングス。 だが録音は存在しておらず、その脅しはハッタリだった。


 

マッカーシーが調査を米陸軍に向けたのは焦ったからでも何でもなく、陸軍の内部告発によって機密情報の漏えいが発覚したからである。 陸軍のカーク・ロートン少将は、マッカーシーの委員会にて証言した。 「既にソ連のスパイとして告発され死刑となったローゼンバーグのスパイ網がフォート・マンモス陸軍基地に生き残っており、軍の機密情報がソ連に漏れている。 その動きを阻止せんとする自分は軍内にて上からの妨害にあっている」という内容であった。 軍は当初マッカーシーの努力を称賛したが、時のアイゼンハワー政権は隠蔽工作に出る。 「マッカーシーの調査にこれ以上協力してはならない」 これがホワイトハウスの軍への指令であった。 ロートン少将は長年の軍歴にも関わらず罷免される。 そして後を引き継いだラルフ・ツウィッカー将軍はそれまでのマッカーシーへの協力姿勢を一変させ、マッカーシーへの攻撃へと転じる。

 

ところで、インターネット上にはマッカーシーに関する誤った情報も多々見られる。 「ハリウッドの俳優がマッカーシズムの犠牲になった」というものである。 ハリウッドの共産主義浸透を調査したのは下院非米活動委員会である(後に大統領となったニクソンはメンバーの一人)。 マッカーシーは上院議員であって、下院の当委員会とは無関係である。

 

1930年代から40年代にかけて、アメリカはソ連とは友好関係にあった。 その関係を推進したのはルーズベルトとトルーマン両政権であった。 当時の社会はニューディールの最中であり、社会主義の色濃い時代であった。 その社会背景にあって、ソ連は政府組織の上層部にまでスパイを送り込み、影響力を行使した。 反共主義者であったエドガー・フーバー長官のFBIはソ連・共産主義の脅威を明確に認識し、政権上層部に関わるスパイ事件を捜査する(アメラジア事件はその一つ)。 しかしトルーマン政権はそれらの事件に対して協力するどころか、あからさまな隠蔽に走る。

 

政権によるソ連スパイの存在に対する隠蔽は、その後設立されたマッカーシー委員会に対しても同様であった。 マッカーシーが国務省に書類の提出を求めると、同省は「機密だから」とのらりくらりとかわし時間稼ぎをする。 その手が尽きると今度はホワイトハウスが直接介入を始める。 大統領がそれらの書類をホワイトハウスへ呼び寄せ、委員会の手に渡るのを妨害。 更にはファイルから一部の書類が”紛失する”(抜き取られる)事態まで発生。

 

政権は民主党のトルーマンから共和党のアイゼンハワーへと移行。 マッカーシー委員会と共和党政権とで反共同盟を組めるかと思いきや、もともとマッカーシーを毛嫌いしていたアイゼンハワー大統領はトルーマン大統領以上の妨害工作に出る。 マッカーシー委員会への協力を止めるよう陸軍へ指示したのも、民主党議員を中心としたマッカーシーの弾劾を陰で推したのも、他でもないアイゼンハワー大統領であった。 マッカーシーの真っ当な質問を退け、陸軍の弁護士ジョセフ・ウェルチがこの有名なセリフHave you left no sense of decency?(あなたには良心というものがないのですか?)」を吐いたのはこのような状況においてであった。

 

マッカーシーは初めて立候補した頃にまで遡って調査を受け、46項目もの罪状で弾劾を受ける。 ここで知られていない事実がある。 それは最終的に弾劾決議に至ったのは1項目だけであり、その他は調査を進める段階で証拠無しということで棄却されたということである。 大騒ぎをして弾劾した結果がこれならば、通常ならばマッカーシーの大勝利とされてもおかしくはない。 だが「マッカーシー抹殺」は政治的に既に決定されていた。 そして、それが今の我々が知る「事実」となったのである。

 

マッカーシズムという言葉はいつの日か、「不当な迫害」から「迫害にもめげず、勇気を持って声を上げること」を意味するようになるのであろうか。 その時こそ過ちの歴史が克服されたと言えるのであろう。 このような書が出版され始めているのは良い兆候である。

 

 

追記:

本書には日本人としても興味深い記述がある。 1930年代、ソ連スパイであるゾルゲの日本派遣。 ゾルゲがソ連から受けた指令は日本の軍事的な矛先をソ連から逸らすこと。 1941年”中国学者”にして”蒋介石の軍事顧問”にして共産主義者であったオーウェン・ラティモアは、中国から本国へ電報を打つ。 「蒋介石総統は米国が日本との妥協を探ろうとしている事を大変憂慮されており、そのような事態になれば中国の米国への信頼は壊滅的な打撃を受けると仰っています」と。 その電文を受け、ホワイトハウスに伝えたのは大統領補佐官、ロークリン・カリーであった(ラティモアと同じくソ連のスパイとしてマッカーシーの標的となった)。 そして同じくソ連のスパイとして対日関係悪化を最大限推し進めたのが、後に日本への最後通牒(ハル・ノート)を書いたハリー・デクスター・ホワイト(財務次官補)であった。 ソ連の意向に操られたルーズベルト政権が日本に不当な圧力をかけたことが真珠湾攻撃につながったと、本書は認めているのである。

"Save the 1" レイプによって誕生した命

  • 2014.09.07 Sunday
  • 01:26

中絶の是非が語られる時、往々にして見捨てられる一つの存在がある。 それはレイプによって誕生した生命である。

 

私は、レイプによる妊娠を除いて、基本的に中絶に反対する...

私は、中絶を女性の権利と考える。 レイプによって妊娠した場合は特に...

 

レイプによって生まれた生命に対し、多くの場合、即座に死刑判決が下され、死刑が実行される。 遊びで妊娠したのなら責任をもって生むというのも”あり”だが、レイプだったのなら中絶する”しか”ない彼らは中絶反対派 (Pro-Life) からも中絶賛成派 (Pro-Choice) からも見向きもされず、人知れず死んでいく。 殺された後はただの数字・統計となる。

 

ここに5人の女性がいる。 彼女たちは、自身がレイプによって誕生した、あるいはレイプによって授かった子供を産んだ女性たちである。


 

彼女たちは「Save the 1」という組織を運営する。 "Save the 1"とは、人々から振り向かれない1%の存在、すなわち、レイプによって誕生する命を救おうという意味である。 彼らは少数の中の少数である、これら声なき命を救うことを目的に啓蒙活動を推進する団体である。


最近、キリスト教・福音派の著述家・心理学者のジェームズ・ドブソンが主催するFamily Talkというラジオ番組において、彼女らを交えてのインタビューが行われた。 以下、各人の簡単なプロフィールである。

 

Rebecca Kiessling

Save the 1」の主催者。 レベッカはある幸せな家庭に養女として授けられ、育てられる。 18歳の時、どうしても出自を知りたくなったレベッカは養子縁組をした法律事務所を訪れる。 そこで父親が犯罪者であり、服役中であることを、そして自分がその父親のレイプによって生まれたという事実を知る。 レベッカは母親に会いに行く。 母親はレベッカに言う。 「元気で育ったお前を見ることができてうれしい。 でも、もしもあの時に法律で許されていたら、中絶していただろう」 自分が本来ならば「死んでいたはず」の人間であると知ったレベッカは荒れた生活を送り、付き合っていた相手から酷い暴力を受ける。 だが幸運なことに、あるきっかけでキリスト教会に出会う。 キリストの教えに救われたレベッカは幸福な結婚生活を手に入れ、現在に至る。

 

Darlene Pawlik

ダーリーンの母親は15歳の時にデート中にレイプされ、ダーリーンを身籠る。 レイプを恥じた母親は誰にもその事実を告げず、レイプした男と結婚する。 結婚はうまくいかず、二人は離婚する。 一時父親のもとにあずけられた幼少のダーリーンは父親から悪戯を受ける。 成長したダーリーンは自暴自棄の生活を送るようになり、14歳で売春を始める。 あるとき集団レイプにあい、妊娠する。 売春の元締めから堕胎するよう命じられる。 堕胎しなければ殺すと。 幸いにもそのときにカウンセラーと出会い、「堕胎したふり」をして売春の元締めから逃れる。 その後、キリスト教に出会い、真面目な男性と結婚。 5人の子供と2人の孫に恵まれ、学校、教会、地域社会での啓蒙活動に活躍する。

 

Mary Rathke

メアリーは両親のいる家庭に生まれるが、幼少の頃より自分は「もらい子」であるとの噂を聞いていた。 父親はそれを否定し、メアリーを自分の子供として扱う。 しかしある時、実は自分が父親以外の男が母親をレイプしたことで生まれた子供であると知る。 育ての父親はメアリーに疎外感を与えないためにその事実を隠していたのであった。 メアリーは結婚して子を授かり、生命保護を訴える活動に従事する。

 

Travon Clifton

18歳の時、母親から出生の事実を告げられ、自分がレイプによって生まれた子供であったことを知る。 衝撃とともに激しい怒りを感じたトレイボンは何年も精神的な苦しみと戦う。 「お前はレイプの子だ」「お前のような人間がなぜ生きているのだ」という心無い言葉を投げつけられる。 その後トレイボンは信仰に目覚め、中絶反対を強く意識するようになる。 もしも母親が中絶を選んでいたら自分は存在しなかったのだと。 現在、トレイボンは妥協を許さぬ生命保護派として教会やラジオやテレビで活躍する。

 

Robyn McLean

ロビンは大学時代に交際していた男からレイプされ、妊娠する。 もともと信心深かったロビンは結婚まで純潔を守りたかったが男はそれを許さなかった。 その後男は暴力を振るうようになり、ある時ロビンを棒で繰り返し殴る。 床に倒れたロビンはお腹を押さえて子を守る。 周囲の期待に応えようと、結婚すれば関係も良くなるだろうとの淡い期待をいだき、ロビンは男と結婚する。 だが暴力は日増しに酷くなる一方。 限界を感じたロビンは子供を抱えて両親のもとへ逃げる。 その後ロビンは子供を産み、良い相手を見つけて幸福な結婚生活を送っている。

 

この5人の女性は統計ではなく、血の通った人間である。 喜びを持って人生を生きる人達である。

 

彼女らに対し、「私は中絶に反対する。 あなたを除いて」と、言えるであろうか。 「本来あなたは生まれてくるはずではなかったのです」と、言えるであろうか。 「あなたの子は殺されなければならなかったのです」と、言えるであろうか。

 

レイプは犯罪である。 犯罪者はレイプをする男である。 子供を殺しても、女性がレイプされたという事実は消えることはない。 女性にとっては二重のレイプである。 レイプは肉体的な傷であると同時に精神的な苦痛である。

 

中絶をするということは、その女性に更に暴力を振るうのに等しい。 まず男からレイプされ、更に自分の体内を鉄棒で掻きまわされる。 そして、たとえそれがレイプによるものであっても、自分の体内で生命が消えたことに対する精神的苦痛は否定することはできない。

 

生命を殺したという意識は一生残る。 しかし、妊娠の期間は気付いてから約半年であり、人生の中で考えれば短い期間である。 「Save the 1」の主催者であるレベッカ・キースリングは言う。 レイプを受けた女性に必要なのは中絶ではなく、慰めと癒しと導きであると。

 

犯罪者は罰せられなければならない。 被害者は癒されなければならない。 罪なき子供は保護されなければならない。 最悪な始まりは、必ずしも悪い結末を決定づけるものではない。 この5人の女性、そして同じ境遇を生きる人々の存在が、それを証明しているのである。

 

Conceived in Rape - I from Dr. James Dobson's Family Talk  オーディオ

Conceived in Rape - II from Dr. James Dobson's Family Talk  オーディオ

Conceived in Rape - III from Dr. James Dobson's Family Talk  オーディオ


感動的な映像

  • 2014.09.01 Monday
  • 00:53
  

映画やドラマの類はほぼ全くといってよいほど観ないのだが、ときどきツイッターで感動的な映像を見かけることがある。 時々見返しても、良いものである。

 

Project Vigil: D-Day 2014, The saluting boy on Omaha beach

映像:http://youtu.be/8k9Si28k0Fk

アメリカの元軍人、フロリダ州選出の元下院議員で将来は大統領選へも出馬も期待されている、アレン・ウェストがツイートしたものである。 201466日、米軍が欧州戦線でフランスに上陸したD-Dayに、ある親子がその場所を訪れた。 70年前に国のために命を懸けて戦った先人に感謝の念を捧げるためである。 11歳の少年と父親はオマハ・ビーチで国旗を掲げた。 少年は何かに突き動かされ、敬礼の姿勢を取り、1時間半あまりその姿勢で立ち尽くす。 先人への感謝と愛国心の美しさは理屈ではない。


 

 

Great in Uniform

映像:http://youtu.be/DYW9zbCdLkA

これも上同様、アレン・ウェストのツイートで得た映像である。 「これを観終わったときに涙を流さない者は心が無い」と氏は言う。 それは本当であった。 この映像は障害を負う者であっても社会の一員として立派に国を守る役割を果たし、国に属す誇りと軍服を着る栄誉を得ることができることを訴えている。


 

 

DEAR FUTURE MOM

映像:http://youtu.be/Ju-q4OnBtNU

保守のシンクタンク、ヘリテージ財団の長を務める、前サウス・カロライナ選出上院議員、ジム・デミントのツイートで得たものである。 ダウン症で生まれ育った少年、少女、青年たちが未来のママ達に語りかける。 障害を持って生まれてくることが分かっているなら「堕ろして」あげたほうがよいのではないか、と考える人は多いであろう。 しかしこれを観て心を動かされる人も多いであろう。


 

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