同性愛者に優しい社会
- 2014.09.21 Sunday
- 23:41
日本社会は同性愛者に優しくないと言われる。 テレビの影響などで徐々に同性愛者の存在が社会的に認められつつあるが、他の先進諸国と比べると、まだまだ彼らに対する権利の保障が遅れている。 未だに偏見や無理解が蔓延っていると。 そしてこのような状況が同性愛者を精神的に追い詰めていると。 日本はもっと開放された社会を目指さなければならないのだと。
歴史上、同性愛者を暴力で弾圧してきたのはどのような社会であったか。 ナチスドイツ、ソビエト連邦、中国、そしてその他の共産主義国家、これらの国々では同性愛は犯罪とされた。 法律違反であり、逮捕され、そして処刑される対象であった。 なぜ同性愛者であることが犯罪なのか。 それは彼らが国家が定める「規格」に合わないと判断されたからである。 ナチスドイツのような国家社会主義国、そして共産主義国において、人間は国家の道具である。 国民を増やさない(生殖しない)同性愛者は、国家にとって不良品も同然である。 不良品には生きる価値は無い。 だから彼らは逮捕され、処刑されたのである。
これはキリスト教で言う「罪」とは違う。 キリスト教において同性愛は罪である。 同性愛者は罪を犯していることを説かれ、同性愛から脱するよう説得され、促される。 昔のアメリカにはソドミー法という同性の性行為を禁じる法律があったが、実際にこれで逮捕された人間はまれであった。 逮捕された人間は逮捕されるべき別の理由があったのである。
ソ連でのゲイ弾圧
http://www.charonboat.com/item/132 より
ナチスドイツでのゲイ弾圧
http://gayhistory.tumblr.com/page/3 より
そして今、同性愛者を殺している社会がある。 それはイランやサウジアラビアといった厳格なイスラム教国家である。
イスラムは自由と良心と個人の尊厳を否定する危険な政治思想であり、イラクやシリアを中心に、今日を世界を不安定にしている要素である。 穏健なイスラム国家と言われるマレーシアでも、最近ジョホール・バルでホテルにいた女性2人が宗教警察に逮捕されている。 現在ジョホール・バルの罰則はまだ刑務所入り、むち打ち、そして罰金であるが、イスラム主義者は同性愛を厳罰を適用するよう呼びかけている。
同性愛者にとって、優しい社会とはどのようなものであろうか。 我々は、同性愛者の「権利」の問題にどう向き合うべきなのであろうか。
キリスト教・福音派の著述家・心理学者のジェームズ・ドブソンが主催するFamily Talkというラジオ番組において、最近この問題が取り上げられており、有用な示唆を与えられた。
生後、8か月までは赤子にとって母親が全てである。 しかしそれ以降は父親の存在を認識することで男女の違いを徐々に認識するようになる。 男の子は父親から男としての在り方と女性への接し方を教わり、女の子は母親から女としての在り方と男性への接し方を教わる。 しかしこの過程で何らかの混乱が生じることがある。 親同士の不仲や子供への暴力・暴言、虐待、無関心、あるいは他の誰か(親戚、友人)からの悪戯、意地悪、いじめといった要素によって何らかの混乱が生じる。 すると男が男として育たず、女が女として育たず、という現象が起きる。 成長期の子供の精神はデリケートであり、ちょっとしたボタンの掛け違い程度の、些細な事からも混乱が生じ得る。
しかし、家庭が、そして社会がしっかりしておれば、子供は徐々に混乱から脱することができる。 子供の精神状態は成長期に大きく変動する。 ある時点で「自分はなぜか同性に魅かれる」と感じても、その8割以上は2〜3年後にはその混乱を脱している。
では一方、その混乱から脱することができない一部の子供がいるのはなぜか。 その原因は性的体験の早まっている昨今の社会風潮にある。 成長期〜青年期は心が大きく成長する時期である。 その時期は混乱を通り抜ける時でもある。 そこで自分が同性愛者ではないか、と思ったとしても、結婚まで性交渉をしない伝統的な社会であれば、周囲の導きによって安定した状態でその混乱から脱することができ、立派な大人の男に、そして女になることができる。
一方、伝統的価値観の崩壊した現代においては性的体験年齢は低下の一途を辿っている。 そして結婚を考えるずっと前段階において、既に性的経験をしていないことは人間として恥ずかしいことであるとする風潮がメディアを通じて流布されている。 そのような社会では、青少年は自らを実験台に乗せることになる。 混乱した中で、同性に魅かれるという混乱状態をそのまま行為に移してしまう。 するとその精神状態は混乱のまま固定化されてしまう。 しかも、昨今のメディアは同性愛者であることをカミングアウトすることを勇気ある行為であるかのように煽っている。 同性愛的な行為自体をしなくても、「混乱状態」が正しいのだ、と勘違いをしてしまう。 それがいわゆる同性愛者の増加という現象である。
同性愛とは、性の混乱であり、一種の異常、あるいは病気である。 ゲイであることよって生命が危険に晒されるわけでも、同性愛が空気感染するわけでもないが、異常であることには変わりはない。 生まれながらにしてゲイとして生まれる者は一人としていない。 人間は必ず男として、あるいは女として生まれる。 それ以外の何ものでもない。
世界のどの国々も、特別な社会政策(中国の一人っ子政策等)を実施しなければ、男女比率はほぼ半々である。 しかし同性愛者率は各国でかなり差がある。 同性愛の多い国では、例えばタイのように、「本当の男が見つからない」が結婚適齢期の女性の悩みとすらなっている。 ゆえに、同性愛という現象は生物学的なものではなく、文化的なもの、すなわち、後天的な原因によって発生する現象である。
同性愛者にとって最も優しい社会は、伝統的な道徳観念に根差した社会である。 そのような社会において、彼らは少年〜青年期に混乱から脱することができる。 青少年は一件体は大人と同じでも、脳の成長は著しく進行中である。 逆に言えば、脆弱であるということである。 社会の暴風に晒す前に、成長するまで保護しなければならない。
現代ではアナクロニズムと呼ばれる伝統的価値観に根差した道徳が、実は青少年を育て、導き、守っていく要であるということが分かる。 「ゲイの権利」を法整備し、「ゲイに対する認識と理解」を行き渡らせるなど愚の骨頂である。 それは良心と寛容と開明性の仮面をかぶって青少年の精神を蝕み、さらに未来の次世代をはぐくむための社会基盤の崩壊を加速させる悪の道である。
参考:
HOMOSEXUALITY PANEL - I from Dr. James Dobson's Family Talk
HOMOSEXUALITY PANEL - II from Dr. James Dobson's Family Talk
HOMOSEXUALITY PANEL - III from Dr. James Dobson's Family Talk