「Dare to Discipline」読了

  • 2015.06.21 Sunday
  • 18:15



本書は子供の躾の本であるが、躾にとどまらない。良い親子関係を育むもの、破壊するもの、子供の知能の発達を促進するもの、阻害するもの、子供の人格を形成するもの、悪徳を吹き込むもの、一言で言えば、一人の良き市民を育てるために何をすべきか、親が知っておくべきことが詰まった一冊である。

現代は不道徳な世の中、不道徳がまかり通る世の中、不道徳が称賛される世の中である。そんな世にあって、正しき子育てをしたいと願う親にとっては逆風が吹いている。往々にして社会の風潮と逆をいかなければならないからである。そのような親にとっての良き味方となるのが本書である。

躾の基本は愛情である。著者は親子関係において辛辣であること、虐待すること、抑圧的であること、嘲ること、批判すること、憤怒といった行動を一掃すべきであると説く。執拗に口ややかましく説教したり怒鳴ったりすることは親子関係を傷つけるだけでなくエネルギーの無駄である。躾の目的は親のエゴを満足させることではなく、子を立派な大人として社会に送り出してあげることである。規律と愛情とのバランスが重要である。

親が子を愛するならば、子に服従を教えなければならない。そしてそのことを子に伝えなければならない。

正しき価値観を教える(本書では"indoctrination"という強い言葉を用いている)ことが出来るのは、とにかく早いうちである。幼児期は権威に対する敬意を植え付ける上で重要な時期である。

子が最初に挑戦的な態度を見せたとき、それを親は圧倒的な力でねじ伏せなければならない。それによって親は子に対して「超えてはならない境界線」を示すのである。それはいわばガードレールや道路の白線のようなものである。ガードレールの無い橋を走らされるドライバーは不安を感じる。同じ理由で、明確に示された境界線は子を安心させる。

「反抗的な10代」は必然ではない。0歳〜12歳までの間に「平和裏に武装解除」させなかった結果である。

お尻叩きは非常に有効である。しかしこれは挑戦的な反抗に対してに限定すべきである。些細なことでこれを使うと効果が減じるだけでなく、子の心に傷を残す。一方、体罰を敵視する風潮があるが大間違いである。体罰は子を暴力的にさせるなどという話があるが、根拠のないデマである。

ただし、体罰を使ってよいのは18か月からであり、それ以前は絶対に避けるべきである。また小さな反抗心が芽生える18か月〜3歳にかけては「お尻叩き」までいかずとも、痛みを感じる程度に指をペンするだけで十分効果的である。

また、言うことを聞かない子には「肩つかみ」も有効である。両肩の首から肩にかけての筋肉をギュッと掴むと痛みを感じる。かなりの痛みは感じるが実害は無い。小枝やそれに類する軽い棒を鞭代わりにするのもよい。




体罰は子が6歳になるまでに減らし、10歳〜12歳までには完全に止めるべきである。それ以降の体罰は子に屈辱を与え、逆効果である。

だが、やはり躾の基本は愛情である。体罰を含む躾を有効にするためには健全な親子関係が必須前提である。それが無ければどのような「躾」も禍根を残すことになる。子と一緒に遊び、笑い、楽しい時間を過ごすことである。

躾に求められるのは厳しさばかりではない。悪い行いは理性的な罰によって抑制されなければならない一方、良い行いは具体的に褒め、報いてあげるべきである。報いる方法はお金、プレゼント、お菓子など様々であるが、ただ言葉で褒めたたえてあげるだけでも子は喜ぶものである。

その一方で「与えすぎ」には注意すべきである。次から次へとモノを買い与えることで、親は子から重要なものを奪うことになる。それは「得る喜び」である。そして子は「与えられて当たり前」という傲岸不遜な態度を身に着ける。親は「いいよ」よりも遥かに高い頻度で「ダメ」を発するべきである。そして「ダメ」を言うときには絶対でなければならない。最初は「ダメ」だったにも関わらず子が粘って「いいよ」を勝ち取った暁には親の「ダメ」は単なるハッタリとなる。だから迷ったときはゆっくり熟考してから意を決して「ダメ」を発することである。子は親の「ダメ」が絶対的な「ダメ」だと知れば、それに挑戦しようとあがくことを止め、結果として精神的な安らぎを得ることができる。

学びの姿勢を叩き込むことも躾の一つである。それがひいては勤労の精神につながり、社会に出てからの成功へとつながる。この部分を担うべきは子と多くの時間を過ごす母親であるが、共働きが多い昨今は子を守り導くべき役割が蔑ろにされている。

0歳〜3歳は脳の発達にとっての重要な期間である。この間に知的刺激を与えてあげるか否かで脳の物理的構造が決定される。その意味で、取り返しのつかない時期である。刺激の少ない状態で育てられた子は知恵遅れとなり、豊かな(知的刺激という意味で)環境で育てられた子は賢くなる。より多く話しかけ、大人の会話を聞かせ、興味をかき立てる本を与えることである。本の読み聞かせは大変有効である。

小学校に上がる6歳あたりの子供達には成熟度において大きな格差がある。6歳でもまだ集団教育を受けられるほどに成熟していない場合がある。そのような子を無理して学校に送れば最初の段階でつまづき、大きな劣等感を抱くことになる。幼い子の自己イメージは壊れやすく、修復しにくいものである。それを防ぐ方法は、IQテストを受けさせることである。これは学校教育を受ける準備ができているか否かを計測する最適な方法である。

この点で少なくとも幼少の段階でホームスクーリングをすることは有効である。不要な「恥をかく」体験を免れた子は自信溢れる態度を身に着ける。ホームスクーリングで育てられた多くの子供がより高い社会性を身に着け、世の中で成功を収めている。

昨今は、暗記を軽視して「考えることを奨励する」似非教育が人気であるが、本書は暗記の重要性を述べている。暗記をすることで何を身に着けられるのか。著者は以下5項目を挙げる。

 
  1. 自己管理。長い時間机に向かい、指示に従い、課題を完結させるという能力は社会人としての基本的資質である。
  2. 自己変革。人間は情報をインプットすることで変わる生きものである。
  3. 情報の引き出し。暗記したことを忘れても、「どこを探せば情報があるか」を知っておくことが重要である。
  4. 記憶。暗記したことを大方忘れても、情報は完全に消去されるわけではない。
  5. 新たな学びへの基礎。まずは頭に情報を入れることで、更に高次元の学びが可能となる。

考える前に情報が無ければ考えようがない。当たり前のことである。学校で学ぶべきことは数学も科学も全て暗記である。

子育て・教育の目的は良き人間を社会に送り出すことである。だがそれを望む親の周りには強大な敵に囲まれている。その敵とはポップカルチャー(大衆文化)である。テレビ、映画、音楽ビデオ等によって性に関する退廃的なメッセージが垂れ流されている。

1970年代に連邦政府によって「セーフ・セックス」なる言葉が流布されるようになった。コンドームを使えば「安全」であるということであるが、それ以来今日にかけて婚外妊娠、婚外出産、妊娠中絶、そして性感染症の爆発的増加がその結果である。

コンドームは正しく使えば妊娠を防ぐことに関しては有効である。だが性感染症を防ぐことは出来ない。コンドームの素材であるラテックス材には5ミクロンの微細な孔がある。HIVウイルスのサイズは0.1ミクロン(1/50)である。結婚するまで処女童貞をまもり、結婚したら婚外性行為をしないことが感染を防ぐ唯一の方法である。

性についてあまり早くに多くの情報を与えるのは危険であり、どの時期に何を教えるかは慎重に計画するべきである。性について教える適齢は、女児は10〜13歳、男児は11〜14歳である。その時期を越すと子供はこのことに触れるのを嫌がるようになる。その前に正しきことをしっかりと教えることである。

※日本の学校においても「ジェンダーフリー」なる標語を掲げる日教組が不道徳な性教育を行っていることは周知の事実であり、憂慮すべき事態である。

一人の男性と一人の女性とがお互いに強固に結びつくことによって、男性の意識は富を創出し、積み上げ、守る方向へと向かう。男性の意識が分散すれ生き方も刹那的になる。道徳観を失った社会は経済的にも落ちるのみである。

最後に、本書は子育てにおいて重要な役割を担う母親に対して助言を与える。母親はいわば家庭における医者であり、看護婦であり、カウンセラーであり、教師であり、牧師であり、コックであり、警察官である。

 
  1. 自分自身のため、そして結婚生活のための時間を確保すること。
  2. 自分の影響力が及ばない事について悩まないこと。
  3. 問題に対して(疲れのたまった)夜に取り組まないこと。
  4. やるべきことをリスト化して整理すること。
  5. 神の助言を頼ること。


追記
権威への尊敬の念が欠けるとどうなるか。警察は治安維持上の権威である。警察官に公然と楯突けばこうなる。だが体を張って仕事をする警官が叩かれ、彼らに反抗的な態度を取るガキがこぞって称揚される。洋の東西を問わず、不道徳な世の中である。


"A Family of Value"読了

  • 2015.06.01 Monday
  • 20:12



子育てに疲れを感じる。不安に苛まれる。罪の意識を感じる。

本書はそんな現代の親のために書かれた本である。

子育てほどしんどいものは無い、とよく言われる。だが実際のところ、現在よりも経済的にも物質的にも恵まれない時代にも子供はすくすくと育ったのであり、昔の親は子育てに苦しんだりはしなかったのである。

「昔の親」とは第二次世界大戦以前の親のことである。あらゆることが困難だったに違いない戦争中の親は言う。「子育て?誰でもやったことだ。特別な事ではない」と。

本書のメッセージは、簡単に言えば「昔に戻ろう」である。それをアナクロ主義と呼ぶなら呼べばよい。大家族から核家族になるにつれ、子を持った親は親や親類に助言を求めるのではなく、精神科医や心理学者に相談したり、彼らの書いた本を読んだりして知識を得るようになった。

彼らは戦後の親に伝道した。

「子供にもっと与えなさい。もっと褒めなさい。もっと自意識を高めてあげなさい。もっと保護してあげなさい。子供を中心に考えて。民主主義を導入して。非民主的で権威主義的な古いやり方は子供を傷つける。もう時代は変わったのです。。。」

その結果が学級崩壊であり、家庭内暴力であり、マナーや敬意や道徳をわきまえない少年少女であり、少年犯罪増加であり、学力低下であり、鬱や自殺に走る若者達なわけである。

昔の親は知識ではなく、常識として3つのRをもって子育てを行った。

1) Responsibility(責任)
子供には出来るだけ早くから家事仕事をさせる。これは家族の重要な一員として認めることであり、得るだけでなく、与えることを学ぶことであり、家族の価値を高めることである。※本書は冷蔵庫等に「やることリスト(皿洗いやトイレ掃除等)」を貼り、子供がそれを行うことを当然の義務として法律のように明示すること、そして4歳までにはほとんどの家事に従事させることを推奨する。

2) Respectfulness(尊敬の念)
子供は親や他の大人とは同等ではないこと、ましてや、大人は子供の召使いではないことを教える。立場の違いを認識することから親への尊敬の念が生まれる。多くの現代の親は子供の召使いと化している。子供が親に要求する→親はそれに応える→子はもっと要求する→親はキレて怒鳴る→親は罪悪感を感じる→親は子供に”与える”ことで埋め合わせしようとする→子は更に要求レベルを上げる→親は更に与える→親は疲労困憊。悪循環である。

3) Resourcefulness(考えて問題解決すること)
”自分でやること”を子供に教える。そうしながら子は問題を解決する術を学び、大人になる準備をする。親の役割は子供の"needs(必要)"を満足させることであって、"wants(欲求)"を満たすことではない。欲求に応えてあげてもよいが、与えすぎれば子はその喜びを感じなくなり、感謝の念を持たない人間に成長する。与えるものを最小限にすれば(例:玩具は5個だけ)子は自ずから創造性を発揮して遊びを編み出す。親は子に言うべし。「自分でやりなさい」と。子は趣味を見つけ、自ら掘り下げ、学ぶようになる。

昔の子育てには3つのRがあり、更に「3つの決まり」があった。「3つの決まり」とは?

1) 子供は親の言うこと為すことに注意を払うこと。
2) 言われた通りにやりなさい。
3) 口答えをしないこと (原文:You do as I say, because I say so)

18か月までは当然の必要性から子は家族の中心となる。だが18か月前後からは、子が親に注意を払うように仕向けなければならない。

どうやって?

親は子への注意・注目(食事、衣服、安全等を除き)を減らすことである。

どうやって?

夫は夫に、妻は妻になることである。子供中心から結婚生活中心にすることである。

世の多くの夫婦は子ができた瞬間から「オトウチャン」と「オカアチャン」になってしまう。子供中心である。子供は自分が家族の中心だと思えば自分の欲求(子供は必要性と欲求を区分することが出来ない)を満足させることをひたすら要求し、親がそれに応えることを当然の義務と主張する。子供は益々扱いにくくなり、親は益々疲労困憊する。悪循環である。

良き伴侶は良き親である。その逆ではない。良き結婚は良き家庭を作る。その逆ではない。そして良き夫婦関係が最も子供を安心させるのである。妻を大切にする夫である父を、夫を大切にする妻である母を、子は見て尊敬し、男の女への接し方を、女の男への接し方を学ぶ。子供を早く寝かせれば二人の時間が持てる。時には誰かに子を見てもらって二人で出かけるもよし。二人の時間を大切にすべきである。

特に母親は、女性であることを忘れるべからず。趣味を楽しみ、オシャレを楽しみ、交友を楽しみ、自分自身であることを楽しみ、人生の喜びを追求すべし。子はそんな母親を見て敬意を払うものである。

親が子供をコントロールしたければ、まずは自分をコントロールしなければならない。ガミガミ、ブチブチ、グチグチはダメである。大声でどなるも小声でタラタラ文句を言うのも親がコントロールを失ったことを自らさらけ出すも同然である。親が子供に指示を与える際には、静かに、オタオタせずに、声を荒げずに、短くピシッと「コレコレコレをやりなさい」とだけ言ってその場を立ち去ること。

「何で?」に答えないこと。「やだもん」等の憎まれ口は聞き流すこと(著者は少々の憎まれ口は叩かせてあげることを推奨する)。それらにいちいち答え、”理論的な説明”を試みるとどうなるか。親は子供との果てしなきディベートに巻き込まれる。その瞬間、親は子供と同レベルに落ちる。そして子は親への敬意を捨て去る。

「理由をちゃんと説明しなきゃ」という人がいるが、間違いである。なぜならば、子が理由を求めるのは「嫌な時」だけだからである。「おい、アイスクリーム食うぞ」に対して「なんで?」と反応する子供はいない。※勘違いしてはならないのは、「なぜ夜と昼があるの?」的な質問にはじっくりと答えてあげればよい。

子が親の言うことを実行しないならば、親は罰を与えなければならない。その場で罰を与えるもよいが、来客中だったり外出中だったり他の用事があれば、罰を実行するのは1週間後でもよい。「アイスクリーム欲しい」「あ!美味しそうだね〜。でもダメ。1週間前のあの時、お前は私の言ったとおりにコレコレをしなかったね。私は食べるけどお前にはあげない」という具合である。

実社会において、現在のミスの結果が直後に跳ね返ってくることは稀である。大抵は1週間後〜数週間後に問題化し、場合によっては数年後に一大事となって表面化することもある。故にこの罰し方は子供が実社会を理解する訓練にもなるのである。

”苦しみ”は、親ではなくて(言うことを聞かない)子供が感じることが肝心である。

1) 要求や期待事項を事前に明確に表明すること
2) それを穏当なやり方で守らせること(虐待や誘惑を用いずに)

買い物にお店に入る前に「騒がないこと、勝手に動きまわらないこと、勝手にモノに触れないこと」を伝える。にも関わらず子が騒いだら「じゃあ、帰りましょう」。お楽しみはカットし、罰として部屋に閉じ込める(トイレや食事は別)ために帰途につく。「ごめーん、もうしないから、許してよ!」と泣き叫ぶ子を見ながら静かに言う。「騒ぐなと、言ったでしょ」と。

幼児期の子はいわば王子様・王女様である。皆の者が背をかがめてかしずき、”謁見”を求めにやって来る。”謁見者”は王子様・王女様の笑顔の恩恵にあずかり、喜びに打ち震える。しかし18か月を過ぎると立場は一気に変わる(変わらなければならない)。幼児期を引きずっている(親がそれを容認している)子供は不満タラタラの扱いにくい子供となり、幼児期を断ち切った子供(親がきちんと躾けた子供)は良き家庭の一員となる。

子育てに甚大なる悪影響を与えてきた心理学者の多くはジャン・ジャック・ルソーに影響を受けている。ルソーは悪辣で非道徳的な性格の人物であり、その思想は共産主義の源流の一つである。ルソーは「子供は生来善であり、純粋な生きものであるが、親や社会に触れるなかで変質、劣化していく」と言った。自分がどのような悪事を働いても、それは自分の責任ではなく社会が悪いのだと。ルソーのような人間にとって実に都合の良い思想である。

一方、現実の子供は自己中心的であり、愚かであり、非文明的であり、残酷ですらある(しかし宝物であることには変わりはない)。だから悪さをするのであり、反抗するのである。その芽が出たときに、親はどうするかである。きちんと躾ければ良き大人となり、躾けなければ犯罪者となる。

親の役割は重要である。だが「3つのR」と「3つの決まり」を心に留めて当たれば、疲れ、心配、疑念から解放されるのである。本書は多くの親にとっての福音である。

テレビについて
幼少時から少年時にかけ、どのようなテレビであっても有害である。特に0歳〜6歳にかけて脳の成長が著しい期間にテレビを観させると、子供の脳は機能的にも構造的にも変化し、悪影響は落ち着きのない行動となって表れる。テレビ番組の多くは、性の氾濫、同性愛の肯定などといった不道徳な社会的メッセージを伝える。また、いわゆる”良い番組”であっても、大人をバカにすること、子供を殊更に持ち上げて描くなど、巧妙な手段で左翼思想を織り込んでくる。子に野放図にテレビを観させる親は自ら子育てを困難にしていると自覚すべきである。著者は小さな子供がいる家庭はテレビを撤去することを推奨する。

※日本で言えば、宮崎駿のアニメなど最悪であろう。宮崎駿自身が共産党シンパの極左であるが、宮崎の作品は、風の谷のナウシカ、トトロ、千と千尋、もののけ姫、どれをとっても「正義の子供が悪の大人をやっつける」系のとんでもない内容である(音楽は素晴らしいが)。腑抜けたアニメオタクが増殖するのも当然であろう。

マナーについて
朝は「おはようございます」、返事は「はい」。人としての基本は挨拶からである。テーブルマナーをしっかり身につければ他人の家で恥をかかずにすむ。きちんとしたマナーは他人への敬意となり、ひいては自尊心にもつながる。親が手本を示すべし。

小遣いについて
数が認識できるようになったら、ちょっとした楽しみができる額(週に200円程度か)が適当である。親は貯金することを教えるべきである。少なすぎれば意味が無く、多すぎれば有難味を知ることが出来ない。家事をするのは「当たり前」であるから、それに対しての報酬ではないこと(小遣い無しの代わりにサボってよいわけではない)をはっきりさせるべし。

食事について
著者は幼少期の子供は別テーブルにつかせ、大人と同じものを食べさせることを推奨する(大人の邪魔をせずにマナーよく食事できるようになったら同席を許す)。促さず、さりとて強要もせずである。要らないならラップをかけて保存し、次の食事に出す。好き嫌いは断固として否定すべし。嫌いなものも含めて少量を皿にのせて出す。全部食べたら追加する。子供のために特別に「お子様メニュー」を作らない。子供は家庭の主ではない。※ファミリーレストランでよく見かける”すったもんだ”の光景は不要である。

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