"Men and Marriage" 読了 - 結婚とは何か
- 2015.07.12 Sunday
- 17:50
"Marriage is not simply a ratification of an existing love. It is the conversion of that love into a biological and social continuity" George Gilder "Men and Marriage"
「結婚とは、単なる愛情の追認ではない。結婚とはその愛情を生物的、社会的な継続性へと転換する行為である」 ジョージ・ギルダー ”男性と結婚”
同性婚が注目される昨今、結婚という人類が作り上げた慣習に対する風当たりが強まっている。多くの人々が結婚とは何かを見失っている。結婚などただの役所の紙切れだ、結婚などしなくても生きていける、結婚など過去の遺物だ、とシニカルに構えている。
"Men and Marriage"は1980年代に書かれた名著である。結婚が危機に晒されている今こそ我々に必要とされる一冊である。
本書は、文明社会を支えてきたのは結婚という制度であると説く。
男性は古来よりハンターであった。現在ほとんどの男性は狩猟に携わることはないが、この性質は受け継がれている。衝動的であり、活動的であり、競争を好み、支配を好み、チャレンジを好み、冒険を求め、不安定である。
このような男性の衝動を抑え、安定化させ、そのエネルギーを破壊ではなく建設へと向かわせる力を持っているのが女性である。
女性の力の源泉は「拒絶」である。性的衝動の強い男性とは対称的に、女性は性行為無しで長い間精神の均衡を保っていられる生物である。女性の「ダメです」は男性に対して条件を突きつける。性行為を欲するならば結婚に足る人物になりなさい、と。 善良で勤勉で堅実で誠実で建設的で文明的な人物となりなさい、と。
この女性の拒絶が持つ力こそが、社会を支え、経済を発展させてきた原動力である。
結婚によって男は変化する。これは女性の持つ力によるものである。男は結婚すると、もう「独身」ではない。独身男性は即自的な満足を求め、それを得る自由がある。だが結婚に際して男性はその自由を捨てなければならない。妻となる女性と落ち着かなければならない。狩猟はもう終わりである。家族を生活の中心にしなければならない。夫である自分を頼る妻と子供がいるからである。
本書は文明社会における、男性の「稼ぎ頭」としての役割の重要性に触れる。フェミニスト運動家は男女平等を訴える。勤労の機会と賃金を平等にせよと。平等を実現するには資質や性質が同じでなければならない。だが性的に女性は高位に、男性は下位に位置する。
まず当然ながら、男性は子供を孕み、産むことが出来ない。これらは女性だけが出来ることである。
そして男性は常に試されている。仕事でも試され、ベッドでも試される。勃起不完全や早漏によって男性はインポとされ、自信を砕かれる。対して女性は器量の良し悪しはあるにしても、性行為で「失敗する」ということは無い。
この劣位性を埋め合わせるために、男性にとっては「稼ぎ頭」としての役割が決定的に必要なのである。
だが我々の生きる現代において、もはや男性の牙城である狩猟は無い。オフィスでの仕事は女性でも同等にできる。しかも政府の政策で「女性の社会進出」が促進され、男性の領域は否応なく狭められている。失業すれば失業手当があり、収入が少なければ生活補助もある。医療も社会保障で賄われる。男性が稼がなくても、女性は「やっていける」世の中である。
男性にとって失業状態は屈辱であり、失業男性は社会にとっての脅威である。一方、女性は仕事を持たないことで社会にとって有益でありうる。子を産み育てられる女性とそれが出来ない男性との違いである。
男性というものは経済的に下位の(稼ぎの少ない)女性と結婚するものである。対して女性は経済的に上位の(稼ぎの多い)男性と結婚するものである。絶対的な法則ではないが一般的な現象である。これは良し悪しや偏見ではなく事実であり、男そして女としての性(さが)である。
女性は稼げば稼ぐほどに経済的に同レベルの男性と結婚する気は失せ、より経済力のある男性との出会いを待つ。しかし都合よく稼ぎが良くて独身で見栄えの良い男性はそう簡単に現れない。そうするうちに年月は過ぎ、年齢を重ねる。婚期を過ぎた独身女性はそのまま独身を通す確率が高い。それと同数の男性は結婚ができずに独身のままである。女性が「社会進出」すればするほどに結婚が減少する所以である。
結婚の減少によって独身男性は増える。
本書は結婚を減少させるもう一つの要因として「性の解放」を挙げる。
「性の解放」によって10代〜20代の若い女性は性的ヒエラルキーの頂点に立つ。彼女らはキャリアや男性関係を謳歌し放題。金持ちの妻子持ちの年上の男性との不倫もできる。だが彼女らが30代に入ると”若さのパワー”は急激に減少する。更なる好条件への望みが絶ち切れず、ズルズルと結婚を先延ばしにする。35歳を過ぎ、40も間近。はっと気づくと「負け犬」に。前は追いかけてきた男ももう自分には興味を示さない。彼らの興味は若い後輩たちへ。
「性の解放」で犠牲になるのは先ずは女性、次に若い(金と権力の無い)男性である。
中年男性が若い女性と浮気して妻を捨てれば、年を食った妻は別の男性と再婚できる望みは薄い。離婚された妻の多くは経済的な困難の中、孤独な老後を迎える。
「遊ばれた」末に年を食って婚期を逃す、かつてチヤホヤされた若い女性もいわば犠牲者である。35歳を過ぎた女性が結婚に辿りつく確率は僅か5%(本書出版当時)。
そして若い女性が年上の金持ち男性と遊んでいる間、それを恨めしく眺めていた金のない若い男性。彼らも結局は結婚に辿りくつくことができない。結婚どころか、”つきあう”にも事欠く始末。
さて勝者は、と言えば、金と権力のある男性である。「性の解放」は女性ではなく、男性、それも金と地位のある男性を解放するだけだったのである。そしてこれら男性にとっての実質的な「一夫多妻」状態の実現である。
「性の解放」によって結婚は減り、独身男性が増加する。
「性の解放」はまた、同性愛を増加させる。なぜか?「性の解放」は一夫多妻をもたらし、一夫多妻は男性弱者を同性へと向かわせるからである。同性愛が増えれば、当然ながら、結婚は減る。そそしてやはり、独身男性は増加する。
独身男性の増加は社会の安定と経済成長を脅かす。そしてそれは文明社会の存続をも危機に陥れる。世の犯罪者の多くは独身男性である。
文明社会は結婚の減少と独身男性の増加によって危機に晒される。要因は女性の育児放棄と「社会進出」、「性の解放」、男性の「稼ぎ頭」の役割を無にする社会福祉である。
この流れを変えることが出来るのは誰か?女性である。それも、「No」と言える女性である。
結婚の減少をもたらすフェミニズムの政策に「No」。独身男性の女性遊びに「No」。金持ち中年男性の不倫に「No」。
女性が左翼フェミニズムに「No」を言うことで、女性は再び「家を守る」役割を担い、男性は家族のために稼ぐ役割に専念するようになる。女性が「No」を言うことで、男性は独身と独身文化を捨て、彼らのエネルギーは結婚生活、家庭生活へと向かう。
女性は男性を変え、社会を変える力を持っている。我々の文明社会が没落を回避するか否かは女性にかかっている。